2. お披露目の再会
ぐす。あたしって不幸。とっても不幸。どうしようもなく不幸……
そりゃ確かにあの時はちょっとやり過ぎたけど……でもなにこれ。まるで座敷牢じゃないのよ。
あれ以来外に出るときはパパとママの許可がないと絶対駄目だし、窓辺の枝は切られちゃったし、壁穴はふさがれちゃったし……もう二週間も一歩も外に出てないんだから……
それだけならまだしも、とうとう今日はお披露目の日。いわゆる成人式。もちろんあたしのじゃないけど。要するに集団見合いなのよね。呈のいい。今日成人する子達にかこつけて、未婚の男女がおつきあいするわけ。一応「姫」は公けには箱入りだから、こういうことでもない限り男の人と出会えないわけ。建前はね。
でも実際はそうでもない。あたしなんかがいい例だけど。
ともかくそういう目的が見え見えなんであたし行きたくなかった。でも今度ばっかりは断われないわよ。どう考えたって……仮病使おうにも読まれてて毎日お医者さんが診断にきて太鼓判押してくし、他の理由なんて思いつかないし……
そりゃあたしだって舞踏会は好きだけど、踊ってるのが好きなんで、脳足りんの男どもは大嫌い。前は何度も行ったけどつまらない会話に飽きちゃった。だって男って狩で何をしとめたとかゲームの勝ち負けのことしか話さないんだもん。
というわけで最近は何かと理由をつけてさぼってた。パパはそれがおかんむりで、今日は絶対行けってしつこいのよ。そうなったら今度こそ絶対誰かを押しつけられちゃいそうじゃない。パパはあたしが結婚しないからあんなことになるんだって言うんだけど……いったいそれとこれと何の関係があるのよ。でもああなった以上あまり文句も言えないし……
うう、結婚なんて嫌だなあ。
お披露目は銀の塔の大広間で行なわれるんだけど、今回のお立会いはアンシャーラ姫よ。美人がお立会いをするのはいいけど……何かと比較されそうだし……ううう。
ああ、フロウがいればこんなことになってないのに……ああ、ため息。
「エルセティア様、ご用意はよろしいですか?」
乳母のミーアの声がした。
「できてるわよ。ミーア」
ますますため息。
あたしこの服嫌いなのよね。胸は苦しいし、歩きにくいし、前はよく見えないし……
「まあ、エルセティア様、ハットがずれておりますわ」
答える前にミーアがハットを直す。ああ、いつもこの調子。ミーアはいい人なんだけど、パパの言いなりなんだから。あたしの気持ちなんか言っても分かってくれない。
「馬車が参っております。お急ぎを」
「分かってるわよ」
「まあ、なんてお言葉使い……」
「あのねえ」
「ああ、エルセティア様、後生ですからあちらでは決してそんな言葉遣いをなさらないで下さいな、私があんなにお教えしたのにどうしてこうなってしまったんでしょう……」
ああ、オーバーなのよ!泣くことないじゃない、もう……疲れる。
つき合ってたらきりがないので、あたしはしずしずと部屋を出た。あたしだってやろうと思えばこういうふうに歩くことだってできるのよ。よく転ぶけど。
いちばん危ない階段にかかったところで声がした。
「ティア、ティア」
「あら、お兄ちゃん」
こんなとこで何してるのかしら。
「ちょっと耳貸せ」
「何よ?」
お兄ちゃんがささやいた。
「アスタルのマルホールという奴が怪しい。親父の声掛かりらしいぜ」
やっぱり!
「どういう奴?」
「そこまでは分からん。でも分家の次男といったとこだろう。期待は持てないな」
陰謀よ。これは!ひどいわ!
部屋に戻ろうかとも思ったけど、ミーアがにらんでるのでやめにした。ともかく、
「ありがとう!気をつけるわ」
お兄ちゃんにちょっとキスして階段を降りはじめた。頭にかっか来てたので踏み外しそうになったけど何とか持ちこたえた……
やっぱりだわ。今日のお披露目はあたしのお見合いなんだ。パパが手を回してあたしを無理やり結婚させようとしてるんだわ。結婚したらあんなこと、確かにできないから……よっぽど変な亭主でない限り……ううう、冗談じゃないわよ。マルホールなんて見たこともない奴といきなり結婚できるか!
といってもどうすりゃいいのよ?パパが敵の味方だとすると、障害なんて何もないじゃない。うちには尋ねて来放題だし、そうして既成事実を作って……いやよ。何これ?
「エルセティア様」
御者のラバンが待っている。
「やめたわ」
「エルセティア様!」
冗談じゃないわよ。こんな陰湿な、犯罪じゃないのよ!
「あたしやーめた」
「エルセ……」
あたしは部屋にかけ戻ろうと後ろを向いた。するとぬうっと大きな人影が現われて、
「何をやめたと?」
げ、パパがいる!やっぱりそうよねえ、あたしが逃げだそうとするのは読まれてるみたい……
「いえ、その」
「では乗りなさい」
う、迫力……
「でも……」
「乗りなさい」
うう、逆らえない……
泣き泣き馬車に乗ると、あっという間に走りだした。前にはちゃんとミーアが座ってる。うー、彼女が仲立ちじゃそのマルホールとか言う奴との間は出来たも同然じゃないの。
よっぽど飛び降りようかとも思ったけど、この服と靴じゃ足をくじくのがおちなのでやめにした。動けなくなったりしたらますます相手の思う壷だわ。お見舞いに来たとか言って……ああ、どうしよう……
あたしは事故でも起こらないかと期待して外を見てたけど、こういう時に限って何のトラブルもなく着いてしまうことになっている。ほとんど何も考える間もなく、あたしたちは銀の塔についていた。
「わあ」
でもいつ見ても銀の塔ってきれい。
塔はいま陽の光に当たって燦然と輝いている。
ここは大皇のおわすところで、あたしたちが簡単に出入りできるところではない。でもお披露目とかそういった重要な催しでは別。そういう時がここにはいるチャンスなのだ。
見上げると、大きい。どうやったらこんな大きな家が建てられるのかしら。それにこのきれいな壁や柱は何でできてるのかしら。鉄じゃないわよねえ。だったらすぐ錆びちゃうもん。ほんと。始大皇ってすごかったんだわ……ここに始大皇と白の女王がいたころに生まれてみたかったわ……本当に素敵だったでしょうねえ……
なんて感動してられないのよね。今日は。そうでなかったらここは好きなんだけど……
「着きました」
「ありがとう」
あたしは馬車を降りた。あちこちから馬車がやってくる。多分公家の未婚の男女は全部来てるんじゃないかしら。
あたしは鬱々と塔の大きな入口をくぐった。
「まあ」
中は外にもましてすごい。またまた声が出ちゃう。
磨きあげられたチークの床、目も眩むようなシャンデリア、はるか彼方までありそうなこの広間が玄関なんだから。前来たときよりすごいみたい。今日はアンシャーラ姫がお立会いをするからかしら。こっちはそれに日和ってるわけだけど、何となくうきうきして来ちゃう……いけないいけない。
あたしたちがきょろきょろ歩いてると、
「まあ、ティア……」
あの声は……
「きゃあ、エイマ。お久しぶりね」
幼なじみのエイマだ。
「ごきげんよう、ティア。あなたがいらっしゃるなんて!」
びっくりしてるな?ずいぶんさぼってたから……
「ちょっといろいろあったの。あなたお元気?」
「ええ、とっても。あなたもお元気そうで何よりですわ。いらっしゃらないからどこかお悪いのかと……おかしな噂も……」
「まあ、どのような噂?」
「いえ、大した噂じゃないのよ。それより、奥に入りましょう」
ずいぶんひどい噂みたいね……
あたしたちは奥に進んだ。大きな階段があって、それを昇ると大ホールへの控えの間だ。ここもまた普通のホールより大きい。
着飾った娘が何十人もぺちゃくちゃおしゃべりをしている。あたしたちがそこを通り抜けて大ホールにはいると、はるか向こう側にこれまた着飾った若者がたむろしている。
だだっぴろいというかなんというか……壮観なのよ。この大ホールは……
「エイマ、エイマ、あら、ティアじゃないの」
その時遠くから声が聞こえた。見るとよく知った顔が見える。
「きゃあ、リアン!」
リアンが走るようにやってきた。
「ティアじゃない、珍しいわあ」
「そんなに珍しくないわよ」
リアンも幼なじみ。でも最近あまり会ってないな。
「嘘。ずいぶんじゃないの。宴にくるのは。この間はええと、去年じゃない!」
そんなにもなるっけ……
「まあ、いろいろとあって……」
「具合い悪かったの?」
「ええ、まあ……」
確かに一回は悪かった。でも他は……けどリアンはそのことはそれ以上突っ込まずに、すぐに得意の話題に突入した。
「そう。体は気をつけないと……ところでティア、あなたミラーの話はお聞きになって?」
「ミラー?」
誰よそれ。
「クアン・マリのミラーよ。ご存じない?今日シャーラ姫にアタックするってもっぱらの噂!」
「ええ?本当?」
エイマが乗り出す。
「??」
話が、話が……下町で遊んでる間に、こっちに疎くなっちゃった。少し情報を仕入れねば……リアンはこういうことに詳しいから……
あたしたちは噂話に花を咲かせた。ここにいるのはみんな、昔一緒に遊んだ仲だ。でも今ではあたし一人何か仲間はずれのような感じ。何となく話が合わないのよね。
「ミラーったらプレイボーイだから。あたしも声かけられたことあるわよ」
なるほど、そういう奴か。
「ええリアンにまで?で、どうだった?」
「顔はいいけど、ちょっとねえ。でもそのときはぐっときちゃった!」
どっちもどっちじゃないの。
「ティアは声かけられたことないの?」
「あたしは、ないわ」
「あんまり顔出さないものねえ。でも今日はミラーは駄目よ」
「どうして?」
「だってお世継ぎの君がいるもの」
「ええ?お世継ぎの君ってシャーラ姫と?」
「知らないの?エイマ」
「知らないわ」
「お世継ぎ?」
あたしがぼうっと言ったので、リアンが目を丸くした。
「今日の祝福はお世継ぎの君よ。忘れちゃったの?」
「ああ、そうか」
大皇が最近ご病気なので、その代わりをお世継ぎの君がやってるって話だったわ。そういえば、お世継ぎの君に代わってから、あたし一度もお披露目に出てないんだ。すごい美男子って聞いてるけど……
「こんな時じゃないとお世継ぎを見る機会なんてないから」
「そうよねえ。滅多に人前に出ないもの」
「ねえねえ、そんなにきれい?」
「まあ、ティア。あなたまだ見てないの?」
「ええ、まあ」
リアンの目が虚ろになった。
「とってもすてき!ああいう人に抱かれてみたいわ」
「まあ、リアン!」
リアンはさすがに赤くなった。
「でも、そう思わない?」
「あたし、ダアルの若君の方がいいわ。立派だし。お世継ぎって何か体が弱そうじゃない」
「そうかしら……でもあの透き通るような美しさってすてき!それに今日は来ないでしょ」
「そうよねえ……お二人が並んでたら、どっちがいいかはっきりするのに……どうして仲がお悪いのかしら」
そういえば、世継ぎの君とダアルの若君は人気が二分されている。ダアルの若君とは皇位の第二継承者だ。でもお世継ぎの家であるジークの家とダアルの家がとっても仲が悪いので、二人が一緒のことは滅多にないというけど……
うう、でもあたしどっちもまだ見たことがない。遅れてるわ。どんな人かしら。かっこいいかなあ……
でもそれ以上の問題がひかえている。いきなりそれがやってきた。
「エルセティア様、エルセティア様」
「どうしたの?ミーア」
「アスタルの若君がティア様とお話したいと申しております」
げ、いきなり!
「アスタルのって、誰?」
「あそこにおられる方です」
ちょっと遠くて見にくいけど、若い男がこっち見てる。
「ティア様、いかがなされます?」
「ちょっと、まだ始まってもないじゃないの。いやよ!」
「ティア様、お顔も見ずにお断りするなんて、失礼じゃありませんか」
失礼なのはどっちよ!
「どうしたのティア」
「いえ、何でも……」
「まあ、リアン様、実はアスタルの若君が……」
「ええ?マルホール?いい人よ。あの人」
こ、こいつら、グルじゃないの?
「ええ?ティアにお呼びなの?先越されちゃったわ」
エイマまで!何よこれ!
「ティア、いいじゃないの。行けば?マルホールって知ってるけど、なかなかの男よ」
それなら自分でいけばいいじゃない。みんなして寄ってたかって……ああ、どうしよう!
その時天の助けか、アンシャーラ姫の声がした。
「皆様方、本日はよくお越し下さいました。新しい友人を迎えるに当たって、これだけの皆様がお出迎えくださるとは、何と喜ばしいことでしょう」
お披露目が始まる。これでちょっと時間が稼げる。その間にどうにかしなきゃ……
アンシャーラ姫が壇上に登っている。顔は見えないけど、身のこなしが素晴らしい。それに声も。
と言ってもそれをゆっくり堪能している余裕はない。今の身の危険をどう避けるかで頭がいっぱい。
とにかくこの口上が終わって祝福があるまでは大丈夫だけど、その後よ。何といってもその後の方が長いんだから。ああ、逃げるにしてもミーアが見張ってるし……うーん、うーん。
「……それでは新しい友人をご紹介します。始めはフェーンの家のマグニ・リシャニアン姫です」
若い娘が誘われて壇上に上がった。みんなの拍手。ここから見ても震えてるのが分かる。二年前あたしもああして紹介されたけど……何があったかほとんど覚えてない。壇上に登って下を見たとたんかっと頭に地が上っちゃって……ただ人の良さそうなおじさんが、手にキスしてくれたことだけ……あれが大皇だったんだけど……
「次の方はヤナスの家のエルノン・シルリエラ姫……」
げ、あれは……マルホールがこっち見てる。何でそんなところにいるのよ。あたしはあんたなんか見てないわよ。どうせ後であたしに見つめられて光栄だとか何とかいうんだわ。話のきっかけなんかどうでもいいんだから!
ええい、あっちむけ!気になるじゃない!
「最後は……」
そっちがその気なら、こっちがそっぽ向くからいいわよ!ふん。前が見えないのは少し残念だけど……
「まあ、ティア様」
ミーアが恐い顔してる。でも今は小声でぶつぶついうだけ。
あたしは周りを見回しながら逃走の機会を捜したけど、ない。ミーアがあたしのすぐ後ろにいて見張ってる。
「ティア様、前をお向きになって……」
死んだって向くもんか!
式はそんなあたしにお構い無しに進んだ。後向きのあたしの耳にアンシャーラ姫の声が届いた。
「では、新しいお仲間に対してお世継ぎの君よりの祝福です」
「まあ、お世継ぎの君よ!」
回りがささやくけど、それを見たらあの男も見えてしまう。うう、見たいなあ、世継ぎの君。どうしよう、ちょっとだけ見ようか……うーん。ちょっとでも見たらあいつにやっぱり気があるって思われちゃうわよ。そうなったらしゃくだし……でも、お世継ぎの君って……
「まあ、いつ見てもおきれいで……」
「すてき!」
ええい、見よ!ん?いないじゃない……ああ?もう下がっちゃってる……ひどい!
ますます頭に来る。これもあいつとパパが悪いんだ。
そして結局いい考えが浮かばないうちにお披露目の式は終わってしまった。これからは延々と宴が続く。その間に若い男と娘が親睦をはかれるようにということになっているのだ。ううう、絶体絶命……そのとき、
「ティア様、ティア様」
ミーアが言った。
「ええ?」
「アスタルの君がいらっしゃいます」
来ちゃった!
「ど、どこ?」
「ああ、あちらですわ!」
ぎゃあああ。どうしよう。とにかく会うだけ会おうかしら。そこで嫌われそうなことをいっぱいやれば……気が進まないけど……
「でも……あたし……」
なんて言ってる間に、そこまで来ちゃった。
「エルセティア姫……でいらっしゃいますか?」
わあああああ。もうどうにでもなれ!
「ええ、いかにもこの方がル・ウーダ・エルセティア姫でございます」
ミーアが勝手に答えている。
「こ、これははじめまして。私、ブランの家のアスタル・マルホールと申します。しばらく姫のお手を拝借してよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
いいなんて言ってないわよ!
「…………」
「エルセティア様!」
ミーアが恐い顔をするので仕方なく言った。
「こちらこそ……はじめまして。エルセティアです」
顔を上げてはいけない……
「エルセティア姫でしょうか。私ブランの家のアスタル・マルホールと申します」
「はい……」
いきなりわめけないし……まずはおとなしくしとかないと、家名に傷がつくし……
「ではティア様、私は」
「あ、ミーア」
と、一瞬気を許した隙にミーアは消えてしまった。あっけにとられて声もでない。さすがミーアと感心して……なんかいられないわよ。あたしとこいつ二人きりじゃないの。こいつとしばらく話をしなければ……いきなり逃げるわけにも行かないし……うううう。
あたしはハットのひさしのレースを通してマルホールの方をのぞいてみた。これじゃいまいちよく見えないけど……でも声はまあまあだわ。そんなに軽い感じじゃないし、結構緊張してる。いきなり二人きりになってあっちも少し動揺してるようだ。悪い人じゃあないみたいだけど……
これがミラーのような奴だったら……会ったことはないけどどんな奴か完璧に想像できる……そんな奴だったらさっさと振りきっちゃうんだけど……そういう奴は結構うまいから振り切れないこともあるけど……こういうのなら……
「ああ、エルセティア姫には一度お会いしたいと思っておりました」
あたしが黙ってるのでマルホールはなにか唐突に喋り出した。ばつが悪いのかしら。
「それは……でもどうして私などに……」
一体どうしたら嫌われるかしら。ええと、ええと。
「みなさん姫の噂をなさってますよ。ですから……」
「まあ、どんな噂なんでしょう」
これは行けるかしら?
「それは……」
うふ。詰まってるわ。よっぽどひどい噂みたい。それにしても結構正直な人じゃない……一体どういう噂なのよ!
「ひどい噂なんでしょ?」
「いえ、ええ。でも、ぼ、僕はそんなことありえないと思ってました。いまお会いしてますますその印象を深めました……」
うう、おかしい!ここでけっけっけと笑ってみせたらどうかしら。
「そんなことより……何か召し上がりませんか?」
逃げたな。けどそれはいい考え。確かにお腹は減っている。さっきからいい匂いがしてると思ったら、ちょうど料理が運び込まれてるところだわ。いつもなら見逃すはずないのに。
「ええ」
「では、何か取ってきましょう」
マルホールは食事を取りに行った。
「ふう」
それにしても……本気かしら。あの人。パパに何か弱みでも握られてるんじゃないかしら。アスタルとル・ウーダじゃあ家柄もあっちが上ぐらいだし、無理してあたしと結婚することなんてないと思うんだけど。
見たところずいぶんまともそうじゃない。それとも何か性格に欠陥でもあるのかしら。人に言えないような……後でそのことを突っこんじゃおうかしら……
「ティア、ティア!」
「きゃっ」
なによ?リアンじゃない。
「どう?」
「どうって、何が?」
「まあ、とぼけないでよ。マルホールのことよ」
いきなり何?この人。
「マルホールがどうしたの?」
「話してたじゃない、ずっと」
げ、ずっと観察してたのかしら。
「ちょっとだけじゃないの」
「あのひとはいい人だからつかまえた方がいいわよ!」
またあ。一体何なのよ。
「リアン、あなた……」
「まあ、戻って来るわ」
ええ?リアンは再び消えてしまった。
「ティアさん、珊瑚鳥はお召し上がりになりますか?お飲物は?」
マルホールが戻ってきた。
「え、ええ。いただきます」
「今ここにいたのは……」
「ああ、リアンよ。ヴァリノサ一族のフィーリアン姫」
「そう……」
なによ、その目は……あっちの方が美女だっていいたいの?そりゃリアンは美人顔よ。悪かったわねえ。要するに単純に結婚相手に飢えてるんじゃないの?この人。
「あの方が気になります?あたしたち幼なじみだから、あたしからご紹介しましょうか?」
「いえ、いえ、とんでもない!あんな……あなたをさしおいてそんなことできませんよ」
うまいわねえ。
「それより、お飲物は何を?」
いきなり話題を変えちゃって……
「ああ……ワインをいただきます」
「ええ?」
聞こえなかったみたい。なんだか急に周囲がざわめきはじめて……何なのかしら。
「どうしたんでしょう」
「ええ?」
「どうしたんでしょう!」
「さ、さあ」
ただごとじゃないような……ええ?ダアル?
「ダアルの若君がいらっしゃったとか言ってますねえ。これは珍しい」
「そんなに珍しいんですの?」
「珍しいなんてもんじゃ……だって今日はお世継ぎが来てるでしょう」
「ああ、そうですわね」
そういえば珍しいんだ。だったら両方見る機会じゃないかしら?まだ見てないし、お世継ぎもそのうちでてくるかも知れないし……じゃないわよ!そんなことはどうでもよくて、ともかく今はこいつをどう片付けるか……
「あ、来ました」
「ええ?」
ついつられてそちらを見てしまう。奥の入口から少年が入って来る。あっちを向いてるから顔は見えないけど、横についているのは……ちょっと年輩の男だけど……ああ?どこかでみたような……えーと、えーと……どこだったかしら。
それにしてもなにかやたらにきょろきょろしているわねえ。なにか捜してるのかしら……
その男はあちこちを見回したあげく、あたしに目を留めた。やっぱりどこかで見た顔だわ。ええと……?! こら、どうして見つめるの?あたしの顔になにか……
「あ、あ、あ」
思いだした!
「どうなされました?」
「あ、あれ」
「ああ、あれはカルスロム。ダアルの若君の付き人ですよ」
あ、あの時の……半月亭の……
その時あたしは思い当たった。
「ね、ねえ。ダアルの若君って確か名前は……」
「カロンデュール様ですよ。ベルガ・カロンデュール」
ダアルの若君、ベルガ・カロンデュール……デュール!
「おや?こっちにやって来るぞ。どうしたんだろう。誰かいるのかな?」
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
恐る恐る見ると、カルスロムがあたしに向かって一直線にやって来るのが……
じゃ、じゃあ、じゃあ、あ、あの時の坊ちゃんが……第二継承者の……カロンデュール皇子だったの?
まずい、まずい、まずい。これはまずい!
「あ、姫、どちらへ」
「さ、さよならっ!」
「姫!」
これはもう逃げるしかない!あの時のことが一気に思い出された。下町で身分を隠してたとはいえ、彼に対して行なった所行は……わあ、目から火が出る!
あたしは一目散に出口に向かって……あら?出口がない。ああ、反対じゃないの。うわあ、どうしよう。回り込まれちゃう。とにかく……あっちに行こう。
人混みをかき分けてあたしは逃げた。こういう服だからスピードはたかが知れてるし、歩くたんびに人を引っかけるけど、もう周りの迷惑なんて考えてる暇はない。
ううう、それにしてもどうして気付かなかったのかしら。デュールって名前から想像してもよかったのに……そうよねえ、『カロンデュール』を普通に略したら『デュール』じゃない!でもダアルの若君を『デュール』って呼ぶなんて、恐れ多くて想像したこともなかった。
あのとき何て言ったのかしら……確か、目の前で坊ちゃん扱いして、酔っぱらって、愚痴をこぼして、挙げ句の果てに壇上に引きずり出して踊らせて……やめてやめて。
ああ、破滅だわ。あたしもヤーマンの家も終わりだわ。あたしのせいで家は断絶になって、パパもママもお兄ちゃんもみんな縛り首になっちゃうんだわ。どうしよう、どうしよう。捕まったら絶対にひどいことされるわ。みんなの前でぶたれるんだわ。だってあのとき彼にさんざん恥をかかせたし、皇族に……皇族よ!よりによって!あんなことしてただで済むわけないじゃない!
出口、出口、ああ、ない。どうしよう。あ、ドアがある。何でもいいや。入っちゃえ。こっちは命がかかってるんだ。中に誰がいようと……
ドアを開けると大きな窓が見えた。やった。窓から出られるかも……あたしは窓に駆け寄った。でも……
「いやあ」
二階じゃないの。そういえばそうよねえ。上に上がったもの……これじゃ足くじいちゃう。こんな服じゃ絶対に……うう、絶体絶命!でも、くじかないかもしれない。思い切って飛び降りちゃおうかしら……でもお披露目で娘が窓から飛び降りたとかいうことになったら……じょうだんじゃない!
「どうなさいました」
「わああああ」
ああびっくりした。人がいた。そうよねえ。こういう所だからいてもおかしくないんだけど…
「いかがなされました?」
とにかくごまかさなきゃ……下手すると私室かも知れないし……
「ご、ごめんなさい!ちょっと……?!」
そう言いかけてはたと唇が停止した。ええ?なに?この声。聞き覚えがあるわ。
「ものすごい剣幕でしたが……」
やっぱり聞き覚えがある。でもデュールじゃなくて、もっと前、もっと昔の……
「誰か無作法な者がおりましたか?」
ちょっと待ってよ。嘘よ。そんなの……ぜったい……
あたしは目をつぶった。夢だ。そうに違いない。だったらもう一度目を開いたときには醒めてるはずで……
あたしはゆっくり目を開いた。あたしの前に声の主の姿がある……最初は足が見える。あたしはゆっくりと顔を上げ、腰を、胸を、首を、そして顔を見る……
とたん体中が凍り付いた……半分手を上げて、間抜けみたいに大口をあけて……
まるで夢から抜け出してきたような……
何か言おうと思うのに……
その少年の目が大きく見開かれた。じっとあたしを見る……唇がかすかに動く……
「ティア……」
間違いない。それはそう動いた……ま、間違いない!と、いうことは……
「フロウ?」
あたしはやっとそれだけしぼりだした……
からからからと頭の中で何かが回っている。
からからからと頭の中で何かが回っている。
からからからと頭の中で何かが回っている。
まだ回っている……けど……
う、嘘だわ。どうしてフロウがここに?
でもどう見ても彼はフロウよ。
「ティア」
再びその響き……
夢にまで見た彼の顔。決して忘れられない彼の声……
あの時より大きくなってるけど、あたしの思った通りに成長した彼が、フロウがここにいる。
「フ、フロウなの?」
「ティア?」
虹の森、月見の丘、とねりこ、約束、銀の湖、ポニー、都への帰り道、誰もいない渚、砂にしみこむ涙……
一瞬のうちにあたしの見たものだ。そして……
「ど、どうしていなくなっちゃったのよ!」
ぱしーん。
知らないうちに手が……い、いけない……しまった……
「あ……」
手を見つめる。そして彼の顔を……
「すみません、ティア」
フロウは逃げなかった。彼は……目の前がにじんで見えなくなった。あたしはフロウにすがりついて叫んでいた。
「フロウ、フロウ……心配したんだから……死んじゃったかと思ったんだから……あたし、あたし、フロウが死んだら本当に死のうと思ったんだから……でもまだ死んだって決まってないから……だから、だから……」
もう何を喋ってるのか分からない。
「フロウ、フロウ、どうしていなくなっちゃったのよ?」
「ティア……すみません。でも、あのときは、そうしなければならないと……」
「フロウ、フロウ」
そのときドアがばたーんと開いた。
「メルフロウ様いかがなされました?」
男が飛び込んでくるなり叫んだ。
「何でもない」
「物音が……その方は?」
「何でもないんだ。下がれ」
「でも……」
メルフロウ?
そう思った瞬間さらにどやどやと人が入ってきた。
あ、あ。半月亭の付き人!
さ、再会を喜んでる状況じゃないわ。そうよ。どうしましょう?
「エルセティア姫はこちらへ来られたと?」
さらに聞き覚えのある声が……わあああああああ。
「そのように……あああ?」
「あっ」
誰よ?……うわああああ。デュール!
終わりだわ!破滅だわ!終末だわ!
やっとフロウに再会できたところなのに、あたしの人生は終わってしまった。ひどいじゃないの!ああ、神様、大皇様、もう悪口言ったりしませんから。白の女王も私を見放さないで!
ともかく隠れるしかない。でも隠れる場所と言ったら、フロウの後ろしかない。あたしはフロウにすがりついて破滅を待った……
だけどそれはやってこない。あたしはフロウの後から恐る恐るデュールを見た。するとなぜかデュールはもっとびっくりした顔をしている。いったいどうしたのかしら。
「メ、メルフロウの君!」
「カロンデュール?いったいどうしたのです」
え?え?え?
状況がよく分からない。いったい……ええ?
「フロウ!助けて!」
「ティア?」
「メルフロウ殿……エルセティア姫とは……お知り合いなのですか?」
デュールの声が引きつっている。
「知り合いと言われれば……そうです」
デュールは目を大きく見開いた。そのまま、さらに恐ろしい一瞬が過ぎて、
「フロウ……あの時彼女が……」
デュールの次の言葉は聞き取れないぐらい低かった。途端に、
「はははははは」
「カロンデュール?」
フロウの問いかけに、
「失礼しました」
と言っただけで、デュールはきびすを返して部屋を出て行ってしまった。付き人が右往左往しながら彼の後を追う。
あっという間のことで、何が何だかよく分からなかった。
だけど次第に状況が飲み込めてきた。
「メルフロウ様、その方は……もしかして……」
最初に飛び込んで来た男がたずねる。
「そうです……」
よくみるとこの人……
「ム、ムート!」
見覚えがある!なんてものじゃないわ。この人、フロウといつも一緒にいた教育係のムートじゃないの!
「エルセティア姫でしたか……」
あたしたち、この人にずいぶん迷惑をかけた気がするけど……
でも当面そんなことは問題ではない。
こっちの心臓は前にもまして破れそうになっている。
だって、だって……
「先ほどは失礼しました。姫。世継ぎの君に何かあっては……」
そういうことで……というわけで……
「フ、フロウ……あ、あなた……」
「私が悪かったのです……あのとき話しておいた方がよかったのかもしれませんが……でもそうすると……」
あたしは……世継ぎの君をぶん殴ってしまったわけで……
「ティア、ティア、どうしました?」
「エルセティア姫!」
そのあとのことは覚えてない。