自己責任版:白銀の都
白銀の都 3. 混線模様

3. 混線模様


「ね、ねえ、お兄ちゃん、どうしよう」

「どうしようったってねえ。こういうのはすぐには結論の出るもんじゃない」

難しい問題には慣れているが、今回のはとりわけ難問じゃないか。  

「じゃああたしはどうすればいいのよ」

「どうすればったってなあ。いきなりこんなこと言われても困るんだよね」

「パパもママも役に立たないんだから、お兄ちゃんに聞くしかないじゃないの」

「ちょっと考えさせてくれよ。まだ時間はあるんだから」

「あるっていっても一週間よ!そんなのすぐだわ」

「そうがみがみ言うんじゃないの。頭が混乱するじゃないか」

「むう……」

ふう。つかれる。こいつと話すと。

 何だかこの間の半月亭事件から疲れっぱなしだ。

 あの時もうまくもみ消したと思ったんだがなあ。カーンの馬鹿が口をすべらせやがって。俺まで禁足をくらっちまった。おかげで学館と家を往復するだけの毎日で、つまらないったらない。

 それにしても……初めて聞いたときはびっくりしたよな。どこかで見た顔だとは思ったんだが……

 ダアルの家のベルガ・カロンデュールといえば、名門中の名門。ベルガ一族と言うだけでみんな縮み上がるのに、その頂点だよ。俺ごときじゃ話しかけるどころか、姿を拝んだことさえほとんどない。

 だがそれ以上に驚いたのがメルフロウの話だ。昔一緒に遊んだあのチビが世継ぎの君だったなんてねえ。世の中狭いというか、何というか、もう返す言葉もない。冗談にしても、ちょっとこいつは行き過ぎな気がするぜ……

 ティアが気絶して運び込まれたときは、てっきりマルホールとやり合ったのかと思ったが、そっちの方がはるかにましだったよな。まったく……

 ええ、そんなことはともかく、今はこの問題をかたづけなきゃならない。

俺は目の前にある二つの封筒を取り上げた。

「こいつは、本当に本物だよなあ」

「当り前じゃない!偽物なんて作ったら首切られちゃうわよ」

どちらもどう見ても偽物には見えない。精巧な作り。見事な書体。封印の紋章もベルガの紋章だ。

「かたっぽが偽物だったら、話が早いんだが……」

「そんなわけないでしょ!」

目の前の封筒とは、一枚はベルガ・カロンデュールからの招待状であり、もう一枚はベルガ・メルフロウからの招待状だ。

「読み間違えてない?一週間ずれてるとか……」

「もう百回も読んだわ!」

それだけなら特に問題はない……ことはないけど……世継ぎの君と第二継承者からの招待状なんだから、大したことがないはずはないが…… 

 だが招待状というのはよくあることではある。あいつらは年中晩餐会を開いているので、ちょっとコネをつかえばそんなものいくらでも手にはいる。しかしこの招待状はそうはいかない……何と両方ともティアのお名指しなんだから!

 普通招待状が来るときは家宛に来るもんだ。十把ひとからげにおいでください、というように。だがお名指しっていうことは、正賓であるということで、そのパーティーだか舞踏会にとってその人が不可欠である、と言うことを意味している。

 要するに、世継ぎの君と第二継承者がティアのために晩餐会を開いてくれると言うわけだ。

 どういうしょうもないパーティーだって、主賓というのはたいへん名誉なことだ。それがベルガ一族のパーティーならなおさらだ。何といっても皇族なのだから……しかしそれ以上に、若い男から若い娘にお名指しの招待状を送るというのは、実質上ラブレターを送っているのと同じという事実があるわけで、そのために問題がますます紛糾している。

 こんなことがその辺のお喋りに知れてみろ。例えばあのリアンなんかに。都中の噂の的になっちまうぜ。みんな暇だから。世継ぎの結婚話となったら目の色が変わっちまうよ。

 だが、しかし、今の問題と言うのはそういうことでもない。人の噂は七五日。ちょっと我慢すればいいのだ。

 ええ、つまり、真の問題点とは、その二枚の招待状の日付と時間が全く一致している点こそにあって、どっちか一方をすっぽかさなきゃならんというのが大問題なのだ!

「うーん。どう見ても同じだな」

「でしょ?ねえ、あたしどっちに行ったらいいの?」

「さあ、どっちがいいかねえ……」

こいつは政治問題だ。少なくとも我が家にとっては今後の存続に関わる問題である。おかげで親父は寝込んでしまったし、母親はヒステリーだ。

 まったく偉そうなこと言うばっかりで、肝心の時には役にたちゃしない。

「ねえ、あたしどっちに行ったらいいの?」

「困ったなあ」

なんて意地悪な奴らだ。下手すりゃ片方を敵に回すことになるぞ。そんなことになったら……もう一方がティアをちゃんと守ってくれればいいが、ほっぽりだされたりしたら……死して屍拾う者なしだ。

 ともかくこういう時には基本に戻るのが第一なんで……

「ティア、おまえはどっちに行きたいの?」

「わからない!」

「分からないことないだろ」

「どっちも恐いの」

「あーん」

まあ、気分はわかるが……カロンデュール皇子の方はああだったし、世継ぎの君はぶん殴ったっていうし……

「でも人前でいきなり殴り返されたりはしないだろう。多分」

「そりゃそうよ!でも、あたし合わせる顔がないし……」

「しょうのないやつだ。でもすっぽかせないのは事実だろう。また仮病を使うか?」

「ばれたら終わりじゃないの」

「じゃあ本当に病気になるか……そこから飛び降りて足の一本も折れば行かなくてすむぞ」

「いやよ」

「本当は行きたいんだろう」

「…………」

当然だよな。これに行きたくなかったら、女じゃないか、もう男がいるかだ。

「じゃあどっちに行くかおまえが選ばなきゃ、どうしようもないよ。俺が適当に選んでもいいが……そうだ。目をつぶって好きな方を引くというのはどうだ?」

「カードやってるんじゃないのよ!一生の問題をそんなことで決められないわよ」

まあ、正論だ。

「だが、どっちか選ばなきゃならないんだ。じゃなきゃ……」

「じゃなきゃ何?」

「逃げるしかないかな」

「逃げる?」

「そう。選べないのならどっちにも行かない。そして都を出て隠者となって暮らすしかない」

「そんなのいやよ」

「逃げるのを馬鹿にしちゃいけない!弱い動物は逃げることが生きるための戦いなんだから。それに隠者の生活と言うのも……」

「そうやってくだらない冗談ばかり言ってたらいいのよ。みんなあたしがどうなったっていいのよ!」

ええい、てめえが決める問題だろうが!だんだん頭にきたぞ。

「あー、もう。じゃあ決めてやるよ。おまえ世継ぎの君の所に行きな」

「ええ?フロウの所?」

「そう。そうやって運よく彼と結婚できたらお前はそのうち大皇妃だ」

「うう……でもそれじゃカロンデュールの立場はどうなるの」

「さあ……やっぱり世継ぎという立場は強いって思うんじゃないのか?」

「まるであたしが大皇妃になりたくてフロウの所に行ったって思われないかしら」

「そりゃ思われるな。誰がみたって」

「それもいやなの」

あああ。

「だったら、カロンデュールの所に行けば?大皇妃の座を蹴って行くなんて、これは美談だ」

「だって……本当はフロウの所に……でも……ダアルの家と仲悪くなったらパパが困るし……」

あー、しょうもないやつだ。こんな時になに考えてるんだ。

「じゃあ、フロウのとこに行けよ!行きたいところに行く。それが第一だよ。考えてどうなるって問題じゃないんだ。こういうのは」

「でも……恐いの……それにデュールも悪い人じゃなさそうだし……」

「う、う、う」

ああ、もう、どうにかして!どうしてこう決断力がないんだ。

「この調子じゃ永久に結論が出ないよ。とにかくだなあ、お前の取る道はフロウの所に行くか、カロンデュールの所に行くか、どっちにも行かないか、両方行くかだが……」

「ええ?両方行けるかしら?」

「あほなこと言うんじゃないよ!今言ったのは可能な組合せを言っただけで、どうやって両方行くんだよ。お前が二人いればいいけどな」

「うーん、うーん」

いったいどうすりゃいいんだ。筋としてはフロウのところがいいような気がする。ティアも行きたがってるみたいだし、ひと頃はフロウフロウってうるさかったからな。いまだに忘れてないみたいだし。あの時の約束を……だがフロウのジークの家よりもダアルの家の方が勢力があるから、敵に回したくない気はする。

 考えてみたら、ティアなんぞに二人してお名指しするなんて、いったい何を考えてるんだろう。フロウもカロンデュールも。ああいう奴らの考えってのはわからないよなあ。

 カロンデュール関してはこの間見た感じでは遊び人風ではなかったな。まだ坊ちゃんという感じで。女を見慣れてないのかもしれない。だとしたら、あの体験は強烈だっただろうし、何かの間違いでティアに惚れたことも考えられる。

 だけどそうすると別の美女をみたときどうなるんだ?やっぱりあっちの方がいいとなることは目に見えている。一時の気の迷いだったとか言って。

 フロウがどういう気でいるのかも問題だよなあ。まさかあいつもあの約束を忘れてないとか……

 でもそうしたら何でいきなりいなくなっちまったんだ?何年も音沙汰なしで……同じ都に住んでたのに。いくらうちが小公家でも出入り禁止されるほどひどくはないぞ。ル・ウーダってのは一応七公家の一つだし、うちの一族から大皇妃が出た記録もあるし……

 フロウは……あのガキの時しか覚えてないが……あのまま育ったら結構な美少年になりそうだな。だとしたら危ないか……なんといってもティアは一度振られてるし。

 とするとやっぱり遊びで呼んだと考えたほうがいいかな。そっちの方があり得るよな。パーティーに花を添えるとか、面白い余興とかいった感じで……うう、ティアは道化じゃないか。

 そして弄ばれて捨てられて、残ったのはダアルの家の敵意だけということになる。なんてひどい話だ。

 まじに二人がティアに懸想しているなんて考えられるか?お遊びか冗談というのがいちばん有り得るよなあ。だったとしたらすっぽかしても大丈夫だろうか……いや、そうしたらそうしたで怒り出すとかも十分に考えられるし……皇族ってのはえげつないからなあ。

 ともかく、こいつらがどういう奴か分からないから、これ以上どうしようもないなあ。

 こんなことでティアが不幸になったんじゃあまりにも可愛そうだ。あいつには分相応の相手の方がいいとおもうよ。こんな変な奴らにめちゃめちゃにされてたまるものか。

 ともかく調べてみようじゃないか。何かわかるかもしれない……しかし、両方がまじめにティアにいかれてたとすると……世継ぎの君がティアに『エルセティア姫、愛しています』なんて言ったりしたら……

「ぶはっ」

「ん?どうしたの?」

「いや、なんでもない」

異常だ!病気だ!

「それより、今日はもう寝たら?明日になったらいい考えも湧くかもしれないぜ」

こっちもつまらん想像で死んでしまった。もう寝よう。

「うう……そうする」

「じゃあおやすみ」

「おやすみ……お兄ちゃん」

明日がある。明日できることは今日しない。それがいちばん!



「うふふふふ」

思わず笑いが。ミーアがいたらまた変な顔するわ。でも今日はいない。なんと言ったってあたしに対する招待なんだからミーアの入る余地なんてないわけ。なんかすごい解放感。

 馬車はとことこデュールの屋敷に向かって走ってる。馬車のなかはあたし一人。うーん。いいわあ。

 それにしても考えて損しちゃった。そうなのよ。当り前じゃないの。どうして二人があたしを思ってるなんて考えたんだろう。そりゃそうよね。ああいう場合。

 でも一晩頭を冷やしたらよっくわかった。冗談に決まってるじゃないのよ。どうしてダアルの若君があたしを唐突に好きになるわけ?あたしだってそこまでうぶじゃないんだから。

 これは絶対あの時の仕返しよ。あたしがちょっとやりすぎたから、すこしからかってやろうって思ってるんだわ。絶対。

 それにフロウだって、本気であたしのこと思っててくれたんなら、手紙の一枚ぐらいよこすはずよ!だのにいなくなったっきりで、音沙汰もないんだから……

 フロウってきれいだから、絶対もてるわよ。だとしたら今回あたしを呼んだ理由なんて、せいぜいちょっとした慰めの言葉をかけるためぐらいなんだわ。どうせお遊びよ!

 そうと分かったらこっちの物よ。あたしは黙ってやられっぱなしになんてならないんだから。あれから一週間、ずっと考えてきたんだから。ああ楽しみ!

 だってそうじゃない。あの時あたし本当に悩んだんだから。卑怯よね。女の子の最大の夢じゃないの。皇子様と結婚することなんて。どんな娘でも絶対一度は夢みたことがあるわよ。それをよりにもよって逆手に取って人を引っかけようなんて、言語道断、極悪非道だわ。完璧な結婚詐欺の手口じゃない!

 ふっふっふ。でもあたしは引っかからないからね!見てなさい!

「ティア様」

大体なによ。二人とも許嫁のある身でこんなことするなんて!恥ってものを知らないのかしら。デュールの許嫁ってのはマグニ一族のキャルスラン姫で、片やフロウの方はハヤセのアンシャーラ姫よ!こいつら完全にあたしを馬鹿にしてるんだわ!

「ティア様」

今日の晩餐会だって絶対きてるんだから。少なくともキャルスラン姫は。アンシャーラ姫は来られないって言うけど……

「ティア様!」

「あ、え、なあに、ラバン」

「着きました」

「ええ?もう?」

「はい」

見ると眼前にダアルの屋敷の門がある。げ、早い。もうちょっと心の準備が……

「お迎えがいらしております。お急ぎ下さい」

「わかったわ」

お迎え?結構じゃないの!

 あたしは深呼吸すると、できるだけしずしずと馬車を降りる。下を向いてさも恥ずかしそうに。

「エルセティア姫でしょうか」

 ちらっとみると、あ、あの時の従者じゃないの。ええと、そうそう。カルスロムだわ。この人が使い走りするの?仮にもデュールのお付きじゃないの。デュールをほっぽりだして……いや、そうじゃないわ。まあ、なんて芸が細かいのよ。そこまであたしが大切だって振りをしてるんだわ。

「お出迎え、まことに恐縮至極でございます」

「いえ、こちらこそ、姫を最初に迎える栄誉を仰せつかりまして」 

まあ、お世辞でもうまいわねえ。

「ではこちらへ。御者の方はあちらへどうぞ。ちょっとした物ですが用意してあります」

「そいつはどうも。姫をよろしく」

「お任せ下さい」

ラバンと別れて、これであたしひとり。うう、緊張。でも、この緊張は武者震いに近いわ。きっと!

 あたしたちがホールに入ると、まだあまり人が来ていないみたいだった。十人ぐらいが歓談している。人々の目がさっとあたしに注がれた。

 なによ、あたしは見せ物じゃないのよ。半分はそうだけど。ふん、勝手にぶつぶつ言ってるといいんだわ。

 今日のパーティーはお披露目に比べれば質素だ。といっても規模が小さいからそう見えるだけなのかも知れない。

 料理も飾り付けもよくみるとすごい。あの水晶細工の壁飾りは、もしかしたら神話時代のものじゃないかしら。そうよ。東の帝国の炎上を刻み込んでるんだわ。今じゃあんな物作れないわよねえ……

 それにテーブルの上にあるのは……海の魚かしら?肥沃の地からはるばると?銀の湖じゃあんなのは取れないわよねえ。何かすごくない?気のせいか……

 その時奥からどやどやと人がでてきた。なんだ、みんな揃ってたんじゃないの。

「姫、エルセティア姫!」

きゃっ、デュールだわ。いきなり。

 彼はつかつかとやってくるとあたしの手を取った。

「よくぞ、よくぞお越し下さいました」

「いえ、こちらこそお招きに預かり光栄です」

「そんなことありません。さあ、どうぞ」

ずいぶんと強引ねえ。えらくなれなれしい。一応初対面のはずなのに。あら?キャルスラン姫はどうしたのかしら?いないわねえ。はあ、そうか。後からおもむろに出てくるんだわ。

 あたしがデュールにちやほやされて舞い上がったあたりで出てきて、いちゃつく気なのよ。きっと。

 その時こそあたしの待ってたときなんだから!さあ、いらっしゃい!マグニだろうがハヤセだろうが、あたしの敵じゃないんだからね!

 とか考えていたら、いきなり取り囲まれているのに気付いた。うわあ。偉そうなひとばかりのような気がするけど……

「エルセティア姫、こちらはみんな初対面でしょう?」

「え、ええ」

うわあ、あがっちゃいそう。

「それでは紹介します。彼が僕の叔父のファルレニンです」

この男は初老だけどずいぶんと鋭い目をしている。じっと見られるとなにか悪いことしたような気になってしまう。

「あなたが、エルセティア姫ですか……いや、はじめまして」

な、なによ、その意味深な間は?あたしがエルセティアで悪かったわね!

「いえ、こちらこそ……」

「なかなか元気そうでよろしいですな」

元気だって!子供をほめてるんじゃないのよ!

「エルセティア姫、その隣が同じく叔父のレイアギンです」

「はじめまして」

えらくぶっきらぼうな気がしない?

「いえ、こちらこそお初に」

「その後ろがアスタル・アルジャナン」

「お目にかかれて光栄です」

本当にそう思ってるのかしら?なんとなく刺のあるアクセントだわ……それにこの人絶対悪人面よ。人の顔で判断しちゃいけないんだけど、この人はどうも好きになれそうもない。別にそうしなければならない理由なんてないけど……

 それからぞろぞろといろんな人に紹介された。でも、デュールのお父さんのダアルⅤ世はいなかった。いなくていいけど……

 名前を聞くだけで蒼くなりそうな人ばっかり。でもあたしは余裕があった。どうせこれが最初で最後。だったら楽しまなきゃ!

 と思ったけど、これじゃあ楽しめそうもないわねえ。もちろん料理は最高だし、音楽もすてきだけど、なんとなくやっぱり場違いというか、仲間はずれというか……あたしを見る目付きが何だか陰険に見えるのよね。みんな言葉は優しいけど。何か変な雰囲気。

「姫!さあ、召し上がって下さい!これはうちのコックの傑作ばかりです。決して期待を裏切ることはありませんよ」

 その中で違うのはデュールだった。彼だけがあたしに好意を持ってるような、そんな感じで……半月亭でもそうだったけど、この人見るからに素直で、腹に一物あるようには見えないのよね。どうみてもあたしが来て喜んでるように見えるけど……あたしをいじめられるから喜んでる、ようには見えないし……

「ありがとうございます」

えーと、何か調子が変だわ。えーと……とにかく、予定通りにしなきゃ時間がたっちゃうわ。えーと、まず何をしようかしら。どっちにしても、この間みたいな恥さらしだけはやめとかなきゃ……

「姫、姫」

「え?」

「今日は前と調子が違いますね」

うぐっ!げほっ!

「ど、どうなさいました」

「い、いえ、何でも……ま、前って?」

「半月亭のことです」

ごほっ、ごほっ、ごほっ。

「姫!」

ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ。

「こ、これを!」

デュールが水を差し出した。黙ってうなずいて受け取ると、一気に飲んだ。やっと咳が止まった。

 それにしても、あ、あ、あ、あ、あああああ。い、いきなりなによ!もう少しで吐き出すところだったじゃないの!もったいない!じゃなくて、

「あ、あの……」

「いいんです。気にしてないから。それより庭に出て見ませんか?」

ちらっと周りを見回すと……ああ、みんな見てる!

「え、ええ」

やたらに視線がきつい……なによ、これ!あたしはまだ何もしてないわよ!

 といってもそんな目にさらされるのはいたたまれないので、あたしはデュールと庭に出た。

 庭もすごく立派だ。きれいな木立に泉が湧いている。その間をぬって小径が続いている。あたしたちはそこをたどった。

 しばらくそうして歩く。どっちも何も言わない。

 うう、これじゃあ恋人同士じゃない!まるで。

 こ、こんなはずじゃなかったのに!頭が混乱してきたわ。何を言っていいのか分からないじゃないの。ますます。

 そもそも今日はデュールがあたしをからかうために仕組んだんじゃなかったの?だったらもっとあたしをいい気にさせるようにしなきゃ駄目じゃないの。みんなの陰険な視線にさらすために招待したのかしら。としたらもっとひどいわ!

 あたしはデュールをにらんだ。デュールはあっちをむいている。

「カロンデュール様……」

「デュールと呼んで下さい。姫」

こうなった以上いきなりそんな風に呼べないわよ!それより、

「きょ、今日はキャルスラン姫はいかがなされたのです?」

びくっとしたわ。何か当たったみたい。どうしたの、黙っちゃって。

「ご、御存知でしたか」

当り前じゃないの!あたしの情報網をなめないでよ!何と言ったって、リアンがついてるんだから……

 でも、ずいぶん蒼くなってない?そんなに彼女のことが大切なのかしら。

「このようなところをキャルスラン姫に見られたら……」

うう、時間がたってしまうわ。どうにかしないと。出ていく機会がないじゃない。予定ではキャルスラン姫のいるところで意味深なことをまくしたてて、デュールがあわてている隙に脱出してフロウの所に行く予定だったのに。これじゃ本当にいけなくなっちゃうわよ。姫はどうしたのよ!

「あなたがお気になさることはありません」

そうはいかないわよ。

「でも、やはりキャルスラン姫は……」

「姫との婚約はもうすぐ解消します」

ああ?

「あ、あ、あの……」

「みんなの様子かおかしかったのに気づかれたかもしれませんが……さきほどそれを発表したのです」

「発表って……じゃあ、誰かと結婚するの?……されるのでしょうか?」

「ええ?ではやっぱり覚えていらっしゃらない?」

覚えて?何を?

「あの。その……」

あ、あ、あの時何か言ったのかしら。確かに何も覚えてない!気付いたら家のベッドで寝てただけで……何言ったの?まさか……

 あたしの顔を見て全て悟ったらしく、デュールは笑いだした。

「あははははは。さすがだなあ」

ちょっと、ちょっと!

「あの時あなたは僕に好きかと尋ねられました」

あ、あのう……

「その時僕は答えられませんでした……でも今は言えます」

「あ、あの、ちょっと……」

「では、改めて申し上げます。エルセティア姫、あなたと結婚したい」

&*@§☆★○●◎◇★◆■§@*#£◎□▲▼※〒〓↑▼▽!!!!

 脳味噌が真っ白になって、しばらく何も分からなかった。あ、あ、一体、何の冗談よ!

「姫……」

「ご、ご冗談を……お酒を召し上がりすぎですわ……」

「今日はまだ一滴も飲んでおりません。

「ええと……でも……そ、それでは……」

「あの時は混乱していましたから……でも、ル・ウーダの姫と分かって安心しました。心配は今日やってきてくれるかどうかの、その一点だけでした。でも、いまあなたがいる……」

「ちょっと、ちょっと待って……」

「決して冗談ではありませんよ。白の女王の名にかけて」

ま、ま、まじだわ!ど、どうしよう。

「で、でも……キャルスラン姫のお立場は……」

「いいのです。これは本人とは関わりなく親の決めたことですから」

「でもお父上に逆らったら……」

「あはは、あなたからそんなことを言われるとは思いませんでした」

あ、あたし、パパに逆らったりはしないわよ!

「僕は……ずっとこの家で暮らしてきました。僕の回りはベルガの一族ばかりで……それがどういうことかお分かりですか?」

「?」

「あの日、僕が初めて屋敷を抜け出して街に出たとき、あなたに出会いました。そのとき僕は初めて生きた人間に出会ったような気がしたんです」

「い、生きた?」

「僕の回りは、何をするにしても体面と下心なしにはできないような物達ばかりです。でもあなたは違った。あなたのように裏表のない人に出会ったのは初めてだった。僕に近付く女性はみんなベルガの家の名前にひかれてやってきます。でもあなたは……そんなこととまったく関わりがなかった……」

そ、そりゃ知らなかったから……知ってたら多分……

「僕はあの時のあなたの問いかけにお答えしなければなりません……今日お呼びしたのはそのためなのです」

だって!だって……

「これが僕の気持ちです。嘘偽りはありません。ですからあなたのお気持ちをお聞かせ下さい」

ああ!

「わ、私は……」

その時、目の前に月見の丘の光景が走った。とねりこの樹。虹の森。そこにいる少年……

「わ、私は……」

目の前がにじんで来て……あ、いけない……手からポシェットが落ちて中身が出ちゃった。

「あ、姫、服が汚れます。僕が……」

あ、ちょっと待って!

「あああ!」

「こ、これは?」

きゃあ、フロウからの招待状が!

「それ……は……」

デュールはその招待状を穴のあくほどみつめた。

 茫然自失。二人とも。

 な、何か言わなければ……でも何を……

「姫……」

やっとデュールが言った。

「フロウとは……メルフロウのことなのですね」

「えっと……まあ……その……」

「あなたは……メルフロウのことが……?」

なんて言ったらいいの?そうなのよ。でも、何の確信もない!あたしの知ってるフロウと世継ぎの君とは……同一人物だけど……違う!

 あたしの知ってるのは小さかったフロウで……あんな……美しい人じゃない。

「これが……彼から?」

「そ、そうだけど……でも……ひどいじゃないの!あたし好きでこんなことしたんじゃないのよ!あなた達が同じ日にしたりするから……」

一体何を言ってるんだろう。

「同じ日?」

「あたしにはどっちも大切だったから……どうしようもなかったの!だから、だから……」

「どういうことです?」

「今日なの。フロウの方も」

デュールは目をまん丸にした。

「こんなこととは思わなかったから……だから……あたし……」

デュールはいきなり招待状を開いて中を見た。

「ああ!ちょっと……」

ひ、ひどい!いくらデュールでも……

「失礼しました。姫。でも……早く行かないと終わってしまいますよ」

「ええ?」

「今日も抜け出して行く気だったのですね?」

顔にかあっと血がのぼる。

「あ、あの、別に……でも……」

「僕は気にしません。行くのならそろそろ行かないと……」

「でも、デュール!」

「お送りはご勘弁願いますが……」

「い、行ってもいいの?」

「僕に止める権利はありません……」

冷静に考えたら、デュールがどんな気持ちで言ってるのか分かりそうなものだけど……あたしの体は勝手に動いていた。そしてあたしはデュールのほっぺたにキスをした。

「あ?」

「ごめんなさい!ありがとう!ごめんなさい!」

この服じゃ走りにくい。それに前がかすんでよく見えない。でも転ばずにすんだ。

 振り返るとデュールがぼんやりと立っているのが見えた。



 フロウの屋敷へ向かう馬車の中で、あたしはやっと気がついた。いったいなんてことしちゃったの?デュールはいったいどういう気持ちであたしを送りだしたか……

 デュールは真面目だった。あれ以上真面目な人はみたことがないぐらい。あたしはその彼にひどい仕打ちしちゃったんじゃないの……?

 い、いったいあたしは何してたの?あのとき……どうしてこんな馬車に乗って……

 下の方から冷たいものがずりあがってくる……

 も、もしかして……これは本物の破滅っていうのじゃないかしら……

「エルセティア様、お世継ぎのお屋敷に着きました」

そのときラバンの声がした。ラバンは黙って馬車を回してくれた。晩餐の途中でこんなことがあるなんてどう考えても異常なのに。

「ありがとう、ラバン」

フロウの屋敷も大きな立派な屋敷だ。ここはジアーナ屋敷と呼ばれている。その名前は昔の美人の名前に由来するといわれている……けど。

 あたしはふらふらと馬車を降りた。まるで夢遊病者のように門の扉に向かう。やっとのことでたどりついた。あたしはノックしようとした。でも……手が動かない。

 静かだわ。誰もいないみたいに……何かやってるのなら少しは聞こえてもいいのに……

 とたんにあたしはすごく孤独に感じた。

 あたしはデュールの申し出をけってしまった。どうして?どうしてって……それはフロウがいたから……でも……フロウがどうしてあたしのことを……何の根拠があるっていうの?

 虹の森、月見の丘、とねりこの樹……

 思い出よ!そうじゃない。そうでしかないじゃない!子供の遊び。たあいのない約束。

 あたしは、何も持ってないじゃない!

 扉がのしかかって来るように見える。ああ、どうしよう。とても入れない。帰ろうかしら。でもここで帰ったら……本当に何もない……

 最悪。それに晩餐にこんなに遅れて来るなんて、考えてみたら失礼なんてもんじゃない。どうしてもって理由があればだけど……問いただされたら……

 あたしは動けなかった。ノックはできない。けど帰ることもできない。

 わかってたのよ。初めから。あたしが誰を好きかなんて。

 やっぱりフロウなの。たとえ彼がお世継ぎだろうが何だろうが、やっぱり好きだったのよ!

 だったらまっすぐにここに来ればよかったのよ。どうして最初からここに来なかったのかしら。そうすればこんなことにはならなかったのに。

 ああ、デュール、ごめんなさい、ごめんなさい。

 やっぱりあたしって馬鹿なのよ。両方にいい顔しようなんて。フロウも怒ってるわ。だから誰もいないんだわ。そして本当に夢が終わってしまう。あたしのために……すべてあたしのせいで……

「ティア!」

そのときだった。あたしはとびあがった。いきなりフロウが後ろに立っていたのだ。 

「フ、フロウ!」

「よくぞ……よくきて下さいました!」

そんな言葉は聞こえない。

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

どうして彼がこんな所にいるかなんて思いもしなかった。

「ティア?」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「叩かれたことはもう気にしていませんよ」

ええ?きゃああああ。そうだった!

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「ティア、いったいどうしたのです?」

「ごめんなさい、遅れる気じゃなかったんだけど、ごめんなさい」

「そんなことはありませんよ。さあ、中へどうぞ」

「ごめんなさい」

「いったいどうしたのです。謝ってばかりでは何も分かりませんよ」

「う、う、う」

何か言おうと思うのだけど、涙がとめどなくあふれてきて止まらない。

「ティア」

「!」

気がつくとフロウがあたしを抱いていた。

「さあ、中へどうぞ」

あたしはぶつぶつ謝りながら従った。もう回りのことなんて何も目に入らない。フロウに会えた。もう駄目だと思っていたのに。それだけで満足。もう何も見えない。何も聞こえない……

 次に我に帰ったとき、あたしは大きなバルコニーのある広間にいた。あたしはまだフロウの袖に顔を埋めてぐすぐす泣いていた。

「ティア」

あたしはやっと顔をあげた。

「は、はい!」

「やっと答えてくれましたね」

そういわれたとたん今度はかあっと血が昇ってきた。そうよ。いったいあたしなにをしてたの?

「ご、ごめんなさい!あたし、なんてことを……」

わあああああ、フロウの服の袖が……

 あたしはあわててハンカチを取り出した。

 何とか取り繕ったが、ひどい。一生の汚点だわ。

「う、う、う」

また涙が出そう……

 その時目の前ににゅっと花梨が現われた。驚いてみるとフロウが差し出している。

「これ、好きだったでしょう」

「え、ええ……」

「いかがです?」

「ありがとう……」

あたしはそう言って受け取った。かじると甘い。

「前も泣きそうな時はこれが一番でしたね」

う、真っ赤。お、覚えてるんだ……

 とにかくそれで落ちついた……あたしって要するに単純なのよねえ。

 あたしはやっとあたりを見回す余裕ができた。大きなバルコニーのあるホール。きれいに飾り付けられていて立派なごちそうが用意されていたけど、人は誰もいなかった。あたしとフロウの二人だけ。

 いったいどうして……

「みんな帰してしまったのです」

それを見通したかのようにフロウが言う。

「ええ?どうして」

「これは、あなたに来てもらうために開いたものですから……」

「そんな……」

ええと、待ってよ、ちょっと……

「人数はいなかったしみんな身内ばかりでしたから、構いません」

構うわよ!でも、でも、それじゃあ、いったい……

 頭が、頭が……

「わ、私なんかのために……」

「いえ、違います。ティア……こんなものでは償いようもないのだけれど……それにどっちにしても二人きりでお話したいと思っていました」

「ご、ごめんなさい」

「謝らないで下さい。謝らなければならないのは、私の方です」

「違うのよ。あたし、あたし……」

「いえ、分かっています。招待状がかち合ってしまったことでしょう」

「ええ?」

どうして知ってるの?グルだった……わけじゃないし……

「私もさっきそれを知ったばかりなのです。そうと分かっていれば今日を選ぶのではなかった……あなたに迷惑をかけてしまった」

「ぐ、偶然なの?」

「ええ。気がつかなかった私も愚かでした。定例の晩餐会の日が重なっていることに気がつかずに……こんなことになってしまって」

あ、あ、あ?

「あなたが来ないので、てっきりそちらに行ってしまったんだと思いました。でもあきらめきれなかった……それで庭に出て待っていたのです。もしかしたら別な理由で遅れているのかも知れないと思って」

「え、えーと……」

「カロンデュールの方には私が伝えておきます。彼もあなたが来なくて寂しがっているでしょうから……」

「あ、あ、あの、それが……そうじゃないの」

「ええ?」

「実は……」

あたしはつっかえつっかえことの次第を話した。

 この間のお披露目のこと。そこで初めてフロウがお世継ぎだと知ったこと。招待状がだぶってしまったこと。からかわれているのだと思ったこと。それだったら、両方出てしまえと思ったこと。そこでデュールがあたしと結婚したいと言ったこと。あたしが逃げてきたこと……

「そ、そうだったのですか」

「け、決してふたまたかけようってそういうのじゃなかったの。絶対冗談だと思ったから……だから……」

「ではカロンデュールはこのことを知っているのですね」

「え、ええ」

「そしてこちらに来たと……」

「ええ……」

フロウは変な顔をして、

「あはははははは」

「フ、フロウ……」

「あなたらしい、実にあなたらしい……昔から全然変わっていない」

これ、ほめられてるのかしら……?

「ごめんなさい」

「でも、カロンデュールがあなたに結婚を申し込んだというのは、本当なのですね」

「え、ええ」

顔から火が出そう。ああ、デュール、ごめんね。また思い出しちゃう。

 フロウはそう言ってから黙り込んでしまった。

 何か気まずい沈黙。こういう場合、いったい何を言ったらいいのかしら。

「それより何かいただきませんか?もうたくさんですか」

フロウが沈黙を破った。有難い。言われてみれば、お腹が空いている。さっきの花梨だけじゃ……

「え、ええ……少し……」

「もう冷めてしまったが……」

「い、いいんです。食べられれば……じゃなくて……」

うう、何を言ってるんだろう。

「食べられれば……ね。温め直させましょう。その間、何か飲んでましょう」

真っ赤!

「え……ええ」

フロウは青いカクテルをくれた。とってもおいしい。といっても飲み過ぎないようにしなきゃ。

「いかがです?」

「ええ、とっても」

「料理がくるまで、ちょっと外に出ませんか」

あたしたちはバルコニーに出た。もう日はとっぷりと暮れている。空はよく晴れて星がきれい。

 そういえば小さい頃もこうして一緒に星を見たことがあったわ。あの時は帰りが遅くなったんでずいぶん怒られたけど……

「いい天気ですね」

「ええ、とっても」

カクテルで体が火照ったので、風が気持ちいい。

 あたしとフロウと二人きり……ずっとこうしていたい。

 本当に夢じゃないのよね。だったら覚めないで!

 この思い出だけで一生生きて行けそうな気がする……

「前にもこうしていたことがありますね。場所は違いましたが」

「ええ」

「あのこと、まだ覚えていますか?」

「あのこと?」

「とねりこの木のこと」

とねりこ!

「お、覚えてるわ!忘れたことなんてないわ!」

「…………」

どうしたの?

「カロンデュールのこと……どう思います?」

い、いきなりなによ!

「い、いい人だと思うけど」

本当に……もしあなたがいなければ……

「どうして残らなかったのです?」

「どうしてって……」

あなたが好きだから!フロウが好きだから!

「カロンデュールの方が、私よりいいかも知れませんよ。もしそうなら今からでも……」

「そんなことないわ!あたしフロウが……」

言いかけて手で口を押さえた。フロウの顔を見る。ええ?いったいどういうこと?

 フロウはじっと下を見ている。体が細かく震えているように見える。

「フロウ……あたし……」

「今もそうですか?」

ええ!今もって……どういうこと?

「まだあの約束を信じて……いるのですか?」

その言葉が脳天に突き刺さった。

 あたしはフロウの顔を見つめた。フロウは目を背けてしまった。

 ああ、やっぱり……もうあたしのことなんて……

 そうよ。お世継ぎの君にはあたしなんて似合わないんだわ。最初からそうだったのよ。いなくなったときから。ずっと……

 じっとフロウを見る。体が震えて来る。思わず涙が。

 でもわかったわ。こうなったらもうじたばたしない。見苦しいだけじゃない。引き際ぐらいきれいにしなきゃ……

 思い出だけでも生きて行けると思うわ……きっと……

「フロウ……あたしは……もう……何とも思っていませんから……」

言葉が重い。本当は違うのよ。あたしが好きなのはフロウだけなのよ!

「……ひどいことを言ってすみません……やっぱりそうですか……」

「フ、フロウ……」

いつの間にかフロウがあたしを見つめている。や、やっぱりって……?

「あなたが今でも私などを思っていて下さってるとは……」

ええ?

「あ、あ、あの」

聞き違えてない?

「ティア、まだ嘘をつくときの癖が直っていませんね」

「…………」

「目が左上を向いていましたよ」

「………………」

「私もそうでした。片時も忘れたことはありませんでした。今もそうです」

「……………………」

「ではどうしていきなり消えてしまったかとお思いでしょうね」

「フロウ……」

何か調子が変よ。

「あのときは……ああしかできなかった……でも……どうしようもなかったんです……」

おかしいわ。何か絶対に。

 そのときだった。

「ティア!」

いきなりフロウは私の肩に顔を埋めた。

「きゃ」

「ティア、あなたにいて欲しかったんです。本当は。でもそうするとあなたが不幸になってしまうと思った……」

な、涙!?

「あなただけには幸せになって欲しかった……ずっとそう思っていました……だから……だから……でもあなたと一緒にいたかった……でもそうすると……」

「フロウ、フロウ!」

いったいどうしたの!

「今日きっぱりと片をつけようと思ったのです。このままでは私はもう……でもあなたは……ティアだった。私の思っていた通りの……私にはもう……勇気がない……」

「フロウ!ねえ、どうしたのよ」

「あなたが忘れていてくれればよかった」

そんな!ひどい!

「どうしてそんなことを……」

フロウはいきなりあたしの目をのぞき込んだ。

「私と、私と一緒にいてください!」

フロウ!

「ちょ、ちょっと……」

その言葉はあたしがずっと待っていた言葉だった。あたしが夢にまでみたシーン……なのに……なのに……

「ティア、私と一緒にいて下さい!」

分からない。なんだか分からない。いったい何が起こってるのか。

 でもあたしはうなずいた。

 あたしにできるのはそれしかない。それ以外の行動は死ぬのも同じ!

「ああ、よかった!」

「フロウ……」

「ありがとう!」

そう言ってフロウはあたしの頬に何度もキスをした。

 あたしは天に舞い上がってしまった。

 だからその後何を話したのか何も覚えていない……ただフロウの顔が、嬉しそうなフロウの顔がゆらめいていただけ……

 そして……

 あたしたちは婚約者となり、噂が都中に広まるまで三日もかからなかった……