5. メルフロウの秘密
遅い!いったい何してるのかしら。もうずいぶん待ってる気がするけど……
ちょっと待っててって言って出て行ってからずいぶんになるわ。本当にもうレディーをこんなに待たせて、フロウったら……
今あたしはフロウの部屋にいる。もう夜も結構遅い時間だ。どうしてあたしがこんなところにいるかというと、急にうちに使いがきて、今日急に会いたいって言うからなのよね。
あたしはいつもの晩餐会かと思ったわけ。だってフロウの所では週に最低一回はそういう催しがあるから。そういうのは半ば公式だから結構固くなっちゃうの。
今日もそうだと思ったんだけど、なぜかフロウの家族だけのお食事だった。考えてみれば、晩餐会ならちゃんと招待状がくるわよねえ。でも初めて家族水入らずで……まだ家族じゃないけど。これからこういう生活になるのかなと思うと何となくぐっときちゃった。
それはともかく、そのあとのこと。フロウが話があるから来てくれってあたしをここに連れてきた。そして少し待っててくれと言って出ていっちゃってそれっきり。
「本当に何してるのよ!」
ぶつぶつ言ってもあたしひとり。もう……
でも意味深よねえ。こんな夜更け、二人きりで……いったい何を話すのかしら。話すことって言ったら、今後の予定の話とか、新しい家のこととか……そんな話ならこんなお膳立てはいらないわよねえ。
うう、遅い!
フロウったらちょっとだけって言ったのに。本当に話す気なんてあるのかしら……そんな気もないのにあたしをこんな所に放り出したのならこっちだって……
ええ?
話す気がない?話す気がないって……じゃあいったい何する気なのよ。
何をするって……若い男と女が……こんな夜更けに……する事といったら……
きゃあ、どうしましょう。あたし……まだ心の準備が……
そうよ。絶対そうよ!でなきゃこんな夜にあたしを招いたりしないはずじゃない!
最初からおかしいって思うべきだったんだわ。フロウだって年頃の男の子なんだから……
これは話なんかじゃないわ。きっと!
ここはフロウの部屋。きれいにかたづけてあって、いい香りが漂っている。まるであたしを招くために片付けたみたいな……
きゃあああ。やっぱりそうなんだわ。じゃあもしかしたらあの扉の向こうは寝室で……のぞいちゃおうか。
そうっと、そうっと……ああ!やっぱり!隣の部屋は立派な寝室!すると、すると、フロウは今日……
きゃあああ、どうしよう。そんなことになったら。あたしがいくらお転婆だからって、男の手にかかったら……
そうよ、きっとフロウは戻ってきてこう言うんだわ。
『ティア、すみません。私はあなたを騙していました。話があるというわけではないんです』
あたしがびっくりしてると、フロウがあたしの肩をそっとだいて、
『騙したことはお詫びします。本当は、もっとあなたのことをよく知りたかったんです』
ってささやくのよ。あたしは、
『フロウ、あたしの、何が?』
って、消え入りそうな声で答える……
『君の……全てが』
そしてその途端、力強い腕に抱かれて、あたしはフロウの胸のなか……
ああ、どうしよう。お風呂にも入ってない!こんなんじゃ……いやよ。絶対。断わらなきゃ!……恥ずかしい……
まさかフロウは自分だけお風呂に入ってるのかしら……だから遅いんだわ。ひどい!フロウ!あなたそれでも……ちょ、ちょっと待ってよ。そんなばかなことある?
そうよねえ。ちょっと変よねえ……どう考えたって。もしそうならあたしにも入れって言うはずよねえ……きゃあああ、な、なんて想像してるのよ!
そ、それじゃ、やっぱり話なのかなあ。そうするとちょっと残念……じゃないもん。やっぱりこういうことはちゃんと筋を通してもらわないと!
あたしは自分の想像で死んでしまった。
力つきてべったりとソファーにねっころがる。
でも……それじゃ話ってなにかしら。
いくら考えても何も思いつかない。こんな状態で話さなきゃならないことなんて。いったい何なのかしら。
それにしても遅いわ。どうしよう。もう退屈しちゃった。こんなとこにいたらまた変な想像するばっかりだわ。
ぼけっと寝ながら考えると、フロウの顔が浮かぶ。別に、いつだって浮かんでるけど。
そういえばフロウは何だか前と違う感じよねえ。いつもむっつりしちゃって、あたしと一緒でも楽しくないような感じ。
公式の場で厳しい顔になるのは分かるけど、普段もそんな顔してることないじゃない。
前は違った。小さい頃のフロウはよく笑ってた。あの笑顔と笑い声は今でも覚えてるわ。あれがフロウなのよ。あたしの知ってる。けど今のフロウはちょっと違う。どうして?
最近はちっとも笑顔を見せない。そういえばこの間湖でお兄ちゃんをからかったときだけよ。昔みたいな笑顔が見られたのは……
それじゃあたしのこと嫌いになったのかしら……だから笑わないとか……
ええ?まさか……そんな!でも……とたんにひらめいた!
も、もしかして、もしかして、話って言うのは、別れ話?
だって、だって……もしかして、フロウは無理してあたしとつき合ってくれてたの?だとしたら、むっつりしてたのもうなずけるし、それにお世継ぎの結婚相手としてふさわしい人なんて山ほどいるじゃない。家柄も、容姿も、性格も……
ああ……やっぱりそうなんだ。
そんな、ひどい……そりゃあたしはこんなだけど、でも、良くなろうっていろいろがんばってるんだから。好き嫌いなくそうとしてるし、料理だって勉強してるし、ちゃんとドレスも着てるし。女の子らしくしようってものすごくがんばってるんだから……
それはあたしだってまだまだだって認めるけど……そんなのひどいじゃない!あんまりだわ。残酷よ!そんなの、それだったら最初からそう言ってくれた方がずっと良かったわ!こんなやりかたって、ひどい!ひどすぎる!
でも……フロウが決めたのかなあ。もしかしたら急にどうしてもってことが起こったのかも知れない。家の都合で結婚相手が変わることって良くあるし……だったら……フロウに迷惑かけたくない。ここで泣いちゃったりしたら困るかしら……
ちょ、ちょっと!
ま、まだそう決まったわけじゃないわ。フロウはあの時言ったわよねえ。ずっとあたしと一緒にいたいって。あれは……嘘じゃないわ。絶対!
「じゃあ何なの?」
と、口に出したときだった。部屋の扉が開く。フロウだ!
「フロウ!」
あたしは怒った声で言った。
「ごめん。遅れてしまって……」
「いったいどうしてたのよ?」
あら?違う服に着替えてるわ。
「ちょっと……ね」
フロウはあたしのちょっと横に座ると、下を向いて何も言わない。どうして、服なんか着替えてきたのかしら……じゃあ、もしかして、要するに……きゃあああああ。
「フ、フロウ……服は?」
「べ、別に何でも……」
何でもって、あ、怪しい!どうして話すだけなのに服を着替えたりしなきゃならないの?いままでそんなこと一度もないし……これは、やっぱりそうなんだ!
ああ、どうしようどうしよう!でも……膝ががくがくし始めた。
こら、止まれ!と心の中で叫んでもいっこうに止まらない。そう思ってるうちに、体が熱くなってきた。
「フ、フ、フ、フロウ、あの、あの……」
「え?」
フロウはびくっとしたように振り向いた。
「いや、何でもないの」
何か変ね。フロウはそんな風には見えない。といってもこういう体験があったわけじゃないから、よく分からないけど。リアンの話とはちょっと違う。
フロウはうつむいちゃって、何かいいたそうだけど何も言えない風で……なにかあたしよりびくついちゃってるみたい。
もしかして言う勇気がないのかしら。フロウってこういう経験は……なさそうよねえ。どう見たって。だとしたら……なーんだ。あたしだけがびくついてるんじゃないんだわ!
そう思った途端に余裕が出てきた。あたしって素直な性格してるわ!あたしはフロウに声をかけた。
「ねえ、フロウ」
「え?」
またびくっとする。えへ。やっぱり!
「何か言いたいことがあるんでしょ」
「え、ええ」
「なーに?」
「…………」
何か言いたそうなんだけど、フロウは黙ったままだ。
だんだんじれてきた。
「フロウ、ねえ、言いたくないこと?」
「い、いえ……」
「言って。どんなことでも聞くから」
「ティア……」
まだ言わない。どうしよう。言ってみようかな……さっきのこと。もし本当だったら恐いけど、でも……ええい!
「まさか……お別れの話?」
フロウは弾かれたように言った。
「い、いえ、その……」
なんだかはっきりしないわねえ。別れ話じゃないのかしら……でも否定はしないし……じゃあやっぱり……
重たい沈黙。どうしよう。こんなの嫌い。えーと、えーと……
「フロウ……」
「ティ、ティア」
次に口を開いたのは二人同時だった。
「い、いや、なんですか」
「いえ、いいのよ、あなたから……」
フロウはあたしの顔をみつめた。ものすごく真剣な表情だ。目がらんらんと輝いてるってこういうのを言うんだわ!何だか恐い!それを裏付けるかのように……
「ティア……すみません……私は……あなたを騙していました……」
きゃああああああ。
あたしはのけぞりそうになった。そ、想像の通りよ!
「フ、フロウい、い、いいのよ。そんなこと、だ、だけど」
頭がまたパニック。
「いえ、良くありません」
「いえ、いえ、こ、こういうことは、ちゃ、ちゃんと……」
「今日こそあなたに本当のことを……」
きゃああああああああああああ。あたしの本当のことを知りたいって、あの、あの……
「フ、フロウ。あの、し、知り合うのは、け、結婚してからでも……」
「それでは遅いんです」
ちょっと、せ、せっかちよ。が、我慢してよ!新郎妊婦なんて恥ずかしいじゃないの。
フロウはあたしの肩に手をかけた。
「ティア……」
「や、やめて!ここじゃいや!せ、せめてあっちの部屋で!」
いきなりソファーの上じゃ……あたしは目をつぶって叫んだ。力が抜けていく。そしてあたしは……あたしは……??
「ええ?」
びっくりしたような声がした。何も起きない。力強い腕に抱かれてるはずなんだけど……
恐る恐る目をあける。フロウがのぞき込んでいる。
「ティア、いったい何を言っているのですか」
「ええ?」
えーと、えーと……何をったって、ちょっと口には……
「あちらに何かありましたか?」
「いえ、その……」
何かがあるんじゃなくて、これから何かが起こるんだって思ったんだけど……
「ティア、落ちついて……」
どうやって落ちつけっていうのよ。でも、フロウの目を見ているとなんとなく落ちついてくる。
「ティア」
「は、はい」
「これからすることは……ちょっと刺激が強いかも知れませんが、驚かないで下さい……」
刺激?これからすること?あ、あの……や、やっぱり?
あたしが下がろうとすると、フロウがあたしの手首をつかんだ。
「い、いや」
「ティア、逃げないで……」
「フ、フロウ!」
にぎっているフロウの手から、細かい震えが伝わって来る。フロウの息づかいが聞こえる。
逃げたかった。でも体が言うことを聞かない。あたしはもうなすがままだった。
そしてあたしの手はゆっくりとフロウの……
「これを……」
あ、あ、?☆☆!!◇◆♂◎@#%×♀*×☆☆★★○●◇×♂♀!@☆××××××!!
はあああ。
ため息が出てしまう。今日もティアはフロウの屋敷に行っている。最近あいつは浮かれっぱなしで、地上一〇センチをいつも歩いている。
いいよなあ。幸せな奴は。おかげでこっちは落ち込んできてしまった。
そうなんだよねえ。いままで女とか結婚とか考えたこともなかったんだけど、ああも見せつけられちゃ気になるわな。
俺だってそろそろそういうことの必要な歳になったらしいなあ。
といっても都の娘はいまいちな気がする。どうもみんなピンとこないんだよねえ。
そりゃきれいな子はいっぱいいるし、性格だってティアよりましな奴はわんさといる。といってもねえ。
そういえば今日も女が何か言ってきたな。今まではこんなことなかったのに。まあどうせ俺に取り入っていればフロウに会える機会があるとふんでのことだろうが。だしに使われるっていうのもしゃくだが……悪い気はしない。
ふううう。
外を見ると、もう夜更けだ。ティアは帰ってこないが、今日は泊まりかね。あれ?泊まってきたことはまだなかったはずだが……じゃあ……
いいねえ。若いもんは。元気がよくって。
最近は皇家でも結婚前にやっちゃうのかね。いやまさか……フロウはそんな感じじゃないよな。じゃあティアが?あいつのことだ。やりかねんが……
まあどうでもよい。結婚は決まったも同然だし、さすがに世間も認めている。お世継ぎのやることに文句をつける奴はいないさ。
うーん……しかしいい夜だ。銀の塔がセイシェルの光にかすんでみえる。
こんな夜は誰だってロマンティックな気分になるだろう。この俺でさえそんな気分になるんだから。
結婚ねえ……そういえばそういう機会もあったんだよな。シェンか……いい娘ではあったよなあ。やさしそうで。
カーンの奴が自分のことみたいにくやしがっていたが。普通はそう考えるよな。客観的にみればそうだ。
だけど……なあ。何か変だよ。結婚て。俺はこのままいけば、誰かと結婚して、親父の後を継いでヤーマンを名乗り、子どもをいっぱい作ってまあ平穏な生活をするんだろう。仕事も銀の塔にある親父のポストの後を継げば問題ないし。
そう。なんの問題もない。別に生活に困るとかそういうことはないし。うちは兄妹二人だから変な争いごとも有り得ない。ティアがああなったということは、もうすこし良くなることを考えたっていいよな。大皇妃の後ろだてがあれば、結構なことはできるだろうが……そんな気はせんな。
だいたいそんなことしても面白くないじゃないか。俺は銀の塔の権力争いなんて、興味がないよ。ずっと今のまま都の歴史や地理の研究をしていた方がいい。
権力争いなんて結果はどうせジークとダアルのことみたいになるんだ。ああいうのは避けたいね。どうしてあんなことしてまで権力が欲しいかねえ。
白銀の都ではそんなものなくったって、十分にいい生活ができる。下町の連中だって、身分とかは低いことになってるけど、飢えてる奴はいない。着るものがない奴もいなければ、寒さに震えている奴もいない。
あいつらはあいつらなりにいい生活をしてるよ。文化だって立派だ。シアターでは年中何か公演があるし、半月亭みたいな所でしこたま酔っぱらうこともできる。
あそこの娘は快活できれいだ。何だかだと言って彼女らが公家に嫁入りするのも希ではないし、公家の娘が下町に入ってしまうことだってある。
そう。何も問題がない。
歴史を読むとこれがかなり異常なことだってのはよく分かる。俺の知ってる限り、ここだけだ。かつて栄えた東の帝国でもこうはいかなかったという。
これはすべて始大皇と白の女王の創り出されたことだ。始大皇と白の女王の直接の子孫が歴代大皇で、その一族がベルガ一族なんだよな。ハヤセの一族とマグニの一族は傍系だがその血を引いている。彼らが三公家として大事にされるのは無意味なことではないわけだが。
ええ、いったい何を考えてたんだっけ……そうそう。権力なんて欲しくないなあ、ということだな。
俺みたいに気力のない奴の所にそんなもんが転がり込むなんて、結構笑い事だな。まだ来たわけじゃないけどね。
しかし、ジークにしてもダアルにしても何を考えてるんだろうねえ。結局暇つぶしとしか言いようがないよなあ。権力を握ったらいったい何があるんだ?この都で……
はああああ。どうでもいいや。そんなことは。
しかしティアは本気で泊まってくるのかねえ。親父はなんて思ってるんだろう。まあ、喜んでるにちがいないさ。どっちにしたって。
目の前に意味もなくフロウの笑顔が浮かんで来た。
けど……フロウか。
フロウ、フロウ……変わっちまったよなあ。あんなやせっぽちのガキだったのが、今や都中の女のあこがれの的。目も眩むような美少年……
男の俺が見たって、生唾が出てきそうだよ。こないだ初めて間近で見たが、いま思い出してもぞくぞくするねえ。
あのほっそりしたスタイルにしても、透き通った声にしても……思わず抱きしめたくなるような……
ぶはっ!
やめてくれ!俺はノーマルなんだから。世の中にはそういう趣味の奴もいるらしいが、俺は女の方がいい……と思う。それに、やっぱり中身は前のままだし……
でも何か自信がなくなってくるなあ。ああ言うのを見ちまうと。
そうなんだよね。まずきれいなんだよな。男のくせに骨っぽくないし、カロンデュールとは対照的だね。あいつは童顔だったけど体はがっちりしている。性格も反対っぽいな。フロウはおとなしくて晩餐会でもほとんど喋らない。奥に座ったまんま人の中に出てこようとしない。カロンデュールはそれに対し、誰にでも挨拶するしいちばん動き回る。
あの二人がああも対照的だって言うのは、やっぱり運命なんだろうか。
そういえばフロウは病弱だったよなあ。最近もまた病気とかで何日か寝込んだらしいし。こないだ見たときはそうは見えなかったけど、世の中にはいろいろな病気があるから……普段は全く健康でも突然襲ってくる発作もある。どういう病気なんだろうね。ティアよりさきに逝ってしまうなんてことが……こらこら、不吉なことを考えるんじゃない!
だけど、あの美しさは病弱なことが関係してるのかなあ。消え入るような美しさ、とかいうような表現もあるけど、そんな感じでもないよなあ。
うう、何と表現すればいいんだ。俺は語彙が貧しいんだよね。ちょっとした詩人なら、フロウを題材にソネットを百ぐらいはすぐひねりだすだろうなあ。例えば……
風そよぐ湖の岸辺
木漏れ日を浴び少年はまどろむ
うんうん。フロウが森の中でひとり眠っているんだ。その後の続きだが……少女がやってきてキスで眠りを覚ますというのは……少女がおどかそうとしてそっとやってきて……
楽しきまどろみを破りしは
滑って転んだティアの泣き声!
な、何じゃこりゃ!
ティアが出てくるとこうなっちまうしかない。しょうのないやつだ。
でも……もしフロウがそんな風に寝てたら、ついキスなんかしたくなりそうだなあ……わあ、危ない想像。
だめだよ。こんなこと考えちゃ。人間、理性ってのが肝心なんだから。妹の亭主を寝取るような真似はどうやったって避けなければ。
でも……そうなんだよねえ。フロウみたいな女の子がいたら……断然好みなんだよなあ。
そう。そうなんだよ。問題はその点なんだ。あいつが俺の理想の女性に近い点こそが問題なんだ。
お前なあ、男の癖に女よりきれいだなんて犯罪だよ。困った奴だ!
といってもどうしようもないよなあ。フロウに妹でもいればよかったんだ。さもなきゃ女に生まれてくれば良かったんだよ。そうすれば万事解決じゃないか!そうすれば万事……ってったって、そうだったら俺と出会ってないよなあ……
あーん。
パニック!大パニック!
しばらくは声も出ない。だいたい状況があまりにも危なくて、ただでさえ脳みそがうにになりかかってたのに、そのあとに起こったことと言ったら……
「フ、フ、フ、フロウ!あなた、お、お、お、女だったの!?」
「ええ……」
ぷはーっ。
あまりにも硬直してたので、息をするのも忘れていた。
あたしの手はフロウの胸の上におかれていた。彼が……じゃない彼女があたしの手をそこに導いたのだ。そうすればなんらかの感触があるのは当然だけど……でもいきなりむにゅっと……なんて……
「フロウ!ちょっと見せて!」
言うと同時にあたしはフロウの胸をはだけていた。
「ああ、ティア!」
あ、あ、あ、ある!ある。それに、あ、あ、あたしより大きい!
えええええええええ?どうして?
回りの景色がいきなり遠ざかった。
「ティア、ティア!」
フロウの声がする。でもあたりがぼうっとしていて……人影が……ふわふわしてて……はっくしょん。
「ティア!」
「フロウ」
フロウがあたしをだいて気付け薬をかがせていた。
「ティア、ティア……」
フロウの顔がみえる。思考が停止してて、起こったことがよく分からない。
いったい……要するに……フロウは女だったって……??
あたしはフロウに抱かれたままぼうっとしていた。
どのぐらい時間が経ったのだろう。とっても長かったような、それともあっという間のような……
「ティア?」
フロウは何度も呼びかけていた。
「フロウ……」
あたしがやっと答えると、フロウの目から涙がこぼれた。
「ごめんなさい、ティア……ごめんなさい……」
「フロウ……どうして……」
「ティア……あなたと一緒にいたかったのです。だから……断われなかった……」
「フロウ……」
「一緒にいても……でも、楽しくなかった……あなたを騙してるって思うと……でも……行ってほしくなかったのです」
あたしの前にいる人……それはあたしのフロウだった人。あたしのあこがれで、最高の夢の人……でも今では彼……彼女はあたしがいちばんよく知っていて、知らない人だ。
彼……彼女はフロウ。でもフロウじゃない!
いったい……分からない……何が何だか……ただ分かるのはあたしの前で女の子が……とってもきれいな女の子が一人涙にくれている。それだけ……
それを見て何かしなきゃって思いがつのってきた。どうしてって言われても分からないけど、でも何かしてあげなければって……
「フロウ……言って。怒らないから……」
あたしはそっと言った。何を言っても壊れてしまいそうな気がする。でもフロウは壊れなかった。
「ティア……」
フロウ、だったひとはあたしをじっとみつめる。微かに唇が動き出す。
「ティア、許して……」
「フロウ、いいの、いいのよ。でも、教えて。どうして、どうしてなのか……」
フロウはゆっくりとうなずいた。
「もっと早くに言わなければならなかったのですが……」
沈黙。あたしはじっと待つ。
「私は女です。いま見たとおり……私の本当の名前はファラ、メルファラというはずでした」
「メルファラ?」
「ええ。メルフロウの双子の妹です。私たちは双子だったのです」
双子?そういえば……
「確か……双子だったわよねえ。でも片方は生まれたと同時に……」
「ええ」
たしか前にお兄ちゃんからそんな話を聞いたことがある。
「けど、男の双子だったんじゃないの?」
「回りで勝手にそう考えただけです。実際は男と女の双子だったのです。そして男がメルフロウ、女の方がメルファラと名付けられました」
「ふうん」
「御存知の通り、母の出産は難産でした。そして私たちを産むと母は天に召されました。その時兄もともに旅立ったのです」
「ええ」
「兄の死は父に大きなショックを与えました。なぜなら父は男の子だけを心待にしていたからです。その理由は……お分かりでしょう。男でなければ世継ぎにはなれませんから……でも私は女でした」
「え、ええ」
「父は……だから生き残った私を見て決心しました。私を男として育てようと」
ええ?なに?なんだか滅茶苦茶じゃないの。
「だって……どうしてそんなことをしなくちゃならないの?おかしいわよ」
「ええ。でも、父は私を大皇にしなければならないと心に誓っていたのです。それができなければ、父のしてきたことはすべてが水泡に帰してしまうからなのです。エイニーア姫を捨てて母と結婚したこともみんなすべてがです……」
「エイニーア姫?もしかして……それ……」
「ええ。カロンデュールの母です」
ま、ますますなんだかよく分からないけど……
「御存知でしょう。父とダアルⅤ世が仲の悪いことを」
「ええ、少しは……」
「私の家とダアルの家は長年の仇敵同士でした。祖父が決闘したことは知っていると思いますが、それで何の決着がついたわけではないのです。しかし家の勢いはそれによってダアルの家に大きく傾きました。今でも父とダアルⅤ世では、政治的な力から言えば比較にもなりません。でも今ジークの家がここまで栄えているのは、私を世継ぎにしたからなのです」
「え、ええ?」
「どのような力を持っていても、大皇の座にはかないません。しかし、大皇は誰でもなれると言うものではありません。血が必要なのです。大皇の血筋を持っていない限り決して大皇になることはできません。父はそのために、そのためだけに母と結婚したのです。母が男の子を産めば、世継ぎになったからなのです。大皇には皇子がいませんでしたから……」
「そんなことって……」
「父に取って破滅以外の選択はそれしかなかったのです。父がダアルⅤ世にどのような目にあったか御存知でしょう」
「え、ええと……」
「父はあらゆることについてダアルⅤ世に邪魔されました。父が若い頃は家で満足に宴も開けなかったのです。開いても誰もやってきません。誰も彼も皆ダアルⅤ世の威光を恐れたのです」
「…………」
そんなのってない……でも……
「そのような父を愛したのがエイニーア皇女でした」
「でも今は……」
「ええ。いま彼女はカロンデュールの母です……」
「お父さまはどうして……」
「それは……ダアルⅤ世がエイジニア皇女に近づいたからなのです。もしダアルⅤ世がエイジニア皇女と結婚したりしたら……」
「そ、そうだけど」
「エイニーア皇女は心優しい人です……彼女は父達の反目をなくそうとお努めになりました。父がエイジニア皇女と結ばれるように手引をしたのも彼女だったといいます」
「ええ?」
「多分父がそう主張したのでしょう……皇女は父のために身を引き、姉と結ばれるように取り計らい、ダアルⅤ世と結婚したのです……」
な、なんて言ったらいいのか……
「でも、母は私だけを残して死んでしまいました。エイニーア皇女を捨ててまでしたことが、完全に裏目に出てしまったのです……」
「だから……」
「ええ。だから私を男として育てたのです。そうしなければもはや父には何も残されていなかったから……母は死にました。もはや皇子は手にいれる術もありません。ですがそれを放置すればカロンデュールが世継ぎになります。それが父に取って何を意味していたかお分かりでしょう……父には最初の計画をやり遂げるしか道はなかったのです」
「でも……回りの人はなんて思ったの?」
「周囲は父に反対できませんでした。その時の父は世にも恐ろしい形相だったそうです。それにその事実を知る人は多くはなかったのです。ですからその人達だけを説得すれば良かったのです」
「その人達って……ムートと……」
「ルーです。私の知る限り……」
うーん……
「そして私は男として育てられました。さらにことがばれるのを防ぐため外界から完全に遮断されました。実際私はかなり最近まで自分を男だと思っていたのです。あなたと遊んだとき……あのときもそうでした。私の知っている人は、あなた達に会うまではムートとルーと父だけだったのです」
「えええ?」
なんだかすごい。
「身の回りの世話はすべてルーがしてくれました。昼間外に出たときはムートが遊び相手と警護を行なっていました。父はほとんど来ませんでした。私の知っていたのはそれだけだったのです。あなたに会うまで……だから……あなた達に会って私がどう思ったか……あなたがいきなり現われたときの私の驚きはもう表現のしようもないほどでした」
「…………」
「ティア……あなた達が私の最初の、そして唯一の友達でした。なのにどうしてあなたと会うのをやめてしまったか……それは……その時やっと知ったからでした。私が女だということを。あの時ほど悔しかったことはありませんでした。あなたをうらやましく思いました。それ以上に、約束を守れないのが……苦しかった……」
「約束?あの?」
「とねりこの木の約束です……だから……もうあなたに会えないと思って……何か手紙を書こうかとも思いました。でもどう書いていいのか分かりませんでした。そしてそのまま……」
「そうだったの……」
あの時は泣いたわよねえ。でもこんな事情じゃしょうがないわ……
「ところがそれから何年かして、私が世継ぎとしてお披露目を受けた頃、父が言ったのです。私は結婚しなければならないと」
「ええ?だって、お父さまだって知ってるんでしょ?」
「はい。でも父は大皇になるには形式的にでも結婚していなければならないと言うのです。それなら分かります。ですが結婚相手を捜すのが難しかったのです」
そりゃそうだわ。びっくりするわよ。普通の人なら……
「私はそのときついあなたの名前を言ってしまったのです」
「ええ?」
あたしの名前?
「私には知っている人はあなたしかいなかった……もし私が結婚するならあなたしかいないと思っていたのです。あなたの迷惑も考えずに……でも、もう一度あなたと会って話したかった……森で遊びたかった……」
「フロウ!」
「でも私はあなたに会いたいという気持ちを無理やりに押さえつけました。ひどく不安だったから……舞踏会で一度あなたを見かけたことがあったけど、声をかけませんでした。やはり不自然でしょう。あなたにどんな迷惑がかかるか分からないし……」
そんなことがあったの……
「でも思いがけなく再会したとき、あなたにひっぱたかれたとき、あなたもまだ覚えていると知ったとき……もう押さえきれなくなってしまったのです。それで……あとは知っての通りです」
う、う、う。なんとコメントしていいのか分からないわ。でも、一つだけ分かる。フロウは嘘は言ってない。それだけは確か……
「で、でもフロウ。結婚て、女同士で……」
「そうですね。やはり……解消しましょう。それがいちばんいいと思います」
「ちょ、ちょっと!」
「あなたはやはりもっといい男の人と結婚するべきだと思います」
そ、そりゃ……女同士ってのは不自然だけど、
「フロウ!じゃああなたはどうするの?」
「私は誰にも関わらないのがいちばんいいと思います」
「ずっと独りで暮らすの?」
「ええ」
フロウはきっぱりと言った。でも……本気?
あたしはじっとフロウの顔を見た。フロウは目を合わせようとしない。
嘘よ。絶対。
だって、フロウがあたしと一緒にいたいって言ったのは何だったの?あの涙は?
絶対あれが本心よ。フロウはあたしが迷惑するから、そう言ってるだけなんだわ。
それじゃ、あんまりじゃない!かわいそうよ。あたしはいいかも知れないけど、フロウはどうなるのよ。
フロウは生まれてからずっと独りだと言っていた。それがどういうことかよく分からない。あたしは物心ついた頃からお兄ちゃんにいじめられてたから……でも、さびしいだろうなあ。エイマやリアンのような友達さえいないのだ。あたしだったら……気が狂っちゃうわ。
このことは誰にも言えない。フロウが女であることなんて……だとしたらうかつな友達は持てないわよ。
じゃあ、これからもフロウは独りっきりなの?大皇になったって銀の塔の奥でたった独り?一生ずっと独りなの?
フロウの顔をみつめる。さびしいって……こんな顔のことを言うの?
そりゃおかしい。女同士で結婚するなんておかしい。でも、でも、フロウはあたしにとっても最も大切な友達だったじゃない。あたしはずっとフロウのためだけに生きてきたようなもの。いまここでフロウの提案を受けてしまったら……あたしも失くしてしまう!
もうフロウなしの生活なんて考えられない。今のあたしからフロウを取ったら何も残らない!
だったら……だったら……
だって……フロウが女だったってフロウはフロウじゃないの。そうよねえ。今まで知らなかっただけで、フロウはずっと女だったのよ。そのフロウが好きだったんだから、今のフロウだって同じじゃないの?フロウが女って分かったとたんにフロウへの気持ちが消えてしまったとしたら……それはフロウが好きだったんじゃなくて男がほしかっただけなんだわ。
だいたい考えてもみてよ。フロウはそんじょそこらの男なんかよりずっといいじゃない!ねえ。
だったら……結論は一つよ!
「フロウ、決めたわ」
「ティア……それでは婚約は……」
「いいえ!結婚することに決めたっていうの」
「でもティア!」
フロウが目を丸くした。
「あたしとじゃやだ?」
「いえ、いえ……」
「じゃあいいじゃないの」
「でも……」
「フロウ!あなた言ったでしょ。ずっとあたしといたいって。あれ嘘だったの?」
「ち、違います。でも……」
「じゃあいいじゃないの。あたしあなたといたいもの」
「ティア」
フロウの表情がぱっと明るくなった。
「ほ、本当に?」
「本当よ!約束じゃない」
「ティア!」
フロウがあたしを抱きしめた。あたしもフロウを抱きしめた。
やっぱりそう!あたしはフロウが好き。フロウもあたしが好き!今は絶対の自信をもってそういえるわ!
あたしたちはそのとき初めて心のそこから通じあったと思う。
あたしの耳元でフロウがささやいている。
「ティア、ありがとう……ありがとう……」
あたしも何か分けの分からないことをつぶやいている。
そうしてひとしきり泣きあった後、フロウが恥ずかしそうに言った。
「ティア……あの、一つお願いがあるのだけど……」
「ええ?なあに?」
「今日……今晩泊まっていってくれますか」
「ええ?」
「私……今まで一度も、誰かと一緒に寝たことがないんです……」
ちょっとびっくり。でも、
「いいわよ!」
当然じゃない。
「ありがとう!ティア」
そして……その夜あたしたちは一緒に眠った。
想像してたのとちょっと違うけど、素敵な夜だった。
俺は断じて変態ではない……と思うけど……異常だ。不毛だ。どうにかしてくれえ。
こいつはたまっている。絶対たまっている。どうにかしなきゃいかん。
でも……フロウが女だったら……
やめろっつーの!