6. ハネー・ムーン
うう、さすがに疲労がたまってきたぞ。これで三日目だからなあ。
と言ってもこの疲労は快い疲労でもある。ここは銀の塔の大広間、ティアとフロウの結婚披露宴なんだから。
結婚式はつつがなく終わった。俺としてみれば、あの馬鹿が何かおかしなことをやらかさないかと思ってひやひやもんだったが、変われば変わるもんだ。結構堂々と式をこなしてるじゃないか。この調子なら大皇妃だってやってけるかもしれないね。
でも父親や母親は違った。母親なんて最初から最後まで泣きっぱなしで、親父も露骨に泣いてはいなかったが、酒がずいぶん入っているのはみえみえだった。
一人娘の嫁入りなんだからまあこんなもんだろうがね。
俺だってずいぶん感動してしまったから。
都中がそうだった。世継ぎの結婚というのは、滅多にない大イベントだからなあ。結婚式の一週間以上前から都の連中は浮足立って、当日となったらもうそりゃすごいものだった。
銀の塔の前の広場には人があふれて、お世継ぎと花嫁を見ようとつめかけているのだ。
見られているのがティアじゃなかったらまあ普通の出来事と思うんだが、異様な感じだよ。まったく。
そして式が終わったとたん、一挙に都は大宴会場と化したわけだ。
「フィン、フィン!」
ろれつの回らない声だが……
「おお、カーンじゃないか。生きていたか」
「当り前じゃ」
「どのぐらい飲んでるんだよ」
「ふぁっ、ふぁっ、ふぁ。知るか!それよか、ティアちゃんはろうした!」
「ちょっと引っ込んでるみたいだが。お前もうあいつのことはティアちゃんなんて呼べないんだぞ。身分をわきまえなさい」
「えっらそうに!お前らって同じ、じゃないか!」
「その点は大丈夫。おれはあいつの弱みをいっぱい握ってるからな」
「お前はごくあくにんだ!」
「ふん!」
ええい、この酔っぱらいめ!
しかし人が多い。しかもすべてが酔っぱらいだ。異常な状況だ……銀の塔っていうのはもっと荘厳な場所だと思っていたが。まあ何年に一度もない無礼講だからな。
「いてて」
足元のふらついた奴らがいっぱいいる。どこの馬の骨だ。
「す、すみません……ああ、フィナルフィン殿」
何だ?誰だ?こいつは見覚えがある、ええと……
「そ、その節はまことに……」
「そうそう、マルホールじゃないか」
こいつは親父にあやつられてティアに求婚しようとした奴じゃないか。
「あのときは……いや、失礼しました。エルセティア姫は怒ってらっしゃいませんか」
怒ってるもなにも、お前のことなんて覚えてないよ。
「そんなことないと思いますよ」
「そ、それはよかった……」
こら、泣くな!みっとも……
「ホール!なに泣いてるのよ!みっともない!」
聞き覚えのある声。ああ?リアンじゃないか。ティアの幼なじみの。
「リアン……」
「まあ、フィン。おひさしぶり!」
「リアン、君はマルホールと知り合いなのか?」
いきなりリアンは真っ赤になった。
「え、ええ。ちょっと……」
んん?おや?手にリングをはめてるじゃないか。
「そのリングは?もしかして……」
「ええ、実はあたしたち……ちょっと喧嘩しちゃって、あのとき……」
はあ?
話を聞いてみると……何と情けない。要するにこいつらは好きあってたわけだ。ところがマルホールが優柔不断なんで、リアンが怒って喧嘩別れに近い状態だったと言うことらしい。そこにティアの話が持ち上がって、売り言葉に買い言葉。
「じゃあ、ティアとの話がまとまってたらどうしたんだよ」
「そんなことないって思ってたわ。だってティアったらあの調子だし、まだまだだと思ってたわ。それにホールじゃティアは扱えないわよ」
お前だって同じようなもんだと思うが……
「まあ、じゃあとにかくもとの鞘におさまったとそういうことか?」
「えへへ」
もう、勝手にしろ!
そのときティアとフロウがやってくるのがみえた。今となっては酔っぱらいばっかりだからそれほどさわがれずにやってこられる。これが宴会の最初の頃は大変だ。顔を見せたとたんにわっと取り囲まれて一歩も動けなくなってしまう。
フロウにしたがって歩くティアの姿は……うん、こうやって見れば結構見られるな。馬子にも衣装とはよく言ったもんだ……
「きゃあ、お兄ちゃん!」
ぶはっ。
こら、回りがみてるじゃないか!せっかく他人のふりごっこをしてたのに。
「ティア、お前なあ」
「フィナルフィン殿、楽しんでいただけましたか」
「それはもう、もちろんですよ。楽しいことだらけだ。それよりティア、リアンが話があるそうだよ……」
「え、リアン?どこにいるの?」
どこって……あ、逃げやがった。まあ気持ちは分かるが……
「実はなあ……」
俺は今の話をしてやった。
「まあ、そうだったの。リアンたら、馬鹿ねえ。逃げなくてもいいのに」
「何のお話ですか?」
「ティア、フロウに話してないの?」
「え、ええ……」
「実はですねえ、こいつあの時のお披露目で無理やり結婚させられそうになってたんですよ。そしたらカロンデュールが乱入したんでうやむやになったといういきさつがあるんですよ」
「ええ?それは知らなかった」
「その他にもいっぱいあなたの知らないことがあると思いますよ。こいつ隠れて悪いことばかりやっていたから……」
「お、お兄ちゃん!」
「あとでこっそり教えてあげましょう」
「ええ、楽しみにしてます」
「フロウ!お兄ちゃん!」
けけけ。こいつは楽しい!るん。
「メルフロウ様、メルフロウ様」
「何だ?」
誰かが呼びにきた。
「すみません。ちょっと用事ができましたので……」
「あ、フロウ」
「すぐ戻ります。ちょっと待ってて」
「ええ」
フロウが行ってしまうと、緊張が解ける。やっぱり肩がこるよ。いくら義弟といっても、ねえ。
そういえば何週間ぶりだ。こうして会って話すのは。
「ティア、元気か?」
「え、ええ。お兄ちゃんは?」
「こっちもまあまあだね。さすがに疲れただろ」
「えへへ。ちょっとね」
「式の後は何してたんだ。ずっと挨拶回りか?」
「そ、そうなのよ。あたし一万人ぐらいと握手しちゃった気がするわ。後から後から出てくるのよ。半日潰れちゃって、そのあとは、ほら、宴の間に出てたでしょう……」
いきなりげっそりってかんじだ。
「ああ、あそこでさらしもんになってたなあ」
「そうなの!ひどいんだから」
ははは。本人同士はこりゃ大変そうだ。
「じゃあ、まだ二人きりにもなってないんだ」
「そうなのよ!」
「まあ、あきらめるんだな。おたくはもう白銀の都の大皇妃になると決まってるんだから、今までみたいにはできないよ」
「うーん……」
いっちょまえに考えてるよ。こういう話題じゃこいつの頭はパンクしちゃうよ。
「その服は、きれいだな」
話のレベルを合わせてやろう。
「そう。あたしこんなの着れるなんて思っても見なかった……」
こら、声が高い!恥ずかしい奴。
「やっぱりすごいわあ。感動しちゃう」
「まあ、うちじゃもうちょとささやかになっただろうな。まあよかったな」
「うん」
まあ、幸せそうな顔しちゃって。
「でも、服と中身がつり会わないんじゃないのか?」
「どういう意味よ!」
「そういう意味」
「ひどい!い、いつでもそうなんだから」
「ははは。どっちかというとフロウに着せた方が似合うんじゃないか?あいつ顔立ちがきれいだから」
「!」
「そしてお前がフロウの服きてだなあ……」
「じょ、冗談じゃないわよ!」
あん?
「ど、どうしてフロウが女の格好しなきゃならないのよ!」
「したっていいじゃないか。ありゃ絶対似合う」
「似合わないわよ!」
ああん?こいつこういう馬鹿な話は大好きだったのに。
「どうしたんだよ」
「え?いえ、何でも……でもフロウは女じゃないんだからそんな格好ダメ!」
ありゃりゃりゃりゃ?
「ティア、ティア、すみません。待たせてしまいました」
「フロウ!」
フロウが帰ってきた。うーん。やっぱり似合うと思うが……ちょっと悪趣味かな。
「ティア、屋敷に叔父上がいらっしゃっているそうです。戻りましょう」
「え、ええ」
「フィナルフィン殿、すみません」
「いえいえ、とんでもない」
「そのうち一度いらしてください。そこでティアのことなんかを教えていただきたいものです」
「フロウ!」
「はいはい。喜んで」
「それでは」
「ではまた……」
二人は行ってしまった。
いいねえ。何か俺もやっぱり結婚したい気になってきたよ。
けど……何だったんだ?さっきは。ティアの奴、目玉がひっくり返ってたが……
ひやー、やっと落ちついたわ。
結婚して一週間、初めてフロウと二人きりになれたのだ。
ここは銀の湖の対岸、ジークの別邸。あたしたちはここでしばらく新婚の甘い生活を送ることになっている。
「ティア、気分は?」
「ええ、まあまあ……フロウはどう?」
だのに、ひどいじゃない。どうしてその最初っからこうなのよ。
「まだちょっと……」
要するにだ。あたしたち夫婦は二人揃って生理痛に悩んでいるのだ……あ、あ、あ。
「よりにもよって、重なることないじゃいない、ねえフロウ」
「でも、その方が終わったあとはいいでしょう。どちらか片方が動けないよりは」
「まあ、そうだけど……」
ジークの別邸だけあって、ここは静かで気持ちいい。
あたしはバルコニーに出た。ここは湖に張り出していて、とても景色がいい。
邸宅は湖の岸辺すぐに建っていて、家から直接船に乗っていくことができる。あたしたちはそうして来たのだけど、馬に乗っても来られる。そうすると湖の北を回ってくることになる。この間狩をした銀の森を通ってだ。
「ああ、いい風。都のことなんて忘れちゃいそう」
「本当に忘れられたらいいのに……」
あたしはフロウを見た。寝巻のまんまだ。
「フロウ、いいの?」
「こちらの方が気分がいいですから」
「誰も見てないわよね」
「ここだと湖からしか見えませんよ」
「でも……」
こうやって見るとフロウは女だ。どこから見ても完璧な女だ。普段が普段だけに、こういう時のフロウはあたしが見てもすごく女っぽく見える。
そうよねえ。やっぱり血は争えないわよねえ。生まれてからずっと男として育てられたんだけど。
それにしてもあたしたちいったい何なのかしら。公式には夫婦だけど……うーん。どっちかというと、共犯者に近い。
でもフロウはあれ以来見違えるほど元気になった。前はむっつりして笑顔なんて滅多に出なかったけど、今じゃ全然違う。
これがフロウなんだ。やっぱり。あたしの知ってる。
だとすれば良かったんだわ。これで。
「フロウ、ちょっと、見えちゃうわよ」
「ええ?何がですか?」
寝巻の胸元からフロウの大きなバストがこぼれそうになっている。
「何がって、もう」
あたしはフロウの襟元をなおしながら少し憂鬱になった。当然よ。だって、どうしてあたしの旦那様の方が大きい胸してるのよ!世の中ちょっと間違ってない?
「ティア、あなたいい奥さんになれますよ」
「ど、どうしてよ」
「私ではこういう所には気がつきませんから」
「そういう問題じゃないのよ」
やっぱり育てられ方がおかしいから、感覚がずれてるのよね。
「そういう問題って……」
「女の子はそういうはしたない恰好しないの」
「でも、誰も見ていませんよ。ティアだけです」
「そうだけど、でも気になるのよ」
「そうですか、すみません」
あやまらなくてもいいのに……でも、最近分かってきた。フロウは分からないんだ。こんな育てられ方をしたから、女としての感じ方や感覚が全く身についていないってことが。
かといって、男として完全かと言うとそうでもない。フロウは都中の女の子に人気があるけど、それは男らしさのせいじゃなくて、こういった奇妙な中性的な美しさにあるのよね。多分男のなかでもひそかに思ってる人がいるんじゃない?
冗談じゃないわ。そんな変態、縛り首よ!
だけど……でもそっちの方が正常と言えば正常よねえ……フロウは女なんだから……だけど、やっぱりそういう奴はフロウを男だと思ってるわけだから……えーと……わかんない。もう。
そうそう。そういえばお兄ちゃんがそんなこと言ってたわよねえ。フロウにあたしの服着せたら何とかって……
あの時は怒ったけど……うう、似合いそう。本当に……
「どうしたんですか?ティア。何かついていますか?」
「いえ、そうじゃなくてね。ちょっと……」
「ちょっと?」
「そのう……ねえ、フロウ。あなた女の恰好したことある?」
「ええ?な、ないですけど……」
「ないの?一度も?」
「ええ……」
考えたらもったいないんじゃない?
あたしはもう一度フロウをみた。ちょっとあたしより背が高いけど、そんなに太ってないし、どうにかなるんじゃない?
「ねえ、あたしの服、着てみない?」
「ええ?」
「着たことないんでしょ?着てみたいって思ったことない?」
「それは……あります」
「じゃあいいじゃない」
「でも……私はどうやって着ていいのか……難しそうですから……」
「大丈夫よ。あたしが手伝ってあげるから」
あたしはフロウを引っ張って奥の小部屋に入った。抵抗もなくくるところをみると、結構乗り気になってるみたい。
「どれがいいかなあ。ねえ、フロウ、どれがいい?」
「ええ?私は……でも……」
「あなたが着るんだからあなたが選らばなきゃ」
「それでは、その白い服を……」
まあ、あたしのお気に入りのモーリヤーンじゃない。フロウって目が高いわ。やっぱり女よねえ。
「じゃあ、そんな恰好じゃ着替えられないから、脱いで脱いで!」
「ええ……」
「ほら、早く!」
「え、ええ」
……………………
そんな調子であっちこっちで引っかかったけど、なんとか着替えが終わった。
「フロウ、どう?」
「え、ええ。変な感じですね」
「長さはいいかしら」
「ええ、でも胸がちょっと……」
そ、それを言わないでっていうのに……
「でもいつもの胸あてよりはずっといいですよ」
「そ、そう。しょ、しょうがないわよね。それより……」
フロウは男の恰好するときは硬い胸あてをしている。何かの間違いでさわられることがあるかも知れないし……それよりお化粧もしなきゃ。髪の毛がばさばさ。
「こんどはこっちよ」
「は、はい」
……………………
そしてできあがったフロウは……
「み、見て!フロウ!」
あたしまでうっとりしてしまった。
す、すごい!想像はしてたけど……
そこには文句のつけようのない貴婦人が映っている。絹のような肌、流れるような黒髪、少しうるんだ瞳、ふくよかな胸、きりりとしまったスタイル……
「わあ、フロウ。都にもこんなきれいな人はそうはいないわよ!」
これじゃ張り合えるのはアンシャーラ姫ぐらいのものよ。すてき!
フロウはじっと鏡に映った姿を見つめている。呆然としてるわ。でしょうねえ。初めてなんだから……
「ティア……信じられない……」
「嘘じゃないわよ!それがあなたなんだから」
「……夢じゃ……」
「ほんとよ。フロウ!」
フロウは立ち上がった。二、三歩歩いて微笑んでみる。振り返って肩ごしにのぞいてみる。
「どう?夢じゃないでしょ」
「え、ええ……」
「それじゃちょっとあっちにいかない?ここは狭いわ」
あたしはフロウを引っ張って、バルコニーに戻った。
明るいところでみるとますますきれい。
「すてきよ。フロウ!」
「ええ。まるで自分ではないみたいな気がします」
気持ちは分かるけど……あたしもそうだ。これがフロウだなんて信じられないっていうのが本音だ。なんと言っても、この人があたしの夫なんだから……
複雑な気分。これはフロウじゃないっていう思いもあるし、これこそが真のフロウだっていう思いもあるし……なんといってもこのフロウはあたしだけのためにあるんだ。都中どこにいってもこのように美しい人はいない。あたしだけが知っている。
そう思うとすごくいい気分でもあるし……
「ティア……」
「なに?」
「今まで私は自分が男なのか女なのか分かりませんでしたが……今やっと分かったような気がします」
「ふーん」
「私は……」
フロウの目に涙が光った。
「フロウ、どうしたの?」
「でもやっぱり分からない」
「フロウ!」
フロウって結構涙もろいところがあるから……
あたしたちはそうしてしばらく湖の涼風に吹かれていた。
それにしても変な結婚生活!お兄ちゃんじゃないけど、あたしの世界観をもう超越してるわ。
でも一つ分かることがある。あたしたちは今幸せなんだ。それだけは本当みたい……
「フロウ、そろそろ戻りましょうか」
「いえ、もう少しここにいさせてください。こんな風に景色を見るなんて、もう二度とできないかも知れない」
「そんなことないわよ。確かに都じゃちょっとできないけど、あそこばっかりにこもってるわけじゃないでしょ?」
「でも、もし大皇になったら、こうはのんびりできないでしょう」
そういえば……そうよねえ。フロウがまだお世継ぎで、しかも新婚だからこそこうして二人だけでのんびりできるんだ。これで都に戻ったらまた窮屈な生活になるんだわ。
フロウは夜寝るときも安心できないんだ……
そう思ったらまた憂鬱になってきた。
「そうよねえ……都じゃ誰がみてるか……」
と、その時だった。いきなりノックがして居間のドアが開いた。
「メルフロウ様、メルフロウ様……」
「ル、ルー!」
わあ、ちょっとちょっと。
「ちょっと、ルー、失礼じゃないの!」
などという言葉をルーは聞いていなかった。もちろんフロウを見て失語症にかかってしまったのである。
「メ、メ、メ、メ」
ルーは扉の所にたちつくしてそういうだけだ。
「どうしました?ルー」
「あの、あの、あの」
「ルーどうしたのよ」
「ど、ど、どうなされたので……」
「ちょっと、着てみただけです」
ルーは真っ青になった。ちょっとあわて方が尋常じゃない気がするけど……
「ルー、そんなに驚くことないじゃない。だってフロウは本当は……」
「ち、違います。違います。あの、あの……」
「どうしたんです?しっかりと話して下さい」
「そ、それが、それが……」
何なのよいったい。もう、じれったい。
「カ、カ、カロンデュール様が……」
「カロンデュール?」
「デュール?」
と言ったときはもう遅かった。デュールはそこまでやってきていたのだ。
「失礼します。メルフロウ殿。一刻を争うので……船を貸してほしいのですが……?!」
きゃああああああああああ。
ま、ま、まずいわ。まずいわ。
デュールはそこまで言いかけてこーちょくしてしまった。そりゃするけど……
「フ、フ……」
フロウが奥の部屋にかけ込んだ。ルーが気絶した。あたしもそうしたかったけど、それじゃどうしようもないから……
「あ、あ、あははははは。ご、ごきげんよう。デュール」
笑ってごまかすしかない。
「い、今の方は?」
「ふ、船がどうなさったの?」
「え?ああ。実は、狩の最中に従者の一人が怪我をしてしまって……流れ矢に当たったのです。それで、都に戻るにはここで船を貸していただくのがと思いましたので……」
「そ、そう。お貸ししますわ。いくらでも。だ、だから……」
「エルセティア姫、今の方はどなたですか?まるでメルフロウ殿に生き写しだが……」
や、やばい。どうしよう。
「そ、そうですわね。確かに……」
「メルフロウ殿の妹君なのですか?しかし兄弟はいなかったはずだが……」
あわわわわ。
「え、ええ。そ、そう、いうわけ、じゃ、なんだけど……」
「いったいどなたなのです?」
うわあ。どうにかしてよ。こ、こ、こうなったら……
「あ、あの、あの方はフ、ファラ。メルファラ皇女で……」
「メルファラ皇女?」
わあ。言っちゃった。こうなったらでまかせをいうしかないわ。
「あ、あの。これは口外されては困るの……決して言わないって約束してくれないと……」
「約束します。決して言いません」
そ、そういえば、
「お、お急ぎではないの?」
「ここまで来て聞かずには帰れません」
命より大切なの?もう……
「でも、お怪我は?」
「エルセティア姫、もしここでお聞かせ願えなければ、ここで見たことを黙っている自信がありません」
ああ。いじわる!
「わ、分かったわ。あの、メルファラ皇女は……実はフロウの、ふ、双子の妹なの!」
「ええ?」
「それが訳あって別々に……」
「訳?訳とは?」
そんなの知るわけないじゃないの。
「その訳は……これだけはお教えできないの。と、とにかく、皇女がいることもすべて秘密にしなければならない理由があって……今日は皇女が私たちに特別に会いにいらっしゃったのです……」
「そうですか……」
な、なんとかなった?
「メルフロウ殿はどちらにいらっしゃるのですか?」
ど、どちらって……
「しょ、小用があって……でかけてます。もう少ししたら帰ってくると思うけど……」
「はあ……」
「カロンデュール様、カロンデュール様」
下から声がした。やった、天の助け。
「分かっている。すぐ行く」
「ふ、船は……案内しますわ」
「その方は……」
ルーはまだ気絶している。
「ええ、ほっといて……じゃない、そちらの方が大切でしょ。急ぎましょう」
「は、はい……」
あたしはデュールを引きずるように下に降りた。
じょ、冗談じゃないわよ。どうしてこういう時にやってこなきゃいけないわけ?タイミング良すぎるわよ。
降りるとムートが怪我人を見ていた。
「あ、エルセティア様、メルフロウ様は?」
「え、あ、ちょっとね。船、船よ」
あたしは大声で叫んだ。フロウはいないことになってるんだから。
「え?はい」
ちらっと怪我人を見ると……ひどい傷。これじゃデュールがあわてるわけよね。こんなことでもない限りデュールが来るはずがない。
でも、この間抜けのおかげでこっちが危ない目にあってるんだからそのぐらい当然だわ!……えーと、矢を射った方が悪いのかなあ。ええ、どうでもいいわそんなこと。
「こちらへどうぞ」
「あ、急に動かすな、傷が開く」
「はい」
怪我人を運んで桟橋にいく。桟橋は家から直接に行くことができる。そこにはあたしたちが乗ってきた小舟がつないである。
あーあ。あの中血だらけになっちゃわないかなあ……なに考えてるの?あの人死んじゃうかもしれないじゃない。
怪我人を乗せるとデュールが言った。
「エルセティア姫、ありがとうございます。船はすぐにお返しします」
「え、急がなくていいのよ」
「とんでもない。今日中にでもお返しします。とにかく今は失礼します」
「ええ、ええ」
一行は漕ぎ出した。ものすごい勢い。船はみるみる小さくなって行く。
「はあ」
あたしは桟橋にくずおれた。
「エルセティア様」
「あ、だいじょうぶ……ちょっとびっくりしただけ」
「お手を」
ムートが立たせてくれた。あたしは中に入った。
「もう……びっくりしたわ」
「こちらもそうです。いきなり血相を変えて飛び込んでくるのですから……そういえばメルフロウ様は?」
ああ、そうだ。
「あ、エルセティア様」
あたしは二階に駆け上がった。入口に……ルーはいない。気付いたのかしら。
あたしが奥に飛び込むと……
「ティア!大丈夫でしたか?」
「フロウこそ……どうして脱いでないのよ?」
「脱ぎ方が……それより水を。ルーが……」
ルーがベッドの上に転がされている。どうやらフロウが運んだらしい。
「え、ええ」
「メルフロウ様……わあああああ」
うしろでひっくり返った声がする。ムートの声だ。上がってきてたらしい。
「な、何という……」
「ムート、水を」
「何というお姿……」
「ムート!聞こえないのですか?」
「え、は、はい。水ですね?」
「そうです」
ムートはあわてて下がって行った。
「フロウ、とにかく着替えなきゃ……デュールが戻ってくるかも知れないわ」
「ええ?」
「船を返しに来るって……だからそれまでに着替えてお化粧を落として……」
「わかりました」
それからが大変。
フロウが服を脱ごうとしたらしいんだけど、変なことしたんで結び目がもつれてしまっている。それをやっとほどいてもとの姿に戻ったはいいけど、今度はお化粧がなかなか落ちない。
そのうえルーは気絶してるし、ムートに説明しなきゃならないし、何とか落ちついたのは夕刻になってからだった。
「はあ、やっともとに戻ったわね。フロウ」
「ええ、さっきは心臓が止まるかと思いました……」
「ほんとに……よりにもよって……」
悪事は必ず露見するっていうけど……悪事じゃないじゃない!
「カロンデュールは……私を見ましたね」
「ええ……でも、あたし……」
あの時の出まかせ……
「聞きました。扉の向こうで」
「あ、あの、あれは……」
「あれで良かったと思いますよ。あれ以上の言い訳はちょっとないでしょう。後は私が女装趣味があると言うだけでしょうから」
「そんな……あれじゃ女装になんて見えないわよ」
結構胸のカットが深いドレスだから……それにちょっときついんではみ出し気味だったし……
「あはははは」
でもフロウは笑いだした。
「フロウ!」
「でもあの時のカロンデュールの驚いた顔……忘れられませんよ」
の、のんきな……でも、フロウの笑いになんとなく落ちついた気がするな……
と思った瞬間だった。
「メルフロウ様、カロンデュール様がお見えです」
「えええええ?」
こういう所は律儀なのよね。そんなの明日でもいいじゃないの、もう……
「お通ししてください」
「わかりました」
ちょっとするとデュールが緊張した面もちで現われた。
「ああ、メルフロウ殿、さきほどはありがとうございました」
「いえいえ、それはエルセティアに言って下さい。私は何もしておりません」
「ええ、とにかく心から感謝しております。幸いあの者は命には別状はないようで」
「それは良かった」
「良かったですわね」
「それもこれもあなた方の快いご協力があったからです。本当にありがとうございました……」
「カロンデュール様、頭をお上げ下さい。あたしたちは当然のことをしたまでですから……」
ものすごく恐縮しちゃって……
「それはそうと……カロンデュール殿」
「え、はい」
「聞くところによると、あなたはファラと会ってしまったとか……」
フロウってなかなかの役者よねえ。
とたんにデュールは真っ赤になった。
「す、すみません……そういう気ではなかったのですが……」
そういう気も何も……
「このこと、まさかご口外なさっては……」
「とんでもありません。誰にも言っておりません!」
「ああ、それは良かった……それだけが心配だったのです」
「エルセティア姫に念を押されました」
「彼女は存在しないのです。公式には。ですから今日見たことはすべて忘れてもらわねばなりません……」
「……ええ。それも承りました……ですがなぜあのようにきれいなお方が……」
そう言われてフロウは赤くなった……やっぱり誰が見たって同じよね。
「そ、それは……い、言えないのです。その理由を知ると、こちらばかりか彼女にも不幸が訪れることになるのです……ですから、彼女のためにも、黙っていてほしいのです……それにそうなると家の関係がますます悪くなるでしょう」
「そうですか……わかりました」
明らかに不満な顔。でも、彼女が不幸になるって言われて少し諦めがついたのかしら。
しばらくデュールは黙り込んだ。じっと下をい向いて何か考え込んでいるようだ。
間が持たないから何か言おうと思うのだけど適当な話題がない。だってあたしとデュールの話題と言ったら、この間のことや半月亭のことや……
それはフロウも同じみたい。いとこ同士っていうのに、ろくろく話したこともないっていつか話してくれた……
そのときデュールが意を決したように言った。
「メルフロウ殿……」
「はい」
「家のことは……言わないで下さい」
「ええ?」
「私はあなたを憎んではおりません。いつか言おうと思っておりましたが……」
「憎むなんて……そんな」
「でも家同士はそういう歴史を持っています。ですから私たちが憎みあうようになってもおかしくありません」
「カロンデュール殿」
「でも……たとえあなたが私を……憎んでいても、私は憎みません」
「カロンデュール殿、いったい誰があなたを憎んでいるのです?」
「メルフロウ殿、あなたは……」
「確かに私はあなたをうらやましいと思ったことはあります。でも憎んではいません。父があなた方を憎んでいるのは確かですが……」
フロウはなんだか寂しそうだった。
「本当ですか?」
「はい。でもあなたと話し合う機会はもてませんでした。それは仕方のないことだと分かっていただけますね」
「もちろんです!ああ、これですこしすっとしました」
「どういうことですか」
「母です。私がこう考えているのは母のせいなのです」
「母君とは……エイニーア様のことですか?」
「はい。母がよく私に言ったのです。ジークの家とダアルの家は憎みあっているけれど、あなたは決して憎んではいけない、と。それは父の言うことと正反対でした……ですが、後に経緯を知ってから考えが変わりました。今ではどちらが正しいか分かっているつもりです……」
「カロンデュール殿……」
ふたたびの沈黙……
そうか……エイニーア皇女はデュールにちゃんと話したんだわ……どんなお気持ちだったのかしら……いったい……
「それでは……お邪魔しました。つまらない話を……」
沈黙に耐えかねたようにデュールが言った。
「もうお帰りですか?」
「ええ、ここに長居は失礼です。では……」
カロンデュールはきびすを返した。フロウはそれ以上は言わなかった。
あたしたちは桟橋まで彼を送った。
「カロンデュール、こういう機会はあまりないと思いますが……またこうして話せるといいですね」
「ありがとう、メルフロウ。いつかまた会えるときまで……その時までごきげんよう」
「ごきげんよう」
船は今度は静かに桟橋を離れた。
日はとっぷりと暮れている。夜風に当たりながらあたしは再びデュールを送った。
「フロウ……あなたエイニーア皇女とお会いになったことは?」
「小さいとき……何度かエイニーア様に抱かれたことがあります……」
「ええ?」
「森の奥の誰も見ていないところで……私は母親の感触と言うのを知りません。でもあの時の気持ちが一番そうなのかも……そういう意味でカロンデュールをうらやましく思ったのは事実です……でも……」
その後フロウは何も言わなかった。
あたしたちは別邸に戻った。あたしたちはその晩また一緒に眠った。