自己責任版:白銀の都
白銀の都 11. 襲撃

11. 襲撃


 ぎゃああああ。まいった!どうすりゃいいんだよ。

 外には確かに人がいる。微かな星明りの下だが、大勢だ。武器を手にしているようにも見える……

「ど、どういうことなの?」

ティアの声が裏返っている。

「知るか!」

「あのとき……そうだったのかも……」

「ええ?ああ!」

来るときのあれ?それじゃ……

「つ、追けられたのか?」

畜生、やっぱり裏切られたのか?

「さあ……それとも最近噂の夜盗かもしれません」

ムートがぼそっと言う。夜盗?そういう事も考えられるよなあ……だとしたら……

「ね、ねえ、どうするのよ!」

うるさい奴だ。

「どうするって……こういう場合は想定してなかった……」

「あのねえ!」

「ともかく今はどうするか考えましょう」

ムートが厳しい声で言う。そのとおりだ。

「ええと……この人数で守りきれるだろうか……ムート?」

「無理でしょう……私とあなただけでは」

俺なんて役に立たないよ。それにフロウとティアもいる。自分だけ逃げるのだってうまくいくかどうか……

「ともかく、ここにいられない以上、逃げるしかありません」

「でも、逃げるって、あの馬車じゃ……」

「全員じゃ無理だ……それに馬は二頭しかいない」

こりゃ困った。走って逃げるわけには行かないし……

「それでは誰かが助けを呼びに行くしかありませんね。その間ここを守れば……」

「助けって、誰に?」

「こうなったらジークⅦ世に……」

「それはだめです」

それまで黙っていたフロウが言った。

「ええ?」

「それじゃ誰に頼むんだ?」

「父上では何の解決にもなりません。たとえ命が助かっても、そうしたらもうこんな機会はありません。ここはカロンデュールに助けを求めるしかないでしょう」

フロウがきっぱりといった。

「でも……」

それしか……ないか?ないよな。やっぱり……

「でも、誰が行くのよ?」

そいつが問題だ。だが、消去法でいけば結論は……

「やっぱり行くのはこの辺の地理に詳しい奴の方がいい。それにここを守るのは強い奴の方がいい。てことは、行くのは俺しかいないよな」

「フィナルフィン、それは危険です!」

「いや、フロウ、僕が行きます。ここを守るのはムートが適任だ」

「でも、フィン!」

声が悲痛だ。それが何を意味しているのかもう明白だ……だが……

「わかりました……命に賭けても……」

ムートが言う。これで決まりだな。

「フロウ、君には生きていてもらわなければ……そのためには僕よりもムートがここに残った方がいい」

「フィン!」

 だがその時だった。

「ちょっと待って!あたしが行く!」

ティアが叫んだ。何を寝ぼけたことを……

「あほ!お前は隠れてろ」

「だってお兄ちゃんが行っちゃったら、ムートはあたしとフロウを守らなきゃだめじゃない」

「ええ?」

そういえばそうだが……

「それにあたしこの辺よく知ってるわよ。いつも遊びにきたじゃない」

「でもお前は……」

方向音痴だと言おうとしたときだった。入口ががたがたいい始めた。

「わ、くそ!」

「来た!」

「と、とにかく、みなさん武器を!」

そう言ってムートは剣を抜いた。

「わ、わかった!」

俺達は隣の部屋にかけ込んだ。くそ、こいつがこんなに早く必要になるなんて……

 俺はレイピアを身に帯びた。

「ティア、なにしてる!」

「だってどれがいいか……」

「その短剣でいい!それから……」

フロウは弓を手に取っていた。そうだな。それがいい。

「じゃあ……」

入口の音はさらに激しくなってくる。そしてばたーんという音がした。

「お前達は何者だ!」

ムートの叫びが聞こえる。

「ムート!」

俺は部屋に飛び込んだ。 

 覆面をした男が二人、問答無用でムートに切りかかったところだった。

「メルフロウ様を、早く!」

覆面の男達は恐ろしく手慣れた様子だ。ムートがたじたじになっている。こりゃ……じゃない。えーと……そうだよ!

 俺は再び荷物の置いてある部屋に飛び込んだ。

「二人とも……」

「ああ、ティア、やめて!」

フロウが叫んでいる。なんだ?いったい。

「大丈夫よ」

見るとちょうどティアが窓から飛び出したところだ。あ、あの馬鹿!

「ティア!」

「ティア!どこに行く!」

「デュールを呼んでくる!」

「馬鹿、よせ!」

だが、ティアは俺の言うことも聞かずに厩に走った。

「あほう!馬には鞍がないぞ!」

「大丈夫よ!」

そういってティアはつないである綱を解くと、ポニーに飛び乗った。

 その時、横から誰かがやって来るのが見えた。

「待ってて、フロウ!お兄ちゃん!」

「ティア、危ない!」

「きゃああああ」

叫びと共にいきなり馬が駆け出して、男達の真ん中をつっきった。

「ティア!」

そのままティアは駆けさっていった。

「追え、あの馬を追え!」

わ、ティア!な、な、な、な。あ、あ、あ、あ。

 一瞬の事で……あの馬鹿!阿呆!間抜け!昔からどうしようもない奴だったが、ここまでどうしようもない奴だとは……

 フロウが呆然としている。

「ど、どうして止めなかった!」

俺はフロウの胸ぐらをつかんだ。

「と、止められなかったんです」

「あ、あのなあ」

「苦しい……」

「あ、ご、ごめん……フロウ」

「ええ……いえ……」

俺はあわてて手を放した。

 うう、うう、うう、しまった。つい逆上して……痛くなかったかなあ……じゃない。ぼけっとしている暇はない。隣からは剣の打ち合う音が聞こえて来る。えーい、いったい俺は何をすればいいんだ。

 考える間はなかった。

 ドアが急に開くと、ムートが転げ込んできた。

「な、何をしているんです」

ムートがわめく。声が……?

「あああ!」

ムートの胸は真っ赤に染まっている。ムートは立ち上がろうとしたが、崩れてしまった。う、血が、血が……じゃない!

「ムート!」

フロウが叫んですがりつこうとする。だがその向こうから覆面の男たちがやってくる。

 俺はフロウの襟首をつかむと叫んだ。

「あっちだ!あっちに行け」

フロウが俺の顔を見つめる。だが言うとおりにした。

 俺は剣を抜いた。自慢じゃないが剣は昔から不得意だ。もちろん人はおろか、動物だって刺したことがない。

 だがともかく俺は叫んだ。

「お、お前達は何者だ!」

わあ、あぶない!

 相手はいきなり切りかかってきた。俺は危うくよけると、ほとんど反射的に手近な物を投げつけた。

「うぎゃ!」

命中したらしい。何だ?あれは胡椒の袋じゃないか。あれは効くな。

 それよりもフロウだ!隣の部屋に駆け込んでドアに鍵をかけた。

「はあ」

 体ががくがく震えている。冗談じゃないよ、こんなときに。もちっとましな反応をしてくれよ……

 見るとフロウが弓を持ってぼうっとつっ立っている……フロウも同じような状態みたいだ。

 お、俺が何とかしなきゃ!自分一人でがたついている暇はない!

「おい、しっかりしろ、フロウ!」

「フィナルフィン……」

目が虚ろだ。俺はフロウの肩を抱いた。

「さあ……とにかく落ちついて……」

「ムート……」

だろうなあ。育ての親みたいなもんだから……だが今は……

 俺はそのままフロウを抱きしめた。体が震える。どっちが震えているのかは知らないが……

「とにかく……」

とにかくどうする?行き止まりじゃないか。ここはいちばん奥の寝室だ。出口は……窓しかない。でも……高いぞ。斜面に立っているから反対側は高さがある。でもこの程度なら……

 がたがた、ばたーんとドアが開く。畜生、破られた!

 同時にどやどやと人が入り込んで来る。

「後ろから飛び降りろ!」

「でも……」

俺はフロウをかばいながら前の奴らに剣を向けた。そいつらはじりじりと迫って来る。

「はやく!」

「フィン……」

その時だった。前の男達が下がった。何だ?それに代わって、別の男が入ってきた。

「何だ、貴様は!」

男の口元がにやりと笑った。そして覆面を取った。

「あああ、お前は……」

俺は叫んだ。フロウの息を飲む声がした。こいつ、見たことがある!

「お前は確か、アルジャナン!」

ダアルⅤ世の腹心と言われる男だ。フロウががっくりと膝をついた。俺はフロウを支える。

 な、なんて事だ……これじゃあ……ティア!あいつはどうなる?あいつは敵の巣窟に行っちまった!途中でやられなかったとしてだが……

「名前を覚えていただいて光栄です。フィナルフィン殿」

当り前だ。こいつは都でも悪評が高い。ダアルⅤ世のやってる汚いことはたいていこいつがやっているという噂だ。

「俺の名前なんかも覚えていただいて恐縮ですね」

「そんなにご謙遜なさらなくとも。エルセティア姫の兄君として、最近では結構有名ですから」

「そいつはどうも」

俺は剣を構えた。だがアルジャナンはそんなことはまったく気に介さないとういう風だ。

「そんなことはおやめになったほうが……」

「…………」

「あなたのことは色々調べさせてもらいました。最近よくジアーナ屋敷に出入りしているようですから……学業の事とか、スポーツのこととか。君は知恵はありそうだが、腕の方は……」

なろー、完全になめてやがるな?俺は奴に剣を向けた。

「そんな構えじゃ蟻一匹殺せませんよ」

ほうっといてくれ!殺せるか殺せないかやってみなくちゃ……

「悪かったな!」

「それより、私が用があるのはメルフロウ殿です。彼はどこです?それにそのご婦人はどなたです」

「知らないね」

こいつまだ知らないらしい……ということは、一応秘密は保たれているのだろうか?ということは、デュールの裏切りではないのか?

「話していただかないと痛い目に会いますよ」

「…………」

「そのご婦人は……メルフロウ殿にそっくりだ。ということは、あの噂は本当だったのか」

「何の事か知らないが、メルフロウなんてここにはいないよ」

「でも屋敷は出たはずだ」

「何でそんなことを知ってるんだよ」

「我々は今までずっと屋敷を見張っていたんですよ。こんな機会を狙ってね」

「そいつは暇なことで」

ということは……このことをカロンデュールは知っていたのか?知ってて承諾したのか?ならば間接的に裏切ったことになるが……でもカロンデュールが『ファラ』を危険に会わせたりするだろうか?まず最初にファラを拉致してこいと言うだろうし……

「だからメルフロウ殿がここにいるのは確かなんだ。さあどこです」

こいつ『フロウ』だけが目当てらしい。ということはだ、ええと……

「だから知らないって。ここにいるのは俺とフ……ファラだけだ」

「そうですか……どうしてもおっしゃいたくないと言うのですね」

「大体メルフロウに何の用だ?」

大体は分かるがな。こんないでたちで捜すとなると、目的はお茶会じゃないのは確かだ。

「そんなことを言わなければならないのですか?あんまり無駄話をしている暇はない。もしさっきの娘が逃げおおせたら……」

てことは、まだ捕まってないんだな?

「そんなことはないと思うが、彼女が人を連れて戻ってこないうちに、あなたがたは夜盗に殺されなければならない」

「てめえ、ティアをどうした!」

「馬に乗った何人かが彼女を追っています。すぐに捕まるでしょう」

なんて野郎だ!

 そのとたん俺は気付いた。そうか、夜盗の噂を流したのはこいつらなんだ。こいつらはずっと前からメルフロウ暗殺の機会を狙っていて、メルフロウが一人になる時を待っていたんだ。うかつなときに襲撃はできないから……とすればハネムーンのときよくまあ……

 フロウ達は普段は厳重な警備に囲まれているから。だが、今日は確かに分かっていればチャンスだ。でもどうして……ずっと見張ってたというが、本当に見張ってたとすると……本当になんて暇な奴らだ!ということはやっぱり密告があったのか?でも誰から……

 多分屋敷の中でもそういうことは日常茶飯事なんだろう。納得……したところでどうしようもない。俺は歯がみした。いったいどうすればいいんだ?

 いや待て!もしかしたら……こいつらカロンデュールとは全く別口かも知れないぞ。単にカルスロムか何かの話を立聞きしただけだったら……だとすれば……助けが期待できないわけではないかも……できそうもないなあ。

「さあ、答えるか、さもなくば……」

くそ、絶体絶命か……

 その時フロウが俺の手を握った。

「?」

輝く瞳が俺を捕らえた。その瞬間俺はなぜかフロウが何をしようとしているのか理解した。

 俺はタイミングを計らうと、さっと身を沈めた。

 その途端にフロウがアルジャナンに羽枕を投げつける。アルジャナンは反射的に剣で払った。

 はまった!

 枕の羽が一挙に飛び散る。俺は全身の力を込めてその中心を突いた。

 手ごたえ。

「ぎゃあああああ」

「ジャナン様!」

剣を戻すと血に染まっている。

 何だかよく分からないがともかく、

「行くぞ!」

「はい!」

俺とフロウは窓から飛び降りた。

 ともかく逃げる。逃げて逃げて逃げまくる。逃げるのだって戦いだ。そのうち何かいいことがあるかもしれない……

 ああ、ティア!もしかしたら全てがお前にかかってるんじゃないか?

 なんとかしてくれ!



 あたしは部屋の窓から飛び降りた。下は坂だったけど土が柔らかかったので足をくじかずにすんだ。

 そうよ。あたし以外誰が行くっていうの?お兄ちゃんが行っちゃったらムートはあたしとフロウの両方を守らなければいけないじゃない。でも、あたしが行けば、お兄ちゃんとムートの二人でフロウを守れる。

 どっちがいいかって言ったら、もちろんあたしが行く方よねえ。そりゃお兄ちゃんは喧嘩ができそうな感じじゃないけど、いざというときには男の方がいいに決まってる。

「ティア!」

「ティア、どこに行く!」

フロウとお兄ちゃんの声だ。

「デュールを呼んでくる!」

「馬鹿、よせ!」

誰が馬鹿よ!

 あたしは厩に向かって走った。

 あっちから人がくるみたい。いや、間に合うかしら?

 あたしはポニーの所に行き着いた。

「あほう!馬には鞍がないぞ!」

げ、本当だ!どうしよう……でも……きゃあ、こっちにやってくるわ。ええい、いいや、のっちゃえ!

 あたしはポニーをつないである縄を解いた。

「大丈夫よ!」

あたしは叫んだ。

 ポニーはあたしの馬だもん。前に一度鞍なしで乗ったこともあるし……小馬の時だったけど。

 あたしはポニーのたてがみをつかんで、思いきり飛び上がった。

 うわっ!

 でもなんとか乗れたみたい。

「待ってて、フロウ、お兄ちゃん!」

「ティア、危ない!」

ええ?わあ。来る!

 あたしは夢中でポニーの横腹を蹴った。ポニーはいななくと急に駆け出した。

「きゃああああ」

あたしはポニーにしがみつく。

「追え、あの馬を追え!」

そんな声が聞こえるけど……

 あたしはポニーの首にしがみついたまま目をつぶって走り続けた。

 の、乗り心地がとても悪い……

「ちょ、ちょっとゆっくり走ってよ!」

あたしが叫ぶとそれが分かったのかポニーは少しゆっくりになった。さすがあたしの馬よ!

 そうっと頭を上げてみる。

 後ろからは……まだ来ない。ああ、よかった……でも、とにかく急がなくちゃ!

 でもどうやって行こう!この先道が二股になってるけど……来た道を引き返すのはなんとなく危ない気がするし……そうだわ。東回りで行こう。月の湖の東を回って、霧の湿地を通って行けば距離も近いし。

 でも途中に暗い森があるわ。あそこは道が悪いけど……ええ?きゃあ、来たわ!追っかけてきた!もう考えてなんていられないわ!

 後ろから馬が三頭やってくる!あっちは鞍付きだし、乗り手も男だから速い。

「ポニー、急いで!」

あたしは叫んだ。またポニーが駆け出した。

 あたしは振り落とされないように、またポニーにしがみついた。

 空にはもうセイシェルの星が上がっているから、来たときほど暗くない。森の中の道がぼうっと浮き上がって見える。

 あたしたちは暗い森に入った。

 追っ手はどんどん間をつめてくる。やだ、いやよ、捕まるなんて……こんな所で!

「ポニー、急いで!」

でも道が悪いので、そんなに急げない。ああ、どうしよう……

 その時向こうに休み岩が見えた。

 これはお兄ちゃんとあたしで名前をつけたところで、この向こうにちょっとした小川が流れている。ここでよくお弁当を食べたんだけど……その川を跳び越えるのはちょっと難しいけど……ええい、やっちゃえ!

 あたしはタイミングを数えて、

「ポニー、さあ、さあ、今よ、跳んで!」

叫んだ。ポニーは一気に川を跳び越えた。

「きゃあああああ」

結構幅が広いんで落っこちそうになったけど、何とか持ちこたえた。ああ、良かった……

 その時後ろで悲鳴が聞こえた。どうしたのかしら?ああ!やったわ!一頭あそこでこけてるわ!

 いい気味!そうよねえ。知らなかったらあのジャンプは難しいわよ。

 と思った瞬間、背筋が寒くなる。よく跳んだわねえ、あそこ……

 なんて考える暇もない。もう二頭がやってくる。うう、残念。みんなこけちゃえばよかったのに!

 でもこのせいでまたずいぶんリードを広げることができた。

「ポニー、ポニー、がんばって!」

あたしは何度もそう叫んだ。

 そしてあたしたちはさらに追っかけっこを続けた。

 あたしはポニーの背中にまるで小判ザメのようにへばりついている。ちょっとでも気を抜いたらすぐに落ちそう。

 ああ、フロウ、お兄ちゃん!

 もしあたしが行かなければ……

 不気味な光景が浮かび上がる。それはどこか知らないところ。見たことのない場所。前がよく見えない。ただ分かるのは赤いってこと。真っ赤。どこもかしこも真っ赤。地面はどろどろ。その間を何かが流れる。小川のように。真っ赤な血が……転がっている三つの屍から……

「いやよ!」

あたしは叫びながら、ポニーにしがみつく。冗談じゃないわ!そんなこと、そんなことになったら……

 お兄ちゃん!フロウ!ムート!がんばって!あたしすぐいくから!

 そのとき向こう側が少し明るくなった。

「抜けたわ!」

森の向こうには霧の湿原が広がっている。

「やだ、霧が出てる!」

ここはまだそんなに濃くないけど、行く手の方は良く見えない。ここは名に違わずよく霧が出て、そうなると広いから方向感覚が狂っちゃう。

 ああ、どうしよう……道は覚えてるけど、霧にまかれちゃったら……

 でもそんなこと今は考えてられない。

 追手がまた迫って来る。広く見通しが良くなったので、後ろは全速力で駆けてくる。こっちはこれ以上スピードが出ないわよ。それに道は曲がりくねってきたし、滑りやすいし……

 ああ、どうしよう、絶体絶命よ。このままじゃつかまっちゃうわ!

「ポニー、がんばって!」

あたしは祈るように走り続けた。

「ああ、神様、どうかお助け下さい!こんな時しかお祈りしないのを許して下さい!でも、あたしが行かないとフロウが殺されちゃうんです!」

こんな横着なお祈りなんて神様聞いてくれないわよ……でも……

「ああ、大皇様、白の女王様、お願いです。聞いてくれたら何でもします。もうわがままいいません。あたしどうなってもいいからフロウとお兄ちゃんとムートを助けて!」

そう祈りながらあたしとポニーが草原を疾走する。といってもますます道がくねってきた。でも下手なことしたら……

 振り向くと……きゃあ、やだ!

「さ、先回り?!」

この先道が大きくカーブしていて、後ろの二頭はあたしの前に出ようと横にそれて直進している。

 あたしは愕然とした。

 な、なんてことなの?これじゃ、まるで……まるで……こ、こんなお祈りが通じるなんて…

 だって……どうしてこんなにぐねぐねと道がついているかっていうと……

「うわああああああ」

叫び声が聞こえる。

「やーい、ばかばか!」

「このやろう!」

霧の『湿地』っていうのは伊達じゃないのよ。何もない草原に見えるけど、馬なんかで入り込んだりしたら沈んじゃうわよ!

 後ろから罵声が聞こえる。でももうそれは何の役にも立たない。

 そんなにもがいてもしょうがないわよ!悪人の定めよ!

「きゃははははははは」

笑いがこみ上げてきた。

 あたしはしばらく笑いながら疾走した。こんなとこ人にみられたらなんて思われるかしら。暗い草原を馬鹿笑いしながら裸馬に乗って疾走する娘……悪魔と間違えられるんじゃないの?

 結構じゃないの!みんなが助かるなら悪魔にだって何にだってなってやるわよ!

 そう思うとますます笑いがこみ上げる。

 ああ、やったわ!

 ほっとしたとたんにどっと疲れが出てきた。

 こ、こんな所で疲れてなんかいられないわよ!

 それに、霧が濃くなってきた!笑ってなんかいられない。

「ああ、どうしよう!」

この先広い草原になっていて、霧にまかれたら方向が分からなくなる。

 ど、どっちかしら?ああ、間違ってないでしょうねえ。

 霧はますます濃くなってきた。そしてついに何も見えなくなった。

 笑いは急速にしぼんで、逆に恐怖がこみあげてきた……

「ちょっと、ポニー、ゆっくりと行って!」

ポニーは早足になった。

 回りはもう真っ暗で何も分からない。ほんの近くだけが辛うじて見えるだけ。

 こんなこと……ひどいわ。せっかく追手を振り切ったのに!

 あたしは無我夢中でポニーを走らせる。でも、景色は何も変わらない。なんだか同じ所をぐるぐる回ってる気がして来た。

 えーん、どうしよう……

 背筋が冷たくなってきた。こんな所で湿地にはまっちゃったら……さっきの悪人の二の舞じゃないの……そしたらもう二度とフロウには会えない!

「そんなのいやよ!」

ああ、どうにかしなくちゃ……

 でも、湿地には行ってないみたい。道が段々上り坂になってきた。

 ええ?こんな所あったかしら?上り坂なんて……それにここ道じゃないわよ!

 今までは踏み跡をたどっていたのに、今ではそれがない。丈の高い草の生えた草原の中だ。ということは……ああ、迷っちゃった!

「ポニー、止まって!」

あたしがたてがみを引っ張ると、ポニーは止まった。

 あたしはあたりを見回した。

 あたしたちはどこかの斜面に立っている。何も見えない。暗い。風も出てきた……

「ここ、どこ?」

わからない。こんな所あったかしら……見通しさえ良ければ分かるのに……ど、どうしよう……こんな時お兄ちゃんどうしろって言ったっけ……

 ええと……下手に動かずに霧が晴れるのをまて、だったわよねえ。

 それじゃ困るじゃないの!

 そりゃあたしは助かるけど……フロウ、フロウ!

 行こうか、それとも戻ろうか……横に行くって方法もあるし……ああ…… 泣きたい……でも……

 思考が停止してしまった。

 戻ろうかしら。でも……今ではどっちから来たのかさえよく分からない。坂の下の方からきたと思うんだけど……真下からだったかしら……ちょっとずれたらもう……でも前に行ったって……

 頭の中は、前、後ろ、前、後ろ、という言葉が循環しているだけ。どっちが……

 ああ!どうしよう!



「行くぞ!」

「はい!」

俺とフロウは窓から飛び降りた。

「うわっ!」

地面が結構固い。

「フロウ大丈夫か?」

「大丈夫です」

「こっちだ!」

俺は家の裏手の森の方に走った。裏手はちょっと広場のようになっているが、すぐに森にいきつく。

 森の端につくとふりかえる。フロウも来ている。こういう場合育ちが育ちなだけに都合がいい。

「動けるか?」

「ええ」

ドレスで動かなきゃならないのはハンデだが、このドレスは結構動き易くできているから、そこまではないだろう、が……

「ああ、やってきます!」

俺達の飛び降りた窓からばらばらと人が飛び降りてくる。

「フロウ……」

逃げろと言おうとしたが、フロウはすでに弓に矢をつがえていた。

 びゅん。

 弦がなる。とたんに一人が倒れる。

 へえ、うまいなあ。話半分じゃないんだ。この夜中に動く標的を一発でねえ。

 びゅん。また一人が倒れる。

 相手の動きが止まった。

「隠れろ、弓だ!」

誰かが叫んでいる。

 フロウは三発目を射った。また一人。

「横だ、横から行け!」

そろそろ潮時だな。

「フロウ!」

「ええ」

俺達は森の奥に逃げ込んだ。

 森の中は暗くて歩きにくい。すぐにつまづきそうになる。でも、だからといってのんびり歩いてはいられない。

 俺達はほとんど手探りで、それでも前へ前へと進んだ。

 フロウの矢づつががたがたなる。うるさいなあ。これじゃ場所を教えてるようなものだぞ。

 ああ、狩の角笛がくっついたままだ。しょうがないなあ。

「フロウ、それはずせないか?」

「ええ?」

「その角笛、邪魔だろう」

「そうですか?」

「そう思うけど……」

「でも、これは必要です」

そうかなあ。まあとにかく……わわわ。

「来ました!」

後ろの方にかがり火が見える。一つ二つ三つ……五つだ。あとどの位いるんだ?俺達だけにえらく大層なご挨拶だ。やめてほしいねえ。

 俺達は前に急ぐ。だが、明りがないぶん動きが遅い。距離が段々縮まってくる。

 でも、犬がいないだけましだな。こんな時に犬がいたらほとんどおしまいだ。いないせいで何とか距離を保っていられる。あっちも俺達が見えないから大体の勘で追いかけいるだろうから……一直線に来られたらそれこそすぐだ。

 はあ、はあ、はあ。

 フロウが喘ぎだした。荒い息づかいがこっちまで伝わってくる。こっちもいい加減疲れてきた。

 だが休むわけにはいかない。かがり火は俺達をずっとつけてくる。この森は谷沿いにあるので行く方向が限られているのが問題だ。両方の斜面は段々急になって、そのうち登れなくなる。そうなったら袋の鼠だ。とにかく谷を遡る方向に行くしかないが……

 どこかに身を隠そうか?そうしてやりすごせば何とかなるかもしれないが……だが見つかったら終わりだ。それに最初はうまくやり過ごしても、結果的に包囲されてしまうようなことになる。やっぱり前へ行くしかないか……

「げ、しまった!」

川ぞいの道から回り込まれそうだ!右の方にかがり火が見える!あっちの方が当然速く上に上がれるから……このままじゃ……

「フィン!」

「ええ?」

「右手からも」

「知ってる。どうやらこの辺をよく知っている奴がいるらしい」

「どうするのです?」

「とにかく行くしかない」

だがそう言ったものの、足元はますます悪くなってきた。だいたいこの道はほとんど獣道だから、人間向きにできていないのだ。

「あっ」

フロウがうめきをあげた。

「どうした」

「なんでも……あつっ」

「ちょっと見せて」

ああ、怪我をしている。この靴じゃしょうがないよなあ。でも……

「歩けるか?」

「ええ」

「俺の肩につかまれ」

「……ええ」

俺達はまた歩き出した。だがスピードはますます遅くなってくる。

「すみません」

「謝ることはない。とにかくがんばるんだ」

だが……かがり火はとうとう前の方に見えてきた。

「ちくしょう、このままじゃ囲まれる!」

「フィン……」

「上だ!仕方がない」

俺は左に曲がった。薮がうるさくなってきた。だがこの方向しかもういけない。左手の尾根に登って行くしか……だがこの辺の山は厳しい。そう簡単に上に行けるかどうか……でも今はこっちしかない。

 フロウの喘ぎが、肩につかまっている手を通して伝わってくる。こんな目にあったことないだろうから辛いだろうなあ。それは俺も同じだ。でもここで俺がそんなことを言い出したら、ますますフロウは弱ってしまうだろう。

 道が急に登り坂になった。道と言っても薮の少ないところを漕ぎながら歩いているだけだ。

 はあ、はあ。

 登り坂になったら俺も急に息が切れてきた。

 普通だったらこの辺で休憩なんだがなあ……なんて言っていられないよ。

 その時急に森が切れた。

 森の外は暗さになれた目にとっては昼のように明るく見えた。セイシェルの星が出ている。これは好都合。だがあっちにとってもそうだろう。

 俺達のいるのはちょっとした尾根の中腹だった。

「追手は?」

「見えないようです」

「あそこでちょっと休もう」

俺とフロウは近くの岩蔭に腰を下ろした。もちろん森の方には常に注意を払いながら。

 俺もフロウも大きく息をはずませている。

「はあ、はあ、フロウ、足を見せて」

俺は答えを待たずにフロウの靴を脱がせて、足をむき出しにした。

「ああ、こりゃひどい」

岩で切ったかどうかしたんだろう。すねの所に大きな傷口が開いている。この服じゃ危ないよなあ。

「あそこでつまづいたときに……」

「出血がひどいな」

俺はハンカチを取り出すと傷口を縛った。本当なら消毒したいのだが、この際仕方がない。どうせ化膿する前に死んでいるか、都に戻っているかのどっちかだ。

「ああ、きれいな足が台無しだよ」

「フィン……」

笑う元気もないようだ。でもフロウはかすかに微笑んだようだ。

 ああ、これがこんな時じゃなかったら……

「痛みは?」

「少し……でも行けます」

「とにかくもう少しがんばるんだ」

「ええ、フィン……」

もう少しがんばったところでどうなるという保証もないが、もしティアが行き着けたなら何とかなるかも……

「ティア……どうしてるんでしょう……」

「今となってはあいつが頼みだ」

「捕まってなければいいけど……」

「大丈夫だよ。あいつは悪運は強いから。絶対行き着くさ」

「ええ、そうですね」

「じゃあ、行こうか。そろそろ奴らがくるぞ」

「ええ」

フロウは立ち上がったが、明らかに弱っている。俺だって足ががくがくする。でももしここで力つきたら……ティアにそれにムートに申し訳が立たない。ああ、ムートはどうなってしまったんだろう……あそこであのまま……

 冗談じゃない!

 でもあれが俺達の運命なんだろうか……

「フィン、フィン!」

「え、ああ」

そういうことは後だ。いまは、さあ、行くぞ!

 俺達は歩き始めた。

 だが少し行ったところで、俺達は立ち止まらざるをえなかった。

「ぎゃ、これは……」

「行けませんね」

俺達の前は急な絶壁になっている。いくらなんでもこれを登るなんて……

 だが……

「ああ、光が……」

ええ?

 見ると、かがり火らしきものがこっちにやってくるのが見える。くそう、ちょっと休みすぎたか……

「畜生!」

これで終わりかよ!

 俺は崩れそうになった。

「フィン!」

フロウが弱々しくつぶやく……

 ここは行き止まりで、戻る方向は一方向だ。そこには今かがり火がともっている……

 ああ、なんて事だ……短い人生だったなあ……こんな所で果てるなんて考えてもいなかったよ……

だけど……だけど……