おわりに
ここまで読んで頂いていかがだったでしょうか。
邪馬壹國について語る場合、魏志倭人伝の原文のなにが間違っているかを仮定することが議論の出発点になります。
本書の場合、筆者がおいた仮定は基本的に最初の一律誇張だけで、残りの部分に―――例えばここの経路については魏使が方向を間違えた、などの恣意的な仮定はいっさい入れていません。
そして向きや比率はそのままでサイズだけを変えた経路をなぞっていったら、行きついた先には女王がいたとも考えられる特大の弥生集落があったわけです。
またこのような“解”があるのが倍率“10倍”といった異常にキリのいい数のときだけで、これは倭人伝の距離が人為的に改竄されている証拠だと考えられます。
以上より、この「熊本市南部地域が邪馬壹國の非常に有力な候補地である」ということは納得していただけるかと思います。
ただ、そこから描き出される邪馬壹國の実像は、邪馬壹國が古代の大和朝廷だったと考えていた人にとっては少々残念なものだったかもしれません。
しかし歴史的事実というのは得てしてそういうものです。例えばあの聖徳太子でさえ最近では虚構であるとして教科書にも載らなくなってきているそうですが、事実が明らかになることでそれまでの幻想が破られてしまうことがあるのは避けられません。
その代わりにこれまでは見えなかった、弥生を生きた先達の真の姿が見えてくるのだとしたら、それは彼らにとっても、そして私たちにとっても遥かに喜ばしいことだと思います。
2015年2月
邪馬台国への道 完
2020年11月 Web公開