読書コーナー;戦う独創の雄へ
さて、本日2000年9月8日にこの本を久しぶりに目にする機会を得ました。あらためて読んでみると、以下の章が印象深いものでした。考え抜くというのは大変なエネルギーを必要とします。
闘う独創の雄 西澤潤一、著者・渋谷寿1999年
第8章 峻厳で強靭な異色の学者
○とことん考えるということ
西澤の教育方針の一つに自分で考えるよう頭を鍛える、そのためには精神を強くしなければならないという、他ではあまりみられない独特な精神論的教育観があった。それを、研究室のメンバーに徹底して教え込もうとした。
精神の強さということに関しては、つぎのようなエピソードもある。
ある会合で久しぶりに西澤に会った研究室出身の卒業生が、西澤にあいさつしたところ「君は晩酌をやっているのか」と聞かれ、「はい毎日やってます」と答え、怒られたという。「酒を飲んでしまえば、その日はそれでお終いになる。もっときっちり、やることをやらなくてはいけない」というのが西澤の説教であった。
酒を飲むなとは言っていないが、要は本人がけじめをつけることができるか、そのような精神の強さを持っているか、というのが西澤の言いたかったことなのである。
語を戻すと、西澤の自分の頭でとことん考えるということは、いわば"無"になるまで考え抜くということであって、そうすれば、一見バラバラにみえる事象も、その本質はすべて整合性があって、お互いの関連性がみえてくるというのだ。
そこまで考えを深めないと、実験で得られる一見何でもないようなデーターの中から、おかしい点や矛盾を見つけることは難しく、また新しい発見に結びつけていくこともできないというのが、西澤の到達した心境であった。
哲学的とも思えるこのような深い思考は、旧制高等学校時代に山合った宗教への関心、特に禅宗や浄土真宗への接近、魅かれて読んだ二―チエやキルケゴールなどの懐疑的思想を通し、思春期での透徹した思索が影響しているともみられるが、とことん考えるということでは、「こんなに頭を酷使する人を見たことがない」とまで言われるほどの徹底ぶりであったという。このようなところから・西澤を完全主義者という人もいるが、要するに徹底していいかげんでないのだ。
とことん考えるということは、分子生物学で一九八七年度ノーベル生理学.医学賞を受賞した利根川進も同じような考えを述べている。
利根川はサイエンスは秀でた天分だけでは不十分であるとして、「…そうやって、四六時中そのことを集中して考えていると、同じものを見ても、それまで見えてこなかったものが見えてきたりするのです。やっぱり、普通に見ただけで見えるものと、インテンス(熱心)に見たときにやっと見えてくるものがあるんです」と集中して考え抜く大事さを強調している。(立花隆.利根川進『精神と物質』
実験の結果やデー夕を徹底して見つめ、推敲を繰り返した中から、新しい発見や発明が生まれるのではないかという示唆である。利根川の場合は、その集中カと粘着力のすごさを指摘する人がいるが、科学者の認識として、その研究態度に共通した姿勢があるのは、やはり見逃せない。いずれにしても、教育とか学習ということについて、西澤の考えは、難しいことを覚えるよりも、あるいは沢山の知識を習得するよりも、基本的なこと、基礎的な学問・知識をしっかりと身につけることが、大事であると常々力説した。そのうえで、出合った事象については、とことん考えるという教えで、徹底するという意味では、西澤のことばを借りると、正に愚直一徹ということであった。