現代科学をどうとらえるか;坂本賢三、講談社現代新書、1978.1.20、370円
著者;1931年神戸生れ、1953年阪大物理学科卒、現在、神戸商船大学教授、専攻;哲学・科学思想史・技術史
著書;機械の現象学(岩波)、技術論序説(合同出版)
はしがき
1.科学者にとっての科学
2.非科学者にとっての科学
3.われわれにとっての科学
4.歴史における科学
5.日本にとっての科学
6.科学の将来
5.日本にとっての科学
○日本語での科学;
日本の科学の大きな特徴は、それが日本語で営まれていることである。
○日本にも科学はあった;
scienceという言葉を近代科学にかぎって使うのはイギリスでも20世紀後半の傾向で、現代用法にちがいないが、本来scienceは「知」にほかならないのであり、その区別をきちんとしておかないと、「近代科学」を批判するつもりで「知」そのものを廃棄する結果になってしまう。
○外来思想・文化の受入れ方;
○寛容・不寛容と政治
○日本的受容と化生論的解釈
○江戸以来の態度
中世末期にはじまり江戸時代に完成したのが分業体制である。異質的なものに、それぞれ所をえさせようとする態度である。神道には現世利益祈願の役割を持たせ、仏教には来世の救いの機能を、儒教には政治理念としての任務を、という風にそれぞれの思想に「分限」を持たせるのである。本居宣長はこれを日本固有の神道の特質であるとみた。
○やまとだましひと和魂洋才
○技術と結び付いていた科学の導入
幕末に受入れられた西洋科学は、医学・兵学・航海学・機関学・舎密学(化学)を含めすべて実学であり技術であって、手段とするにふさわしいかたちになっていたのであった。ミルンやユーイングなどのお傭い外国人として来日した最初の物理学教師たちは、故国を遠く離れていわば研究の第一線から離れて僻地に赴任したのであるが、優秀な科学者たちで、日本でもできる研究、いな日本でしか出来ない研究として地震の研究をはじめたのであった。初期の学生たち、田中館愛橘や田中正平たちはその研究の手伝いをすることから物理学研究に入った。田中正平は振動の研究から音響学・電気学へ進み、田中館愛橘は地磁気の測定から地球物理学へ進んだ。田中館の弟子はそれを引き継いで、一緒に実験などしていた長岡半太郎は磁気学の研究から原子物理学に進み、本多光太郎は金属の磁性の研究からKS鋼という永久磁石鋼の発明に到る金属学の研究に入った。この長岡から仁科芳雄を経て湯川秀樹や朝永振一郎らの理論物理学の成果も出てきたのである。
○科学の自己目的化
○科学にとっての日本
感想;
相当に古い本であり、現在の科学の流れから見ると古色蒼然という部分もなきにしもあらずであるが「5.日本にとっての科学」は、その光を失っていない。