プロパテント・ウォーズ
文春新書680円+税 平成12年5月20日第1刷
著者;上山明博(うえやまあきひろ)
感想;まさに適宜を得た、大変に内容のある本でした。この著者は、科学分野では将来名をなすジャーナリストになるかと思えます。
国際特許戦争の舞台裏<特許を制する国が経済を制する>
創造と略奪、独占と公開、勝者と敗者。特許政策の巧拙が一国の明暗を分ける。「好むと好まざるとにかかわらず、いま私たちはプロパテント時代を生きている。果たして、「独占」と「革新」は両立するのか?そしてプロパテント時代における傾向と対策とは何か?特許をめぐる事件を検証し、国際特許戦争の舞台裏を明かす本書が、その答えの糸口なりとも見いだすきっかけとなれば幸いである。(序章より)
著者;上山明博(うえやまあきひろ)、1955年生まれ、ノンフィクション作家・科学ジャーナリスト。1999年、特許庁工業所有権教育用副読本策定普及委員会委員を務める。著書に『科学を愛したサル』『アトムの時代』『ビジュアル・テレコミュ一二ケーション入門』編共著に『シュレディシガーの猫がいっぱい』『オリジナリティを訪ねてTU』『理科系の脳みそ』などがある。
序章 いまなぜ特許が問題なのか……9
T.誰のための特許か?;「プロパテント」時代の幕開け;日本経済再生のための、見えない戦略資源とは
U.真の発明者は誰だ? ;発明をしなかった発明実業家、特許の歴史は、「創造と略奪」の歴史である
V.「独占」と「革新」は両立するか?;特許舗度とは、「知的創造サイクル」の加速器である
第T章 特許制度の誕生一「独占」と「革新」は両立するか?
T.ルネッサンスに誕生した特許制度とガリレオの懇願;世界で最初に特許制度を公布したヴェネチア共和国では、 特許制度の意義を正しく言い当てたガリレオの名セリフ、ガリレオが特許を懇願した発明とは、ガリレオか、レオナルドか、それともアルキメデスか?、市場独占が社会貢献になるわけ
U.イギリス産業革命の原動力となった近代特許制度;特許(パテント)のルーツ、エリザベス女王とダーシー・トランプ事件の顛末、「専売条例」誕生の舞台裏、産業革命の原動力、
V.リンカーン大統領と発明王エジソン;アメリカ合衆国憲法に謳われていたプロパテントの精神、天才の火に油を注いだリンカーン大統領、プロパテント戦略が北軍に勝利をもたらした、電球殿堂入り発明家名簿、その末席にエジソンの名が…、エジソンとスワンの電球合戦、1パーセントのひらめきと、九九パーセントの汗
第2章 日米特許戦争の勝者と敗者、真の発明者は誰だ?
T.日本人と特許権;福沢諭吉がはじめて見た特許制度とは、不平等条約解消のために生まれた日本の特許法、少年発明家・安藤博と産業の神様・松下幸之助、特許解放の義士、幸之助の決断
U.日米特許戦争の勃発;日米特許戦争はこうしてはじまった、アメリカ法廷の舞台裏で、日本製電球特許事件の真相
V.光ファイバ特許事件の衝撃;第二次プロパテント時代の幕開け、光ファイバの「生みの親」と「育ての親」、住友電工の抗弁と、アメリカ法廷の判断、プロパテント政策を実現する「均等論」をめぐって
第3章 プロパテント時代の傾向と対策―誰のための特許か?…123
T.アメリカのプロパテント政策の真意;世界を変えた一冊のレポート、二国間交渉とスペシャル三〇一条の威力、世界にプロパテント時代の到来を告げたTRIPS協定、アメリカの経済再生に貢献した「バイ・ドール法」と「TOL」
U.潜水艦特許と物質特許の波紋;特許ハーモナイゼーションのゆくえ、先願主義と先発明主義の矛盾、アメリカ特許戦略の秘密兵器、潜水艦特許、物質特許の「天然物説」と「産業政策説」
V.ソフト特許問題とバイオ特許問題の論点;アンチパテント時代からプロパテント時代へ、そして・・・、コンピュータ・ソフトは著作物か発明品か?、遺伝子組み換え技術を発明したコーエン博士とスタンフォード大学の対立、「遺伝子導入ねずみ」という名の発明品、二十一世紀の遺伝子王をめざして、自然法則と応用技術のあいだあとがき 二十一世紀の、プロパテント時代を生きぬくために……………193
付録;出願の手引き、特許の歴史、主な参考文献
<抜粋>
T.アメリカのプロパテント政策の真意
<世界を変えた一冊のレポート>
アメリカが特許重視政策(Pro-patent Policy)を打ちだした理由は、一九八○年代のアメリカ経済の低迷にある。二十世紀はアメリカの時代である。なかんずく第二次世界大戦以降、アメリカはその技術力と経済力を背景に、世界のリーダーでありつづけた。ところが一九八○年代に入ると、日本や東南アジアの国々が急速に経済発展をつづけるなか、世界市場におけるアメリカのシェアはしだいに落ち込み、貿易収支は赤字に転じた。ひるがえって一九八○年代初頭、産業のコメといわれたICを中心とするハイテク分野において、アメリカは年間二七〇億ドルの貿易黒字であった。しかしその後、年々黒字額は激減し、一九八六年には三〇億ドルの赤字となった。しかも、カラーテレビや携帯電話などの機器から、半導体メモリーの部品に至るまで、ほとんどのハイテク製品はアメリカで発明されたものだ。アメリカで誕生したこれらの技術が、日本や韓国、台湾などの新興工業国の追随を許し、市場を奪われることになったのである。
いっぽうアメリカ国内では、メーカー離れが急速に進展した。工場で油まみれになって働くことが敬遠されるようになる反面、ウォール街を中心に多様なマネーゲームがブームとなり、企業は合弁や買収(M&A一で利ザヤを稼ぐことがビジネスの主流となる。こうした傾向はアメリカの産業競争力の低下に拍車をかけ、さらに深刻な状態になることが懸念された。この状況を危慎したときのロナルド・レーガン大統領は、一九八三年六月、「産業競争力に関する大統領顧問委員会」を設置。委員長には、当時ヒューレット・パッカード社社長だったジョー・ヤングが就任した。一年半におよぶ級密な調査研究を経て、一九八五年一月、ヤング委員長は、「国際競争力と新たな現実」と題する報告書を、レーガン大統領に提出する。これが世にいう「ヤング・レポート」である。
アメリカ産業の国際競争力を高めるために、各種の施策を示したヤング・レポート。その報告書は、次の五項目から成っている。それは、「一.研究開発の促進と製造技術の向上」、「二・産業界への資金の円滑な投入」、「三・教育研修を通じての人材の育成」、「四・輸出拡大を目指した通商政策の策定」、「五・国家レベルでのベンチャー企業の推進」である。ヤング・レポートの提言は、アメリカ産業の国際競争力を再生させるためには、特許を中心とした工業所有権の保護を強化しなければならないという、一貫した主張がつらぬかれている。
また同レポートは、現行の工業所有権制度の問題点として、次の点を指摘している。まず、アメリカ国内においては、二十一世紀産業と目されるコンピュータソフトウェアやバイオテクノロジー分野での保護が、いまだ十分ではないこと。いっぽうアメリカ以外の国においては、アメリカ人の特許権が不当に扱われていること。および保護の範囲が極めて狭いこと。加えてレポートは、結論として具体的な勧告をおこなっている。その内容を整理すると、およそ次のとおりである。
一、 工業所有権の保護・強化に向けて、特許法などアメリカ国内の所要の制度改正をおこなうこと。
二、 特許制度の運用に当たっては、均等論の幅広い適用や損害賠償額の算定方法の見直しなどを含めて大幅に変更すること。
三、 アメリカ以外の各国に対して工業所有権が確実に保護されるように、通商法三〇一条を武器とした二国間交渉をおこなうこと。
四、 GATTなどの多国間交渉の場を活用して、知的所有権制度の確立および充実を働きかけること。
今日のアメリカのプロパテント政策は、このヤング・レポートの勧告を忠実に実行したものだ。事実、ヤング・レポートの提出後、レーガン大統領は、これまでの自由競争社会を維持する政策から、保護主義的色彩の濃い政策へと一変する。
ヤング・レポートの提出から八カ月後の一九八五年九月、レーガン大統領は「通商政策アクションプログラム」を発表した。それは、その三年後に発効し、多くの国々にとって脅威となった「包括通商競争力法」(包括貿易法)の成立を強く示唆するものであった。さらに、一九八七年の年頭教書演説で、レーガン大統領は、アメリカの産業競争力を二十一世紀に向けて確保することの必要性を国民に強く訴え、その具体策として、工業所有権の保護・強化の方針を打ちだした。その教書演説で示された政策の中身は、ヤング・レポートの勧告内容とまったく同じものだったのである。
ヤング・レポートには、二つの大きなねらいがあると思われる。国際競争力を失ったアメリカ産業が、たとえ厳しいリストラ集を講じたとしても、コスト削減などの効果はすぐには期待できない。それに比べて、特許をはじめとする工業所有権は、いわば過去の研究成果であり、日本をはじめとする新興工業国の主力製品のほとんどは、かつてアメリカで発明されたものだ。ならば、過去のアメリカの知的財産を保護・強化することで、アメリカが圧倒的に有利な基本特許を、貿易品目の新たな柱に位置づけよう……というねらいがあったと思われるのである。
もうひとつのねらいは、現在、アメリカが得意とする技術分野を、特許によって手厚く保護し、未来市場におけるアメリカの優位性を確保することにある。その分野とは、コンピュータソフトウェアとバイオテクノロジーである。こうしたプロパテント政策は、アメリカ国内にとどまらず、世界各国でおこなわれる必要がある。そのためにヤング・レポートでは、アメリカの知的財産が世界各国で十分に保護されるよう、新興工業国や発展途上国に、二国間交渉や関税貿易一般協定(GATT)など、あらゆる機会をとおして、知的所有権制度の保護・強化を強く迫ることが求められていた。
今日のアメリカのプロパテント政策は、一冊のヤング・レポートからはじまった。そして、以後の大統領は、そのレポートに示された勧告を忠実に実行していった。では、どのように実行していったのか、それを次に見てみることにしよう。
<二国間交渉とスペシャル三〇一条の威力>
二国問交渉を成功させるためには、「通商法三〇一条」が有効である、とヤング・レポートは指摘する。一九七四年に改正成立した通商法三〇一条は、貿易に関する不公正で差別的な外国の政策および慣行を調査し、必要であれば、「報復関税」「輸入規制」「特恵関税適用の停止」などの対抗処置をとることを規定している。
同条の唯一の目的は、アメリカの国益を守ることにある。そこには、何が「不公正」で、何を「差別的」と見なすかについての規定はない。あくまでアメリカから見て、相手国が市場を開放しているかどうかで、決定されるのである。工業所有権の保護・強化を二国問交渉でおこなうために、有効な武器とされた通商法三〇一条。それは、アメリカの主張を受け入れなければ、輸入規制および輸入停止も辞さないというもので、実質的には交渉ではなく、恫喝ともいえるものであった。しかもこの通商法は、一九八八年には「包括通商競争力法」に改正され、「スーパー三〇一条」や「スペシャル三〇一条」を含む、より強力な武器として生まれ変わるのである。
包括通商競争力法(Omnibus Trade and Competitiveness Act of
1988)は、日本では「包括通商貿易法」あるいは、たんに「包括通商法」と呼ばれる。この法律には、かつてアメリカが優位性を誇った技術力を、現在の産業競争力の優位性につなげるためには、プロパテント政策を強力に推進しなければならないという、アメリカ政府の強い意志がうかがえる。
知的所有権の保護を頼りとするアメリカ国民は、世界でもっとも進み、それゆえ、もっとも高い競争力を備えている。(1988年「包括通商競争力法」より) (略)
(アメリカの産業競争力向上をはかる目的で提案された、一冊のヤング・レポート。このヤング・レポートにはじまったアメリカのプロパテント政策は、レポート提出から十五年後の二〇〇〇年、世界をまさに本格的なプロパテント時代に突入させたのである。
<アメリカの経済再生に貢献した「パイ・ドール法」と「TOL」>
アメリカ国内において特許法の改正や均等論の適用をいち早くおこない、さらに二国間交渉や多国間交渉などによってTRIPS協定を成立させたいま、アメリカは、すでにヤング・レポートに示された勧告内容をすべて実現させたことになる。この間、バブル経済の破綻によって日本の産業界は低迷し、またアジアは金融危機に遭遇した。そのため、多くの新興工業国の産業力はかつての勢いを失い、アメリカにとっての脅威はほとんどなくなった。いっぽう、これまで見てきたように、プロパテント政策の徹底と、技術力の優位性を回復したアメリカは、一九八○年代の巨額の貿易赤字から脱し、にわかに活況を呈している。
アメリカ経済が再生した大きな理由のひとつに、ヤング・レポートの提出の五年前、アメリカ経済が最悪期にあった一九八○年に成立した、バイ・ドール法が挙げられる。ヤング・レポートには、これまでに紹介した一連の通商政策のほかに、研究開発や人材育成、ベンチャー企業の推進が含まれているが、すでにその布石をバイ・ドール法に見ることができる。従来は、政府の援助のもとで大学などでおこなわれていた研究の成果は、政府の知的財産となっていた。これを改めたのがバイ・ドール法で、これによって、大学などで誕生した新技術の権利は、当の大学に与えられることになったのだ。バイ・ドール法は、こうして大学の特許マインドを向上させ、研究者がベンチャービジネスを起こすことなどによって、特許の実用化を効率よく促進するねらいがあった。バイ・ドール法の成立は、ただちにアメリカ経済の再生に大きな効果をもたらした。大学で誕生した基本特許が企業にライセンス供与され、新たな産業として発展した事例が次々に現われたのである。たとえば、今日注目を集めるバイオテクノロジーは、カリフォルニア大学のボイヤー教授とスタンフォード大学のコーエン教授が遺伝子組み換え技術を確立し、一九八○年に特許化したことにはじまったものだ。また、インターネット閲覧ソフトの原型となったモザイクや、マイりスククロプロセッサーRISCなども、もともとはアメリカの大学の研究室で誕生したものである。
もっとも、バイ・ドール法が法制化されだとはいっても、大学で誕生した最先端技術を企業化するには、まだまだ数多くの問題が残されていた。そこでアメリカの大学では、バイ・ドール法を効果的に活用するための、あるシステムがとられたのである。それは、技術移転機構(TLO)である。
「TOL」は、Technology Licensing Organizationの略で、日本では一般に「技術移転機構」と訳されている。このTLOは、カリフォルニア大学やスタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学など、ベンチャー企業を次々と生み出している多くの理工系大学に導入され、新規産業の創出と産業の活性化に大きく貢献したといわれている。TLOの最大の役割は、大学がもつ最先端技術の特許を民間企業にライセンスすることにある。それによって大学は、特許を使用した企業から使用料(ロイヤリティ)を徴収し、ロイヤリティは一定の割合で研究者と研究者が所属する学部・学科などに配分され、新たな研究開発費などに還元されるのだ。こうした大学からの技術移転による経済活性化と雇用創出についての経済効果を、大学などが調査をおこない、その分析結果がまとめられている。その推計によれば、一九九〇年代はじめに、大学の技術移転によって事業化段階で年間二〇億から五〇億ドルの投資がなされ、一九九三年に、約一七〇億ドルの製品売上と約十四万人の雇用を創出したとされている。ちなみに、一七〇億ドルの売上は、ソニーやシャープの売上高に相当し、十四万人の雇用は、NECやモトローラと匹敵する規模の企業が新たに生み出されたことを意味する。さらに、
一九九七年には、約ニ八七億ドルの売上と約二十五万人の雇用を生み出した、とする試算もある。これらのアメリカの試算は、自由で平等な産業の育成を推進するために講じたプロパテント政策の実績を証明するものとして、逐一アメリカ国民に発表された。特に経済効果とともに、つねに雇用創出の試算もあわせて発表することは、自由産業の復権と経済の再生をアメリカ国民に具体的な数字をもってアピールし、政策の正当性を訴えるねらいがあるからにほかならない。
こうした経済効果の試算発表を受けて、日本をはじめとする工業国や、TRIPS協定にしぶしぶながら加盟した国々では、経済再生を果たしたアメリカのあとを追って、プロパテント政策を次々に取り入物でいく姿勢がみられた。しかし、本当にアメリカがいうように、自由で平等な産業の復権が実現したか?というと、そこにはさまざまな見方があるのも、また事実である。一例を紹介すると、たとえば、元公正取引委員会調査部監査室長の村上政博は、『アメリカ独占禁止法ーシカゴ学派の勝利』のなかで、こう述べている。
アメリカ社会の企業風土の下では、国の内外から集められた富が再投資にまわることなく、たんに知的専門職への高額な報酬としてのみ分配され消費されるのではないか。その意味で、知的所有権は、新知識階級が富を漁ることを正当化する手段にすぎないのではないか、という見方もすくなくないのである。(村上政博『アメリカ独占禁止法-シカゴ学派の勝利』有斐閣より)
<出願の手引き>
特許権を取得するためには、特許庁に出願書類を提出することからはじまります。それを紹介する前に、まず知っておいたほうがよいことを、ワンポイント・アドバイスします。
@オンラインによるパソコン出願もOK!
特許出願は、これまでは邦文タイプで清書してから特許庁に提出するのが一般的でしたが、平成二年十二月一日よりオンラインを介したパソコン出願も受け付けています。さらに平成十年四月一日より、それまでの専用端末から市販のパソコンでも出願できるようになりました。そのための専用ソフトは特許庁から無償で交付されることになっています。なお、自宅のパソコンからオンライン出願をおこなうためには事前に「電子情報処理組織使用届」などを特許庁に提出するほか、ISDN回線やスキャナーなどが必要になります。
A出願が済むまでは発表は慎みましょう。特許法三十条では、一定の期問内および一定の条件の範囲をもって、出願前公表の救済規定を設けていますが、特許出願前にはできるだけ公表しないことが最善です。(カタログの配布や展示会などの出品には、出願を済ませてからおこなうことが大事です)
B出願は、技術的評価、市場評価を考慮してからおこないましょう。特許出願することは、経済的にかなりの負担になります。請求項の数が一つの特許出願をすると、出願料金(2万1000円)、審査請求料金(8万6300円)、さらに特許になれば一年目から三年目までの特許料(4万2300円)と、最低でも14万9600円の費用が必要になります。なお、特許料は、特許庁に支払う出願のために要する費用をいいます。一般に、特許権によって得られる収入を「特許料」という場合がよくありますが、それは「特許使用料」というのが正しい言い方です。
※ 特許は出願しただけでは権利を取得することができません。出願すると、必要な要件を満たしているかどうかなどを、さまざまな段階でチェックされます。次に「出願」から「特許権取得」までのプロセスを紹介します。
1・出願
いかに優れた発明であっても、特許出願しなければ特許権を取得することはできません。出願するには、法令で規定された所定の書類を特許庁に提出する必要があります。なお、わが国では、同じ発明であっても先に出願された発明のみが特許となる先願主義を採用していますので、発明をしたら早急に出願すべきでしょう。また、特許出願以前に発明を公表することはできるだけ避けたほうが賢明でしょう。
2・方式審査
特許庁に提出された出願書が所定の書式通りであるかどうかののチェックを受けます。
3・出願公開
出願された日から一年六カ月経過すると、発明の内容が公開公報などによって公開されます。
4・審査請求
特許出願されたものは、全てが審査されるわけではなく、出願人または第三者が審査請求料を払って出願審査の請求があったものだけが審査されます。審査請求は、出願から七年以内であれば、いつでも誰でもすることができます。
5・取下
出願から七年以上経過しても審査請求されない出願は、取り下げられたものとみなされ、以後権利化することはできません。
6・実体審査
審査は、特許庁の審査官によっておこなわれます。審査官は、出願された発明が特許されるべきものか否かを判断します。審査においては、まず、法律で規定された要件を満たしているか否か、すなわち、拒絶理由がないかどうかを調べます。主な要件としては以下のものがあります。
@ 自然法則を利用した技術思想か?
A 産業上利用できるか?
B 出願前にその技術思想はなかったか?
C いわゆる当業者(その技術分野のことを理解している人)が容易に発明をすることができたものでないか?
D 他人よりも早く出願したか?
E 公序良俗に違反していないか?
F 明細書の記載は規程どおりか?
7・拒絶理由通知
審査官が拒絶理由を発見した場合は、それを出願人に知らせるために拒絶理由通知書を送付します。
8・意見書・補正書
出願人は、拒絶理由通知書により示された従来技術とはこういう点で相違するという意見書を提出したり、あるいは特許請求の範囲等を補正すれば拒絶理由が解消されるというような場合には、そのような補正書を提出する機会が与えられます。
9・特許査定・拒絶査定
審査の結果、審査官が拒絶理由を発見しなかった場合は、審査段階の最終決定である特許査定を行います。また、意見書や補正書によって拒絶理由が解消した場合にも特許査定となります。いっぽう、意見書や補正書をみても拒絶理由が解消されておらず、やはり特許できないと審査官が判断したときは、拒絶査定(審査段階の最終決定)をおこないます。審査官が拒絶理由を発見した場合は、それを出願人に知らせるために拒絶理由通知書を送付します。
10・設定登録
特許査定がされた出願については、出願人が特許料を納めれば、特許原簿に登録され特許権が発生します。ここではじめて特許第何号という番号がつくことになります。
特許権の設定登録後、特許証が出願人に送られます。 /
11・特許公報発行
設定登録され発生した特許権は、その内容が特許公報に掲載されます。
12・異議申立
特許異議申立制度は、特許公報に掲載された特許に対して異議の申立があった場合に、特許庁がみずからの処分の適否を再度審理し、瑕疵ある場合にはその是正をはかることにより、特許に対する信頼性を高めることを目的とする制度です。
特許広報発行の日から6ヶ月以内であれば、誰でも特許異議申立を行うことができます。13.維持の決定.取消の決定
特許異議の申立の審理は、三人または五人の審判官の合議体によっておこなわれます。審理の結果、特許処分に瑕疵がないと判断された場合は特許権の維持の決定がおこなわれます。いっぽう、特許処分に瑕疵があると判断された場合は、特許権者に取消理由を通知して特許権者の意見を聞き、その上でやはり取消理由が解消されていないと判断された場合には特許権の取消の決定がおこなわれます。維持の決定、取消の決定、拒絶査定などの判断に対して不服がある場合には、出願人、利害関係人は審判請求、東京高裁への出訴などの手段で更に争うことができます。(資料参考:特許庁「特許権を取るための手続き」ほか)