東京原子核クラブ
コメント;98年2月に読売文学賞の戯曲・シナリオ賞を貰ったマキノノゾミさん(当時38歳)の話を聞きました。
「東京原子核クラブ」という戯曲で授賞とのこと。
最近、ますます活躍しているようで、先週の朝日記事;
00-09-09朝日記事、マキノノゾミが新作劇、青春題材に「高き彼物(かのもの)」、鈴木裕美と初コンビ劇作家マキノノゾミが自らの青春時代をモチーフに書き下ろした新作が16日まで、六本木の俳優座劇場で上演されている。大正時代など戦前を題材にした作品の多いマキノが初めて手掛けた本格的な現代劇。
当方は見るチャンスはなかったのですが、20世紀を振り替えるものとして、労作であったと聞きました。
なんでも、これを題材にするきっかけは、「科学者の自由な楽園」という本を読んだからとのことです。それから朝永振一郎全集に全部目を通されたというからたいしたものです。
読売紹介記事 98年2月5日
◆笑いと涙の奥に「危機感」
第二次大戦中、アメリカやナチス・ドイツだけでなく、日本もまた原子爆弾を製造しようとしていた。結局は物資不足でとん挫するのだが……。戯曲「東京原子核クラブ」が突きつけてくる事実は、日本人にとってきわめて苦いものだ。 そんな深刻なテーマを内包しながら、実は戯曲そのものは笑いと涙の「青春群像劇」だ。舞台は昭和初期、東京・本郷の下宿屋「平和館」。そこに集う原子物理学者の卵、偽東大生の野球部員、ダンスホールのピアニスト、売れない新劇青年、正体不明の“いわくありげな”女、それに世話好きな下宿屋の娘らが織りなすドタバタの日々。うさん臭くて滑稽(こっけい)で、しかし大まじめな若者たちをいとおしげに描きこんだ。このあたりの手際は、丸谷才一委員をして「これを受賞させなければ賞の意味がない」とまで言わしめたほどだ。
主人公の友田は、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎がモデル。「朝永博士のエッセーに、繰り返し『平和館』のことが出てくるんです。自分の世界的業績よりも、未熟な青春時代のことを懐かしむ博士に、あったかいものを感じました」とマキノさん。
〈友田 ……小森君。/小森 ……はい。/友田 (今夜は)ライスカレーだな。/小森 ライスカレーです。/友田 (しみじみと)長かったもんなァ、メザシ。/小森 (しみじみ)二週間メザシは新記録でしたもんね。/(中略)友田 せっかくやし。/小森 ええ。/友田 もう少し、ここで匂いかいでいこうか。〉
同志社大在学中に見た、つかこうへいの「初級革命講座・飛龍伝」に衝撃を受け、卒業後に京都で劇団MOPを旗揚げ。しばらくつか芝居の「完全コピー」に終始していたが、八九年に桂小五郎を描いた初のオリジナル「HAPPY MAN」を発表。その後、与謝野鉄幹・晶子の夫婦愛を描いた「MOTHER」、岡本かの子を描いた「KANOKO」、寺田寅彦を描いた「フユヒコ」など、モデル芝居で新境地を開いた。
演劇評論家の七字英輔さんは「マキノさんの芝居は基本的にエンターテインメント、いわゆるウェルメイドの傾向があるが、『KANOKO』や『東京原子核クラブ』ではそれだけはない、社会批評的な視点が出てきて楽しみ」と語る。