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Cantor's Dilemma Copyright 1989 by Carl Djerassi
感想;1989年のデジェラシの最初の大作ともいえるカンターのジレンマ、科学者の世界がかなり厳しい業界であることを如実に示す内容でした。ノーベル賞受賞をめぐっての疑心暗鬼、駆け引きなどのすごさもあります。まさに科学者の書いた赤裸々なインサイダーストリーなのですが、小説そのものとしての面白さは、1994年のブルバキ・ガンビットが明らかにすぐれています。
Cantor's Dilemma Copyright 1989 by Carl Djerassi;US
$18.95 全22章、228ページ
<デジェラシのHP掲載の書評>
"This novel's rendering of the scientific
establishment is so precise that anyone considering
a career in science should be required to
read it."-The New York Times Book Review
"An entertaining and eerily prescient
insider's first novel."-Chicago Tribune
"A fly-on-the-lab-wall look at the way
big-time science is practiced today."-The
Washington Post Book World
<登場人物>
Isidore Cantor;主人公、60歳、Midwestern大教授、ガンの発生原因について仮説と裏付ける実験を発表、ノーベル賞受賞,有機化学でドクター、現在は細胞生物学専門、12年前に離婚,ユダヤ系、義父Loewensteinはウイーンの豊かなユダヤ系産業人でヒットラーのAnschlussの2年前に家族・財産とともに米国に移動、彼の一人娘が36歳の時に結婚。
Jeremiah Stafford;副主人公、28歳でノーベル賞、セレスティンと結ばれる。
Celestine Price;副主人公、25歳、大学院生
Kurt Krauss;65歳、ハーバード医学部教授、ガン研究の大権威
Graham Lufkin;56歳、教授、セレスティンと関係があった。
Jean Ardley;34歳、女性教授、セレスティンを指導する。
Paula Curry;44歳、セレスティンの叔母、カンターと結ばれる。内装家
第一章はカンターがホテルのトイレで深夜3:14AMに後にノーベル賞を貰うガン発生の原因のアイテ゛ア(タンパク質アミノ酸のarginineが突然変異を起す事が原因)を思い付くことから始まる。そのアイデアを敵方クラウス教授のセミナーで発表する。その仮説を実験で証明することになる。安定同位体C-13でargimineでラベルし、炭素、水素、硫黄の放射線元素をセル中のタンパク質を同定する実験を思い付く。化学のバックグランドがある生物学者にしてのみ思い付く。
カンターはMidwestern大教授、1930年代にノーベル賞受賞者が1度でただけ、ハーバードやハ゛ークレイでは2ー3年毎に受賞者が出る。発ガンについての一般理論を確立することはエベレストやKー2に登頂するようなもので、カンターのようなスーパースターのみが登頂出来るが、シェルパも必要でそれがスタッフォードである。スタッフォードは、Laboratoryテクニークと忍耐強さをカンターに認められて腹心の助手として実験を行う。最初のアイデアから3ヶ月もしないで、スタッフォードの実験で、arginineが枢要なアミノ酸であることが確認された。
PNAS(Proceedings of the National Academy
of Sciences)に投稿するよりNatureを選ぶ。Natureならプレリミナリーコミュニケーションで済み、詳細な実験データを付けなくてすむ。誰もbandwagonに直に乗り込むことは出来ない。ワトソン、クリックのDNAの二重螺旋モデルは最初にNatureに1ページ載る。サイエンスは敵方クラウスがレフリーの一人である。またNatureはロンドンにあり米国よりも秘密が保たれる。
"A Generalized Theory of Tumorigenesis,by
I.Cantor andJ.P.Stafford"としてNatureにレフリー・プロセスを経ずに掲載される。ロンドンに送ってから、異例の10日という速さでプリントされる。レフリーのハードルが高いほど、プリントまで時間がかかる。レフリーがどんな馬鹿なコメントをしても、反論でレフリーを侮辱してはいけない。
Natureにtumorigenesis論文が掲載され問い合わせが次々入る。クラウスが電話をかけてくる、再現のため実験データを送るように要求、送ったらカンターの助手のYuzo
Ohashiが実験を再現できないと言ってくる。スタッフォードのLaboratoryジャーナル(実験日誌)には実験の細かいところを記入するものだが、カンターがそれを見るとジャーナルには、実際の結果は僅かしか書かれていない。スタッフォードはカンターの立会のもと、実験を行い成功するが、カンターの部屋に、投書があり、スタンフォードはが日曜日の夕方にLaboratoryにいたと告げる(実験でインチキをしたことの暗示)。ここでカンターはジレンマに陥り、Natureに論文の取り下げを申出る(この場合は致命的な打撃を受ける)か、自分で仮説を証明するために別の方法で実験するかで、後者を選ぶ。
RNA(リボ核酸)に焦点を置く実験を行う。このカンターの第二の実験は成功して、そのレポートをクラウスに送る。一方、カンターの信頼を失ったスタッフォードは、クラウス教授のポスト゛クに応募する。
クラウスに推薦状を書いたら、Cantor-Stanford
Experimentを取り消すことが出来なくなるが、書けばスタンフォードに栄誉を与えることになるジレンマに陥ったが、結局、推薦状を書く。7月末にスタンフォードはカンターから分かれて、ハーバードに向かう。
10月11日に、カンターにノーベル賞受賞の知らせ、スタッフォードも共同受賞者となる。1923年のノーベル生理学医学賞がインシュリンの発見でBanting
& Macleodが受賞した際に、若いCharles
Bestが枢要な実験を行ったのに受賞しなかったことで、非難されていたのをノーベル賞委員会は気にしていた。それ以来、若いコラボレータを認めるようにした。
スタッフォードはノーベル賞受賞のニュースを聴いて、婚約者のセレスティンに受賞できないと告白する。その理由としてカンターの信頼を失っているいること、再現実験の時にスロッピーな実験ノートで記入洩れがあり、kinaseの添加が少なすぎたので、日曜日に黙って入れた。カンターはスタッフォードを説得して、ノーベル賞を受賞を拒否しないようにする。ノーベル賞受賞のレクチャーは、仮説をスタッフォードが説明してカンターが第二の実験結果について説明するよう約束する。
ノーベル賞受賞の晩餐会でスタッフォードは、T.S.Eliotの言葉、The
Nobel is a ticket to one's funeral. No one
has ever done anything after he got it、を引用する。今までの若いノーベル賞受賞者は25歳でW.L.BraggがX線回折結晶学で父親とともに受賞したのと、Donald
Glaserが30代の初めにバブルチャンバーで受賞、前者がその後も同じ分野で研究を続け、後者は、宇宙線研究、分子生物学、生物物理学と次々専門を変え、スタッフォードはその道を選び、医学部に入りDoctor
of Medcineを目指すと言う。
受賞記念講演はKarolinska Institutetのホールで始まる。最初に登場したスタッフォート゛は45分の与えられた時間の28分過ぎから、理論に替わって実験の話を始める。スタ
ッフォードの実験を再現するためにクラウスの助手のOhashiが実験して困難に直面したが、最後に成功した。その教訓は、実験の細かい詳細も記録すべきであり、後でどのような細かいところが枢要になるかわからないからだ。第一の方法の試験は成功したが、第二のスタッフォードの実験についてはクラウスが現在、再現試験をしているという。
2人の記念講演が終わった後に、カンターは、急いでクラウスに国際電話をして、何故、大橋が第一方法での再現試験に成功したか自分に言わなかったのかと詰問する。クラウスは、大橋は2週間前に成功したばかりであるし、スタッフォードから脅かすために口止めされていること、12月10日までに、再現したかったこと、第二の方法のカンターの試験については大橋が再現しているがうまくいかないと言う。大橋の第一の再現試験がうまくいかなった理由はシンチレーションカウンターの校正がまずかったせいである。
カンターの部屋をクラウスが訪れて、自分の最新のCV(経歴書)とbibliographyを見たかと尋ねる。暗にノーベル賞委員会に自分を推薦する手紙を送るように要求する。またスタッフォードがカンターの第二の方法での実験の再現が出来ないという。
カンターは、クラウスが退去した後にPaulaに対して、あれは脅迫、1/31前にストックホルムにノーベル賞の候補者を届けることを多くの科学者は知っているという。クラウスは、クラウスがカンターをノミネートしたからお返しをせよと言っている。
カンターはスタッフォードから1月半ばに、第二の方法の再現試験が成功していたことを知らされる。最後の章では、カンターがクラウスにノーベル賞には推薦しなかったと暗示する手紙を書き、それにクラウスが推薦しろとの返事で終わる。
<本帯の宣伝文句>
Canter's Dilemma is a tale of scientific
hardball, both elegant and brutal. When Professor
Isidore Cantor reveals his latest breakthrough
in cancer research, the
scientific community is galvanized. But it
takes the golden touch of his most promising
research fellow, Dr.Jeremiah Stafford, to
conduct the experiment that will prove Cantor's
brilliant hypothesis and win him Nobel Prize.
Only an insider like Carl Djerassi, with
a long career as a world-famous scientist,
could describe so realistically the fierce
competition that drives scientific superstars
to finesse experimental results, as well
as the pressures placed upon younger collaborators.
Cantor's Dilemma also traces the ordeals
of a new breed of young women pushing into
a man's world: Celly Price,Stafford's fiancee,
pursuing a promising career in insect biochemistry;
her mentor Jean Ardley, who hopes to become
the youngest female member of the National
Academy of Sciences; and Celly's Aunt Paula,
who discovers Cantor's other passions- chamber
music, erotic art, and her.
<本の第一章>
This night, however, he was in unfamiliar
territory: the Sheraton Commander in Cambridge,
across Harvard Square, and he had really
banged his knee. He was still rubbing it
while sitting on the toilet, the sound of
the last few pings of urine clearly audible
in the silence. The pain had fully wakened
him, and he began to think of the lecture.
Suddenly it struck him. My God, he thought
as he reached for the light switch, that's
it! How could I've missed it?
The light blinded him momentarily as he stretched
for the robe hanging on the back of the door.
It was 3:14 A.M. when Professor I. Cantor
sat at the small desk and started scribbling
on the only piece of paper he could find
in the desk drawer. It may have been the
first time in history that a Nobel Prize-winning
idea was set down on the back of a laundry
list.
-from page 1 of Cantor's Dilemma.
Paperback edition published (1991) by Penguin
Books、New York, New York (telephone orders:
1-800-253-6476)、Ninth printing, 1996 Copyright-1989
by Carl Djerassi