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2000-09-24 蝶々、蟻、カオス

2000-09-24 蝶々、蟻、カオス

以前、週刊誌タイムの「蝶々経済」という本への書評を見たことがあります。経済学の死滅を主張するOrmerodが、カオス理論での蝶の羽ばたきが地球の他の部分で竜巻を起すという原則と絡めて、現代の経済はカオスに近い複雑系と言っているとか。
評者は蟻経済のほうが適切ではないか、蟻は自分の過去の経験にしたがうか新たな道を選ぶか、他の行動に従 うかの3種類の行動をとり、短期的には予測し難いとしています。特に人間は他人の行動に左右されてしまう。よって短期的な経済サイクルは制御されないのだから政府の関与は出来るだけ少なくすべきであると主張をしています。蟻が食物を求めてうろうろする姿はパブロフの犬と同じで、余りに我々の姿を正確に描いているので気落ちすると結んでいます。バブル時期にはもうけ話がないかと右往左往している風潮があったことを思い出します。
Time, January 17,2000, Business, A Dismal Scientific Review
<Economist Paul Ormerod thinks that studying the behavior of insects may alter economic modeling.>

カオス Chaos
ギリシア神話で、宇宙開闢(かいびやく)のとき真っ先に生じた「原初の巨大な空隙(く うげき)」のこと。ヘシオドスの『神統記』によれば、これに続いてガイア(大地)と タルタロス(奈落(ならく)の底)とエロス(愛)が生じ、カオスはエレボス(闇(やみ ))とニクス(夜)を生んだ。カオスは、あらゆる生(な)り出(い)ずるものの素(もと) と生成へのエネルギーを内に秘めた生成の場としての空隙のことであって、中国神話に おける混沌(こんとん)や、無秩序という意味での混沌と同一視するのは正確ではない。 〈中務哲郎〉

カオス理論 かおすりろん chaos theory
カオス(混沌(こんとん))とは、数学的には微分または差分方程式で決まる決定論的な系の解が予測不可能な複雑・不規則なふるまいをすることをいう。生物の個体数の変化や力学系の不安定現象など、これまで単にランダムとしてかたづけられていた「ゆらぎ現象」も次々とカオスであることがわかり、注目されるようになった。カオス現象として取り扱うものは、確定系に生ずる不規則現象であるが一定の構造をもっており、長時間の挙動は予測不可能であるが、短時間の挙動は予測可能なものである。これより低自由度で、しかも単純な非線形性をもつさまざまな力学系も、カオス的挙動を示すことがコンピュータによる数値計算で明らかにされた。  
カオス理論は現在、ファジィ、ニューロに続く第3のアナログ情報処理体系として注目されている。カオスが観察される分野は安定化作用と非安定化作用の共存する化学反応、流体の乱流、気象や地震、太陽活動などの予測、脳神経や心筋などの生体の複雑な「バイオカオス現象」や、さらに経済変動の予測に役だつとして研究が進められている。
ニューロン・レベルでカオス現象が生じることから、カオス・ニューロン・モデルを基本素子としたカオス・ニューラル・ネットワークの開発が行われることが多い。この際、まず系がフラクタル次元などのいくつかの指標でカオスかどうかを判定し、次いで「埋め込み」作業によりカオスの性質を数種の変数で表現したモデルをニューラル・ネットワークで作り、これにカオスの性質を学習させて予測システムを構築する。

科学の終焉(おわり)
ジョン・ホーガン 訳・竹内薫 徳間書店 \2500 ISBN4-19-860769-9

<以下、抜粋>
カオプレクシティの終焉
レーガン大統領の時代がなつかしい。ロナルド・レーガンは、道徳的、政治的な選択をいとも簡単に行なった。彼と僕は、好みがまるきり反対だった。僕は、スターウオーズ計画が大嫌いだった。正式名は戦略防衛構想、略して「SDI」。この計画は、宇宙空間に防御網を張って、当時のソビエト連邦の核ミサイルの脅威からアメリカを守ろうというレーガンの野望だった。スターウォーズについて、僕が書いた記事の中で、今から振り返ってみて、最も戸惑うのは、物理学者ゴットフリート・マイヤークレスに関するものだ。彼は、当時、原爆発祥の地として悪名高きロス・アラモス国立研究所にいた。
マイヤークレスは、「カオス的」数学を駆使して、ソ連とアメリカの軍事競争のシミュレーションを構築した。彼のシミュレーションは、「スターウォーズは超大国間の均衡を破り、カタストロフィーヘの道、すなわち核戦争の引き金になる可能性を孕んでいる」という予想をはじき出した。僕もマイヤークレスのこうした結論に賛成だったし―そして彼の所属機関の皮肉さも手伝って―僕は彼の業績を賛美する記事を立て続けに書いた。
もちろん、もしマイヤークレスのシミュレーションが、「スターウォーズは素晴らしい思い付きだ」とほのめかすようなものだったら、お話にならない研究として、僕は取り合わなかったに違いない。しかし、確かにスターウォーズは、超大国間の均衡を破ったであろうと思われるが、それを示すために計算モデルが必要だったのかどうかは疑間である。僕はマイヤークレスに食ってかかるつもりはない。彼の行為は殊勝なこととして評価できる(マイヤークレスのスターウォーズ研究について書いてから数年たった1993年に、僕はその頃彼が勤めていたイリノイ大学のプレスリリースを目にした。
そこには、彼のコンピューター・シミュレーションが、ボスニアとソマリアの紛争を解決する方策を見つけた、という記事が載っていた)。彼の研究成果は、「カオプレクシティ」の分野でしばしば見られる、分をわきまえない、やりすぎの一例に過ぎない。カオプレクシティという言葉は、カオスとそれに近い関係にあるコンプレクシティ(複雑系)をつなげた僕の造語だ。
両方とも、特にカオスについては、大勢の専門家たちが千差万別の定義づけを行なってきた。しまいに、カオスとコンプレクシティという二つの用語は、あまりにも多くの科学者とジャーナリストによって、重複する意味合いで定義されてきたので、無意味とまでは言わないが、本質的には同義語と化してしまった。カオプレクシティの分野は、ニューヨーク・タイムズの前記者、ジェームズ・グリックによって、「カオス」が1987年に出版されるや流行文化として開花した。グリックの傑作がベストセラーになるや否や、大勢のジャーナリストや科学者たちが、同じような話題について、同じような本を書いて、2匹目のどじょうを狙った。カオプレクシティが伝えるメッセージには、やや矛盾した二つの側面がある。
その一つは、多くの現象は非線形で、本質的に予言できない、という点である。なぜならば、ごく小さい原因がとてつもなく大きな予測もできない結果につながるからである。マサチューセッツエ科大学の気象学者でカオプレクシティの先駆者の一人であるエドワード・ローレンツは、この現象を「バタフライ効果」と名づけた。
この名前は、アメリカのアイオワ州を飛び回る蝶々の羽ばたきが引き金となって、ドミノ倒しのように次々と伝わって、原理的には、遠いインドネシアの季節風につながることもあるところから来ている。我々は気象系について、近似的な知識しか持ち合わせていないため、天気を予測する能力は、きわめて限られているのだ。こうした考え方自体は、別に目新しいものではない。
アンリ・ポアンカレは、今世紀の初めに、「初期条件のわずかの差が、最終的な現象ではきわめて大きな差になる。初期条件の小さい誤差が、現象では大きな誤差にひろがる。予測は不可能になってしまう」と指摘した。カオプレクシティの研究者たちもまた、多くの自然現象が「創造的に発生する」(emergent)を強調したがる。そういう現象は、単にその系の部分部分を調べるだけでは、予測したり、理解することはできないという。「創発」という考え方は、古めかしいもので、全体論や生気論などの反還元論の信条に関連しており、少なくとも前世紀にまで遡ることができる。
ダーウィンは自然淘汰がニュートンの力学に出来するなどとは夢にも考えていなかった。カオプレクシティがもたらす否定的な側面を挙げすぎたかもしれない。肯定的な面については、次のように考えられる。
コンピューターや高度な非線形数学のテクニックの出現は、過去の還元論の分析手法では手に負えなかった、カオス的、複雑系的、創発的な現象を現代の科学者たちが理解する上での大きな手助けになるだろう。「複雑系の新しい科学」についての秀作の一つである、ハインツ・ペイジェルスの『理性の夢』(The Dreams of Reason)の本の裏表紙の紹介文には、次のように述べられている。「ちょうど、望返鏡が字宙への目を開いたように、顕微鏡がミクロの世界の秘密を明かしたように、コンピューターが今や自然の本性に向かって、わくわくするような新しい窓を開こうとしている。人間の頭脳には複雑すぎて手に負えないものを処理できるコンピューターの能力によって、私たちは、初めて現実をシミュレートし、複雑な系のモデルを構築できるようになった。その対象は、巨大分子、カオス系、ニューラルネット、人間の体と頭脳、そして進化と人口増加などのパターンなどにまで及んでいる。
この期待の大部分は、単純な数学的操作の集まりが、コンピューターの手にかかると、驚くほど複雑で奇妙に秩序だった結果をもたらす、という観察がもとになっている。ジョン・フォン・ノイマンが、たぶん、このようなコンピューターの能力を認識した最初の科学者だったろう。1950年代に、彼はセル式オートマトンを発明したが、その最も単純な形態は、「セル」と呼ばれる細胞もしくは四角の格子に区分されたスクリーンだった。 一連の法則によって、各セルの色や状態がそのすぐ隣のセルの状態に影響してくる。 一つのセルの状態の変化が、その系全体の大きな変化の流れを起こす引き金になる。1970年代に、イギリスの数学者、ジョン・コンウェイによって創られた「ライフ」というセル式オ―トマトンが最も好評を得たものの一つとして残っている。大部分のセル式オートマトンが、結局は、予測できる周期的なふるまいに行き着くのに対して、このライフは無限の種類のパターンを作り出した。例えば、謎めいた行動をとる漫画のキャラクターのような物体などをつくり出したのだ。
コンウェイのこの奇妙なコンピューター世界に刺激されて、大勢の科学者たちがさまざまな物理学と生物学の現象をモデル化するのに、セル式オートマトンを使い始めた。科学界の想像力をかきたてた、もう一つのコンピューター科学の産物は、マンデルブロ集合である。これは、IBMの応用数学者ベノア・マンデルブロにちなんで名づけられたもので、彼はグリックの本「カオス』の主役の一人である(そして、彼の決定不可能な現象についての研究が引き金となって、ギュンター・ステントは、社会科学はたいしたものにはならない、と結論したのだ)。マンデルプロは、フラクタル構造を発見した。それはフラクタル次元(非整数次元)として知られているものを示す数学的な対象のことである。例えば、それは、1次元の直線よりも「毛羽立った」ものだが、決して2次元の平面を埋め尽くすものではない。フラクタルにはまた、同じ図形のパターンが小さなスケールで繰り返し現れる。フラクタルという言葉を作り出してから、マンデルブロは多くの現実の世界の現象――特に、雲、雪片、海岸線、株式市場の変動や樹木――は、フラクタルな特性を備えている、と指摘している。
マンデルブロ集合もまた、 一種のフラクタルである。この集合は、繰り返し反復計算する簡潔な数学関数に相当する。ある関数を解いて、その答えを取り出し、さらに元の関数に代入する、という作業を無限に線り返すのである。コンピューターでプロットすると、この関数から算出された数値が、ありのままの形に集束していく。それはまるで突出部だらけの心臓か、黒こげの鶏か、イボイボの数字の8が横になったような感じのものである。その集合をコンピューターで拡大してみると、その境目は、はっきりした直線ではなく、陽炎のようにゆらめいていることが判る。その境界線をさらに繰り返し拡大していくと、怪奇なバロック調のイメージが果てしなく、次から次へと変わっていく光景に、誰しもが引きずり込まれてゆく。基本的には心臓のような形をしたあるパターンが反復していくのだが、それがいつも微妙に変わっているのだ。
「数学の世界で、最も複雑な代物」と言われているマンデルブロ集合は、数学者が非線形(あるいはカオス、または複雑)系のふるまいをテストするための、 一種の実験手段になっていた。しかし、こうした発見は、現実の世界と何の関連があるのだろうか? マンデルブロは1977年の秀作『フラクタル幾何学』の中で、自然が形づくっているフラクタル構造を観察することと、その構造の理由を探ることとは、全く別の問題だと警告している。自己相似の構造を調べて「まさしく驚異的だったし、自然の構造を理解する大きな助けになった」けれども、その自己相似の原因を解明しようとする試みには、ほとんど「見るべきものがなかった」とマンデルプロは心情を吐露している。
マンデルブロはカオプレクシティの奥に潜んだ、魅力ある二段論法をほのめかしているように見えた。その論法とはこういうことだ。まず、単純な数学法則の集合があって、それがコンピューターの手にかかると、きわめて複雑なパターンを生むが、それらのパターンは、単純な繰り返しではない。次に、単純な繰り返しではない多くのきわめて複雑なパターンが自然界にも存在する。そこで結論:単純な法則が世の中の多くのきわめて複雑な現象の根底に存在している。強力なコンピューターの助けによって、カオプレクシティの研究者たちは、そうした法則を探し出すことができる。もちろん、単純な法則は、実際に自然の基礎になっている。それらの法則とは、量子力学、 一般相対性理論、自然淘汰、そしてメンデルの遺伝学などだ。しかしカオプレクシティの研究者たちは、もっともっと強力な法則が未発見のままである、と主張しているのだ。