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プロパテント・ウォーズ,国際特許戦争の舞台裏<特許を制する国が経済を制する>
創造と略奪、独占と公開、勝者と敗者。特許政策の巧拙が一国の明暗を分ける。文春新書680円+税 平成12年5月20日第1刷 著者;上山明博(うえやまあきひろ)

感想;さて、「プロパテント・ウォーズ」という文春新書にも, <光ファイバ特許事件の衝撃>という章があり、米国との特許紛争について詳しく述べております。紛争のポイントは;
この至極当然とも思える「文言解釈論」と対立する考え方が、先の「均等論」である。この場合の「均等」(Equivalence)とは、「明細書に記された内容と実質的には同じもの」を意味する。つまり、均等論の考えからすれば、特許侵害訴訟において、たとえ発明が成されてはいなくても、また明細書の文言上の侵害がないものでも、明細書の意図する内容と均等とみなされれば、侵害となるのである。
ということで、基本特許をはばひろく適用する均等論が、文言解釈論(明細書用に書かれている範囲に限定)より、優勢になっていることが述べられております。具体的な紛争例をあげて説明しており、参考となりました。率直な感想としては、均等論がこんご主流になると思いました。

プロパテント・ウォーズ(文春新書)
文春新書680円+税 平成12年5月20日第1刷 著者;上山明博(うえやまあきひろ)

V.光ファイバ特許事件の衝撃
<第二次プロパテント時代の幕開け>
南北戦争が終結した一八六五年から、世界恐慌が襲った一九三〇年までを、アメリカでは「第一次プロパテント時代」と呼んでいる。そして、経済のブロック化が進展するなかで起きたGE社による日本製電球特許侵害訴訟は、第一次プロパテント時代の最後を飾る事件として位置づけられ、その後、世界は第二次大戦へと突入した。そして今日、アメリカは「第二次プロパテント時代」を迎えている。それは一九八五年、ときのロナルド・レーガン第四十代大統領に対して大統領顧問委員会が提出した、一通のレポートからはじまった。
そのレポートには、じつは今日のプロパテント時代を構築するための具体的な方法が示されていたのだが、その内容は次の第3章(「世界を変えた一冊のレポート」本書一二四頁)で詳しく紹介することにし、ここではプロパテント政策を実現するための法的根拠として登場した一つの解釈をめぐって順を追って検証することにしよう。
さて、アメリカが第二次プロパテント時代に突入したことを日本が実感するのは、レーガン大統領がレポートを手にしてから、二年後のことである。
一九八七年十月一日、コーニング社(Corning Glass Works Co.)と住友電工USAとで争っていた光ファイバ特許侵害訴訟で、住友電工側の全面敗訴の判決が下りたことが新聞で報道され、日本に大きな衝撃を与えたのである。この事件は、一企業のダメージにとどまらず、日本の産業界に大きな衝撃として受けとめられた。その理由は、まず、特許法やアメリカの判例に照らしあわせてみても、住友側が敗訴することなど到底想像できなかったこと。さらに、敗訴した住友電工が支払った和解金の額が、これまでの常識をはるかに超える巨額なものだったこと、の二点にある。
日本企業を震憾させた光ファイバ特許事件。それは一九八四年三月、世界最大手の光ファイバメーカーであるコーニング社が、関税法三三七条にもとづき、住友電工の光ファイバ製品の輸入差止を求めて、国際貿易委員会(ITC)に提訴したことにはじまる。
ITCはただちに調査を開始し、翌一九八五年四月、「住友電工の光ファイバ製品の輸入によって、アメリカの国内産業が被害を受けた事実は認められない」として、コーニング社の提訴を退ける決定を下す。

だが、コーニング社は、ITCが決定をだす前の一九八四年十二月、同社のもつ光ファイバの特許を侵害しているとして、今度は住友電工のアメリカの現地法人、住友電工USAを相手どり、ニューヨーク連邦地方裁判所に損害賠償詰求訴訟を起こす。

当初、住友電工では、前回のITCへの提訴と同様、コーニング社の提訴内容は見当違いのもので、コーニング社の主張が認められる理由などまったくないと考えていた。しかし、一九八七年十月一日、住友の予想に反し、ニューヨーク連邦地方裁判所は、原告の主張を全面的に認めたのである。その一報は、日本の新聞にも小さく報じられた。
  住友電工は二九八七年十月)十日、光ファイバーの特許をめぐって米国の大手メーカーと争っていた訴訟で敗訴したことを明らかにした。ニューヨーク連邦地裁が一日付で、同社の米国子会社が生産している光ファイバーが、米有力メーカーのコーニング社が持つ光ファイバーの構造特許を侵害していると判断、弁護士を通じ判決内容を伝えてきた。
このため、住友電工はとりあえず米国での現地生産と販売を停止した。連邦巡回区控訴裁判所に控訴するかを含めた今後の対応は、詳しい判決文を入手してから決める。
(朝日新聞一九八七年十月十一日付より抜粋)

その後、住友電工はアメリカ連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)に控訴したが、CAFCは一九八九年三月一日、ニューヨーク連邦地方裁判所の判断を支持。これによって、六年越しの光ファイバ特許侵害訴訟は、住友電工の敗訴で幕を閉じる。同年、住友電工はコーニング社に対し、和解金二、五〇〇万ドル(約三十三億円)を支払うことに応じ、住友電工USAはアメリカからの撤退を余儀なくされたのである。      

<光ファイバの「生みの親」と「育ての親」>
この特許侵害訴訟で問題となった光ファイバとは、そもそもどんなものか、手短かに説明しよう。

光ファイバは、髪の毛ほどの細いガラス繊維で、光通信などに用いられる伝送路である。その断面は、「コア」と呼ばれる中心部と、「クラッド」と呼ばれる周辺部の二重構造からなり、光は、屈折率が異なるコアとクラッドの境界面で全反射を繰り返しながら伝送されるというしくみ。現在、光ファイバは、大量の情報量を一挙に送ることができ、しかも情報の損失が極めて低いなど多くのメリットがあることから、スペースシャトルの船内すべての情報通信網に採用されているほか、将来のマルチメディア社会においても、根幹を担う媒体のひとつと目されている。では次に、コーニング社がもつ光ファイバの特許とは、どんなものなのだろうか?それを紹介するために、電気通信の世界的な権威である、二人の学者に登場してもらう必要がある。一人は、のちに東北大学総長を務め、「光ファイバの生みの親」とも呼ばれる西澤潤一だ。昭和三十九年(一九六四年)、当時、東北大学電気通信研究所の教授であった西澤は、断続した光の符号によって通信をおこなうための収集性光ファイバの開発に成功し、特許を申請し              た。これは、光ファイバによって大容量の光通信が可能であることを世界ではじめてあきらかにした、まさに大発明であった。しかし、特許申請の手続き上の不備から、西澤の特許は認められなかった。

もう一人は、のちに香港中文大学学長を務め、「光ファイバの育ての親」とも呼ばれる、中国人のチャールズ・カオ(Charls Kao)である。
スタンダード通信ケーブル社の主任研究員であったカオは、ガラスに含まれる重金属類を取り除くと、ガラスにおける光の吸収損失が少なくなることを発見した。これは、光ファイバの実用化の鍵であった、低損失の材料開発を可能にした点で、画期的だ。カオはその研究成果を、アメリカ電気電子技術者協会(IEEE)の学会誌一九六六年七月号に発表。『光表面伝送電体ファイバ』と題する論文で、低損失の光ファイバの製造法を報告した。さらに論文の結びで、屈折率の高いコアと屈折率の低いクラッドという、今日の光ファイバの構造を提案している。

西澤潤一の収集性光ファイバの発明と、チャールズ・カオの光ファイバの構造についての論文発表。この両博士の研究成果を網羅した光ファイバに関する数多くの特許を、一九七〇年、コーニング社はアメリカ特許商標庁(U.S. Patent and Trademark Office)に提出した。そのなかには、光ファイバの製造法だけでなく、カオ論文に示された光ファイバの構造など、基本特許も含まれていた。

ところで現在、光ファイバの製造法には、コーニング社が開発した薄膜形成技術を用いるCVD(Chemical Vapor Deposition=気相成長)法や、住友電工などが開発したプリフォーム製造技術を用いたVAD(Vaporphase Axial Deposition=気相軸付け)法が有名だ。そして一九八四年十二月、世界最大手のコーニング社は、当時日本国内では最大手の光ファイバメーカーのひとつに成長しつつあった住友電工を、特許侵害で提訴したのである。

<住友電工の抗弁と、アメリか法廷の判断>
光ファイバ特許侵害訴訟で、コーニング社はさまざまな特許を取り上げた。なかでも最大の焦点となったのは、コーニング社がもつ光ファイバの基本特許(米国特許第三六五九九一五号)である。
すでに紹介したとおり、一九六六年に発表されたカオ論文によって、屈折率の高いコアを屈折率の低いクラッドで覆えば、光通信に有効な光ファイバが得られることは、周知の事実であった。問題は、どのようにして、コアとクラッドの屈折率に差をつけるかにある。
コーニング社がカオ論文の発表の四年後に出願した特許三六五九九一五号は、コアに不純物を添加し、コアの屈折率をクラッドよりも高める方法が示されている。具体的には、「素材に石英ガラスを用い、コアに一五重量パーセント以下の不純物を加えて、屈折率を高める」ことが明細書に記されている。
この特許を侵害したとして、コーニング社が挙げた住友電工USAの製品は、「M1ファイバ」、「S1ファイバ」、「S2ファイバ」、「S3ファイバ」の四種類。
M1ファイバ」は、一〇重量パーセントのゲルマニウムと○・一重量パーセントの五酸化リンをコアに加えたもの。「S1ファイバ」は、六重量パーセントのゲルマニウムをコアに加えたもの。「S2ファイバ」は、五重量パーセントのゲルマニウムを加えたコアを、○・二重量パーセントのフッ素を加えたクラッドで被覆したものである。

じつは、コーニング社の特許三六五九九一五号は、同社のロバートニミューラーとピーター・シュルツが発明したものなのだが、出願前の実験で、二人はゲルマニウムを加えることに失敗していた。そのため、三六五九九一五号の明細書にゲルマニウムについて触れることを断念した、という経緯があったのである。

被告の住友電工は、その事実を突き止める。そして住友は「コーニング社の特許三六五九九一五号にはゲルマニウムについて触れてはおらず、事実その実験に失敗している。そのため、ゲルマニウムを添加物に用いた光ファイバは、コーニング社の特許権の範囲にはおよばない」、

と法廷で主張した。しかし、被告のこの抗弁に対して、裁判所が下した判断は次のようなものであった。

[判決文1]
コーニング社が保有する特許三六五九九一五号の明細書には、添加物としてゲルマニウムを示してはいないが、ゲルマニウムは屈折率を増加させる物質であることは自明であり、明細書の文言は、コアに一五重量パーセント以下のゲルマニウムを加えた石英ガラスの光ファイバをカバーしていることは明らかである。したがって、住友電工のM1ファイバ、S1ファイバ、S2ファイバは、コーニング社の特許三六五九九一五号の明細書に示された文言を侵害している。
(一九八七年十月十日ニューヨーク連邦地方裁判所判決より抜粋)

ニューヨーク連邦地方裁判所のこの判決は、日本およびヨーロッパの法廷でこれまで常識であった「文言解釈論」の考え方が、もはやアメリカでは通用しないことを示すものだった。なお、文一言解釈論とは、特許のおよぶ範囲は、発明者が実際に発明した事柄においてのみ有効であり、文字通り明細書に書かれた文言の範囲に限られる、という極めて常識的な考え方を指す。
光ファイバ特許侵害訴訟の過程で、裁判所の判断が、当初の予想に反して圧倒的に不利であることを遅ればせながら痛感した住友電工は、残る製品のS3ファイバにしだいに争点を絞りこんでいった。
コーニング社の特許は、コアに不純物を加えて屈折率を上げる方法であり、M1ファイバ、S1ファイバ、S2ファイバは、いずれもコアに不純物を加えて屈折率を上げる方法が採られていた。唯一違っていたのは、コーニング社がついに成しえなかった、ゲルマニウムを不純物に用いているという方法であった。
それに対してS3ファイバは、コアに不純物を加える方法は使われてはいない。S3ファイバは、不純物をまったく加えないコアを、一重量パーセントのフッ素を加えたクラッドで被覆したものである。しかも、石英ガラスにフッ素を添加すると屈折率が低下することはそれまで知られてはおらず、いわば住友電工のオリジナル技術であったのだ。しかし、またしても、このS3ファイバに対してニューヨーク連邦地方裁判所が下した最終判断は、次のとおりである。

[判決文2]
S3ファイバのコアには、ゲルマニウムなどの不純物を用いてはいない。しかし、M1ファイバおよびS1ファイバおよびS2ファイバに用いた、コアに添加したゲルマニウムを、クラッドに添加したフッ素に置換え、屈折率の差を得ている。したがって、M1ファイバおよびS1ファイバおよびS2ファイバと、S3ファイバとは、作用上「均等」である。
S3ファイバは、文言上はコーニング社の特許三六五九九一五号の明細書の範囲には入らないが、実質的に同一の方法で、同一の作用をもち、同一の結果を得ている。そのため、特許三六五九九一五号の侵害からS3ファイバを排除する理由は見あたらない。すべての特許には、均等の範囲がある。しかし、たとえばコーニング社の特許三六五九九一五号のような基本特許には、より広く解釈すべきであり、広い均等の範囲がある。この均等の原理は、特許三六五九九一五号の発明がなされたときに、たとえ石英ガラスにフッ素を添加して屈折率を下げることが知られていなかったにせよ、適用される。
(一九八七年十月十日ニューヨーク連邦地方裁判所判決より抜粋、傍点筆者)

この判決文には、多くの問題が含まれているように思われる。たとえば、住友電工の抗弁をことごとく退けた唯一の法的根拠に、基本特許にはより広い範囲を認めるという「均等論」の考え方がある。しかし、光ファイバの製造法や構造を最初に提示したのは、コーニング社ではない。技術史の観点から見るなら、コーニング社が特許一二六五九九一五号を出願する四年前に発表された、カオ論文が最初だとみるのが妥当だろう。むろん、学会誌に発表しただけで、特許は申請していないため、チャールズ・カオに特許権はないのだが…。

新しい技術の誕生の前には、つねにそのもととなる先行技術の種がある。たとえば、西澤潤一の収集性光ファイバの発明は、それまで夢物語であった光通信が可能であることを実証した。その後、チャールズ・カオが、屈折率の異なるコアとクラッドによる構造を提案し、低損失の材料開発の方法を発表したことによってはじめて、光ファイバの構造と製造法が示されたのだ。

こうして、光ファイバの実用化の時代がはじまり、コーニング社をはじめ日本の住友電工などが、光ファイバの製造技術を日進月歩の勢いで進化させてきた。なかんずく、コーニング社が果たした役割は大きい。しかし、均等論が適用される基本特許とは、どの技術水準をもって決めるのか? その判断基準は、技術的および法的根拠に乏しく、恣意的であるとさえ思えるのである。判決文のなかで、裁判官は、カオ論文などの先行技術に触れたうえで、コーニング社の特許により広い範囲を認めた理由を、コーニング社への称賛とともにこう述べている。

[判決文3]
カオ論文では、コアにクラッドを積層した光ファイバが有望だとし、材料開発について一つの方法を提案している。しかし、実際に低損失の材料が開発されない限り、光ファイバは実用化できない。
先行技術については、後知恵を用いようとする傾向を避けるために、その範囲と内容を厳密に定めなければならない。先行技術は、発明以前の時点においてそれが実際に意味したものとして理解されなければならず、コーニング社の特許の開示を用いて再解釈することがあってはならない。光ファイバの開発が国際的に強く要望されていた時に、コーニング社は偉大な成功を収めた。そしてコーニング社は、発明は長期間望まれていた要求をただちに充たすことができ、かつ強く称賛されたのである。コーニング社の発明は、文字どおり大規模な新たな産業を生み出したのである。コーニング社の特許は、住友電工を除く競争者により敬意を払われてきた。コーニング社の特許性を示す指標は一つも否定されてはおらず、それらはいずれも特許が有効であることを疑問なしに示している。
(一九八七年十月十日ニューヨーク連邦地方裁判所判決より抜粋)

判決文を読んでいると、なんだか、この特許侵害訴訟を担当した裁判官(J.Conner)は、最初からコーニング社の主張を全面的に支持するつもりだったのではないか、と勘繰りたくもなってくる……。

<プロパテント政策を実現する「均等論」をめぐって>
光ファイバ特許事件で住友電工を全面敗訴に追い込んだ、唯一の法的根拠、「均等論」(Doctrine of Equivalence)。それは、特許制度の根幹を揺るがすほどの大きな変更を意味している。

本来、特許制度は、発明した新技術情報を一般に公開する見返りに、その技術を一定期問に限って独占的に使用する権利を認めるものだ。そのため、特許を申請する際には、発明の内容を特許明細書に記して提出し、特許権のおよぶ範囲は、その明細書の文言によって示される。つまり、特許権は発明の内容に限られ、それは明細書に記された文言によって規定される。こうした考え方を、「文言解釈論」という。

この至極当然とも思える「文言解釈論」と対立する考え方が、先の「均等論」である。この場合の「均等」(Equivalence)とは、「明細書に記された内容と実質的には同じもの」を意味する。つまり、均等論の考えからすれば、特許侵害訴訟において、たとえ発明が成されてはいなくても、また明細書の文言上の侵害がないものでも、明細書の意図する内容と均等とみなされれば、侵害となるのである。

均等を一言でいえば「同じ」という意味だ。では、何が同じなのか? 光ファイバ特許侵害訴訟の判決文二によれば、「文言上は特許明細書の範囲には入らないが、実質的に同一の方法で、同一の作用をもち、同一の結果を得ている」とのことだった。これは一地方裁判所の見解だが、近年、連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)でも、均等の意味を統一するために見解を発表した。それによれば、「均等とは、実質的に同じ方法で、同じ機能をもち、同じ結果を得ること」であり、やはり三分法の考え方を採っている。

さらに、均等論の解釈で特筆すべきは、均等であるかどうかを判断する時点が、原告が特許を出願した時点ではなく、原告が特許を侵害されたと主張した時点だということである。そのため、S3ファイバが特許侵害である理由の一つとして、裁判官は判決文二で「均等の原理は、特許三六五九九一五号の発明がなされたときに、たとえ石英ガラスにフッ素を添加して屈折率を下げることが知られていなかったにせよ、適用される」と、述べたのである。

原告が発明してもいないのに、どうしてそれが原告の特許範囲に含まれるのか? なんだか変な話である。それを正当化するために、その法的根拠として均等論が持ちだされ、拡大解釈されるのだが、それはもはや一般常識とはほど遠いもののように思われる。

アメリカで均等論が誕生した最大の理由は、プロパテント政策を遂行するために、その法的根拠を創りだすことにあったのは確かだろう。しかし、ほかにまったく理由がないわけではない。

均等論が持ちだされた法務上の理由の一つに、特許侵害者が製品を改良して、特許権をたくみに回避することを防止する意図がある。特許明細書は出願時の知識で作成されるが、侵害者は、その後の知識を利用して特許侵害を回避できる。そのため、均等の判断を特許出願時の知識でおこなうと、侵害者は簡単に特許侵害を回避でき、特許権者に不利となる。これは法のもとでの公平の原則に反するため、均等の判断は、出願の時点ではなく侵害の時点をもっておこなわれることになったのだ。

しかし、だからといって、発明していないものまで均等が適用されるというのは、どう考えても腑に落ちない。均等論偏重の考え方は、いまだ実用化していない技術をいち早く出願したり、のちの発明を視野に入れて、特許明細書をより抽象的な文言で表現することなどが、近年頻繁におこなわれる要因ともなっている。

もともと特許制度は、かつて後進国であったイギリスやアメリカが、先進国から新技術の導入・普及を促すために生まれた制度であった。しかし今日、均等論という特許法の新たな解釈によって、技術後進国が技術導入を促すための制度から、技術大国が特許の利権を拡大し行使するための制度へと、特許法の役割は大きな質的変貌を遂げたのである。
次の第3章では、いよいよアメリカのプロパテント政策がどのような方法で順次実行され、日本をはじめ世界中を巻き込んでいったのか? 今日のプロパテント時代へと至る過程を検証しながら、その傾向と対策を一緒に考えてみることにしたい。