トップページに戻る
本のページに戻る

英語屋さん

八重洲ブックセンターで、ベストセラーに入った「英語屋さん」という新書です。素直に書かれた著者の人柄が滲み出てくるものです。で、興味深かったのは、英語そのものより(英語では英語より中味がもっとも重要という当然の結論が書かれている)、企業のトップをめぐる人間関係のところで読ませるところが多々ありました。
浦出氏のHPより;後年、井深さんの言葉と伝えられる箴言(しんげん)を何かで読んだことがある。曰く、「私は専門家など信じないことにしている。専門家というものは、とかくできないことの言い訳ばかり考えている」。

浦出善文(うらでよしふみ)著『英語屋さん―ソニー創業者・井深大に仕えた四年半―』集英社新書。六六〇円+税。2000年2月22日第一刷
本帯;天才のそばで学んだ英語術、コミュニケーションの達人・井深大の<通訳兼カバン持ち>が今、明かす英語上達法
<本の扉の後ろの言葉>従業員は厳選されたる、かなり少員数をもって構成し形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き、個人の技能を最大限度に発揮せしむ;『東京通信工業株式会社設立趣意書』の中の「経営方針」のひとつ(1946年1月井深大氏起草)

第1部…新米英語屋の勉強帳
第1章
社内「英語屋」ハンティング;「英語屋をやってくれ」、「ある人」はソニーの創業者だった、どうしてボクなんかが・…?
第2章 英文レターへのこだわり;「格調の高い英語」とは?、手紙には必ず目を通していた井深さん、英文レターの要諦、レターヘッドは会社の「顔」、英文レターを上手に書きたい人のために
第3章 第3章悪戦苦闘の駆け出し通訳;通訳としての基礎体力、あの手この手の通訳特訓、予習が肝心、通訳を使う側のコツ
第4章 キーワードは「創造」;若造が作る創業者のスピーチ、井深さんのスピーチの「芯」、ちょっとしたユーモアを入れること、スピーチ原稿を用意する際のちょっとした配慮
第5章 アメリカヘ!;初めての海外出張;「出張の下見」;いざ本番、ところが--、スピーチは大成功! コラム忘れ得ない人々・その1井深さんを支えた若手スタッフ
第2部…・・汝の主を知れ
第6章どこでもついて行くカバン持ち;「カバン持ち」の居場所、井深さんはボーイスカウト、台湾への旅
第7章東洋医学と0歳教育;東洋医学とコミュニケーション、0歳では遅すぎる
第8章「井深さん流」英語上達法;井深さんの発明した英語学習機、「ボク流」英語上達法
第9章井深さんへのファンレター;井深さんを動かした一通の招待状、「殿様の命令で来た」 コラム;忘れ得ない人々・その2大企業トツブの秘書
第3部…英語屋の卒業論文。
第10章お客様、ご案内;お出迎えのイロハ、人の名前は要確認、「工場が見たい」と言われても….
第11章VIPが会社にやってくる;VIP歓迎準備チーム結成、周到な準備、井深さん流のおもてなし
第12章ボクの通訳プレイバック;井深さんの十八番
第13章国王陛下を笑わせよ!;王様はバスに乗ってきた、受けを取ったボクの工夫、誰が説明するんだ!?、反省と教訓
第14章 たかが英語屋、されど…;突然の計報、さようなら、
井深さん;コミュニケーションの優劣を決めるもの
あとがきにかえて・・・・・…203ページ

P24;創業者世代のソニーのトップは、細かいことにけっこうこだわった。大企業の経営者のことだから、些細なことはすべて「よきにはからえ」かと思っていたら大間違い。相手への心遣いなど、小さなことほど逆に大切にする。いかにも自らの手で会社を設立して今日の規模まで築き上げてきた創業者らしい。.
「英文レターの要諦」それではここで、英文レターを作成する際のコツについて少々開陳することにしよう。当時の私のノートには次の3箇条が書いてある。平明なビジネスレターであろうと、役員クラスの重厚な手紙であろうと、このような基本原則は変わらない。1.なるべくYouを主語として書く。
やたらとI…(私は〜)で始まる文ばかりが続くと、いかにも自己中心的な印象を与えやすい。たとえば、I will send it to you very soon(それをすぐにお送りします)のようにIを主語とした文をやたらと繰り返すよりも、You will receive it very soon.のようにYouを主語とした文を適宜、織り交ぜたほうがいい。
2.できるだけ肯定的な表現を使う。否定語が続くと、読み手をイヤな気分にしてしまいがぢである。たとえば、次のふたつの文のうち、どちらのほうが感じが良いか考えてみるといいだろう。Please send us your payment promptly, or we cannot ship the product to you (代金をすぐにお送りくださらなければ、製品を出荷することができません) Please send us your payment promptly so that we can ship the product to you. (製品を出荷できますように、代金をすぐにお送りください)
否定語を用いた前者は、何やら「カネを出さないとモノは渡さないぞ」といった脅迫めいた印象を与える。後者のほうが好感をもたれやすいのは明らかだろう。
3.言いたいポイントを明瞭に、結論から先に書く。
結論として相手に何を言いたい(またはしてもらいたい、尋ねたい)かを明確にして書くこと。後年、後輩が書いた英文レターの添削を頼まれることがときどきあった。たまに見かけたのは、たとえば「出荷が遅れた」とお客様に連絡するレターに、その言い訳ばかり書いてあって「どれくらい遅れて、いつごろ出荷できる」という肝心なことが書かれていない手紙。たとえばこういった手合いだ。「平素はたいへんお世話になっており、まことにありがとうございます。さて先日ご注文をいただいたOOについては、外注先の△△より調達している部品の一部に不備がありましたために、(以下、言い訳が延々と続く)。昨日の会議でこの問題について事業部の△△部長、××課長と話し合った結果…-(以下、相手にとってはどうでもよい会議の議事録が延々と続き、そして最後にようやく)現在、製品の出荷を見合わせております……」ここには、肝心の出荷再開の見通しなどについてはいっさい触れていない。さらにひどい場合は、自分の、ミスであっても詫びの言葉ひとつさえ書いていなかったりする。この場合、相手がいちばん知りたいのは、問題の製品をいつ出荷してもらえるかである。
それがわからない場合でも、「再開の見通しが立ち次第、連絡を差し上げる」といったことくらいは書いておくべきだ。にもかかわらず、こちら側の社内事情だけを延々と書いている。書き手としては相手を煙に巻こうとしているのかもしれないが、これでは「あの会社は仕事ができない」という印象を与えるばかりである。特に英文レターでは、緒論から先に書くのが良いとされる。前記の例では、出荷が遅れていることをまず伝えて、出荷再開の日程がわかり次第、追って連絡を差し上げる、という結論の部分を冒頭に持ってこなければならない。言い訳はそのあとでよい。日本語の手紙では常套匂となっている「平素はたいへんお世話に-…」は、このようなビジネスレターの場合はまったく不要である。結論を先に言わずに「枕詞」を並べるという日本的コミュニケーシ一ンが染みついているのか、前記に掲げた悪い例のような手紙を海外に出す人は、ベテラン社員の中にも存外多い。しかし、たとえ英語で書かれた手紙であっても、これでは効果的なコミュニケーションは期待できない。

http://www.bekkoame.ne.jp/~urade/URADE.htm
浦出 善文
Yoshifumi Urade
* 所在地 : 東京都品川区
* 営業形態: 個人事業(「翻訳小僧」)/直・代
* 専 門 : <英日/日英>
エレクトロニクス(AV・通信機器)、電気、半導体(製造装置含む)、
コンピュータ一般(各種ハード・ソフトウェアマニュアル/マルチメディア一般)、
工作機械、品質管理(含ISO規格)、貿易実務、物流、政治経済一般、ビジネスレターその他;英文スピーチ作成、原稿執筆など
* 特 長 : 
1. 家電メーカーでの様々な経験を活かし、実用本位の英文/和文を作成します。
2. 英文レター作成や貿易実務にも精通。英語教材の制作経験等も豊富です。
3. 専門用語の電子辞書やインターネットを活用し、迅速に的確な専門用語に訳します。 * 経 歴 : 
1961年、北海道出身。1984年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。某エレクトロニクスメーカーで役員付通訳・翻訳担当(4年半)のほか、物流、海外広告・宣伝、英会話教材企画、国内・海外営業等の業務を足かけ10年にわたり経験。1993年にフリーランスの産業翻訳者として独立。1995〜96年、月刊誌『通訳・翻訳ジャーナル』(イカロス出版)に「商業英語の基礎知識」を連載。96年12月号から99年5月号までエッセイ「ボクはおじいちゃんの英語屋さん」を連載。
1996年9月にウェブサイトを使ったフリーランス産業翻訳者人名録「翻訳横丁」を創設、その管理人を務める。
* 著 書: 『英語屋さん ―ソニー創業者・井深大に仕えた四年半』(集英社新書)
* 訳 書: 『情報センスを磨く時』(ダイヤモンド社刊)
* 資 格 : 
o 財団法人日本英語検定協会 実用英語技能検定1級 合格('82年)
o 日本商工会議所 商業英語検定試験Aクラス 合格('88年)
o 社団法人日本翻訳連盟 ほんやく検定1級 (英和)合格('94年)
* 作業環境:
o Macintosh LC 575, VAIO PCG-F23/BP(使用アプリケーションソフトウェア:
マックライト・、Microsoft Word 98 for Win、クラリスワークス4.0など)
※テキストファイルまたはWord(98)ファイルでの納品に対応可能(作図・作表等を含むWordによるページ編集も外注で対応します)。
o 富士通 OASYS 30LXIII
o プリンタ:HP DeskWriter 560C(for Mac)、HP DeskJet955C
(for Win)
o ハードディスクに各種の電子辞書を搭載、迅速な検索を可能にしました
* 連絡先:
o TEL: (03) 5498-0665  FAX: (03) 5498-0518
o 電子メール: GFH01211@nifty.ne.jp(連絡用=テキスト形式のメールのみ受信可能)
※業務用のインターネットアドレスは、これとは別に設けております。
o ホームページ:http://www.bekkoame.ne.jp/~urade →詳しい営業案内はこちらをクリックしてください。

http://www.shueisha.co.jp/seishun/urade.html
異動したその日から悪戦苦闘が始まった
「浦出さんは、本当にいい時代に井深さんのおそばについていたわよね」
 今は亡き井深さんの秘書を長年にわたって務めた倉田裕子さんは、私と会うたびに口癖のようにこうおっしゃる。まだペイペイのソニー社員だった私が異動してきたばかりのころ、「井深名誉会長には新米の『英語屋さん』がついていきますので、よろしくお願いします」などと訪問先に紹介してくださったのが、このベテラン秘書の倉田さんだった。
本書の名は、思い出深い当時のこの呼び名から取らせていただいた。
 私が井深さんの英語屋(通訳兼カバン持ち)を拝命した当時、齢(よわい)すでに七十七に達していた井深さんは、現役でソニー株式会社の名誉会長を始めとする数々の要職にありながら、その一方ではライフワークである幼児教育と東洋医学の問題に精力的に取り組んでおられた。かの天才的起業家は、ときには自分がソニーの創業者でありそのトップの座にあったことなどすっかり忘れてしまったかのように、自分でなければできないこれらのテーマを研究し、実践を進めていた。井深さんは、ひとたび何かを作ってしまうと、もうそれには飽きて、さっさと興味の対象を別の何かに変えてしまう発明家肌の技術者だった。
 その異動の二年前に、エレクトロニクスの世界と国際的な活動の場に志を抱いてソニーに入社した私だったが、井深さんの英語屋を拝命してからというもの、勉強すべきことが一変してしまった。
 そもそも、大学は文系の学部出身で、当時まだ独身だった私は、幼児教育や医学の知識などまったくと言っていいほど持ち合わせていなかった。井深さんの発言には、「トイレのしつけ」やら「おしめ」がどうのこうのという幼児教育の話題が出てきたかと思えば、その次の瞬間には、鍼灸やら指圧といった治療法だの、すい臓やら十二指腸といった身体の臓器の名前が矢継ぎばやに出てきた。そういう基本的な語彙についても最初はそれにあたる英語を知らず、数々の失敗を通して学んでいかなければならなかった。
 さらに悪いことに、英語ができると吹聴(ふいちよう)して会社に入った私には、実は留学経験もなければ海外生活の体験さえまるでなかった。会社のほうもそれを知っていながら、よくも通訳のような仕事を務めさせたものだ。しかも、育った家はごく普通の家庭で、居並ぶVIPの前での立ち居振る舞いもまったくわからない。井深さんの英語屋として異動したその日から、経験未熟な若手社員であった私の悪戦苦闘が始まったことは想像に難くなかろう。
私の「工夫」を楽しんでいた井深さん
 受験で培(つちか)った英語の語彙や英会話サークルの活動などを通して、コミュニケーションの道具として英語を使うことに多少は自信を持っていた私ではあったが、最初のころはまるでダメな通訳であった。「なぜ、たいした技量もないこの自分がこの仕事に選ばれたのだろう?」――あまりのふがいなさに、こう自問する日々が続いた。
 そのうち、手を変え品を変えつつ、ごまかしながらも、英語屋としての仕事も何とかこなせるようになってきた。最初は「できない」ということも、場合によっては仕方がない。しかし、何もやらずして「できない」などというのは言い訳に過ぎない。策を弄して為せば成る。そのときの経験談に加えて、コミュニケーションの手段としての英語術体得のノウハウなどを交えながら書き綴ったのが本書である。
 これはかなりあとになって気づいたことだが、井深さんは、ネイティブスピーカーのようには英語を話せない私のような社員を好んで使っていた節がある。いやしくも国際企業として名高いソニーのことだから、私などより流暢(りゅうちょう)に英語を操る社員はいくらでもいた。何も私のように訥弁(とつべん)の英語の使い手でなくても良かったはずだ。それにもかかわらず私のような者をあえて起用した背景には、ネイティブスピーカーばりのスピードで通訳されると、井深さんの耳には何を言っているのか聞き取れなくてつまらない、という理由があったようだ。
 どうやら井深さんは、私が悪戦苦闘しながらもひとつひとつ問題を解決していく様子を観察しながら、「ああ、あそこはこう工夫して表現したんだな」と、自分が言いたいことが英語で表現されていくプロセスを楽しんでおられたらしい。実際、私が通訳して使った言葉を、その次の機会には井深さんが自分自身で使われたことが何度もあった。
 後年、井深さんの言葉と伝えられる箴言(しんげん)を何かで読んだことがある。曰く、「私は専門家など信じないことにしている。専門家というものは、とかくできないことの言い訳ばかり考えている」。素人半分の英語屋であった私を四年半も使い続けた井深さんは、言い訳などしないで何とかしようとしていた私の努力を買ってくださったに違いない。井深さんは、私ごとき若輩のちょっとした工夫でも取り入れて活用された。たとえば井深さんがマスコミからインタビューを受けている最中に、どういうことが何年にあったということがなかなか思い出せなくて、話に詰まってしまうことがときどきあった。そこで、井深さんが好んで引用される話だけ社史から抜き出して、くるくるとめくって見られる形に綴じた年表の「アンチョコ」をワープロで作って差し上げたところ、その後のインタビューではそれを隠しもしないでめくっておられた。
 井深さんにとっては、人前での体裁などいわば二の次であって、実際のコミュニケーションに役立つかどうかが第一だったのだろう。
この貴重な経験を多くの人に伝えたい
 齢八十近くに達してなお、自らの意思を英語で伝える技術を工夫しようとする井深さんの姿に、私はいたく感銘を覚えた。そして、もし機会があれば、この偉大な創業者の近くに仕えていた当時の貴重な経験談を少しでも多くの人に伝えたい、という願いをひそかに持ち続けてきた。
 その願いがいま実現する。ソニーを退社してすでに数年がたち、草廬(そうろ)の中にある無名な私に目をつけて本書を世に送り出そうという集英社の新書編集部各位の斬新な着想と大胆な企画力には、感謝の念とともにいささかの感服を禁じ得ない。
 僭越(せんえつ)を顧みずここで本書を宣伝させてもらうならば、平凡な日本人社員が英語によるコミュニケーション技術を伸ばしていく姿や、偉大な起業家であった井深さんとその周辺の人々の巧みなコミュニケーションの取り方について、筆者が自らの実体験を踏まえて具体的に伝えているという意味では、本書はこれまでにあまり類を見ない一冊ではないかと自負している。
 これは余談だが、この本を執筆している私はいま三十八歳。奇(く)しくも、井深さんが終戦直後の東京でソニーの前身である東京通信工業株式会社を設立したときと同じ年齢である。この年から町工場同然の小さな会社を創業し、やがて世界のエレクトロニクス業界をリードする大企業・ソニーの基礎を築いた井深さんの起業家としての才覚とリーダーシップにはいまなお驚嘆するばかりだが、その背景には、リーダーとしての卓越したコミュニケーション能力だけでなく、井深さん自身およびそのスタッフの内外の人々に対する温かい気配りや周到な手回しがあった。井深さんのそばに仕えていた当時の思い出を、ソニー創業当時の井深さんと同じ年齢にある私が本にまとめて出すのも何かの縁かもしれない。「人が作らないものを作る」というのが井深さんの信条であった。井深さんの偉業には遠く足下にも及ばないが、そのそばに仕えた自分でなければ書けない本書を世に送ることで、いくらかでも恩返しができれば……などという思いも心をよぎる。
 井深さんの偉業に思いを馳せつつ本書を執筆しながら、その一方でミレニアムの到来などと浮かれ騒いでいる世相を見やれば、日本の社会はいまや、ソニーが創業された終戦直後にも匹敵する大変革期の真っ直中にある。
 打ち続く大不況を背景として行われるリストラに名を借りた従業員に対する冷遇や苛酷な人減らし、実力主義という美名の下に行われる怪しげな人事評価制度の導入などによって、かつて日本企業とその従業員の間にあった信頼関係はいまや大きく揺らいでいる。インターネットを軸とした情報化社会への大きなうねりの中で、古き良き工業化時代の輝きはすでに失われ、私がかつて働いていた温かい雰囲気に満ちた職場の姿も過去のものになりつつある。しかし、いつの時代も変わりなく、いや、こういう時代だからこそ、企業や社会のリーダーやそれを補佐する人々には、人に接する際の豊かな表情や会社の内外に対する気配りといった非言語的手段も含めた意味でのコミュニケーション能力の優劣が問われてくる。新時代を切り開くアイディアや構想を正しく円滑に伝達することのできる、またそのような人材を活かせるリーダーこそが、次の時代の帰趨(きすう)を決するといっても過言ではない。
 私のような下手な英語屋をも自らの目的に合わせて使いこなせた井深さんという希世の天才やその周辺で働いていた人々の巧みな技が、本書によっていくらかでも伝えられ、新たな時代を生き抜く上で少しでもヒントになるとしたら、それはまさに筆者として望外の喜びである。
【浦出善文さんの本】
浦出善文著『英語屋さん―ソニー創業者・井深大に仕えた四年半―』
プロフィール
うらで・よしふみ●産業翻訳者。1961年北海道生まれ。'84年ソニー株式会社入社。同社の創業者である井深大氏専属の「英語屋」を4年半にわたって務めた。'93年退社、フリーランスの産業翻訳者「翻訳小僧」として独立。訳書に『情報センスを磨く時』がある。
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/0004/06/paper/to
day/book/06boo004.htm
書評 英語屋さん
 「キミにね、ある人の通訳兼カバン持ちをやってもらいたいんだ」。当時ソニー社員だった著者がそういわれて引き合わされたのが名誉会長だった井深大氏だった…。「英語屋」として四年半仕えた。世界のソニーのトップの言葉を相手に伝える涙ぐましい努力。英文レターとの格闘。海外出張中にカバンを置き忘れた失敗談も織り交ぜながら、著者が目の当たりにした創業者のさまざまな言動を温かい目でつづった。コミュニケーションで大切なのは言葉だけではないことがよくわかる。浦出善文著。集英社新書。六六〇円。


型2.欅や樫のような伸び方をする研究の展開
優先的に伸びた1本の幹が数多くの枝に分岐し、その各々が天高く繁る。民間の研究機関。
型3.竹が竹林を作るような発展をする研究の展開
創意と勘により新分野で旗をあげるもの。各種の研究機関。
型4.つつじやうつぎのように育つ研究の展開
いわゆる潅木研究で研究水準が固定して進歩が認められない。研究報告は数多くでるが新味と進展がない。大学や国公立研究機関で同じ実験方法でデータを積み重ねているもの。よき指導者のいない場合に起り易い。
型5.藤やぶどうの木のように独立して伸びることの出来ない研究の展開
学識も研究能力も相当に持ちながら独歩の気迫にかけ指導者に頼るものである。よき指導者が重要な役割。
型6.柿ノ木のように経年する研究の展開
柿ノ木は若い頃はよく育ち幹も太り大きな根が地下に伸びるがしばらくすると幹の太りは止まり、根も成長せず枝は代謝して大きくならない。しかし寿命は長く、毎年、同じ様に柿の実を作る。研究で言うならばある程度、実績の出来た後は目立った進歩もなく永く平凡な研究ものがあたる。研究能力向上が止まり、むしろ退化が起っている。再教育が役に立つが、実際には退化しかけた研究者を救うのは難事であり、かえって残酷なことになりかねない。
型4,5,6は好ましくない研究展開の例である。
その他、麦や稲のような1年草の研究展開型、浮き草、椰子やしゅろのような幹高く伸び枝の出ない型、宿り木型あり。
7.重点度;研究の種類と性格の重点度
基礎研究 応用研究 開発研究
1.未知の分野の探求を 未知の分野の探求を 開発に不随する
主体とし、学問科学 主体として産業生活 未知事項の究明
の進歩に寄与する の進歩に寄与する
2.未知の分野に立つ 未知の分野に立つ 未知ではあるが
開発上適当とされる分野に立つ
3.研究者が独自の判断 研究者独自の判断で 研究者独自の判
で研究を勧め学界の 研究を進めるが常に 断で研究を進め
情勢に注目する 業界の情報に注目 るが常に開発の
する 要求に従う
4.研究能力、特に学問 幅広い知識を持つ熟 経験に富む人間
の探究に適した研究 練した研究者を主体 関係のよい研究
者が研究に当たる とした研究を進める 者を望む
5.一元化した問題を中 環境を主体とし、情 開発の意向を取
心に研究を展開し 報に注目し可及的速 入、綿密な研究
続ける かに成果をあげる 計画を立て実行
6.誤りなきを期す 独創を尊ぶ 協調を尊ぶ
7.学問的発想を尊ぶ 勘を働かす 遺漏なきを要する
8.学問的蓄積の増大に 最大の効果を狙う 臨機応変の処置
努力する をとる
9.結果の解析吟味を十 評価を随時十分に 評価を十分にし
分にし一般的な結論 行い産業生活に役立 実用化に指向す
を導くように努力 たせる るよう努力
10.公表して討論、批判 公表するにしても 公表するとすれ
の材料とする 慎重に行う ば開発完成後
11.特許などにはほとん 特許権獲得が重要 特許・実用新案など
ど関係ない 事項である になり得るものがあ
れば処置をとる
12.秘密とする事項のな 秘密厳守が重要 秘密厳守が重要
いのが原則

8.生産工場になぞらえて
3.研究機関の種類と性格
1.研究機関の種類
(i)大学学部の研究室
(ii)大学の付置研究所
(iii)国公立の研究所
(iv)法人研究所;特殊法人研究所は日本特有
(v)独立した研究専門機関
nonprofit research institute, commercial laboratories
(vi)民間企業における研究機関

2.研究機関における性格
4.研究体制
1.主要国の研究状況
主要国の研究者数、科学技術白書 s47年版
国名   総数   人口1万人当たりの研究者数
日本s46 194,347人 16.6人
米国s43 550,200 27.4
英国s42 56,571 10.3
仏国s43 55,160 11.0
西独s42 61,559 10.5
ソ連s43 627,900 26.4

主要国の研究費の費目別構成比率、科学技術白書s47
   人件費 固定資産購入 原材料費 その他
日本 43.6% 22.9% 16.5% 17.0%
英国 48.6 12.6 22.0 16.8

2.日本の研究体制

研究機関の研究費の性格別割合s45年度;科学技術白書s47
      基礎研究  応用研究 開発
経 国営 36.4 43.8 19.8
営 公営 5.9 54.3 39.8
主 民営 22.3 35.8 41.9
体 特殊法人 9.8 24.4 65.8

学 理学 32.4 47.2 20.4
問 工学 14.7 28.8 56.9
別 農学 14.3 55.3 30.4

大学等の研究関係従業者数の構成比率s46.4.1 科学技術白書s47
研究者 研究補助者 技能者 その他関係者
全体 61.2 8.6 13.3 16.5
国立 57.6 7.9 16.6 17.9
公立 75.9 2.4 7.9 13.7
私立 66.6 11.4 7.6 14.4

3.各国の研究体制
4.研究体制上の要点
5.研究機関の構成
1.組織の概要
2.組織の要点
3.人員の構成
4.人員構成の要点
6.研究機関の運営
1.運営の特色
2.人事
3.経費と予算
4.研究目標の選定
研究目標は研究の成果への期待であって具体的な研究の対象ではない。大学の研究室なら、フェライト化学への寄与、高分子化学への参画、のようなもの、公立研究所なら、排水公害への対策、海中資源開発への進出、企業体の研究機関なら希土類工業への進出、石油化学工業への進出、というもの

5.研究題目の決定
大題目;研究機関の首脳が各研究部門に与える総括的題目
中題目;各部門が各研究室または研究班に与えるもの
小題目;研究者に与えられるもの
研究題目は可及的幅広いものがよい。そのなかに多くの思考と創意が盛られるように組む。
よき題目の持ち駒を沢山持ち、これを適所に適時に打つのが研究指導者または管理者の務め。このためこれらの者は常に勉強して視野を広める必要あり。

6.研究計画の設定
7.実験計画の立案
8.評価
評価は、研究に要する努力と得られる成果を対比する行為であって研究を進める指針である。研究に要する努力の推定は比較的容易である。しかし成果の推定は容易ではない。大学などにおける基礎研究では学問的成果が主体であり、主観的なものであり、その時の環境に著しく左右される。従ってこの場合の評価は研究者または研究指導者の胸に納められていてあまり書式的なものではない。
応用研究の場合は効果は複雑で簡単には推定できない。効果の要因が極めて多いのでそれらを分類して別々に処理する。定量的に効果を表すことは困難で結果も定性的である。企業における評価の重点は直接的な利益に置かれる。
i.その研究が新製品、新技術の開発か、事業に役立つか
ii.出来上がった事業の将来性いかん
iii.出来上がった事業と他の自己の事業との関連性
iv.出来上がった事業と他の関連事業との関係
v.他社の同一事業との競争状況、即ち事業としての安定性
vi.出来上がった事業の規模とそれに伴う資本の投下、陣容の整備
いつ評価を行うか?
1.研究目標選定の際
2.研究題目決定の際
3.研究計画設定の際
4.研究が一つの段階を越えたときに行われる
5.最後に行われる評価は所期の研究が一応目的を達した時に行われる。これは、研究した経路をよく解析して反省すると同時に結果を取りまとめる資料とし、更にこれを次の段階すなわち開発にまわす良否を判断するものである。この最後の評価こそ実に重要なもので多くの関係者が幅広く検討すべきものである。要すれば特定の公表を行って意見を聞く。
書式的な評価にしても主観的な評価にしても記録に残し後の参考にすることが重要である。大学や国公立等の研究者は主観的評価の記録を積み、出来ればこれを公表して貰いたい。企業においてもその研究が事業として出発した暁には評価の記録を公表されることを私は昔から希望している。

9.調査
10.特許処理
11.秘密保持
研究者の研究記録はただ一つ、研究控え帳にまとめる。研究毎に控帳を準備、ノート形式であってルーズリーフのように取り離し出来るものであってはならない。研究事項はこのノートに日記的に記述し計算や図 面も添付、毎日、指導者、管理者の検印を受ける(米国ではこの検印が公正証書の役をなす)。研究室の金庫に保管される。研究結果の取りまとめや意見のようなものも全てこのノートに期される。この研究控帳が研究機関の最も重要は財産である。

12.研究の環境
7.研究者と研究指導者
1.研究者の性格と特色
研究を希望する者には性格の鋭い者が多い。しかしこの鋭いことが必ずしも研究成果には直結しない。実直な性格の持ち主も多い。この性格のものは特色のある研究成果をもたらすことが比較的多いようである。新味を好む者も多いようである。学問を好むものを研究者となることを希望する場合が多い。しかし知恵の多い人はあまり研究を好まないようである研究の型にも種々の特徴がある。実験が好きな型 、解析が好きな型、新しい発想に基づくが最後の結論に達しない人、途中から研究を引き受け仕上げる人。実験計画を立てるのに興味を持つ人、装置を組立てることの上手な人、研究結果を取りまとめるのが得意なもの、好まないもの、成果の発表を躊躇するもの、大いに発表したがるもの。研究指導者はこのような研究者の性格と特色を十分に認識していなければいけない
2.研究者に必要な認識
3.研究の態度
研究にも定石がある。
i. 生きた研究をする。データなり調査値は速やかに整理して研究を進める。
ii.研究において失敗は恥じではないが、間違いは恥じで罪深い。そのためには疑うことが重要である。
iii.独創を発揮するためにはどうするか。真似ないこと。幅の広い知識学問を身につけること。自分の研究分野以外の他の分野において。潜在知識となり独創の基になる。精神の集中。勘の重要性。
iv.研究は与えられたドメインのなかで自由奔放に行う。
v.研究者が自主的に進める。
Vi.常に怠らずに研究状況を書くことが重要である。
vii.研究毎に研究控帳を準備する
viii.研究結果の公表、特許処理、秘密保持は機関決定に従う
4.研究指導者の役割
5.協同研究者
6.受託研究者
7.研究者のエチケット
会社の不利益となるようなことは口外してはいけない。逆にさぐりを入れるようなことも望ましくない。講演者が喋りたくないような事項はなるべく質問しない。

研究生活40年
非売品、s37年4月1日発行 258ページ
著者、武井武、発行者、武井武先生還暦記念会
(1901明治33年) 1900年生れ埼玉県
1919大正8年  蔵前の東京高等工業学校電気化学科3年
東北電化株式会社フェロアロイ製造、加藤与五郎
1923大正12年9.1 関東大震災、関東亜鉛鍍金会社にて
1924大正14  東北大入学
1927昭和2.3.31東北大金属材料研究所補手
1929昭和4.4.1 東工大発足とともに、電気化学科で助教授
1934昭和9.3 東工大付置の建築材料研究所の研究員
1935昭和10.4 欧米研究室視察、酸化金属磁石
1942昭和17.11 財団法人重金属研究所発足八木秀次学長理事長
1948昭和23.6 公職追放(東工大から)外地における資源調査
1949昭和24.3 株式会社科学研究所入社
1951昭和26 追放解除
1952昭和27.4 慶応工学部応用化学科教授(科研と兼任)
1952昭和27.4 藍綬褒賞、酸化金属磁心・磁石の発明
1957昭和32.3 日本生産性本部の研究機構調査団、欧米調査
1958昭和33.10 特殊法人・理化学研究所
1959昭和34.7.15 理研定年退職
1961昭和36年 還暦
<1978昭和53年文化功労者>

序;この書は私の還暦記念としてか金の好意に甘えて書きたいことを勝手に書いた道楽物。三菱電気、TDK、信越化学工業等の援助
近ごろ研究をどうしたら能率よく行えるか興味、これを研究管理又は研究合理化と呼ぶが、これを随筆にした。
○調査団員として出発するとき;鍍金情報 S32.1
s32年3月に日本生産性本部の研究機構調査団の一員として欧米の研究所を視察。出発前に日本の有名な研究所をいくつか見た時の感じでは、民間研究所では真似で一杯で独創的な研究は殆ど実らないにように思えた。大きな原因は独創的な研究を期待していないことにある。
○研究機関を巡って;電気化学
3ヶ月に亘り欧米の代表的、大学、研究所、会社の研究室、50以上を訪問。
大会社の研究所;独創的研究、基礎的研究が重要視されている
研究成果をあげる秘訣は、優秀な研究者が十分に研究出来るようにすること、それ故、優れた研究者を得るのに非常に苦心している。サービス部門を完備して研究者が十分能率を上げられるようにしている。中規模の会社では、研究委託の例が多い。第三は協同研究である。
非営利研究所;カルフォルニアにはスタンフォード大学のStanford Research Instituteは1500名の陣容と14百万ドルの年間予算、収入の50%は民間からの委託研究費、他は政府機関からの委託研究費シカゴのArmour Research Foundationもイリノイ大学を背景とした非営利研究所である。米国には、10この種の研究所。これらの研究所には優秀な研究マネージャーと研究者がおり、研究設備とサービス部門が完備。
協同研究;企業組合Trade Associationの研究所、研究組合Research Association等がある。英国には40以上もの協力研究組織がある。研究組合は、主として、関係業種会社より成る協会又は協議会などによって維持されている独立機関である。Iton and Steel R.A.はResearch Council of the British Iron and Steel Federationを中心とするもの。
研究組合は、協会や協議会からの支出と政府の支出とで運営で政府の支出は平均として全体の1/4程度。西独のMax Planck Gesellschaftもこれと類似の研究組織。
ゲゼルシャフトは国内各所にそれぞれの専門の研究所、それぞれは業界からの委託と政府の補助とで運営。ジュッセルドルフの鉄鋼研究所では予算の2/3が鉄鋼協会から、残りは政府。研究は自由に行われ、ドイツ工業の発展に役立つという観点から自発的に決定、民間からの委託研究も一般的な問題では受入れられていた。大学教授が研究の指導に当たることは注目。

○欧州における研究機構、インダストリーリサーチ、s33.12
1.米国では政府負担の研究の大きな部分を委託研究で民間産業界に依頼、西欧では政府自身の直轄の研究所で実施、未解決の研究には補助金を支出。
2.米国では大学を背景とする非営利研究所又は営利研究所が発達、西欧では協同研究体制が発達。
3.大学が基礎研究の場であり、研究者の養成と訓練の場であることは欧米で同じ。

研究意欲の増進;事務と経営、s33.12
○よい研究者をうるミチ;researchは創作、developmentが実用化
○研究意欲の増進;待遇が最も大きな因子、風光明媚な場所に
○研究の設備と施設;研究の自由と成果公表、ディセントラリゼション

研究におけるIntensity Factor,日本化学工業 ,s33.10
IRI(Industrial Research Institute)の56年春大会で、研究意欲を向上させるために指導者はどうするべきか、なる円卓会議で有効な方法を7項目、第一はprovide recognition beyond salary;褒賞、公表、敬称、役得、現金ボーナスが考えられる。
一方で、これが最もコントラバーシャル。5番目にFreedom to select assaignments, 第7番目がapply pressure directly;期限をつけたりすること。研究に対して期限を付けることは欧米における工業研究の一つの定石のようにもなっているが、基礎研究家には適用出来ないものと思われる。

研究機構調査の海外視察
調査団は内田俊一(東工大学長)を団長に11名。私は副団長科研は亀山会長が予算がないから無理といわれTDKから。s32.3.19羽田発、スタンフォード研究所は戦後に出来た非営利研究所1500人が年間60億円の研究費、研究態度が真 剣。研究を怠けたら食えなくなる。だから熱心に研究の合理化を考え、効果をあげる。イーストマンコダック研究所では、自分の好きな研究を自由にやってよい研究者が沢山いた。
ビュローオブスタンダードを見学、官立の研究所には如何にも活気なし。国から給料を貰って安易に研究しているとこういう風になる。ここには若い研究者は少ない、業績の上がった研究者は会社に迎えられて去る、と言っていた。
ワシントンで科学財団や科学教育局で沢山の話を聞く。大学には基礎的な研究を分担、教授が真剣に研究するよう政府は委託研究の形をとる。応用研究は会社に依存、会社には政府が多額の委託研究費を支出して会社の研究を援助。米国は官公立の研究所に成果を期待していない。
英国では、大学の研究室が米国以上に学問の発展に寄与する基礎研究を主体とすることに気付く。仏国も同様。官立の研究所を一つ見たが真剣な姿に触れることが出来なかった。

ノートするなかれ;日本化学工業、s36年3月
昨年の暮れ、ある会社の研究会で私は研究の秘密漏洩防止について次のような自己流の議論を述べた。研究の記録は唯一研究所の金庫の中にあればよい。研究記録をプリントするのはもってのほかである。研究の討論にノートを使ってはいけない。討論に使った書き潰しは全部、その場で焼却せねばならぬ。研究報告を出す場合は唯一自書してこれを上長に見せる。上長はこれを閲覧の上、焼却するか金庫の中に保存する。研究記録は所外に持ち出すべきではない。
大学でノートする習慣の悪いことは識者の常に唱えること。ノートする習慣が人を不勉強にしてしまう。また物を考える興味を減殺する。外国人は決して人前ではノートしないと私は思っている。私は見学中には決してノートを出さない。多くは宿に帰って要点をメモする。これがエチケットではないか。

追放
s23年6月に東工大の教職から追放された。理由は戦争中外地において資源調査をしたためである。重金属研究所を引き受けラテライト(含ニッケル、クロム鉄鉱)の乳化選鉱法が比島において実施可能か現地を踏破したこと。追放になったとき、追放は名誉です、と言ってくれる人があったが、これは大抵冷淡な人であった。誠に気の毒です、といってくれる人が沢山いたがこれは真 に同情しての言葉である。追放されたことは決して名誉 でもなけれ愉快でもない、やはり寂しいものである。自由な日が得られるので釣りを始めた。温室に育った私には世の生存競争が真 味に感じたような気がした。知恵のない人間はなるべく知恵のある人間と一緒にならないようにするのがよいということも判った。
所謂五十の手習いであった。追放1年後に仁科所長の好意で科学研究所に勤めるようになった。昭和24年3月である。これは当時、東工大の学長であった和田小六や文部省の清水勤二大学学術局長の推挙によったもの。戦後の苦難時代で経済的に苦しい研究所に年長者が入るのは多くの抵抗があった。研究所の中の閥は強く根を張っていた。仁科は最初、主任研究員として採用予定であったが、遂に特例で仁科研究室の一員ということにした。s25年には岡本 祥一が来て、直ちにフェライトによる超音波発振の研究に着手し、魚群探知機用の試作に専念。
s26年の夏、仁科社長は遂に不帰の客となられた。苦しい経営の中で、はげしい閥関係の中で無理して奮闘されたことが病気の遠因であると聞いて私は本当に悲しかった。悲しい社葬の後で仁科研究室は分裂した。仁科の後をついだ坂谷希一社長はペニシリンの暴落、ストレプトマイシンの生産不調等で財源にこまり給料の遅配さえも行った。
次いで村山威士が社長となり、亀山直人が会長として来られた所員は亀山先生に多大の期待を持ったが、古い伝統と称するものが根強く張っており先生は仕事がしにくくかった。
研究員制度を改革したり、自ら技術部長となり研究制度を強化した科研の復興に努力。主任研究員を増員して、私も主任の仲間に入った。
[有名な研究者を主任に推薦すると投票で否と書く人がいる本当に科研はわからないところである」と亀山先生は述懐されていた。東京電気化学工業から1名ずつ委託研究出張の形で事務員をお願いしている。委託研究費の他、委託研究者をお願いしている。
科学研究所はs33年10月に特殊法人理化学研究所となり科技庁の所管に入った。長岡治男理事長、坂口謹一郎副理事長を迎えて研究所は気分を一新した。長岡理事長は所員の研究に可及的に自由を与 える方針を明らかにしたので研究所にゆったりした和やかな気分が生まれた。経済的に安定したのも有り難いことであった。私の研究室の年間研究費は1000万円をこすに及んだ。s34.7.15で定年に達し退職したが、招へい研究員となった。大越主任と私のために出来た制度。
武井研究室は熔融フェライト、薄膜フェライト、アルカリフェライト、バリウムフェライトフェライトの物理化学などの研究を行っている。

還暦を迎えて;TDKタイムズ s34.7
人生60才まで生きるのに特別の努力はいらない。従って、還暦を迎えても感謝される筋もなければお祝い受ける理由もない。ここで一つのくぎりをつける意味らしい。

釣り談義;日本化学工業、s34.6
釣りをあまり科学的に研究し過ぎると、つれすぎて魚がいなくなり結局楽しめないことになるので研究も度を過ぎてはいけないと思う。私は昔、魚の非常に好む香料を見出そうと思って実施研究をひそかにやっていたのであるが近ごろはこれは考え物であると信じ、研究を止めている。