ひとを<嫌う>ということ、中島義道、平成12年6月30日初版、角川書店、1050円
本書は、10/30に八重洲ブックセンターで買おうとして売り切れ東京に出る機会があり、再度、訪れるとありました。その後六本木で時間があり本屋を覗くと、なんとベストセラーコナーに平積みされておりました。
「嫌い」というネガティブな感情を冷静に分析した点で出色の本でした。社会学的に解析ではなく、やや心理学的、哲学的、文学的に自らの感情をもとにみており、面白い本でした。「欧州コンプレックス」という小節があるのですが、氏はウィーンでの生活が長いのですが、国内でより厳しく好悪に接するとも言えるので、その視点が研ぎ澄まされたかと思えました。
○はじめに
思えば、母は父を嫌って死の直前まで40年間彼に罵倒に近い言葉を浴びせ続けていた。その言葉とほとんで同じ言葉が、今や妻の口から出て来る。そして、私も父を死ぬまで嫌っていた。いや、死んでからもなお嫌っている。息子が、また私をはっきり嫌っている。これは一体何なのだ! 私は自ら生きてゆくために「嫌い」を研究するほかはないと悟った。つまり、私は自分を納得させるために本書を書いたというわけです。
「嫌い」という感情は自然なものであること、そして恐ろしく理不尽なものであること、しかもこの理不尽さこそが人生であり、それをごまかしてはならないこと、このことです。
○「嫌い」の結晶化作用
スタンダールは恋愛における2重の「結晶化作用」について論じています。第一の結晶化作用とは次のもの。
ザルツブルグの塩坑で寒さのために落葉した1本の小枝を廃坑の奥に投げ込んでやる。2,3ヶ月もして取出してみると、それは輝かしい結晶で覆われている。一番小さな枝、せいぜい山雀の足くらいの枝までが、まばゆいばかりに揺れて閃く無数のダイヤモンドで飾られているのだ。もとの小枝はもう認められない。私が結晶化作用と呼ぶものは、目に触れ耳に触れる一切のものから、愛する相手が新しい美点をもつことを発見する心の働きである。
スタンダールは触れていませんが、このことはそのまま「嫌い」にも当てはまる。なんとなく気に食わなかった人があるとき当然「結晶化作用」により大嫌いになることは誰でも知っています。そして恋愛における第二の結晶化作用とは、相手が自分を愛していることの確信へと向かう結晶化作用であり、疑惑と確信との間を揺れ続ける「交互作用」です。
恋する男は15分ごとに呟く。「そうだ、彼女は私を愛している」と。そして結晶化作用は一転して新たな魅力を発見することに向かう。と、ものすごい目をした疑惑が彼をとらえ、にわかに彼を引き止める。胸は呼吸を忘れる。彼は自問する。「だが、彼女は私を愛しているのだろうか」痛ましくもまた甘いこうした相互作用の最中で、哀れな恋人は痛感する、「やっぱり彼女は私に与えてくれるにちがいない、世界中で彼女だけが与えることのできる喜びを」と。
どうも「嫌い」の場合はこうした交互作用はあまり一般的ではない。
○「嫌い」の8つの原因
この8つの原因は、私なりによくよく考えたもので「嫌い」の原因を網羅していると自負できます。ほとんどのケースは1.が基盤となり,3,4へと移行してゆき、最終的には8.へと発展していって「嫌い」は完成される。
○いつも他人と感情を共有したい人
人類には相手に期待もし自分も期待されたい人種と相手にも期待せず自分も期待されたくない人種に二分される。前者は「善人」であって、こちらが圧倒的多数派です。善人とは「嫌い」に向き合わない人と言えます。この人種には大きく分類して2通りある。一つは、自分は善意の被害者であり。相手がいつも加害者であるという人。もう一つのタイプはすべて他人は善人だと見なす人。
○恩をめぐる「嫌い」
ラ・ロシュフコーの言葉。
ほとんどすべての人が小さな恩義に喜んで恩返しをする。多くの人が中くらいな恩義を恩にきる。しかし大きな恩義に対して恩知らずでない人はほとんど一人もいない。
○嫉妬の構造
多くの人生通が嫉妬の重みを承認していることを知ると私のような嫉妬深い人間はまことにホッとします。
嫉妬とは「あらゆる不幸のうちで最もも辛く」(ラ・ロシュフコー)、「すべての苦悩のうちで最大のものであり」(スタンダール)、「悪魔的背徳」(カント)、「人間の情念の中で最も普遍的な根深いものの一つ」(ラッセル)であり、「人間性の究極の本質」(谷沢永一)なのですから。
○正しい嫉妬
バートランド・ラッセルは死後開封が許された遺書の中で「自分が哲学をやめたのはヴィトゲンシュタインに出会ったからだ」というようなことを述べている。
○成功者と不成功者
若くから世に出たモームであればこそ、叙述は真
に迫っています。彼はまたなかなか言えない真実を語っている。
成功は人々と虚栄、自我主義、自己満足に陥れて、台無しにしてしまう、という一般の考えは誤っている。あべこべに、それはだいたいにおいて人を謙譲、寛容、親切にするものである。失敗こそ、人を苛烈冷酷にする。
○その人だから嫌い
スピノザは「誤った観念に属する積極的なものは、真なる概念が現れてもそれが真であるというだけでは何ら除去されない」
○自分の弱点を相手に投影する
「嫌い」の原因を探ることは絶大なプラスの効果があるのです。自分の勝手さ、自分の理不尽さ、自分の盲目さが見えるようになる。
○豊かな「孤独」
ラ・ロシュフコーの鋭い言葉; あまりに急いで恩返ししたがるのは、一種の恩知らずである。
○「嫌い」は自己反省させる
ヒルティは認めるのはなかなか困難ですが、紛れもない真実を語っています。
交際相手としてはけっして愉快ではないが、しかし最も役に立つのは敵であろう。それは、彼らが将来友となる場合もママあるからというだけではない。とりわけ、敵から最も多く自分の欠陥を率直に明示され、それを改めるべく強い刺激を受けるからであり、また敵は大体において人の弱点について最も正しい判断をもつからである。結局、我々は敵の鋭い監視のもとに生活するときのみ、克己、厳しい正義愛、自分自身に対する不断の注意といった大切な諸徳を、知りかつ行うことを学ぶのである。
○「嫌い」と結婚
私がこの歳になって心から望むこと、それは夫婦とか親子とか師弟、さらには知人とか職場の同僚とかの「嫌い」を大切にしてゆきたいということ。そこから逃げずに、「嫌うこと」と「嫌われること」を重く取りたいということです。
どんなに誠心誠意努力しても、嫌われてしまう。どんなに好きでも、相手は私を嫌う。逆にどんなに相手が私を好いてくれても私は、彼(女)が嫌いである。これが嘘偽りない現実なのです。とすれば、それをごまかさずにしっかり見据えるしかない。それをトコトン味わい尽くすしかない。そこで悩み苦しむしかない。そして、そこから人生の「重い」豊かさを発見するしかないのです。
目次
はじめに
1.すべての人を好きにはなれない
嫌われない症候群、中学生に見る人間本性、「嫌い」に向き合わない人、他人の「まなざし」の厳しさ、サラッと嫌いあう関係
2.「嫌い」の諸段階
日常的な「嫌い」こそ難問である、えせ平等社会、中学生日記「あいつ」、先生の「人間宣言」、みんなから嫌われる生き方もある、「嫌い」の結晶化作用、適度の復讐のすすめ、「嫌い」の効用
3.「嫌い」の原因を探る
「原因」とは何か?、原因と自己正当化、真の原因は自覚されない、「嫌い」の8つの原因
(1)相手が自分の期待に応えてくれないこと
家庭の中の期待、いつも他人と感情を共有したい人
(2)相手が現在あるいは将来自分に危害(損失)を加える恐れがあること
自分の弱みを握る人を嫌う、恩をめぐる「嫌い」
(3)相手に対する嫉妬
嫉妬の構造、嫉妬は自尊心を傷つける、正しい嫉妬、嫉妬と自己愛
(4)相手に対する軽蔑
軽蔑は快である、モラヴィエの「軽蔑」、ジッドの「女の学校」、モーリヤックの「テレーズ・ディスケイルー」
(5)相手が自分を「軽蔑している」という感じがすること
成り上がり者の苦悩、技巧を見破る目、欧州コンプレックス,持てるものと持たざる者との会話
(6)相手が自分を「嫌っている」という感じがすること
人間は理不尽に嫌う、適度に「嫌い」のある人生
(7)相手に対する絶対的無関心
全ての人には関心は持てない、成功者と不成功者
(8)相手に対する生理的・観念的な拒絶反応
その人だから嫌い、自分の弱点を相手に投影する
4.自己嫌悪
自己嫌悪と自我理想、自己嫌悪と「ひきこもり」、「人間嫌いという名の自己嫌悪、自己嫌悪における自己愛、豊かな「孤独」
5.「嫌い」と人生の豊かさ
「嫌い」を抹消することはできない、「嫌い」は自己反省させられる、人生を「重く取る」こと、「嫌い」と結婚
あとがき
参照文献