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「日立の頭脳、新しい視点から日立の技術を捉える」加藤勝美、1991年10月1日、講談社、1500円

5冊500円古本コーナーで見つけたものですが、電子顕微鏡開発という1本の線のもとに技術開発をとらえたなかなかの秀作でした。戦前の1941年に日立電顕1号機が完成という古い歴史があるとは知りませんでした。電子線ホログラフィーについては外村彰氏の映像に対する執念、勿論その才能の裏付けがあって成功したのですが、その意志の強さを感じました。
この中で清成すすむ氏(動燃2代目理事長)のエピソード、「すると清成はにわかに顔色を変え「君達がつまらないと思うことが製品としては一番大事なんだ。お客様の迷惑を考えてみろ」と厳しく叱りつけた。」はなるほど、信念の人、清い人らしいと感心しました。
電顕そのものは、走査型トンネル顕微鏡STMのアイデアはすごいものです。

○HUー2型成功
笠井は日立入社の翌1940年12月から、中央研究所建設事務所長となっていた。武蔵野の7万坪という広大な土地の中に研究所をたてるという小平の計画で、「相当遠い将来を目標において基礎的研究をする、電気より物理、純正化学などに重きをおく」(小平)
当時の日立研究所は日立工場のどまんなかに位置しており研究者たちが考えあぐねると、下を向きながら工場内をふらりふらり歩き回った。それを目にする現場の連中が、研究所の連中はヒマらしいと色々な仕事を持ち込んでくるため研究者本来の仕事ができなくなる、それを見ていた小平が、工場の連中から見えないところに研究所を作ろう、と考えたらしい。

○エレクトロンダンス
1950年からは電顕メーカー5社乱立時代に入った。当時の年間需要總台数は10数台、そこに、明石製作所、島津製作所、東芝、日本電子、日立。世界の電顕メーカーはシーメンス、フィリップス、RCA等、加速電圧4ー10万V,倍率10万倍、分解能20オングストローム。中研でプロトタイプHS-1、工場で製品化したHSー2型が作られた。この製品の不具合は多かった。この問題について当時の工場長清成すすむに只野、牧野の両課長が報告し、このとき牧野は「いや、この故障はハンダがはずれただけで大変つまらない事故です」と何気なく言ってしまった。すると清成はにわかに顔色を変え「君達がつまらないと思うことが製品としては一番大事なんだ。お客様の迷惑を考えてみろ」と厳しく叱りつけた。
清成は1903年生れ、九州大学を卒業して1928年に入社したいわば創業者グループのしんがりにいた人物だが、この言葉には国産技術で製品を生み出してきた創業者の苦労がいたいほどにじみでている。

○世界初の電子線スペクトル撮影に成功
渡辺宏は20歳代半ばの当時を思い出しながらこう語る。「学問の世界は人と人のネットワークが大事。理論だけでも実験だけでもだめ。いろんなコミュニケーションを通じてわかってくる。いま振り返ってつくづつそう思う」渡辺はその後研究畑を離れて管理部門に移り、1985年に副社長、89年から日立マクセル社長になっている。

○AB効果を実証
日立中研の外村彰たちがAB効果を実証する実験に成功したというニュースはたちまち全世界の物理学者の間を駆け巡り、日本の新聞も大々的に報道した。1982年8月5日のことである。外村がこの実験をスタートさせたのが1967年それから実に10年目でようやく明るい見通しが生れ、それからさらに5年たってのことである。以後、ノーベル賞クラスの研究者の一人として外村の名は毎年のように取り沙汰されることになる。外村は1965年東大物理を卒業して日立中研に入ったが、なにが何でも中研の電顕グループに加わりたいと考えていた。そこにはボーム・パインズ理論をたった1枚の写真で実証した渡辺宏がいたからだ。
外村は学生時代から電子の波動性が示す神秘に強い憧れを抱いており、「たった1枚のきれいな写真にすべての物理が写しだされているような実験を自分の手でやってみたい」と考えていた。

○電子顕微鏡とは何か
透過型電子顕微鏡(TEM)、走査型電子顕微鏡(SEM)、透過型走査電子顕微鏡(STEM)、走査型トンネル電子顕微鏡(STM)

著者;1937年秋田生れ、1960年大阪市大経済入学、1983年からフリー、

プロローグ
I.技術草創
技術の夜明け前の出会い、雷にとりつかれて、実験の鬼、国産への道、電子顕微鏡試作へ、電顕HU-1完成、HU-2型完成、応用範囲広がる
II.海を渡る日本の技術と理論
戦後の混乱と研究再開、HU-5型のブレ、日本発の電子顕微鏡博士誕生、エレクトロンダンス、画期的な高分解能レンズ登場、電子顕微鏡海を渡る、ついに米国に上陸企業への売り込み始まる、ブリュセル万博でグランプリに輝く、アナログ・コンピュータ の開発、世界初の電子線スペクトル撮影に成功
III.海外駐在員の死闘
分解能の向上つづく、海外駐在員の苦闘、プアマシナリー、那珂工場独立、ある米国駐在員の死、チャンピオン・データへの挑戦
IV.技術革新の波
超高圧電顕開発へ、100万ボルトで世界を独走、300万ボルト電顕登場、産学協同路線、300万vは日本だけの技術、電顕・半導体時代へ突入、好事魔しのびよる危機、米国の電顕戦士たち、欧州の電顕戦士たち
V.技術開花
TEMからSEMへ、電界放射電子銃の開発、超高真空技術への挑戦、蓄積された技術花開く、
VI.先端技術へ道拓く
LSI時代の電顕、半導体・バイオ・新素材のツールになった電顕、汎用SEMとデュアル・マグ、黄金の日々、
VII.超ミクロへの挑戦
世界初のエイズウイルス撮影に成功、DNAのらせん構造を見る、ついに酸 素原子をとらえる、AB効果を実証、電子線ホログラフィー、ノーベル賞受賞者ヤンからの電話、AB効果は実在する
エピローグ
解説:電子顕微鏡とは何か