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2001-02-25 「ラ・ガイジン、日本と結婚した女」、フランソワーズ・モレシャン著、永瀧達治訳

古本屋で見つけた本です。へんな外人の草分けに近いと思いますが、独特のムードありでどんな内容かと見ましたが、そもそもフランス語で書かれた本とかで、本音ベースの本で素直なものでした。誤解も勿論、多々あり、きわめつけは、割り箸反対運動で森林保護の趣旨ですが、間伐材が原料でありかえって間伐材使用がへって森林破壊を招くのですが。タタミゼなる種族が日本にいたとか。
美輪明宏の「大衆とはひとつの実体なの。たくさんの人間を相手にするのではなく、はっきりした一つの魂なのよ。すごい存在だけど、同時にコントロールも簡単なのよ。大事なことは、恐がらないこと。でないと、もし大衆があなたが恐がっているのを知るとあなたを襲ってくるわよ。犬は恐がる人間を襲うでしょ、あれと同じことよ」発言は、えらく本質をついたことを言っている感心しました。

「ラ・ガイジン、日本人と結婚した女」、フランソワーズ・モレシャン著、永瀧達治訳、1991年5月24日初版、講談社、1800円
Francoise MORECHAND "La Gaijin"

著者プロフィール;パリ生れ、ソルボンヌ大学日本語学科卒、1958年初来日、NHK「楽しいフランス語」講師を6年間つとめ、1974年シャネル美容部長として再来日。ファッション・アドバイザーとしてマスコミで活躍するかたわら、ベストセラー「失敗しないおしゃれ」をはじめ執筆活動にも意欲を燃やし、現在、生活全般のおしゃれを提唱するライフコーディネーターとして、インテリア、自然環境保護にも意欲を燃やしている。本書のフランス版は1990年にロベール・ラフォン社より刊行され、ベストセラーとなった。

<フランスの雑誌、新聞で激賞>
1)エクスプレス誌;モレシャンの人生はまるでタンタンの漫画に表される冒険物語のように生き生きとしている。
2)ヌーベェル・エコノミ スト誌;2つの文化を知り尽くしたモレシャンの本は90年代の日本を理解する必読の書である。
3)リベラシオン紙;彼女が成功した秘訣は、日本を愛しながらアイデンティティを失わずフランス人であり続けたことだろう。フランソワーズこそ理想的なフランセーズである。
○アッティラ王の腕の中;
第二次大戦が始まったのは私が1.5歳の時であった(1938年3月頃生れと推定)。1957年9月に南周りで36時間の飛行機の旅の後に羽田に到着。前夫(東洋文化研究所のメンバー)と結婚して、すぐ日本へ赴任の辞令を受けた。主人とは東洋語学校で出会った。私の血に流れるポーランドの血筋まで。ウイーンの先はオリエントである。歴史家タレイランはこう書いた。
○神のサインのある漆器
外交官や大企業の代表である人々ばかり集まる当時の在日ヨーロッパ人は皆、王侯貴族のような生活を送っていた。一方、私たちの家計ではわずか8000円の予算で部屋を見つけねばならなかった。外交官なら最低10万円は覚悟するよ。(目黒に住む)
○小さな秋
お手伝いのイトウさんは、私の大好きな民芸風の器には関心をしめさなかった。私は自分のセンスに確信があった。母が絵を画く傍で色の組み合わせや物の形、色合いのトーンなどを見たり、母の話を聞いたりしながら判断力を身につけていたのだ。
○山の手のフランス人たち
私の周りは殆どインドシナ帰りのフランス人だった。学究の対象を失い、立なおれなかった。他は中国研究者で日本文化に転向するのをいやがった。彼らは偉大な中国文化と貧しい日本文化の比較ばかりに時を費やした。私は彼らに同意できなかった。一方でタタミゼ(タタミ化された人々)よ呼ばれる西洋人がいた。私たちは両派と平等につきあった。
私はパー ティに出たり、男性からちやほやされるのが好きだった。奇妙なことに日本を研究する学者より、旧植民地主義者たちのほうが気楽に付き合えた。
○カメレオンのパラドックス
22歳で1959年からNHKのフランス語講座の講師となる。毎週6000円の謝礼、1960年当時の日本の平均賃金は18000円/月でああた。
○映画のスタジオ
1961年には獅子文六の娘と私に出演。1964年に夫の帰国でパリに戻る。
○香水への道
帰国してアガタが1964年9月に生れたが、夫婦関係は悪化するばかり。1968年の5月革命でパリが騒然としているころ私は失意のどん底にいた。一人娘をかかえ離婚して住む家すら決まっていなかった。レブロン社に入社、1年間、米国で入社教育を受ける。1973年6月に解雇通告を受ける。
○あの日からちょうど10年後
1974年11月、15時間の飛行後に日本にシャネル広報担当部長として再来日。月に25万円+住宅手当を要求。
○山中湖
25歳のTBSの朝番組、奥様8時半です、のアシンスタント・ディレクターのナガタキに出会う。
○剃刀の刃の上で
1975年美輪明宏「私たちは剃刀の刃の上を歩く存在なの。貴方は女で外国人、もうじき12歳わかい日本人の男と結婚する。生きる道は狭いから足を踏み外したら終わりよ。大衆とはひとつの実体なの。たくさんの人間を相手にするのではなく、はっきりした一つの魂なのよ。すごい存在だけど、同時にコントロールも簡単なのよ。大事なことは、恐がらないこと。でないと、もし大衆があなたが恐がっているのを知るとあなたを襲ってくるわよ。犬は恐がる人間を襲うでしょ、あれと同じことよ」
○薄明りの中の友情
日本人は知識欲が旺盛であり、デカルト的合理主義で育ったフランス人のような批評精神で学ぶ前から疑問を持つことはない。社会に対する見方もフランス人より素直である。


まえがき
1章 出会い La Decouverte
血と汗、アッティラ王の腕の中、サムライの名誉にかけて、神のサインのある漆器、陰影のうつろい、オカダ夫人、小さい秋、WA(和)、山の手のフランス人たち、かわいそうな長男の妻、雨と月の家、野尻固の牧師、スポットライトの下で、スズキさん、隅田川のほとりにて、カメレオンのパラドックス、アメリカン・クラブ、集団の掟、映画のスタジオ、七夕の星、7本の竹林、香水への道
2章 昇天節 L'ascension
あの日からちょうど10年後、アガタちゃん、六本木交差点、日本のラビリンス(迷宮)、つばめの群翔、山中湖御涙頂戴、犬と狼の間、新宿、21世紀ブックス、失敗しないおしゃれ、幽霊屋敷、ペンダントの秘密、剃刀の刃の上で、結婚の金屏風、新しい人生の旅立ち、先祖の墓前にて
3章 融合 La Fusion
ナガタキの印鑑、ファッションの舞台裏、レース模様の戦い、雪国へ、漆の光沢、薄明りの中の友情、YEN信仰、鏡の向こう側、オハシ持ちましょう、横浜の塩、平衡主義者又は曲芸師