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2001-03-20「一杯のおいしい紅茶」ジョージ・オーウェル、小野寺健編訳、朔北社、1995年

古本屋でみつけたもの、動物農場、1984年、で有名なオーウェルの随筆集で著者の意外な面がでていました。辛辣な政治小説で見るのと別の面がよく出ていました。
訳者の言葉「じつに糞真面目で不器用と言っていい庶民的な性格がひそんでいる。本当の好みはきわめて保守的だった彼は、イギリスの伝統、庶民の生活のなかの具体的な問題をめぐる喜びや悲しみに現れる伝統的な思い、にこだわり続けたのである」がよく現しています。それから結核を患っており早世したこと。

「一杯のおいしい紅茶」ジョージ・オーウェル、小野寺健編訳、朔北社、1995年1月10日 初版、1854円 George Orwell Anthology,1968

I.食卓・住まい・スポーツ・自然
一杯のおいしい紅茶、イギリス料理の弁護、パブ「水月」、ビールを飲む理由、クリスマスの食事、暖炉の火、家の修理、食器洗い、住宅問題、クリケット、スポーツ精神、娯楽場、晩餐の服装、不作法、ガラクタ屋、イギリスの気候、春のきざし、ヒキガエル、ブレイの牧師のための弁明

II.ジュラ島便り
作家生活の苦しさ、ジュラ島便り1,2,3,4、病院にて1,2,3

III.ユーモア・書物・書くこと
おかしくても下品ではなく、ノンセンスな詩、懐かしい流行歌、よい悪書、バンガーから汽車に乗って、書物対タバコ、一書評家の告発、文筆業の経費、なぜ書くか
編訳者あとがき;

経歴;1903年インド生まれ、翌年、家族と帰国、21年イートン校卒業、27年までインド警察の警官としてビルマ勤務。33年からルポルタージュ「パリ・ロンドン放浪記」、小説「ビルマの日々」「葉蘭を風にそよがせて」「牧師の娘」などを発表。36年スペイン戦争に義勇兵として参加、38年「カタロニア賛歌」発表。第二次体制中,BBCで働く。「トリビューン」誌の文芸部編集主任を勤める。45年、小説「動物農場」を出版、世界的ベストセラーとなる。46年、スコットランドのジュラ島に移り住み、「1984年」を書く。50年、肺結核のため死去。本名エリック・ブレア。

○娯楽場
人間が人間に留まるためには、生活の中にシンプルなものを多分にとどめておく必要がある。現代の発明、とくに映画、ラジオ、飛行機、といった多くは、意識を破壊し、好奇心を鈍らせ、だいたいにおいて人間をますます動物に近づける傾向を持っているからである。(トリビューン、1946年1月11日号)

○春のきざし
すでに5分間、わたしは窓の相当の広場を眺めて春のきざしはないかと目を皿のようにして探している。雲には一ヶ所うっすらと、その向こうの青空を思わせるところがあるし、大カエデの木にはいくつかの新芽かもしれないものがついている。だがそれ以外はまだ冬である。<略>
この数年、春を賛える昔の詩がおどろくほど身にしみるようになった。燃料不足もなく、1年中何でも買えたころには見えなかった意味が見えてきたのである。春を賛える詩のなかでも一番、気にいっているのはロビン・フッド・バラッドの1つの初めにある2連である。
「雑木林がかがやき、草地がうつくしき、葉がこんもりと茂っているときに、美しい森をあるき、小鳥の歌を聞くのはたのしい。ウッドウェルが小枝にとまって、いつまでもなき続けるとその声が森にひびいて、そこで眠るロビン・フッドが目をさました。」
しかし、ウッドウェルというのはどんな鳥だったのだろう。オックスフォード英語辞典にはキツツキではないかと書いてあるが、それなら歌はあまりうまくない。もう少しそれらしい鳥はいないだろうか。(トリビューン、1947年3月28日号)

○ジュラ島便りII、1946年9月2日「ジョージ・ウドコック宛ての手紙」
この島には鹿が多くて、まさに悩みの種なのです。羊の放牧地の草を食ってしまうので、防護柵づくりにも余分の膨大な費用がかかる。小作人が鹿を射殺することは禁じられている。18世紀には1万あったこの辺の人口は、いまでは300以下なのです。

○ジュラ島便りIII、1947年4月12日「ソーニア・ブラウネル宛ての手紙」
手に入れてくださったブランデーのお代がまだでしたから、3ポンド同封します。たしか、そのくらいでしたね。とてもいいブランデーで、ここへ来る途中も重宝しました。こちらでは、アルコールはなかなか手にはいりませんから。隣りのアイリー島では、ウイスキーを造っていますが、みんなアメリカへ行ってしまうのです。

○病院にてII, シーリア・カーワン宛、1948年1月20日
家で2ヶ月ばかり寝ていた後、ここの入院して1ヶ月ほどになります。結核です。前にもあまり酷くないものに罹ったことがあるのです。少しずつよくなっているようです。1ヶ月前のような今にも死にそうな気分ではなくなり、いまではよく食べて,13kg近く減っていた体重もすこしずつふえてきました。
<略>万一ぼくの本が何かベストセラーになったら、印税の一部をフランのまま預かっておいてもらいフランスへ行って使いたいと思います。そのうちには病気もよくなって働けるようになるかもしれないと思うので、この冬は何とかして特派員の仕事でも手に入れて暖かな土地で越冬したいと思っています。1946年から7年へかけてのロンドンの冬はいささかひどすぎました。それがこんなようになった原因ではないかと思います。
<略>お暇なときにまたお便りをください。手紙をいただくのが楽しみなのです。

○なぜ書くか
生活費をかせぐ必要を別にすれば、物を書くには、少なくともそれが散文の場合、大きくわけて4つの動機があると思う。
1.純然たるエゴイズム
頭がいいと思われたい、有名になりたい、死後に名声を残したいといった動機。
2.美の情熱
外的な世界のなかの美、言葉とその正しい排列に対する感受性、ある音とある音がぶつかって生じる衝撃、すぐれた物語の持っているリズムを楽しむ心。
3.歴史的衝動
物事をあるがままに見、真相をたしかめて、これを子孫のために記録しておきたいという欲望。
4.政治的目的
世界をある一定の方向に動かしたい、世の人々が理想とする社会感を変えたいという欲望。
私は最初の3つの衝動が4番目の衝動よりも強い性格の人間である。平和な時代だったらおそらく凝った文章を書くか単に事実を詳しく書くだけに終って、政治的誠実などはほとんど意識することさえなかったかもしれない。はじめの5年間、自分に不向きな職についた(ビルマでインド帝国警察に勤務)。それから貧困と挫折感を味わった。ビルマ勤務のおかげで帝国主義の本質についても多少理解できるようになった。これだけの経験では政治的な作家になることはなかっただろう。そこにヒットラーが登場し、スペイン戦争が起こった。1936年以降のまともな作品は、どの一行をとっても直接間接に全体主義を攻撃し、私が民主的社会主義と考えるものを擁護するために書いている。(ガングレル、1946年夏)

○編訳者あとがき
オーウェルはとくに鋭利辛辣な政治一辺倒の作家・批評家とばかり見られがちであるが、この表面の下にはじつに糞真面目で不器用と言っていい庶民的な性格がひそんでいる。本当の好みはきわめて保守的だった彼は、イギリスの伝統、庶民の生活のなかの具体的な問題をめぐる喜びや悲しみに現れる伝統的な思い、にこだわり続けたのである。オーウェル自身の言葉を借りれば生まれた時代の偶然のせいで政治的関心を持たざるをえなかった半面で、彼は教条主義的な考えとは別の、一人の人間としての気持ちを忘れずに、自然を楽しめる心の意味について説き、動物を、生活の周辺の小物を、伝統的な食べ物を、ビールを愛し、昔を懐かしんだ。

<1936年、ウィガン波止場への道>
かなりの無神論で、食事の内容の変更のほうが、王朝や宗教の変更より重要だと言っています。戦前の食料不足の時代の反映かもしれませんが。ただ、思想には重きをおいてなかった人らしい言葉です。
A human being is primarily a bag for putting food into; the others functions and faculties may be more godlike, but in point of time they come afterwards. A man dies and is buried, and all his words and actions are forgotten, but the food he has eaten lives after hi in the sound or rotten bones of his children. I think it could be plausibly argued that changes of diet are more important than changes of dynasty or even of religion.  < George Orwell: The Road to Wigan Pier>

ガリバー旅行記に8歳の時に読んで感銘を受け、焚書令がでて6冊の本のみの所持が認められるなら、この本をリストに入れるとのこと。これも彼のえらく醒めた目をしめしています。
Gulliver's Travels is a book which it seems impossible for me to grow tired of. I read it first when I was eight - one day short of eight, to be exact for I stole and furtively read the copy which was to be given me next day on my eighth birthday - and I have certainly read it nearly half a dozen times since. Its fascination seems inexhaustible. If I had to make a list of six books which were to be preserved when all others were destroyed, I would certainly put Gulliver's Travel among them. < George Orwell: Politics vs. Literature>
ガリバー旅行記は、相当に辛辣な内容であり、8歳にしてこれにのめり込んだというのは、彼の作風そのものをあらわしているようです。動物農場も1984年も、ガリバー旅行記の続編のようなものです。インターネットで、4巻の全文が読めますが、3巻の終わりになんと長崎(ナンガサク)に寄港するとの記述があります。
検索サイト"ヤフー"もガリバー旅行記から名前をつけたと思えます。

<長崎寄港>
PART III"A VOYAGE TO LAPUTA, BALNIBARBI, GLUBBDUBDRIB, LUGGNAGG AND JAPAN"
[On the 9th day of June, 1709, I arrived at Nangasac, after a very long and troublesome journey. I soon fell into the company of some Dutch sailors belonging to the Amboyna, of Amsterdam, a stout ship of 450 tons.]

<無用な研究をする建築家の例、蜜蜂や蜘蛛にならって天井から土台に向かって建設、ただよく考えるとまさに生物の挙動を真似る、先進のバイオ・ミメテックです>
[There was a most ingenious architect who had contrived a new method for building houses, by beginning at the roof, and working downwards to the foundation, which he justified to me by the like practice of those two prudent insects, the bee and the spider.]

オーウェル George Orwell (1903―50)
イギリスの小説家、批評家。本名エリック・ブレア。税関吏の息子としてインドに生まれ、8歳で帰国。授業料減額で寄宿学校に入り、奨学金でイートン校を卒業したが、大学に進まずにただちにビルマ(ミャンマー)の警察官となり、植民地の実態を経験。その贖罪(しよくざい)意識もあって自らパリ、ロンドンで窮乏生活に身を投じたのち、教師、書店員などをしながら自伝的ルポルタージュ『パリ、ロンドン零落記』(1933)や、植民地制度がもたらす良心的白人の破滅を描いた『ビルマの日々』(1934)などを発表。このころから社会主義者となり、「左翼ブッククラブ」のために失業炭鉱地域のルポルタージュ『ウィガン波止場への道』(1936)を書いた。1936年からスペイン内戦に共和側として参加したが負傷。『カタロニア讃歌(さんか)』(1938)はここで行われた激しい内部闘争の実態の報告、糾弾の書である。
第二次世界大戦中はBBCで極東宣伝放送を担当した。戦争中にすでに同盟国ソ連の体制を鋭く戯画化した動物寓話(ぐうわ)『動物農場』を執筆、戦争直後の45年に出版、一躍ベストセラー作家となった。この年妻を失い、彼自身も宿痾(しゆくあ)の肺結核が悪化してロンドンの病院に入院し、ここで、言語、思考までを含めた人間のすべての生活が全体主義に支配された世界を描いた未来小説『一九八四年』(1949)を完成した。
この最後の二作は現代社会の全体主義的傾向を批判、風刺した文学として重要なものであるが、その根にあるものはきわめてイギリス的で良識的な思想伝統である。彼はまた時代の問題と先鋭に格闘した優れたエッセイストであり、とくにスペイン内戦以後は、反全体主義的ではあるが単なる保守主義に堕さない柔軟かつ強靱(きようじん)な立場から、数多くの優れた評論を精力的に発表した。これらの大部分は死後四巻本の評論集にまとめられている。
〈鈴木建三〉【本】鶴見俊輔他訳『オーウェル著作集』全四巻(1971・平凡社) ▽小野寺健編・訳『オーウェル評論集』(岩波文庫)

一九八四年 せんきゅうひゃくはちじゅうよねんNineteen Eighty-Four
イギリスの作家ジョージ・オーウェルの長編未来小説。1949年刊。1948年執筆、数字を逆にして『一九八四年』と題した。1984年の世界はオシアニア、ユーラシア、イースタシアの三つの全体主義超大国に分かれ、絶えず戦争を繰り返している。その一つのオシアニアではビッグブラザーを頂点とする党が完全に人民を支配し、テレスクリーンがあらゆる個人生活を監視し、恋愛も禁止され、異端思想が考えられないように語彙(ごい)も制限され、変形されている。この世界に反逆したウィンストン・スミスは拷問(ごうもん)を受け、精神的にも肉体的にも完全に屈服し、ビッグブラザーを愛するようになったのち処刑される。全体主義的な精神風土が悪夢のような無気味さで描かれている現代逆ユートピア小説の傑作である。〈鈴木建三〉【本】新庄哲夫訳『一九八四年』(ハヤカワ文庫)

動物農場 どうぶつのうじょう Animal Farm
イギリスの作家ジョージ・オーウェルの寓話(ぐうわ)小説。1945年刊。ある農場の動物たちが、老種豚メイジャーにそそのかされて、農場主の圧制に反乱を起こし、人間の搾取のない「すべての動物が平等な」理想社会を建設する。しかし豚たちが指導者になり、そのなかでも力のあったスノーボールを、ひそかに犬たちを攻撃用に育てていた指導者の豚ナポレオンが追い払ってからは、動物たちは昔よりひどい条件で酷使され、やがて人間との取引も復活し、この社会のために涙ぐましい奮闘をしてきた馬のボクサーも働けなくなるとと畜用に人間に売られ、ついには豚と人間は外見さえも見分けがつかなくなる。権力とスターリニズムへの激しい風刺小説。〈鈴木建三〉【本】高畠文夫訳『アニマル・ファーム』(角川文庫)

<百科辞典より>ガリバー旅行記 がりばーりょこうき Gulliver's Travels
イギリスの作家スウィフトの風刺小説。1726年刊。四巻。主人公ガリバーが航海中に難船し、順次、小人国、大人国、空飛ぶ島の国、馬の国に漂着し、それぞれの国で奇異な経験をする物語。奔放な空想力を駆使した作品で、今日なお世界各国で愛読される。ガリバーが巨人扱いされる小人国の巻、逆に愛玩(あいがん)物となる大人国の巻が、児童読み物としてもとくに人気を保つ。本来は、全編が痛烈な人間揶揄(やゆ)の風刺作品で、たとえば空飛ぶ島の巻では、無用な実験、探究に明け暮れる自然科学者を俎上(そじよう)にのせる。もっとも辛辣(しんらつ)なのは馬の国の巻で、ここでは馬が理性を備えて支配者の地位にたち、人間そっくりのヤフーという動物は、家畜も野生種もきわめて醜悪、無恥、下劣、不潔な動物として描かれる。政界進出を志しながら、失意を味わわされた作者前半生の苦い思いが、かかる辛辣な作品を書かせたといわれる。文章は平明で、イギリス散文の模範と目される。日本では夏目漱石(そうせき)がいち早く『文学評論』で評論している。まさに人間憎悪の精神と非凡な着想との織り成した奇作である。〈朱牟田夏雄〉
【本】平井正穂訳『ガリバー旅行記』(岩波文庫)