2001-06-10 「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」
新聞広告でみかけて本、上野駅構内の本屋にあるので購入でした。本がでる直前(10日か?)に著者がなくなったとの宣伝文でした。医者の目から検査、手術、術後の様子が客観的に描かれていました。
また、正直な包み隠さぬ心情がペシミスティクな風情で書かれており、はっとするような箇所が何ヶ所かありました。「人間は惰性に流され易い、あっという間に時はすぎる」というものでした。
「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」
頼藤和寛、文春新書、初版H13.4.20 ,660円+税
著者;1947年大阪生まれ、阪大医学部、麻酔科、外科を経て精神科へ。97年より神戸女学院大学人間科学部教授、産経新聞の連載「人生応援団」の回答者
目次
はしがき
1.ことのおこり
○腹具合がおかしい、○みつかってしまった、○ついに入院した、ばっさり切られた
2.退院して
○毒見をする、○どこまで続くぬかるみぞ、○溺れる者がつかむ藁
3.医療する側・される側
○服役のようなもの、○侵襲と医原病、○白衣VSパジャマ、○「患者さんのために」、○病院は医者のためにある
4.ガンをめぐって
○ガンという病気、○原因は単純ではないが
5.治るのかなおらないのか
○手術は必要悪、○近藤理論と闘わない養生法、○代替医療の誘惑、○万策尽きたとき
6.寸詰まりの余生
○この人を見よecce homo、○われ亡きあとには洪水apres
moi,le deluge、○セスブロンに倣いてimitatio
cesbroni, ○正は暗く死も冥いdunkel ist das
Leben, ist der Tod!,深き淵よりde profundis,○死を忘れるなmemento
mori,○さらば友よ、むすびに代えてAdieu,l'ami
あとがき
○はしがき
筆者は、H11年の晩夏に(今からふりかえると)ガンの初発症状を出し、その後ぐずぐずと多忙に紛れてごまかし続け、ようやく翌12年の6月に診断確定の上、入院、手術の運びとなった。原発部位は直腸の上部で、S状結腸との境である。
こんなことは当節むずらしくもなんともない。なにしろほぼ2人に1人はいずれガンにかかるだろうし、3人に1人はガンで死ぬ時代である。
○ガンという病気
経過観察によって腫瘍の大きさが倍になるのに要する時間がわかることがあって、これをダブリング・タイムというが、これから逆算して、いつ頃、ガン化が始まったかが推定できる。ふつう遺伝子レベルの障害という第一歩から明らかなガンと診断されるまで、数年から数十年ほどもかかっている。平均19年というから、わたしも知らないままずいぶん長くガンとつきあってきた勘定になる。
○この人を見よ ecce homo
入院する直前に出来たヘボ句は「梅雨入るや ついうかうかと50年」であった。
○深き淵より de profundis
時間の進行にブレーキをかけるわけにはいかない。なにしろ私に残された物理的時間は短く、大袈裟に言えば「命、旦夕に迫」っているのだ。この頃よく「あと10年、生きられるのなら時間的にも気分的にもずいぶん余裕があるのに」と思ったりもするのだが、おそらく「いくらなんでも、あと10年は生きるのだろう」といった健康人なみの感覚で生活すれば、これまで同様、その10年さえ「ついうかうかと」空費してしまいそうである。だから「あと1月は生きるだろう」ぐらいにせっぱつまった感覚を保つことで、なんとか1日1日を濃縮するしかない。
○さらば友よ、むすびに代えてAdieu,l'ami
いや、まったく半死半生の者の繰り言には際限がないのでこのあたりで筆をおくことにする。名残は惜しいが、復た出会える日が未来永劫やってこないと決まったわけでもなかろう。人間にとって3分間待つのは容易である。3年、5年だと長くて待ち切れない。これが100億年ということになると逆に存外短いものなのかもしれない。少なくとも宇宙の太初から個人的に物心つくまでは一瞬だった。してみると、死んでから次になにかを体験するまでだとて一瞬だろう。これがわたし流の永劫回帰説である。
○あとがき
ま、とにかく53歳の誕生日も21世紀も迎えられたし、本書を仕上げることもできた。この調子でいけば銀婚式も済ませることができるだろう。健康だった頃には当たり前のように過ごしていた1日1日をありがたいものに感じる。