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2001-11-12 「ミック・ジャガーのインタビュー」ルモンド、シュピーゲル、リベラシオン

1)2001-11-12 ルモンド紙
「ミック・ジャガーの自己の確認」
ストーンズの歌手が11/20に4つ目のソロアルバムを"Goddess In The Doorway"を発売する。ルモンドとの対話で、ダンディな50代は個人的なこと等について、距離を持ったユーモアのうちに語った。
ルモンド(L);フランス語で喋るか?
ミックジャガー(M);私にはまだ早すぎる、13h30.
L;1985年以来、ストーズと別にアルバムを出しているが?
M;2つの平行した線路である。キースリチャード、チャーリーワット、ロンウッド、ビルワイマンとも共にある。
L;新アルバムは、個人的な歌としているが、それは全てのアーチストに当てはまるのでは?
M;勿論、全ての創造的なものは個人的なものである。
L:このアルバムはストーズのネガのようなものでは?
M;(そう言われると)大変に嬉しい。そこに到達するために特に努力したわけではないが。
L;アルバムの雰囲気は、いくつかのタイトルは非常にしずんだものであるが、集約すれば喜びjoieと言えるのでは。
M;歌のいくつかは、本年に書かれたものだ。私はフランスに小さなスタジオを持っている。私はギターをMatt Cliffordがクラビエを持ってきた。ストーズのものに比較してスピードが早く、即興的に作曲できた。David Hockneyの絵のようなものだ。
L;緊張、緊急の概念は、ロックの基本だが?
M;確かにロックはその時代を反映する。
L;詩には聖書の引用が多く、神の名前が頻繁に出されるが?
M;ゴスペルは、宗教の詩である。ブルースも希望と絶望の混じった同様のものである。カントリーも英国の18世紀の賛美歌に発している。これらがロックに影響を与えている。アングロサクソン文化は、文学、音楽において聖書の影響を受けており、ストーズのアルバムでもしばしば呈示されている。今回のアルバムではそれが直接的に表されている。
L;Iggy Popはその自伝で、各々のコンサートでそれが良かったどうかは、聴衆がそれを好んだか知りたい強い欲求があったとしているが、そのような願いはあるのか?
M;そのような感情はない。しかし全ての人間は認められ、他人から評価されることを望んでいる。アーチストにはその願いが尊敬に結晶する。
L;あなたの最初のソロアルバムは、She's the Bossはあなたのロックスターのイメージを壊すものだったが?
M;1980年代の始めには女性が社会に出て重要な役割を持ち始めていた。
L;Hideawayでは、目の色を変え変装することを歌ったが、著名なスターから無名人になりたかったのか?
M;スター の有名な嘆きに「十分だ、静かにしてくれ」というのがある。
解説;
Michael Philip Jaggerは1943年7月26日にケント州Dartfordで生まれる。5歳の時に小学校でキース・リチャードと一緒になる。1963年1月にロンドンで共にローリングストーンズをコンクールでデビュー、ギターのBrian Jones,ベースのBill Wyman, ドラムのCharlie Wattsも参加。ソロアルバムは1985年、She's the boss, 1987年 Primitive Cool, 1993年にWandering Sprit。
歌手であるとともに俳優でもあり、1970年Tony Richardson監督のオーストラリアの盗賊Ned Kellyに扮したり、最近はプロジューサとしてスパイ映画Enigmaを製作している。1968年にはJean-Luc GodardがOne Plus OneでSympathy for the Devilの場面を挿入している。

2)2001-11-14 シュピーゲル紙
「ミックジャガーとのインタビュー」
ロックスター・ミックジャガー、58歳が人生、気分、モデル、新しいアルバム"Goddess In The Doorway"について語る。
スピーゲル紙(S);あなたは過去について聞かれることに耐えられないと言われている。来週発売予定の新アルバム「女神が戸口に」で「私はノスタルジアを、過去に住むことをいつも憎む」と歌っているが、あなたの問題は何か?
ジャガー(m);あなたが知っているように、私は同じ話を何度も繰り返して聞かされるのが苦痛だ。でもそれが繰り返される。
S;どのように耐えるのか?
M:人間は過去から逃げることは出来ない。現在に強制的に縛られている。
S;あなたとローリングストーンは無数の神話とメルヘンに囲まれておりそれを訂正したくはないのか?
M;とんでもない。人と話すほど、逆に取られてしまう。真実とは相対的な概念である。1つの交通事故は3名の目撃者から種々の角度で語られれねばならない。ローリングストーン物語でも同様だ。
S:しかしあなたは、自伝を書き始めたのではないか?
M;始めたものの、長く進んでいない。1週間の間に4日間も過去について考えるのは耐えることは出来ない。しかし既に前渡金を受け取っているので、事実を掴まないといけない。
S;過去の出来事を公開するのか?
M;それはほとんど想像も出来ない。有名な自伝にようなものを書くつもりは全くない。友人や同僚について悪意に満ちた寓話を書くつもりはない。(それは)私のスタイルではない。
S;今度の新アルバムはかなりメランコリックであるが?あなたの気分を表しているのか?
M;朝、起きた時に太陽が輝き青空が見えるときには気分が良いので「神が全てを私に与えてくれる」という詩を書く。これは、単にその時の気分を表したものに過ぎない。「新しいルールの集まり」はそのような気分に時に書かれたものではない。
S:ソロアルバムのあなたの歌はローリングストーンズのアイドルのミックジャガーより個人的なものか?
M;当然そうだ。ソロアルバムは自分自身のもの。ストーンズは別の性格のもの。
S:どこが?
M;ストーンズはヒドラで、4つの頭を持つ猛獣。攻撃的ではあるがやさしく傷つきやすい。
S:"Don't call me up"ではJerry Hallとの分かれを歌っているのでは。非常に悲しい歌であるが?
M;非常に悲しい。セラピー的に書いた。あれを歌うと悲しい物語を思い出す。
S:あなたはロックスターになったがそれは望んだことか?
M:最初はブルース・バンドを組んでいた。小さなクラブで演奏していた。60年代始めにはそれは続けられなかった。
S:(ロックスターは)あなたのキャリアの目標ではなかったのか?
M:私はブルースを歌いたかった。
S; あなたは音楽を求めたのか、皆の注目の中心になりたかったのか?
M;注目の的? そうなった。16歳のときにロックンロール・ショウーに出演した。
S;あなたは市民的なキャリアも求めて、ロンドンのSchool of Economicsに入ろうとしたが。あなたは何故、勉強を止めたのか?
M;ローリングストーンズが成功したからだ。
S:インターネットでの海賊盤やCDの密造に怒りを感じるか?
M:興味がない。
S:来年はストーンズが40周年を迎えるが。ノスタルジックになるのでは?
M;誕生日パー ティではいつも感じるのでは。但し、あまり重要視する必要はないのでは。
S;40歳の誕生日は青年期の終わりでは?
M:多分、バンドにはそうであろう。しかし私には当てはまらなない。
S:ポール・マカートニが組織した9/11犠牲者のための慈善コンサートで、あなたの名前のみが表示されてキース・リチャードの名前がでなかったが?
M;これは陰謀ではない。我々の両名の名前はテレプロンプターに表示されたが、(アナウンサーが)非常に感激して涙がでて私の名前のみ喋ったからである。
S;キース・リチャードは何故、不機嫌なのか?
M;違う。外見はそのように見えるが警官が無口なのと同じである。
S:あなたはベトナム反戦世代に属するが、あるコンサートでは戦争を求めたのではないか?
M;私はグローバルにではなく、ローカルなコンサートで関係したことがあった。世界で最もダイナミックな都市、NYで行った。奇妙な場所で、自尊から心配まで全てが変動していた。ついでに言うとコンサートには兵士、消防士、警官は参加しなかった。
S:しかし、コンサートは戦争賛成の風ではなかったか?
M:確かに。
S;ロックンロールは傷を治すことが出来ると考えるか?
M;全てのアートは、音楽、文学、フィルム、美術は人間の精神的な均衡の為に大きな役割を果たす。タリバンのようにそれから切り離されると正常は感覚を失う。英国のピューリタンも同様なことを行った;踊り等、種々ののアートを呪った。
S;種々のお話に感謝する。

3)2001-11-20 リベラシオン紙(仏国日刊紙)
Mystique Jagger
「新たなソロアルバムについて、ローリング・ストンーンとの出会い、まもなく60代(sexagenaire)に」
ミックジャガーは新アルバム、Goddess in the Doorwayを発表したが、将来のロックンロールを見ているわけではない。過去に浸るわけでもない。問題となる作品の質(輝くものでも、手っ取りばやいものでもない)が卓越しているわけでもなく、彼が、ポピュラー・ミュージックの世界で半世紀近くも存在していることが驚きだ。
ストーンズの歌手は58歳になり、声は紳士で、シルエットは成人のものであるが、謎の神話と、半分Lucifer(反逆天使)で半分Dorian Grayでもある。SirエルトンジョンやSirポールマカートニのように貴族に叙せられることを望んでいるわけではない。一人の人間に過ぎない。予測でき、少し空しい。しかし、God Gave me Everythingという新しい歌のタイトルを見ると、我々は神秘主義者(mystique)の危機を感じる。

Q;神があなたが望むものを全て与えるのか?
A:おおむね、私は不平を持っているわけではない。この歌にはそれが流れている。マイアミの海岸の近くで朝、起きた時にそのように良い気分で書いたものだ。
Q:10分で書いたと言われるが..
A:その通り。詩はしん吟したものではない。メロディは直ちに浮かんだものではなくLenny Kravitsとハーモニーを考えた。これは私の習慣ではない。突然、アイデアが浮かび上がるものではない。
Q;長い間、サタニズムに染まってきたはずだが、これらの歌は転換にように見えるが
A;違う。この歌は宗教に関するものであり、過去にShine a Light, Just Want to See his Face ou Saintで触れたテーマである。私は真摯なクリスチャンではないかもしれないが、新アルバムが神的なものを問題にしていると見られても間違いではない。
Q;(I Can't Get No)satisfactionを歌いながら、God Gave me Everythingとは如何に?
A;舞台では、多重的になる。喜び、感傷、悲しみが交互に現れる。俳優(comedien)がシナリオによって次々、表情をかえるが、歌でも同じ。
Q;あなたの声はずっと同じであるが..
A;20歳の時より柔かくなっている。多分、tessiture(テシトーラ、歌手が最良の状態で歌える音域)が広がったのであろう。時の流れに従って、使用出来る能力が大きくなった。
Q;どのようにして叙情的(lyriques) に歌うのか?
A;私は、10分間は失語症を回復するための努力をする。声は、脚といった他の部分と同様に手入れをしている。走る為にはトレイニングをせねばならない。
Q;ソロアルバムを発売することはローリングストーンズの他のメンバーを裏切ることになるのでは?
A;とんでもない。ストンーズと仕事をするのは好きだ。しかし、自分のレコードを出すことも好きだ。他の人々と働くのは自分を豊かにする。勿論、チームの一員として活動する。ただこの言葉を多くの人は信じないが。
Q;あなたは自分自身に満足しているのか?
A;自分自身を確立する欲求は大きい。そのためには自己規律(autodiscipline)を保たねばならない。そのためには、CDを埋めて販売するだけではなく、良い歌を造り、出来るだけ働かねばならない。
Q;どのような人を招くのか?
A;Lenny Kravitz, Rob Thomas, Wyclef Jeanといった人々で、彼らの協力がなければレコードは出せなかった。
Q;あなたの同僚のアルバムには興味はないのか?
A;Charlie Wattsのジャズのディスクにclaviersで参加、Peter Wolfのカントリーソングでは歌手を務めている。
Q;あなたはWTCで死亡した消防士をしのぶマディソン・スケアガーディンのコンサートに参加したが。ということは、30年を経過して、エスタブリッシュメントがあなたを受入れたということか?
A;我々は災害が発生する時代に生きている。このような支援コンサートは70年代に始まっている。ウッドストックの大集会は慈善活動として悪いものではなかった。あのコンサートを、あなたがエスタブリッシュメントと呼ぶものが好むものと比較するのは難しい。あなたの質問に戻ると私の答えはイエスである。純粋の支援のためである。
Q;歴史を振替えれば、あなたはバリアの向こう側の悪者に位置付けられるのでは?
A;それは三流ジャーナリストの書く歴史ではないか。リベラシオンのようなきちんとした新聞はそのようにとらえないであろう。タイムやオブザーバは愚かな記事は書かない。Cliff RichardやElvis Presleyは当初はインテレクチュアルに軽蔑されたが、根つくに従って真実の文化運動として位置付けられるようになった。
Q;近年、あなたはJohn Lennonと非常に近いと言われるが?
A;ええ(Oui)、しかし私は世界の出来事について批判的に気難しくコメントする気性は持っていない。少し面白い出来事を思い出した。最近まで、アムステルダムでのベッドイン事件(1969年3月に平和の名前のもとに、新婚のJohn LennonとYoko Onoがプレスに囲まれて、ヒルトン・アムステルダムのベッドで8日間に過ごした)は政治的な意味を持つより、新しいレコードの宣伝のための目的であったことを知らなかった。
Q;あなたはAmelie Poulainのフィルムを尊敬しているらしいが?
A;まだ見ていない。
Q;神が第二の生を与えたら?
A;私はここまで生きて来たのだから、別の道を選びたい。
Q;David Beckhamのような道か?
A;違う。それは非常に難しい。非常に刺激的かもしれないが長くは続かないであろう。30歳になればフットボールの選手寿命は終わりだ。
Q;好きなクラブがあるのか?
A;長くアーセナルのGunnersのサポータであった。
Q;アーセナルはいまではほとんどフランスのクラブだが。
A;だからサポートを止めた。
Q;あなたのCDをプロモートする旅に出るのか?
A;そうしたいが、まだ決めていない。他にしたいことが沢山ある。ローリングストーンズと来年の計画がある。
Q;40年記念を祝賀するためか?
A;またもやそれはメディの作り上げたトリック(truc)だ。

4)2001-5-23 リベラシオン
「ボブディランが60歳になる」
1965年7月29日にディランは、ハイウェイ61再訪問を発表した。氏が60歳になるので、その制作の時代に戻ってみよう。
2001年5月24日にベトナム世代(ビートニック、ドラッグ等)の電気フォークのヒーローであったボブディランは61年目を迎えた。33回転レコードで「ハイウェイ61再訪問」が出された過去の時代に戻ってみる。1965年7月29日はNYは熱かった。アスファルトから熱が発散されていた。ブロンクスでは、お菓子屋で朝、買った菓子を数名の年老いたユダ ヤ人が日陰で食べていた。メトロでブロンクスから35分の場所で、別のユダヤ人、ミネソタからのredneckのRobert ZimmermanがCBSの大スタジオで新しい歌をレコー ドしていた。彼は、アウシュビッツやトレブランカからの生き残りがNYで食べている芋菓子が砂糖や干し葡萄で作られたものよりまずいのを知らなかった。録音中のレコードはHighway 61 Revistedと呼ばれた。3年前からツインマーマンはディランと呼べれ、スターの道を歩んでいた。アンフェタミン・フォーク詩人と呼ばれた。ロックンロールの王座に君臨したエルビスはハワイに旅立っており、その跡をを狙っていた。(略)
1965年7月29日には天使が通りかかった。鳥肌がたった。

1941年5月24日ミネソタ州にRobert Allen Zimmermanが生まれる。
1959年;カフェーでボブディランの名前で歌い出す。
1960年;Woody Guthrieに弟子入り
1961年;ボヘミアン生活、John Hammondと契約
1962年;Blowin' in the windで成功
1963年;プロテスト・ソングの王と言われる
1964年;3、4番目のアルバムを出す。ドラッグをはじめる。ビートルズやローリングストーズが現れる。
1965年;ニューポートに出演、Like a Rolling Stone,Highway 61 Revisited

5)2001-9-7 リベラシオン
「ボブディランが60年代に回帰する」
61歳になった、ボブディランがLove & Theftを発表したが今までのキャリアで、皮肉なことにいままでアルバムでもっとも素晴らしいものである。4年前にアルバム、Time out of Mindを出したが80ー90年代の偶像に対して世間は無関心であった。後にドキュメンタリーであのアルバムは呪われていた、あの時代の自分の気分を表していた、全てと調和していなかったと述べた。1997年から死がディランの精神に重くのしかかっている。その年に心臓発作にみまわれた。Love & Theftは喜びや大きなユーモアを多く表している。(略)
Blond on Blond又はBlood on the Tracksを大きく超える新アルバムである。本アルバムを無視するのは愚か者である。