「文化のみち」散策


  初秋の晴れ間がのぞいたひととき、同じ町内にありながらこれまで訪れる機会がなかった「文化のみち二葉館」を訪れるとともにその周辺の「文化のみち」一体をを散策した。「文化のみち」とは、名古屋の近代化の歩みを今に伝える歴史的な遺産である名古屋城から徳川園に至る地区一体の町並みを「文化のみち」として保存・活用していこうとするもので、今春、同みちの拠点施設として「文化のみち二葉館」が整備され、休日など周辺を散策する人々で賑わっている。この名古屋城から東に伸びた地区(東区白壁、主税、橦木町)一体は、かっての中級武士の屋敷地で、江戸時代からの地割りを残し、面影を伝えるとともに大正時代は起業家たちの屋敷町となり、当時の邸宅が今も残され、町並み保存地区とされている。
 「文化のみち二葉館」は、川上貞奴が連れ合いの川上音二郎亡き後、福沢桃介と暮らしていた「二葉御殿」(当時は、文化のみちエリアの北端にあたる東区二葉町在)をこの春に、文化のみちの拠点施設として移築・復元した建物で、赤い瓦葺屋根の随所にステンドグラスが配置された大正浪漫かおる建物である。邸内は創建時の姿が復元、再現されており、また、郷土ゆかりの文学資料や貞奴・桃介に関する資料も展示されており、往時を偲びながら静かでゆったりしたひとときを満喫できる。同館から歩いてすぐの主税町筋の一角に、江戸時代の位置のままに残る武家屋敷長屋門がある。江戸時代、この主税町筋にはかの「鸚鵡篭中記」を残した朝日文左衛門も住んでおり、今に残された長屋門を見て、同日記の中の暮らしぶりがよみがえってくる思いに浸った。同筋には豊田佐助(発明王豊田佐吉の弟で佐吉を支えた実業家)の旧邸や黒塀が続く武家屋敷風の建物、旧邸を利用した料亭などが軒を連ねており、なかなか趣がある。帰り際に、市政資料館(旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎で重要文化財)に寄り、19世紀のネオ・バロック様式による荘厳な建築物と明治憲法下の復原法廷や関連資料を見る。中央階段上のステンドグラスが素晴らしく印象的であった。住まいから、行程約二時間の散策である。




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