100のお題・千と千尋の神隠しより

 

045.月を半分こ

 

見上げた視線の先に、薄い雲では隠すことができない

きなり色をした名残の月が、その存在をひっそりと訴えている。

ひっそり、というのは夜の空を支配する、この大地の半身には

ふさわしくは無いが、しかしどういうわけか、昔から

月はそれと似たような形容で表せられることが多い。

「お月様が覗いているみたい、ね。」

「・・・気になる?」

「ううん。」

まだ夜明けまではしばらく間がある時間帯。

空には夜の気配が色濃く残り、しかし古来より暦日を

読み取るために見上げられてきた月はすでに

西の空に傾いて、今夜一晩支配下にあった夜の

名残を惜しんでいるそんなひと時。

神の宿る小さな、しかし深い森の中に

人知れず建っている洋館の一室で、まだ若い恋人たちが

互いの温もりを感じながら、まどろみの中で語り合っている。

つい先ほどまで、情熱に任せて互いの熱を分け合っていた

二人の肌は、いまだに隙間も無いほどに合わされていて、

疲れ果てている体は今にも眠りの海に漂っていきそう

なのだが、それでも今このひと時に感じる幸せさえも

貪欲に味わいつくそうといように、全身の感覚を互いに

腕の中の存在に向けていて、眠りの精の立ち入りを拒んでいる。

二人が視線を向けている先には、庭に面した大きな窓が

あり、普段ならばひかれている緞帳のように厚いカーテンは

あけられたままになっていて、木々のわずか上に

半月よりほんの少し欠けた月が見えているのだ。

しばらくの沈黙の後、娘がポツリと呟く。

「お月様はチーズでできている。」

「え?」

青年はくすっと笑った気配を感じながら小さな頭に視線を落とす。

「ん、なんていうお話だったかしら。小さいころ読んだ童話の中に

そんなお話があったの。わたしにはあんまりピンとこない

感覚だったけど、でもそれを読んでからお月様が

欠けるたびに、ああ、チーズを食べられちゃったって

思って、お月様がかわいそうになったりして。」

「・・・月が、かわいそう?」

「だって、食べられてもまた元に戻って永遠に

食べられ続けちゃうんですもの。ほら、あのお月様

半分も食べられてしまったわ。」

「誰が食べるの?」

「さあ?ねずみさん?」

くすくす笑いながら他愛無い話をしている恋人に

穏やかな笑みを向けると、龍神はふとその視線を月に向けた。

 

月・・・・か。

 

「・・・確かめたい?」

「え?」

「・・・そなたが望むのなら、月まで飛ぼうか。」

「はぃぃっ?」

「月が何でできているか確かめに。」

「・・・・・」

「千尋?」

華奢な肩の震えを感じ、龍神はそれを

かき抱く腕にさらに力をこめる。

と、小さな笑い声が腕の中から零れてきて。

「・・・はくったら。」

半分本気で言ったというのに、どうやら愛しい娘は

冗談を言ったのだと思うことにしたらしい。

いつまでもくつくつと笑いを堪えている様に

さらに抱きしめる手を強めてやると、千尋は

もがくように身じろぎしたかと思うと腕の中で

くるりと向きを変えてきた。

笑いを湛えた黒々濡れた瞳が翡翠の瞳を覗き込む。

「人間が月に行ったのはわたしが生まれる前よ。」

そういうと、そっと手を伸ばし髪を撫でる。

「だから、お月様にはうさぎもねずみもいないし、

チーズでできているのでもないということは知っているわ。」

小さな桜色の唇が動く様から目が離せないというかの

ような熱い想いのこもった翡翠の瞳からそっと視線を外す。

「・・・はくが、見せてくれるという月は、わたしが

知っているそれとは違うのでしょうけれど。」

・・・少し、怖い。

琥珀主は腕の中の宝玉を包み込むように抱き寄せると

その豊かな栗色の髪に顎を埋める。

「わたしが傍にいるのに?」

「・・・ん。でも、覗いてはいけない神様の領域のような気がするの。」

そんなことをポツッと呟く千尋に、思わずクスリと笑いをこぼした。

「神様って、千尋、そなたもすでに神の一員だというのに。」

「・・・・」

黙ってしまった娘の手触りの良い髪を撫で下ろしながら

未だ、自身の価値も立場も本当には自覚していない

千尋の困惑を感じとり、ヒヤリとした感覚が背筋を上る。

それは、どこか罪悪感にも似ていて。慣れない感覚に

琥珀主は小さく眉を顰め、唇を噛む。

 

そなたが、望むのならば・・・

 

「行くのが怖いのならば、そなたの元に持って来ようか。」

「・・・え?」

「チーズというより、ふわふわのカステラで

できているかもしれないよ。」

「・・・もう、はくったら。」

華奢な肩が震えている。

「・・・そうしたら、はくに半分あげる。

半分こして一緒にお茶しようね。」

くすくす笑いを零しながら頬を胸に押し当ててくる千尋を抱きこんで。

それきり黙って髪をなでおろしていると、腕の中の愛しい娘は

いつの間にかうとうととしていた。

琥珀主は、娘に向ける自身の想いがその眠りを

妨げぬように視線を外に向ける。

 

月・・・か。

天上(あまつうえ)の神々の力の象徴。

・・・いつか・・・

そう、いつか、人間であったそなたがこの世にあることに飽いて

変わることを欲したとき・・・

半分といわず、その総てをそなたの手の中に捧げよう。

そなたが、望むのならば・・・

 

 

100のお題目次へ   テキスト2へ

 

はくってば・・・

千尋はそんなこと望まないってば。

実は未だに千尋の運命を捻じ曲げちゃったことに

罪悪感を感じているらしい。

まあ、口のうまい恋人が軽く

「君にあの月を捧げるよ。」

というのと違って、

やるっつったらやっちゃいそうなとこが

やつの怖いとこだな。