龍神シリーズ・小話集14

(100のお題・千と千尋の神隠しより)

050.落ち葉の匂い

また一つ季節が巡って行く。

そういえば、はくの妻となったあの時も

静かな雨が森に降り注いでいた。

千尋は小さくため息を吐いた。

鮮やかな紅葉が地面に敷きつめられ

時折吹く風が、水分がぬけ茶色く

かさついた落ち葉を吹き上げていく。

晩秋。

とりどりの恵みの色が、次第に落ち着き

森の生き物達が眠りに入る前に

これが最後とでもいうかのように、

忙しない大騒ぎを演じる季節。

千尋は、雨の音を聞きながら

泉の側に佇む。

あの時も、雨は音ばかりで

その存在を訴えていて

決して千尋を濡らすことがなかった。

森で一番最後まで葉が残る場所。

というより、決して天を覆う葉がなくならない場所。

不思議なことに竜穴の泉を覆う

黄金の天蓋は、次の春までその葉を落すことがなく

落とした瞬間には、次の芽吹きが

始まっているのだ。

まるで、空の高見からこの泉を隠すかのように。

 

千尋は泉を覗き込む。

鏡のような水面は色鮮やかな

景色を映し出していて、

そこに映る少女は女郎花色に染めた紬に

茎と葉の色の長襦袢を合わせていて、朱色の

横段文様の半幅帯を文庫結びに締めている。

まるで、少女そのものが色鮮やかな紅葉に

染まっているかのような華やかさで、

それでいて、どこかしっとりとした風情を醸している

のは、憂いを含んだ表情のせいなのだろうか。

 

「また一年がすぎていくのね。・・・でも。」

ぽつりと呟いた声は風にのって水面を吹きぬけていく。

一年、また一年。

同じようでいて、決して同じ季節は巡ってこないのだと

気が付いたのはどの年からだったろうか。

愛おしむようにして過ごす季節は

しかし、決して留まることはなく

潔くその場を新しい季節に譲っていく。

千尋は、水面を見つめる。

まるで、時から置き去りにされているかのように

はくの妻となったときと変わらない姿。

決して大人の女性として成熟していかない

16のままの永遠の少女。

 

千尋の脳裏に妖艶であでやかな女神の姿が浮かぶ。

まるで、千尋と対照的なその女神は

琥珀主に夫問い(つまどい)をしに、

わざわざ森まで出かけてきたのだとか。

邪魔だと言わんばかりの女神に圧倒されて、

「お客様へおもてなしを。」と、

準備をするふりをして、あとを由良にたのむと

千尋は逃げるように館から森に来たのだ。

 

『まあ、標の御方の一のお人というから

どれほどお美しいお方かと思っていましたのに、

幼い子どもではありませんか。』

玉がはくを呼びに行って、2人だけになったときに

真から驚いたというように投げつけられた言葉。

 

ほんとのことだから怒る気にもなれないな。

千尋はそっと膝をおると、水面に手を入れる。

千尋の手から広がった波紋はゆっくりと泉を覆って

森の景色を揺らめかす。と、千尋は徐に水をすくうと

そのまま上に投げ上げる。

きらきらとした水玉が次々に水面に落ちては

泉を波立たせる。空中に踊る水玉の煌きや

泉に落ちる瞬間の水の音に魅入られたように

千尋は、もう一度 水を空中に放つ。

パシャパシャパシャ。

葉を打つ雨の音よりも、高く澄んだ水玉の音。

千尋は、もう一度ため息を吐くと立ち上がり

水面を覗き込む。と、揺らめいていた

鮮やかな色が次第にはっきりとしてきて、

千尋はそこに想い人の姿を見つけたのだ。

「ずるいな。」

「はく。」

振り向く前に後から抱きしめられると

身動きが出来なくなってしまって。

背後のはくは水面の千尋を見つめている。

「一人で逃げ出してきて、私にあのような

毒蛇の相手をさせるなんて。」

「は、はく?」

「なんて顔をしているの?」

千尋は琥珀主の顔を水面越しに見ると恐る恐る問う。

「あ、あのはく?佐奈多姫様はお帰りになったの?」

琥珀主は千尋の言葉ににっこりすると

綺麗に結われている髪に唇を落す。

「ご自分のお立場を自覚してくださったらしくてね。

すぐにお帰りになったよ。」

「え?」

「それにしても、役に立たない眷属どもだね。

あのようなものにそなたへの目通りを許すなんて。

新参者には、まだ教育がたりないな。」

「あ・・・」

どうやら、この森の主は激怒している

らしいことに千尋はやっと気付いた。

「えっと、はく、怒っているの?」

もしかして、わたしが逃げ出したから?

千尋は水面に映るはくの瞳を覗き込む。

琥珀主はそんな千尋に苦笑すると

やれやれというようにため息を吐いた。

「そなたは、変わらないね。」

「えっ?」

千尋は思わず体を強張らせる。そんな千尋を

さらにきつく抱きしめると

「幼い頃から水を投げあげるのが好きだったろう。」

「・・・ん。水が丸くなってきらきらしながら

落ちるのを見るのが好きなの。」

「でも、だめだよ。今、何月だと思っているの?

そのような薄着で水遊びをするなんて、体をこわしたら

どうするの?本当に、そなたときたら目が離せないな。」

「え?」

思いがけない言葉に目を丸くした千尋をそのまま

抱き上げてしまうと、琥珀主は千尋と額を合わせる。

「すまない。」

「え?」

「先ほどからそなたは、え、しか言わないね。」

「ん、だって。」

困惑げな千尋をそっとゆすると、

琥珀主はすっと真顔になった。

「そなたにいやな思いをさせてしまったね。」

「そんなこと・・・」

琥珀主は千尋の言葉をさえぎるように唇を合わす。そうして、

「あのように勘違いをしている輩がいなくなるように

そなたを神として立てても良いだろうか?」

「え?」

「いや、良いかではないね。

そなたを私の比売神として立てるよ。」

「?」

わけがわからないと言う顔をしている千尋に

小さく微笑むと、琥珀主は千尋の髪に顔を埋める。

 

すまない。本当ならもっと早くこうしておけばよかった。

蜘紗殿に警告されていたというのに。

そなたを神人となし、妻とすることができて

安心しきっていたのだね。

そなたの立場を考えていなかった。

 

「え?立場って、わたし、はくの妻でしょう?」

「そう!!そなたは私のただ一人の妻だよ。

だが、秋津島の神々にとっては

正妻には見えていなかったらしい。」

「え?」

 

人間を婚姻相手に迎える神は多々あるが、

神にとって人間との恋は戯れに過ぎない場合が多く。

琥珀主はめずらしく相手を神人となしたが、

たとえ、生死をともにする神人であっても、

人間に比べれば寿命などないに等しいくらい永世を

生きる神にとっては、唯一無二の相手とは言いがたい。

複数の恋人を持つのが当たり前なのだ。

しかし、そんな神々であっても、中には真に相思相愛の

相手を見つけることができることもあって。

そうしたときは、他の神々への誇らかな印しとして、

互いの社にその名を刻むことで

相手を正式に妻として夫として立てるのだ。

 

ああ、千尋。そなたの言うとおり。

私は怒っているよ。

私自身に対して。

 

琥珀主は千尋を抱いたまま、2人の館に戻っていく。

「・・・はく。」

千尋は夫の首に腕を巻きつけると、

その身を委ね、そっと目を閉じた。

ああ、千尋。

我が愛しい妻。

そなたをこうしてこの腕に

抱ける以上の幸福があろうか。

 

そうして、

それから間も無く

千尋が琥珀主の妻となって数十年が過ぎた

奇しくも同じ季節に、千尋はニギハヤミシルベノコハクヌシの

比売神となり、正妃として正式に立てられたのであった。

 

千尋は泉に佇む。

結局、どんな立場であっても

変わらないものは変わらないのだ。

単なる神人であろうと、比売神であろうと、

あるいは、かつてそうであった

荻野千尋であろうと、

はくへの想いは決して変わらない。

ううん、変わらないように見えるけれど・・・

千尋は泉を覗き込む。

そこにあるのは永遠に少女のままの己。

千尋は、泉を覗き込んで微笑む。

雨に濡れた森に漂うのは

秋の名残の香。

しかし、同じように見える季節が決して同じでは

ないように、千尋も季節が巡るごと同じ

千尋のままではない。

そう、千尋のはくへの想いは季節がすぎるごとに

落ち葉が積もるがごとく

積もっていくのだから。

春が巡るがごとく新たに

芽吹いていくのだから。

 

そうして、千尋にとって特別な季節が

秋の名残の香とともに

静かにすぎていったのだった。

 

 

 

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またやっちゃった。

最初はこんなはずじゃあ。

拍手コメントで嫉妬する千尋を、というのがあって、

んじゃ、ちーちゃんにもやきもちを焼いてもらいましょうかっ

てんで、佐奈多姫様を設定したんです。(小話10で)

ほんとなら、主題はそっちだったのに。

あ〜あ、はくの愛の方が強かったよ。

なんか、やつが佐奈多姫にどんな対応をしたのやら

ちょっと怖いかも。はくってば、油屋で白拍子の

お姉さまが言い寄ってきた時泣かせていやがるしさ、

立場を弁えさせたっていったい何言いやがったんだか。

まあいいか。今更だしね。

と、すみません。小話14とはいえ、

時系列でいうと、小話10と小話12の間のお話でした。