100のお題・千と千尋の神隠しより

099・あかつき 

 

吐き出す息がまだらにはえた不精ひげと

睫毛にまとわりつき、瞬く間に氷と化す。

瞬きしながら瞼から氷を払いのけると、

うっすらとした暗闇の中、ヘッドライトの

おぼろげな光を頼りに

次の歩の行き先を定めた。

一歩を踏みしめるごと足元は、

腿の半ばまで雪に埋もれ、

シンと静まり返った空気の中に激しい息遣いと

キシキシと雪を踏みしめる音だけが木霊していく。

両手に持ったピッケルを勢いよく振り下ろし、

身体のバランスを取ると

次の1歩のためのわずかな休息をとった。

「ついていたな。」

厳寒の冬山登山。

それを知らないものには

自殺行為とも酔狂とも見做され

呆れられる苦行に、しかし、

いったんその魔力に取りつかれてしまったものにとっては、

生きる糧ともなってしまうほどの不可思議な行為。

「ああ。だが昨日の天気図だと当分

回復の見込みなかったはずなんだけどなあ。」

「おまえが寝ぼけて読み違えたんじゃなきゃあ、

神様からの新年の贈り物ってとこだな。」

暁の光がこの世を照らすその直前、

闇が一番濃くなる時間帯にしかし、

うっすらと目指す稜線は見えていて

自ずと踏み出す足も力強くなる。

つい、数時間前まで

この山全体を包んでいたはずの

吹雪の名残さえすでになく、

夜明け前の星が澄んだ空気に瞬いて、

神秘的ともいえる光を放っている。

この空気を味わい、この景色を見るためだけでも、

きっと何度でも足を運んでしまうだろう。

避難のために掘った雪洞の中で

悪天候が過ぎ去って

無事撤退できるまで食料と燃料が持つだろうかとの

悲壮な相談など冗談ごとだったかのように、

平和に静まり返る荘厳な世界。

「この分だと、御来光ばっちりだな。」

「ああ。俺初めてかも。」

「あんまり興奮して汗かくなよ。油断すると凍傷になるぞ。」

「わかってるって。」

はっはっと規則正しく吐き出される息ときしつく足音。

それからは高鳴る鼓動を鎮めるように

前後に連なり無言で足を進めていく。

そうして・・・

 

あと数メートルで目指す山頂に立てるというその場所で。

立ちすくむパートナーを訝しげに見やった男は

そのまま視線を前方にずらすと、同じように目を見開く。

まさにこの世が生まれるその瞬間。

うす群青の闇を背景に東雲色に染まった空。

わずかにたなびく雲を眼下に

目が眩みそうなほどの眩しさを供にして

少しずつ太陽が昇っていく。

新しい年の幕開け。

例年ならばもう数人はいるはずの

同じ魅力に取りつかれた酔狂なお仲間たちは、

予想天気図に諦めたのかその姿は一人とてなく。

いや、ないはずで・・・

しかし・・・

今、この目の前の光景はいったい・・・?・・・

 

2,3人でいっぱいになってしまうほど

狭い僅かなスペースにいた先客。

暁の光に浮かび上がるそのシルエットが目に焼きつく。

しだいに上っていく夜明けの光に

縁取られたシルエットがふと身じろぎし、

まるでマントを広げる様に両手を広げる。

と、唐突にもう一つのシルエットがすぐ脇に現れた。

風ひとつ、雲ひとつとてない天空の頂。

暁の光に照らされて

寄り添うように立っている二つの影。

ふと、大きな影が屈みこむように小柄な影を覗き込む。

とたんにコロコロと銀の鈴を鳴らしたような

小さな笑い声が周囲の空気を震わせて。

そうして・・・

影は再び一つになったかと思うと、

瞬きする間もなく消え去ったのだ。

 

ドンという衝撃に先頭の男は

口を半開きにしたまま後ろを振り返る。

「・・・」

「帰るぞ。」

「え?」

「即行、山を下る。急げ。」

「あ、何?なあ、俺って、あれ?俺、今、夢見てた?」

パニックを起こしているパートナーの腕をグイッと引くと

前後を逆のまま踵に力を入れて歩き始める。

「な、何だよ。なに焦ってんだ。それより今。」

「3、いや2時間で第2新道まで下るぞ。

ルート失うまえに帰るんだ。」

「あ?」

「急げ。爆弾低気圧が戻る。」

「へ?」

滑り落ちるように稜線を下り、

雪に足を取られながら

森林限界の堺を目指す。そうして

見覚えあるルートに出たと思う間もなく、

昨夜の悪夢を再現するかのような

風と雪が襲いかかってきた。

「・・・ぎりぎりセーフ。」

「あ、何?」

「なんでもない。それより休まず一気に下るぞ。」

「OK。」

ホワイトアウトの景色の中、

腰まである新雪をラッセルしながら

ただ前に進むことだけを考えて、

すぐ後ろを歩くパートナーとともに

ただ生きてこの山を降りることだけに

持てる力をすべて注いだのだ。

 

「おっ、えらいぞ。無事撤退してきたな。

もう半日遅ければ遭難届出すとこだったがや。」

下山届を出した山荘のオヤジに無言で頭を下げると、

何か言いたげな相方を促してバスに乗る。

たった二人だけの乗客に、

雪道をかくチェーンの音が響いて。

凍える寸前だった足先に次第に温もりが戻ってくる。

はふっと大きなため息に顔をあげると

己の命を託すことができる親友が

物問いたげにじっと見つめていた。

「なあ。」

「・・・」

「あれってさ。」

「・・・」

「お前も見ただろう。」

「・・・ああ。」

「あれってなんだったんだ。」

神々の御座所。

と、かつて言われていた神聖な山の山頂。

まるで新しい年に昇る旭日の光

そのものを体現したかのように

光り輝いていたそのシルエット。

「神様だよ。」

「あ?」

「・・・じゃなきゃ、幻覚。」

「んん?」

「ってことにしとけ。」

「お前、何か知ってんのか?」

「・・・。」

真白い直衣姿の男と紅梅色の十二単姿の女。

その長い髪のごとく睦まじく寄り添いながら

まるで新年の光を呼び寄せるかのように

暁の光に照らされていて。

脳裏に焼き付いたその姿に思わず、

先に相方がしたようにため息が零れる。

そうして、

それきり寝た振りをしていると

それ以上の追及は諦めたのか

2度とこのことが話題にのぼることはなかった。

 

 

「ただいま。」

「おっ帰り〜。」

帰宅して装備も解かないまま

真っ先にとある部屋に赴くと、

立派な祭壇の前に

申し訳程度に置いてある

小さなさい銭箱にチャリンと小銭を入れる。

「相変わらずケチだな。」

側で腕を組んでにやにや笑っている

見慣れた顔に肩をすくめる。

「ありがと、と一応礼を言っておく。」

「おっ。珍しく殊勝な態度。」

「っさい。」

「照〜れちゃって、かわいいねえ。」

生まれたときから身近に居るこの女は、

あのシルエット(の男の方)とよく似た格好をしている。

父であるこの家の当主から十分なお供えを

常に捧げられているくせに

子供の小遣いまでをも狙って

さい銭箱を備えさせた女は

自ら守り神だと主張して憚らず、

だけど、誰がそんな女を

神様、だなんて認めてやるものか。

『行くのか。』

『あったり前だろ。』

『どうしてもか。』

『しつこい。』

『・・・しょうがねえな。あいつに

借り作ると後が面倒なんだよな。』

止めたげに、しかし結局止めることなく

訳の分からないことを

ぶつぶつ言っていた女を

振り切って出かけた厳冬の山。

吹雪に巻かれ避難した雪洞で

一瞬覚悟した死を

しかし、どこかでありえないと

思っていたのはこの女の存在があったからで。

結局は、甘えている己を自覚した一瞬。

不貞腐れた気分でちらっと上目使いで見やると

女は思いもかけず深い視線でこっちを見ていた。

「な、んだ、よ。」

「ま、あいつらを見ることができた人間は

お前のヒイジイサンとヒイバアサン以来だしな。」

「?」

そうして、ひらっと綺麗な夕日色の袖を翻し

稲荷女神と称する女は

キンピカに輝く社の中に消えていったのだ。

 

そんな女の真意がわかったのは

三男坊だった自分がお家騒動に巻き込まれるはめに

なってからであったのだった。

 

 

おしまい

 

 

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すみません。

執筆の感覚がどうにもこうにも。

主役のお二人は一言もおっしゃらず

シルエットのみのご登場だったり。

(笑い声はしていましたが)

新波家の新しい顔。

新波正也君のお話でした。

 

元ネタはこのお正月に見たアルプスのとある山の稜線。

下から見上げたその荘厳な景色に

思わず、今あそこにはハク様がいるの。

頂きに一人立ちながら、この下界を

見下ろしていらっしゃるのよ。

との訳の分からない妄想からはじまったりします。

ま、一人ではなく当然その懐に愛妻を

抱えていただきましたが。

そんでもって、お天気の理をぶっちぎって

(だって、ちーちゃん凍えちゃったりしたら大変でしょ。

東風(こち)までは吹かせなかったのは、まだ理性あったからよん。)

一緒にご来光をみちゃったりしていましたが。

どうやってリンさんがこの男を引っ張り出したか

気になるところですが

多分、ちーちゃんに最高の元旦の夜明けの

迎え方のレクチャーでもしたのではないかと。

ちーちゃんがおねだりすれば一発だしね。

 

ということで新年1つ目の更新はお題からでした。