10万HIT記念企画・無謀にも「七粒ノお題A」に挑戦してみよ〜
01 白い、その手を
気が付けば時刻はすでに6時近くになる頃であろうか。
暗闇などどこにもないかのようなこの街であっても
黄昏の気配は少しずつ忍び込んでいて
気の早い店はすでに灯りを入れている。
まるで祭りのような日常に浮かれ騒ぐこの街は
今宵も笑いさざめく人々の人いきれで蒸しつき
さながらネオンのジャングルと言うところであろう。
まだ時間は早いというのに、どこぞで一杯ひっかけたらしい
赤い顔をした男やら、店の開店に急ぐらしい
派手なヒールとドレスで闊歩する女やら
百鬼夜行の獣たちがひしめくそんな狭苦しい路地の中、
一人の娘が迷いのない足取りで
すいすいと小気味よく人ごみを縫っていく。
薄い水色のカットソーに真っ白いパンツを組み合わせ、
ラメの小花の散ったミュールという格好は
化粧っけがあまり感じられない上に
美人というよりはファニーフェイスと言ったほうが
正確な愛嬌のある顔立ちとあいまって
まるで何かの間違いで迷い込んでしまったように
この街の背景からは一段と浮き上がっている。
ふと脇をすいっと通り抜けていくこの娘に
思わず振り返って視線を止めるものが
男女を問わず幾多といるのは、若さゆえの大胆さと
何も知らぬかのような無垢な香りが
人目を自然と惹きつけるせいなのかもしれない。
あんな娘がこんな所で何をしているのかという
ほんの少しの心配とたくさんの好奇心が入り混じった
視線などつゆとも知らぬげに、その娘はとある怪しげな
雑居ビルの前に来ると地下に続くトンネルのような暗い
階段を迷うことなく弾むような足取りで降りていった。
キィ
「いらっしゃいま・・・なんだお前か。」
「うん、また来ちゃった。」
7、8席ほどのカウンター席と2つばかりのテーブルで
いっぱいになる小さなバーはどちらかというと
大人の隠れ家といった趣でしゃれた会話と酒を楽しむための場所。
まだ大人になりきれていない娘にはまったく似つかわしくないにもかかわらず
慣れた仕草で高めのスツールに飛び乗るようにして腰を下ろすと
カウンターの後ろでグラスを磨いていたバーテンダーににっこりと微笑んだ。
「何にする?」
「ん〜と、ハイボール?」
「っやめとけ。強くないくせに。」
「だって暑いから。なんか炭酸系であんまり甘くないものが飲みたい。」
「OK、お嬢さんの口に合う特別なカクテル作ってやるよ。」
「やった。リンさん大好き。」
「おまえね〜。そんなに好き好きいうなら俺んとこ嫁に来るか?」
「うふっ、考えとく。」
足をぶらつかせながらそんな事を言う娘はカウンターの中で手際よく
カクテルの用意をしているバーテンダーの動きに合わせて視線を動かす。
「それなあに?オレンジと違うのね。」
「珍しいだろ。タンカンっていうミカンの仲間だ。」
「いい匂いね。」
「ああ。向こう産のだから特別香りが高いんだ。」
コリンズグラスにほんの少しのジンと丸くカットした氷を入れ
キュワッと飛び散るフレッシュジュースと炭酸を注ぐと
見ただけで涼しげなグラスを音をたてずに軽くステアする。
そうして、興味津々といった様子で見つめている娘をちらっと見やると
それまでの流れるようなリズムを一転させ、
棚から取り出した小ビンをバースプーンに添わせて静かに傾けていく。
バーテンダーとして完璧な装いに身を固めてはいても、
長い形のよい指は女性特有のたおやかさがあって
独特の持ち方をしている細長いスプーンを殊更優美に見せていて。
慎重に注がれる赤いシロップが一滴ずつグラスの底にたまり
綺麗なグラデーションを作ると、男装の麗人はその彩(いろどり)に見惚れ
ほうっとため息をついた娘ににっと得意げな笑みを見せ
液体の表面を波立たせないようにグラスを滑らせた。
「ほら。フォクシー特性、『夏の誘惑』。」
「なあにそれ。」
意味ありげな笑みに肩を竦めるしぐさをすると差し出されたグラスを
持ち上げ娘は向こうを透かすように見つめた。
「綺麗。」
「だろ。」
まるであの時の・・・
赤い色に揺れる風景に一瞬遠い目をした娘は、
白い咽喉と二の腕をあらわにグラスを傾けていく。
「おいおい。」
「ん、だって咽喉渇いていたから。」
一気に半分ほどに減ったロングのグラスを掲げたまま
カウンターのむこうから覗き込む瞳にことさら明るく微笑み返すと、
「この赤いのは、混ぜていいの?」
「好きに飲めよ。グレナデンシロップだから。」
「んじゃ、混ぜちゃう。もったいないけど。」
そう言うと添えられたガラス製の棒で氷とグラスの奏でる音を
楽しむようにゆっくりとかき回し始めた。
「ねえ、リンさん。」
カラン
炭酸の泡の中に次第に赤い色が広がっていく。
「なんだ?」
カラン
なかなか混ざらない赤を引き裂くように棒を動かして。
「・・・クの行方はまだわからない?」
カラン
しだい次第に澄んだ液体が赤い色に侵食されていく。
「ああ。こっちに来てるやつらに当ってはいるけど、噂にも上ってこないな。」
カラン
グラスの中の液体はほんのりと透明なピンク色に染まって。
「そう。」
コトリ
引き抜かれたガラスの棒の先の、色がついているとも
思われない透明なしずくに視線を落とすと、
瞬間娘の生まれたままの栗色の髪が
さらりと流れ落ち、その表情を覆い隠す。
しかし、一秒の半分の時間の後あげられた顔には
さっきと同じ明るい笑顔があって、ガラスのように煌く瞳に
気遣わしげな顔の昔馴染みの姿を写し出していた。
「いただきます。」
そうして、グラスを持ち上げコクコクと一気に飲み干すと、
一瞬で二つの色を身体のうちに摂り込んだ娘は
カタンと軽やかな音をさせてグラスを置いた。
「美味しかった。リンさんってばいつもちょうどこういうの
飲みたいっていうカクテルを作ってくれるのね。」
「もう帰るのか?」
その言葉に小さくコクンと頷いた娘は
バックを探りながらするりと椅子から滑り降りる。
「今日のもワンコインでいいの?」
「ああ。」
ほんの数秒白い手に握られていた500円玉が
カウンター越しに伸ばされた手に落とされる。
男装をしているバーテンダーは気のせいか
ほんのり暖かいお金を握りこむと
すでにドアに手をかけている娘の背中を見つめた。
「せ・・・ちひろ。」
「なあに?」
「・・・気をつけて帰れよ。変なやつらについていくんじゃないぞ。」
「わかってるよ。リンさんってば。」
笑い含みの楽しげな返事にカラランというドアベルの音がかぶさる。
「また来るね。」
「ああ。」
バタンと閉じられたドアに、振り向かないまま上げられた腕の
白さが幻影のように目に焼きついて、人間の振りをしている
女狐の妖怪はほっとため息をつくと目を閉じる。
カララン
ともう一度落とそうとしたため息を飲み込むとバーテンダーは
入ってきた客に貼り付けた笑顔を向けた。
「いらっしゃいませ。お久しぶりですね。」
「ああ、ねえ。今すれ違ったのって・・・」
カウンターに座るや否や言いかけた客に
手のひらを向けて黙らせると、リンは首を振った。
と、視線の色に僅かに目を見開いた客は、
先程すれ違ったばかりの人間の女の
気配を追うようにつとドアの方を振り向く。
そんな様子に微かに舌打ちをすると
リンは殊更大きな声を出した。
「今日は何にします?」
惹かれた気を断ち切るように問うてくるバーテンに
くるりと振り向いた客はその唇を大きく裂くように笑った。
「ビール、と、つまみは『生』と言いたいとこだけどあるかい?」
「お客さんタイミングいいですね。今日向こうから入荷したばかりの
新鮮なのがありますよ。時価、ですけどね。」
「商売上手だなあ。時価でいいから一皿くれ。
こっちで『生』喰えるのってここくらいだからなあ。」
「それはどうも。」
そうして、目の前に盛られた珍味にすでに
すれ違っただけの人間の娘のことなど
忘れ去ったらしい客にふっと息を吐くと、リンは次々に
入ってくる客に対応すべく、涼やかな笑みを浮かべたのだった。
人間社会に紛れ込んだ妖怪御用達のバー・フォクシー。
人間の娘にリンと呼ばれていた妖怪と
人間の振りをしている狐妖にちひろと呼ばれた人間は
とある街の片隅にある小さな酒場で密やかに
親交を深めていたのだった。
10万HIT記念にはじめたお題ですが
すみません。趣味に走ります。
リンさんってバーテンダーの格好、絶対似合うと思うの。
えへっ。
自ずと知れた元ネタは平成狸合戦ぽんぽこ。
狐や狸の妖怪が経営しているバーとかクラブとかスナックとか
夜の街には実際にたくさんあったりして。
知らぬは人間ばかりなりってね。
もっともリンさんのお店は人間相手ではなくて同じ妖怪仲間向けでっす。
千尋は特別な客なのさ。
ああ、それにしても
すでにお題に関係ない方向に向っている気がちらほらと・・・
趣味に走りすぎ?