第4部  龍王たちの伝説

 

 

序章、花宴  まさに満開の花の下   

1 

さやさやさやさや風薫る。

春爛漫の喜びと

森中に満ちる寿ぎを乗せ。

風が揺らすは

森の木々。

春の女神の花びらを

一片二片(ひとひらふたひら)

供にして、そうして

森の主の寵愛を

ただ一つ身に受けるという

姫君の馨しい

お髪を吹き上げる。

 

 

神々が狭間の向こうに渡る標道を守る森。

ここ数年、ひっそりと静まり返っていた龍神の森に

さわさわと波動が広がっていく。

あるものは、花の中から顔をだし。

あるものは、せせらぎの中から身を乗り出す。

また、これまで森があることさえも忘れていた

近在の人間たちさえも、はっと龍神の森の方角を振り仰いで。

 

お戻りになる。

主様と姫君が森に還ってこられる。

玉がたった今連絡を受けた。

本当に?

いつ?

いつ?

いつ?

今日。

今日、これからすぐに。

本当?

本当に?

嬉しい、嬉しい、嬉しいよ。

祝いだ。

祝いを。

今宵、宴を。

寿ぎの宴を。

主ご夫妻のお戻りだ。

 

 

ほぅ〜

窓際に立って森を眺めていた千尋は

長いため息を零した。

「奥方様、いかがいたしました?」

突然の風に乱れかけた 裾を引くほど

長い髪を整えながら鴉の女霊は声をかける。

「ん、なんでもないの。

ただ、庭があまりにも美しいから。」

千尋の呟きに鴉華は微笑む。

「今年の春は特別なのですよ。

奥方様と主様のご帰還を森のすべての

ものたちが喜んでいるのですから。」

そういうと、自身の作品に最後の

一瞥を加えると深く頷く。

「とても美しいですわ。

今までの最高傑作です。」

「お庭が?」

「奥方様が、でございますよ。

本当に腕の揮いがいがありましたこと。」

満足げな鴉華に対し、千尋は

今度は別の意味のため息をはいた。

「もう、鴉華ちゃんったらやりすぎだと思うの。

これってすごく重いし動きづらいんだから。」

「でございましょうが、美しいお衣装でしょう?

奥方様に本当に良く似合っております。

まさに春の女神様のようですわ。

ああ、早く主様と並んだお姿を拝見したい。」

途中からうっとりと妄想が入ってしまった鴉華に

諦めのため息を吐くと千尋は自身の姿を見下ろした。

腕を上げるのも苦労するほど幾重にも重なった袖口は

たしかに春色の凝った織りと色のグラデーションが

とても美しく、観賞用としてはこれ以上ないものであろうが・・・

お披露目でも着たことのない所謂十二単と呼ばれる

お雛様のような衣装を着るなど内内の宴に

行き過ぎだと思うのに。

「はくったら、もう。」

千尋はこんな羽目に陥らせた張本人の顔を

思い浮かべると、ほんの少し眉を顰めた。

 

『宴?』

『そう。そなたの目覚めを森中のものと祝おう。』

『そうね、眠っている間心配をかけてしまったもの。

みんなへの感謝と慰労の会を開かなきゃ。』

とたんに張り切った千尋に琥珀主は苦笑いする。

『じゃあ、さっそく準備するね。いつにする?

と、その前にはく、お願いがあるの。』

『何?』

うっとりと髪を撫でている夫はどこか上の空で

しかし現実問題切実な千尋は、

いい機会とばかりに思い切って切り出した。

『髪を切りたいの。こんなに長くては何にもできないでしょう?』

にっこりと見上げると視線の先にあった

綺麗な弧を描く眉が寄せられていて。

先ほどまでうっとりと細められていた瞳には

むっとした色が乗せられている。

『ダメ。』

『え?何で?』

思いがけないほど真剣な響きに千尋は唖然とする。

『こんなに美しいものを切るなど絶対許さないよ。』

『はい?あの、でも・・・』

『わたしの瞳には、そなたが起き上がったときの姿が

まだ焼き付いているというのに。

髪を切りたいなんてそなたときたら。

ああ、それにしても本当に美しかった。

昼間は結い上げるのも仕方がないけれど

閨ではいつもあの姿でいて欲しいな。』

『あ、あの、はく。この長さでは結うにも

結えないし、洗うのも一苦労だし、

第一髪の毛って意外と重たいのよ。』

『ダメ。』

きっぱりと言い切った琥珀主は千尋が何と言っても

折れる気配はなく、しかしあまりの頑なさに

千尋の瞳が潤んで来たのを見るとしぶしぶといった

様子でその理由を話したのだ。

 

「千尋。」

耳に柔らかく響く声にゆっくりと振り返る。

「・・・なんか悔しい。」

見慣れているはずの貴公子然とした美しい立ち姿に

思わず見とれそうになって、ぼそっと呟くと

不思議そうに顔をかしげた姿がまた艶っぽくて

千尋は目を見張る。

「千尋?」

ゆっくりと近づき手を取ってきた夫は

感嘆したように翡翠の瞳が輝いていて。

「ああ、思ったとおり、とても美しいよ。

色目もそなたの髪によく似合っている。

やはり地を濃い紅色にしてよかったな。」

嬉しげな声とともに頬へのキスを受けながら

拗ねたように千尋は念を押した。

「はく、約束。」

「ああ分かっている。だが、もったいないな。

せっかくそなたのためにたくさん誂えさせたのに。」

「はく〜。」

髪を切ってはいけない理由には納得したけれど

だからと言って、この髪に似合うよう五衣(いつつぎぬ)を常に

身に着けていなさいという注文は絶対いただけない。

そんな衣装をいつも身に纏っていたら

一人で身動きさえもできなくなってしまう。

大昔の貴族の姫君のように部屋の中に

閉じ込めておくつもりなのか。と

龍穴の結界を抜ける前にはくから言われた

たくさんの約束の中、だまし討ちのように

付け加えられたこの項目だけには、

憤慨して拗ねて見せたら、

仕方がないなあとため息をつかれてしまって。

傍らで膝をつき礼を取りながらうっとりと

千尋たちを見つめている鴉華もおそらく

はくと同意見らしく、うんうんと頷いていて、

千尋はぷんと頬を膨らます。

「わかったよ。今宵の宴だけでいいことにするから。」

そんな千尋に目を細めていた琥珀主は

ふと真面目な顔をすると、反対に念を押したのだ。

「その代わり、ほかの事は絶対守ること。」

「はい、わかっています。」

それには素直に頷いて、そっと身を寄せてきた千尋に

思わず唇を寄せようとしたら、鴉華にゴホン、と

牽制されてしまった。

 

「さあ、行こう。みなが待っている。」

「はい。」

「衣装が重いのならば、抱いていこうか?」

「平気よ。ゆっくり歩いてくれれば。」

館に戻ってきたのはつい先ほどで、

留守中の家の様子を知りたくても

玉や由良は宴の指揮を取っているらしく

まだ、ゆっくり話すこともできずにいて。

千尋ははくに手を引かれ歩きだしながら

みなに会えることに浮き立つような気持ちでいる。

「そんなに慌てずに、足元に気をつけて。

大事な体なのだから。」

「ああ、やっぱり抱いていこう。」

抗議する間もなく重い衣装ごと抱き上げられた千尋は

クスリと笑むと諦めたように身を任せる。

『心配ならば、重い衣装に拘らなくてもいいのに。』

『このほうが、あちこち歩き回れないだろう?』

『はくったら、そんなに心配しなくても

ちゃんと約束は守るもん。』

お互いに囁き交わしながらゆったりと歩む様を

広間の入り口で待ち受けている玉と由良は

万感の思いで見つめている。

「お帰りなさいませ。」

「あ、玉ちゃん、由良ちゃん。」

千尋の声ににっこりと微笑んで玉と由良は

主の歩み似合わせて観音開きの扉を開けていく。

そうして、視界に眩しい光が満ちていく中

森の龍神夫妻は眷属たちが待つ

大広間に足を踏み入れたのだった。

 

 

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新しい部を目次で予告してから早一月。

ようやくスタートを切りました。

相変わらずのいちゃつきっぷりですが

まだまだこれからですよん。

 

はくが千尋にさせた約束とは?

果たして、千尋はそれを守ることができるのか?

髪を切ってはいけない理由とは?

次回、謎が明かされる。

(サスペンス風に)

 

な〜んちゃって、まあお約束ということで。