100のお題・041.The point of no returnより

heterodoxyのお話4

 

The point of no return

 

東雲色に射し染まる空。

一晩中続いたバカ騒ぎが終わり

生きとし生けるもの総てが寝静まったかのような

シンとした静けさが漂う油屋の窓から

ふと見渡した空。

 

珍しいこともあるものだ。

 

ふと目に留まったそれは

本来ここにいるはずもない迷い子で

しかし、かつて訪れた人間の子とは違い

頼りないながらも自在に飛べる薄翅の持ち主。

夜明けの空に見間違いか、とも思えるような

小さな小さな細いそれは

暁の東雲色とは微妙に異なる

茜色をしていて。

 

『ココニ。』

 

目に留まったがゆえに呼び寄せてみたそれは

命の儚さを体現したかのような脆弱さで、

しかし、この世界の理さえも、掻い潜って

ただ何気なく飛んできたのだと。

気ままに心のままに飛んでいたら

ただここにいたのだと。

そう、主張して白い指先に囚われたのだ。

それは、まるで・・・・

 

「そう、そなたはもはや我の囚われ人。」

唇の両端を僅かに引き上げて白い若者は笑う。

指の先には世界の理にさえも無視される羽虫がいて。

こんな小さな生き物とて自在に生きているのだと。

秋津島からやってきたそれに耐えに耐えていた

心の箍が外れていく。

ふぅぅっ

そうして彼は呼び寄せたそれに息を吹きかける

仕草をすると、再び朱色の空に解き放ったのだ。

 

 

 

「あれ?ちひろの髪にトンボがとまってるよ。」

「えっほんと?」

驚いて頭を動かした拍子に飛び上がった赤とんぼは

まるで引き寄せられるかのように

もう一度ポニーテールの根元にとまろうとする。

「ほら動いちゃダメじゃん。」

友の言葉に、ほえっと固まった千尋の髪にツイッと

とまったそれは、まるでトンボの形をした髪留めのようで。

「すっご〜い。ちひろに懐いてるみたいだね。」

「ど、どうしよう。」

動こうにも動けずに困っている千尋に

友は無責任に笑う。

「そのうち、どっか行くよ。あっ、わたし

今日塾だからこっちなの。じゃあね。」

有無を言わさず走り去った友を呆然と見送ると

千尋は小さく肩を竦めてとぼとぼと歩き始める。

『まだ、とまっているのかな?』

極力頭を動かさないようにゆっくり手をあげた拍子に

舞い飛んだ赤いトンボは、今度は千尋の顔の前を

横切って、そして再び頭の上にとまったようだ。

「ほんと、懐かれちゃったのかな。」

顔を綻ばして一人ごちたとたん、ツッと

飛び立ったそれは千尋の歩みに合わせて

頭のすぐ上を旋回し続けていて。

「あらあら。」

そうして、時折、紫色のゴムにとまってくるのだ。

「まっいいか。好きにしてちょうだい。」

連れができたような嬉しさと

子どもらしいのん気さで

千尋はそんな危ない言霊を発すると、

夕方近い道を帰宅すべく

ゆっくりと歩いていった。

 

 

プッ

ファサッ

 

「えっ?」

突然、肩に落ちてきた髪に千尋は驚いて立ち止まる。

ここは、森に続く小道の入り口で。

今はそろそろ薄暗くなろうかという時間で。

そして、紫に光るゴムが足元に落ちている。

 

アア、ゴムが切れちゃったのか。

 

一瞬で周囲の光景を見て取り、そう思った瞬間、

千尋の頭の中に光が走り、馴染のない光景が

次々と湧き上がってきて。

「うっ、痛っ。」

それは、真夏に氷を口に入れ

急激に体が冷やされたときのような

容赦のない痛みを伴って。

そうして、千尋は目を見開いて虚空を見つめる。

「あ・・・」

 

・・・クはどうするの?

・・・婆婆の弟子を・・・

 

また会える?

きっと・・・

 

 

オモイダシタョ。

マタアウッテ

ヤクソクシテタンダ。

 

「行かなきゃ。」

千尋は導くかのように赤く輝くトンボの

後を追って、薄暗い森の小道に走りこんでいった。

 

 

 

 

 

「良い子だ。」

銭婆が与えたお守りのゴムを喰いちぎらせて

呪を解き放った眷属がツイッと肩先に止まってくる。

視線の先には、息を切らした人間の子がいて。

 

ソナタハ、モハヤ・・・

 

そうして、赤い橋の袂で

白い若者は優しげに微笑んだ。

「これをお食べ。」

「ああ、ハク、わたし・・・」

「この世界のものを食べないとそなたは消えてしまう。」

あの時と同じ言葉に、まるで時が遡ったかのようで。

くしゃっと顔を歪め泣き笑いをした人間の子は

言われるままに白い指先が差し出したものを口にしたのだ。

 

ソウ、ソナタハモハヤワレノトラワレビト・・・

 

そうして、離された手が再び繋がれた時、

若者は高らかに笑いを放つ。

 

アア、チヒロ。

ソナタハモハヤワレノトラワレビト・・・

モウニドトコノテハハナサナイヨ・・・

 

 

 

おしまい

 

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ちなみに、トンボって西洋では

不吉な虫だって言われているって知っています?

英名ドラゴンフライ。別名、魔女の針。

日本では、国の古名になるほど親しまれているのにねえ。

まあ、あんなに目が大きい可愛い子ちゃんの振りをして

凶暴な肉食虫なのはホントだけど。

 

というわけでブラックハク様、ご降臨。

あ〜あ、ちーちゃんとうとう攫われちゃったねえ。

この後どうなるか、推し量るべし。

以上、千尋にとってもハクにとっても

『もう、戻れない瞬間』

のお話でした。

(ちなみに続きません)