heterodoxyのお部屋

(100のお題・063. ケモノの幸せより)

 

6・ケモノの幸せ

 

父と幼い娘がこのアパートに引っ越してきたのは

1年ほど前になる。

小さく古いアパートに相応しく、家賃の安さから

出入りがけっこう激しい上、近所づきあいがそれほど濃い

わけではない都会の片隅で、二人はひっそりと

肩をよせあうようにして暮らしていた。

 

「こんにちは。」

手を繋いで散歩をしている親子に、向かいから来た

中年の女性がにっこりと笑って声をかける。

「こんちゃ。」

舌足らずに挨拶を返してくる幼い女の子の

笑顔の可愛さに相好を崩した女性は

「いいわねえ。お父さんとお散歩?

ああ良かったら、これあげる。あとで食べてね。」

と、手に持っている買い物袋から

リンゴを一つ取り出すと幼い女の子にさしだす。

傍らで穏やかな微笑みを浮かべている父親は

軽く会釈をすると娘を愛おしそうに見つめ頷く。

いいのかと見上げていた視線を安心したように

リンゴに向けた幼子は嬉しそうににっこりすると

差し出されたそれを受け取った。

そんな仕草をかえって感謝するかのように見ていた女性は

そのまま二人に向かって、近所のものにするにしては

いささか深くお辞儀をするとアパートに向かって去っていった。

バイバイと無邪気に手を振って見送った

娘の手を引いて父はゆっくり歩き出す。

路地裏の狭いアスファルトの道を歩きながら

大切そうにリンゴを抱えている娘の姿に

父親はふふっと笑うと、不思議そうに小首を傾げて

その様子を見上げた幼子もつられた様に笑い出した。

「まったくそなたときたら。」

思わず抱き上げて頬ずりをすると『父親』は続ける。

「相変わらず貢物が絶えないな。」

きゃっきゃ、きゃっきゃとくすぐったがって笑っている『娘』を

肩に乗せるように抱え上げると、見下ろしてくる『娘』の

視線を眩しそうに見つめる。

「はく、おしょらとんで。」

「いいよ。」

人目の無いことを確認すると、

はくと呼ばれた男はトンと地面を蹴る。

と見るものがあれば唐突に消え去ったように

見えたであろう若い男のその姿は

見る間に白い竜に変じていった。

転変し背に上機嫌の娘を乗せ、風を切りながら

竜はこの1年を思い出し、目を細める。

「そろそろ、あのアパートも引っ越さなくてはね。」

まだ幼すぎて注意力が散漫な愛しい娘が

バランスを崩さぬように気を配りながら竜は呟く。

「都会のただ中ならよいかと思ったのだけれど。

やはり我らの妖気は無視できぬようだから。」

ファサ

と鬣に落ちてきた重みにどうやら娘が

寝入ったらしいことを感じると

竜は静かに転変を解いてその腕に娘を抱えなおす。

まだまだ幼げなその顔に以前の面影を重ねると

竜は愛おしげに頬に唇を寄せ、

次の瞬間アパートの部屋転移する。

「それに・・・」

そっと布団に寝かしつけ、優しげな手つきで

布団をかぶせながら竜は呟く。

「そなたの今生の親はまだ諦めていないようだからね。」

 

1年前にようやく探し出した娘は

生まれてからすでに2年もたっていた。

顔を合わせてすぐに嬉しげに手を伸ばしてきた娘に

後先考えず攫ってきてしまったのだが。

昨今、子どもの数が減っていることもあり親は

未だにマスコミを動員して娘を探し続けている。

『前回』のように記憶を奪ってしまおうにも

これだけ全国版のニュースで騒がれると、

その総てを消し去ることなどいくら彼でも難しいのだ。

 

竜はため息をつくと幼児特有の柔らかい髪を撫でる。

「神隠しにあった娘をいまだ執念深く追いかけているとはね。」

まあ、そなたの『親』だから、罰を当てないで置くけれど。

 

本来ならこの世に宿った瞬間に

力でもって母親の胎内から奪い去り

ゆっくり自身の気を注いで

その体を育てるつもりだったのに。

そうすれば、今度こそそなたの体は

人外のものとなって我と永世を共にできたものを。

ようやく見つけたときにはすでに遅くて。

 

強引に枷を外し狭間の向こうから抜け出したあと

河を取り戻すことも叶わなかったかつての龍神は

妻にした人間に永世を与える力さえなかった。

共に在った最初の生を終えようとしたそなたに

泣きながら誓ったのは永遠の愛。

たとえ転生までの僅かな期間であっても

黄泉と現世に離れるなど耐えられることではなく。

まして、転生の後は愛し合った記憶さえも

黄泉の女神に奪われているのだ。

今度こそ・・・

しかし、そなたを自分と同じ妖しにするのだと

その方法をたどり求めて得た唯一の手段が

今回も叶わなかったことに臍をかむ。

人目を忍びながらそなたに合わせ

人として仮の姿で過ごす数十年は

すでに何度目になるのか。

 

「まあ、それも楽しいものだけれど。」

竜は瞳を閉じると僅かに口角を上げる。

今は親子の時。

だが直に兄妹となり、程なく

恋人になり、数十年ほどの夫婦を経て、

そして母子、孫と祖母として世を過ごし、

やがて、そなたを黄泉に送り出す。

それから一人、必死に探して探して・・・

そうして再び見つけ出す。

今度こそ、そなたの宿る体を

人外のものにするために。

 

「はくぅ?」

眠たげな声が竜を呼ぶ。

「どうしたの、千尋?」

今生で付けられた名前など

すでに記憶の片隅にも残っていない幼子は、

父だと思っている男にぷっくりとした手を差し出す。

「いっしょ、ねんねして。」

「もちろん。」

はくと呼ぶように、とこれだけは強く教えた男はにっこり笑うと

小さく暖かい体の横にするりとその身を横たえた。

「早く大きくおなり。」

「・・・ん・・・」

そうして、生まれる前から竜の嫁としての定めを帯びた娘は

暖かい胸に抱かれて、今はまだ許されている

安らかな眠りに落ちていった。

 

 

 

おしまい

 

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ううっ、この話ってよく読めばホラーだったのか?

いつの間に妖怪になったのよ、ハク様ってば。

この千尋さんがこれからどんな生涯を送るのかと考えると・・・・

これってあれ?

前世からのストーカーってやつ?

まあ、ハク様の方から考えると

壮大な光源氏計画って感じだけどね。

他の人間の息などかからないくらい、大事に大事に

手の中に包み込んで理想の娘に育て上げるのさってか?

千尋さん、お婆ちゃんになっても

他の男に目を向けることも許されないんだろうな。

『もちろんだ。千尋は永遠に私だけを愛するのだから。』

ってやだなあ、ハク様。

これあとがきなんだから勝手に出てこないでよ。

言っとくけど、続かないですからね。

なお、お題の「ケモノ」の幸せは、「化物」の幸せということで。