共同☆企画2007−1

 

お姫様に恋をした龍のお話

 

 

「何を泣く?」

「この子を守れぬ我が身が悔しくて。」

「なぜ?」

「私に命ぜられたお役目がいつの間にか摩り替わって

総ての業を背負わされてこの子は

川の神の元に遣わされてしまうのです。」

「子を助けたいか。」

その響きの深遠さに泣き伏しに伏していた顔をあげて、

女は問わず語りに語っていた相手に初めて視線を向ける。

「はい。」

「その身に代えても?」

「はい。」

少しの躊躇いもない返事に一瞬の間が空き、

僅かな躊躇を含んだ声が響く。

「・・・子と別れなければならなくなっても?」

「それで、この子の命が助かるのならば。」

厳しいほどのきっぱりとした返事に

相手は微かに口角を上げると静かに頷いた。

「・・・よかろう、そなたの覚悟受け取った。明日そなたを迎えとらん。」

 

瞬間

ドォォォォォォォォォォン

天が割れんばかりの轟音と白熱した光が降り注ぐ。

「きゃあ!!」

「姫様!!」

「姫様、大丈夫でございますか。」

今朝方、命がけで子を産んだばかりの左大臣家の末の姫は

心配そうな声と肩を揺する手に、目を瞬く。

ぼんやりとした視界の中、見慣れた女房の顔がのぞきこんでいることに

気づくと、一瞬視線を宙に彷徨わせ小さくため息を吐いた。

「・・・夢・・・?・・・」

・・・あの方がお出でくださったのだと思ったのに・・・

と、姫はハッと身を起すと周囲を見回す。

「この香りは・・・」

「姫様?どうかしましたか?」

「ああ、鈴。」

「鈴。あの方がいらしてくださったわ。」

「?」

訝しげに首を傾げている女房をそのままに姫は

すぐ横に寝かせ置かれていた我が子をそっと抱き上げる。

生まれてほんの数刻足らずの赤子はますます激しくなる嵐など

気にも留めずに母の顔をじっと見上げていて。

そうして、母になったばかりの姫はその柔らかな頬に

己が頬をすり合わせると、静かに微笑んだ。

「大丈夫よ。父様があなたを助けてくださる。」

真摯な母の声にまるで応えるようにくぅくぅと声を立てた赤子は

それから間もなく母の腕にあやされてすぅっと寝入っていった。

その様を片時も離せないというように見つめていた姫はつと顔をあげると

幼い頃から常に傍に仕えてくれていた少女に視線を向ける。

「鈴。」

「はい。」

「明日私はあの方の元に参ります。」

「・・・姫様?」

呆然と目を見開いているお付の少女に、ここ数ヶ月で急速に

大人になってしまった主は静かに微笑むと頭を下げた。

「どうかこの子のことを頼みます。」

「・・・ひ、姫様?」

 

そうして・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

まるで天に還らんとするかぐや姫を守らんとするかのように

物々しい警備がなされていた荻原の御殿と呼ばれる

当代一の権勢を誇っていた左大臣家。

この屋敷の内に篭められていた姫が子を産んだのと

時を同じくして、御所に落ちた落雷とともに新たに下った卦を

読み解いた陰陽博士たちは蒼白な顔で奏上する。

曰く

『神、降臨せり。』

『雨師、風伯、雷公ことごとくかに従わん。』

『見返り、天女天に返すべし。しからずば後、

都平らかに安んずらん。』

今上の側近中の側近たちが密かに集められていた中

しかし、告げられたことは一の権勢家たる大臣にとって

認めることなどできようはずもなく。

そうして、殿上人が顔を見合わせる中、強引に意味を掏りかえたのだ。

・・・生まれた子は神の子として天に捧げよとの意だと。

早々にも子を川に捧げればこのたびの災厄は避けられるのだと・・・

愛し子を守ろうとする父としての必死の想い。

しかし、当の愛し子自身にとってそれが何を意味するかなど

そんなことには欠片も思いを馳せずして。

 

そうして・・・

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ごとりごとりと、周囲を祈祷師やら陰陽師やらの物々しい警備に守られながら

京の都の大路を煌びやかな女車がゆっくりとすすんで行く。

神の母たる姫君と『降誕せし神』とみなされた赤子を乗せた車は

物見高い者たちに遠巻きに見守られながら、ゆっくりと

河鎮めの祈祷場に向かっていく。

 

「どうか、この雨が止みますように。」

「うちの家が流されませんように。」

「これ以上川が暴れませんように。」

「どうか。」「どうか。」「どうか。」

 

すでに下京への冠水も始まり、河原を住みかとしていたものたちは

まるで目の前の車の中にこの災厄をもたらしたモノがいるかのように

手を合わせ口々に祈りを捧げている。

「姫様・・・」

「なあに?鈴。」

腕に抱いた我が子にのみ目を向けている姫君に鈴は

こくりと喉をならすと縋るように囁いた。

「お気持ちは変わりませんか?」

「・・・・」

すっと上げられた眼差しの深さに鈴はもう一度こくりと咽喉をならす。

「姫様・・・」

くすり

「姫様?」

思わずといった笑みに訝しげに首を傾げる。

「お父様がなんとおっしゃろうと、私が行かないかぎりこの雨は止まないわ。」

だって・・・

くすりと笑った姫君はそれ以上の言葉を発せずに愛しげに

我が子の頬を撫でている。

「・・・ならばせめて私もお供を。」

「駄目よ。あなたまでもがあちらに行ってしまったら

この子と繋がる縁(よすが)が途切れてしまう。」

「え?」

くすくす

「今までありがとう。」

「はい?」

「だけど、鈴には鈴を大切に思っている父母君がいるのだから。」

「そんなこと。」

「だめよ。」

言いかけた言葉を遮ってすっと笑みを消した姫は

今度は少女ににらむような視線を向ける。

「鈴となったからには最後まで鈴になっていてくれなくては。」

「あっ。」

と驚愕に目を開いたお付の少女に姫はこくりと頷いてみせる。

「・・・気付いて?・・・」

「私のこの体ももはやヒトではないから。もっとも、はっきり

わかったのは昨日あの方がいらしてくださってからなのだけれど。」

「・・・こすず、なのでしょう?」

「も、もうしわけ・・・」

ううんと首をふる姫は肩をすぼめるようにしている少女を温かい眼差しで眺めやった。

「いいの。それも定めだったのでしょう。でも鈴の母である

乳母も私の大切な人なの。彼女を泣かせないで。」

「・・・・・・」

あれから間もなく、同じ北山の山荘にまで着いてきていた鈴と呼ばれる少女は

ふとした風邪をこじらせて、その魂はすでに5年ほど前にこの世を去っていった。

そうして、チャンスとばかり姫を己が主から守らんとその亡骸に宿った猫又は

それからずっと鈴になりきって大切な姫君の傍らで世を過ごしていたのだ。

「・・・余計なことでしたか?」

そう、人の子の身で龍たる神に見初められてしまった姫を

人の世の定めから引き離すまいと成したこと。

しかし、結局は相愛の恋人たちの関(せき)に過ぎなかったかもしれない、と。

「いいえ。」

瞳を伏せる猫の妖しに楽しそうに微笑んだ姫は腕の中の子をあやすように揺する。

「あのまま、あの方の元に行っていたらこの子はけっして生まれなかったでしょう。」

そうして、子どものまま時を止めた体では

真にあの方のものになることもできなかったのだから、と。

「それも定めだったのでしょう。」

 

ごとり

 

かくんと動きを止めた牛車に時が来たことを知る。

「そなたには申し訳ないのだけれど・・・

この子が成人して、どちらの定めを生きるか選ぶことが出来る日まで、

どうかこの子を頼みます。」

するすると上がる簾(すだれ)に瞬間強く抱きしめた赤子を

そっと人間になった猫又に手渡す。

「姫様の父母君こそがお気の毒でございますね。」

ぽつりと呟く猫又に姫はふっと微笑む。

「そうね。私が一番の親不孝。父様母様の嘆きも省みず

喜々としてあの方の元に嫁ごうとしているのだから。」

「でも。大丈夫。この子がいるわ。」

妖しの子と蔑んでいた大臣を思い浮かべやれやれと首を振る

猫又に姫君は晴れやかに笑いかけた。

「神の子たる証がなされればお父様も邪険にできないもの。」

「・・・で、ございましょうか。」

出座を促す声に、上がった簾に向き直った姫は

後ろに控える腹心の女房に最後の言葉を託す。

「どうか、この子に。母はいつもあなたのことを思っていると。」

「はい。お任せくださいませ。」

 

そうして・・・・

 

すでに人の世の慣習などに係わりがないのだと示すように

その顔(かんばせ)を露わにしたまま車から降りた姫君は

しずしずと河の袂に設けられた儀式の場に向って歩んでいく。

幾多の人垣が生贄となる高貴な姫君を見ようと物見高く見つめる中、

まるで天子に嫁ぐがごとき装いに身を包んだ姫は

何かを待つよう轟々と流れ下る河の端に佇む。

 

 

そうして・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「それで?鈴。それからどうなったの?」

柳重(やなぎがさね)の水干を身につけ敷物の上に

寝そべって頬杖をつきながら足をばたつかせている少年に

鈴は遠いものを見るような視線を向けると微笑んだ。

「さすが若様のお父君ですから、なされることが派手でございましたのよ。」

これで何度目になるのか、幼い頃から聞かされていた話に

初めて聞くかのようにわくわくと瞳を輝かせている少年は

誕生からすでに10(とお)の年を数えている。

「人々が見守る中、ドォォォンとすごい水柱が立ちましてね。

中から現われた白い竜が地上を睥睨しているのを

みなみな腰を抜かして見ていましたっけ。

その中でただお一人、母上様だけが端然と立って、それは

嬉しそうに手を差し伸べていらっしゃいましたの。」

「それで?」

 

『千尋。』

『はい。』

『迎えに参った。』

『はい。』

気がついたときには眩しいほどの光の中に

一対の男女が寄り添い立っていて。

『我妻、たしかに受け取った。則(のり)により形代を授けん。』

男が腰を抜かしている父親に向って頷くと、

傍らの姫君も今生の別れとばかり静かに頭を下げて、

そうして、父大臣が何も言う間もなくすっと河の中に消えていったのだ。

 

「ふ〜ん、僕は母様の形代なわけね。」

「ふ〜ん。」

鼻の頭に皺を寄せてにっと笑っている少年は

天上天下、竜神より下された神子として

それはそれは大切に扱われている。

今は太政大臣となった祖父や祖母などは一目

この少年の顔を見なくば夜も昼も明けないとばかりに

可愛がっているのだ。

と、

「速水(はやみ)の君。もうっ!!こんなところに。」

「まあた、姉様にお話をせがんでいたのですか!?」

「今日は、大臣様のお供で御所に参られるのでございましょう?」

散々探し回ったのだろう。

この少年がごく幼いうちから仕えている同い年の童女が

部屋に飛び込んでくるないなや息を整える間もなくまくし立てる。

「ああ、せっかくのお仕度が。もう、お行儀悪すぎです。」

「ちぇっ、煩いのがきた。鈴、またな。」

ひょいと身軽に立ち上がった少年は悪びれずに片手を上げる。

「はい。つつがなくお勤めに励まれますように。」

「煩いのとはなんです〜。鈴姉様も、もっと厳しく言ってください。」

ただ笑っているだけの鈴に非難がましい視線を向けている

童女は、かの姫君の乳母が年老いてから産んだ娘で。

そうして、かつてこの体の持ち主であった少女と同じく

若君つきの側使いとしてずっとこの君に仕えているのだ。

「ほら、わかったから行くぞ、小鈴。」

「わっ、お待ちください〜!!」

どたばたと部屋を出て行く幼い主従にいつの間にか

人の身に宿って15年ほどがたってしまった猫の妖怪は微笑む。

と、小鈴と呼ばれた少女だけがとてとてと戻ってきて。

「お姉さま、今度わたしにも『お姫様に恋をした龍のお話』を

聞かせてくださいませね。」

そう言うと、すでに回廊の角を曲がろうとしている若君を

追いかけて駆け出していったのだった。

 

 

おしまい

 

 

 

ホームへ   平安時代編目次へ

 

 

 

主役は誰だ?鈴だっ。(←!!!)

というわけで、書きあがるまでいったいいくつの季節を見送ったのやら。

やっと完成までこぎつけました。

(お待たせしてしまってほんと申し訳・・・)(平伏っ)

実は、本当の主役に気づいたのってこのページの終わりにきてからだという・・・

(どおりで話が進まないわけだ。)

 

ま、まあ、この話の龍神様ってば、表面上全然動いていませんが

お姫様を見初めてから探し出すまでめちゃくちゃ苦労しているのよん。

血を交わしてからこっちもお姫様を自分の正式な妻に迎えようと

神代で奔走しまくっていたらしいのん。(ということにしておいて、ねっねっ。)

あの長雨はお姫様に恋をした龍があんまりにもお姫様に会えない日が重なって

寂しがって流していた涙だという噂もちらほらと〜。(な、情けなっ)

というわけで、イメージだけは泉のごとく沸いてくる設定がたくさんある話でした。

(それを総て文章にする表現力は友林にはないっ!!っと逃亡)