第2部 龍神情話

 

第1章 蜜月   始まりは光から

 

それは、新緑が眩しい 一年の中で一番気持がいい季節。

神の宿る 小さな しかし どこか原始の森に似た森の中のこと。

そんな森の中に、まるで幻のように美しい一組の男女が 

肩を寄せ合うようにして歩いていた。

まさに 逍遥というべきのんびりした雰囲気は 突然 ワタワタとした

ざわめきに消され、男と女は大きな根が張り巡らされている

巨木の根元に 足を止めた。 

「はく、お客様がおみえになったみたい。玉ちゃん達が騒いでいるよ。」

娘の声にはくと呼ばれた若者は 小さくため息をこぼす。

若者の憮然とした雰囲気を 感じたのか 不思議そうに見上げてくる瞳に、

思わずといった様子で 目蓋に唇をよせていくと、若者の腕の中のまだ

十代半ばと思しき娘は くすぐったそうに肩をすくめた。

若者はそのまま、顎を娘の髪に埋めるようにして 目を閉じると、ふぅっと

もう一つため息を吐いた。

「やれやれ、今度ばかりは、ごまかしきれないかな。翁さまが直接

お見えになったようだ。」

「翁様?」

「おいで。そなたもご挨拶せねば。」

若者は、腕の中の娘を 長い袖に包みこむように

抱き寄せると、ふっとその場から姿を消した。

 

神に還ったばかりの若く美しい龍神の姿は、神在月の出雲の集いにあった。

いつもながら、新参の神は 退屈しきった神々が年に一度の気晴らしとして

集まってくる 出雲の集いの中で 多くの注目を浴びる。

中には、新参者を歯牙にもかけないふりをする 捻くれた神もいないではないが、

この、若い龍神には だれもかれも好奇心が押さえられないようであった。

なにしろ この龍神は ここ何年も集いの話題を攫っていたし、その出自からして

注目に値する存在なのだ。

ましてや、この若い神が つい先日 やってくれた事を考えると ここにこうして

存在している事さえ、実に不思議なのである。

翁神殿が 強く押して与えていたはずのお役目を、神々の怒りを一考だにせず

かってに放棄し、 神々にとって はるか時の彼方より そこにありつづけた狭間

への神道の存在を危うくした その愚行は 呆れ果てるというべきであったし、

ましてや その理由が 誰もが得がたいと思うであろうその力と存在の全てを

失っても、妻にするあてもない人間の娘の命を優先したためなのである。

愚かしいにも程があって いっそ清清しいというべきであろう。

しかも その娘というのが、また・・・

この若神が 秋津島で存在できるぎりぎりの時に、人間の娘にできるはずもない

魔法の封印の解除を 自らの力でやってのけ、彼の力と存在を

この世に繋ぎ止めたのだ。

真に 彼に対する想いの強さを現して 妻になった人の子と、 その娘が自分の

命よりも愛しいと 行動で宣言した龍神は、神々にとっても当分の間、

語り草となる 稀有な 寿ぐべき一対であったのである。

 

自分が注目されている事を 知ってか知らずか、はたまた 歯牙にも引っ掛けて

いないのか、無表情で礼儀正しい顔を崩さない この若者は、年古た神々には、

からかいがいのある絶好の退屈しのぎに映ったようだ。

なにしろ まだまだひよっこの神。その心中など海千山千の神々には

 お見通しだったのだろう。

妻に迎えたばかりのいとしい娘を気がかりに思いながらも、力を最大に使い幾重

にも結界を張り巡らせてきた守護地の中に、何より先に妻につけた眷属の守りも

あることだからと、すぐにでも飛んで帰りたい自分を無理に納得させている様子は、

その無表情ぶりと重なって 本当に可愛らしい。

先ず優先すべき事を、今度は間違えなかったと 

頭を撫でて 誉めてやってもいいくらいだ。

「さてもさても、そなたが先ずすべき事は、石人の建て直しであろうな。」

「しかりしかり、鎮守の森の守護神となったからには、あのように強く結界をはって

しまっては、妻どころか通り道までかくしてしまうではないか。」

「ほほ、愛しき新妻を守るためであれば、いたしかたがないというもの。そのように

からかわれては、シルベ殿も赤面しましょうに。」

「そのように心配なら、共につれてくればよろしかったのではないかしら。そなたの

ように美しい龍神の想い人を、一目なりとも見てみたい。」

「それは無理じゃて。嫉妬深いのは龍の性。ましてやっとの想いで手に入れた妻じゃ。

他のものの眼に映る事もがまんできんのじゃろう。」

神々の長老というべき面々に散々からかわれながらも、生真面目な顔を崩さず、

尽くすべき礼を尽くし 正式に新たなお役目を与えられた若い神に、彼の後見と

言うべき 龍神の長老で水の神たる翁様が、最後に真面目なふりをしながら言った。

「いずれにせよ、龍玉を与えた以上、そちの妻は、神人の一人となった。

ましてわしと縁がないわけでもない。いずれは、

わしが後見になって披露目の宴を開くべきであろうな。」

やんややんやと お祭り好きの神々は、久しぶりに大騒ぎできる絶好の機会を

逃す事を許してくれそうもなかったのである。

 

目次へ  次へ