龍神情話・第1章  蜜月

「ようこそお越しくださいました。」

新たなお役目をいただいて 守護神となったばかりの身には 

やるべき義務が多々あり、まして人の娘から

神の妻となった千尋を 教え導く事に忙しい、

との言い訳を 使いに持たせてばかりいた 

年若い龍神の澄ました顔を見ながら

老神はあきれたような ため息を一つ吐いた。

もっとも、そこには苛立ちなど一つも見えず、

むしろ 一族に連なることになった この若者の機知と

その意思を貫くありさまを 誇らしくも 可笑しく思う、

幾多の年月を経てきた老神のみが 覚える事が

できるであろう ユーモアも含まれていたが。

「やれ、幸せそうな顔をしおって。神無月から はや

幾月たったと思うておる。神々も披露目は

いつだいつだと 待ちくたびれておるわ。」

若者は、予想されていた小言に、ふっと表情を崩す。

そして、先ほどから 緊張で 体を固くしている

懐の中の妻に視線をやった。

どちらかというと、千尋が 体を固くしているのは

初めて会う客の神の前だというのに 

腹に回した手を解こうとしてくれない、

夫への不満と羞恥からであったのだが。

千尋の赤い頬と困惑しているかのように下がっている

眉を見てとり、ふと気付いたかのように手を緩めながら、

妻として 初めて他の神に 紹介した。

「では、まず翁様に正式に紹介いたします。

これなるは、妻の千尋と申します。

千尋、翁様にご挨拶を申し上げなさい。」

「は、はい。はじめまして、ニギハヤミ シルベノ

コハクヌシの妻、千尋と申します。

よろしくお願いします。」

ぎこちなく引っかかった挨拶を、それでも長年のお稽古事で

培ってきた礼儀正しいお辞儀とともに言うと、

ポニーテールに纏め上げた髪がさらっとゆれた。

その初々しいしぐさと挨拶に 老神も相好を崩す。

若者は新妻に、愛しげな視線をむけながら

「千尋、はじめまして ではないよ。湯屋でお会いした事が

あるだろう。そなたに、ニガダンゴをくださった神様だよ。」

「えっ、あっ、あの時の河の神様なのですか?ずぅっと、

お会いしてお礼を申し上げたいと思っていました。

あの、ニガダンゴを下さって本当にありがとうございました。

おかげでハンコのお呪いからはくを助ける事ができました。

カオナシも、あのおだんごを食べて もとに戻る事が出来たの。

もし、あれがなかったらと思うと・・・本当に感謝しています。」

思わずといった様子で夫の腕の中から1歩飛び出し、

先ほどよりも深く頭を下げ、心からの謝辞を述べる娘の、

その若さを 老神は いささか まぶしい思いでながめた。

「ほ ほ、よきかな、よきかな。そちこそ、湯屋での仕事ぶりは

見事であったよ。おかげで、長い事煩わされていた穢れが

一度に落ちて、あれほどよき心地になったのは 久しぶりであったわ。」

感慨深げに言うと そのまま、にやっと笑った目線を琥珀に流し、

「なるほどのう。独り占めしてだれにも見せたくない

気持ちが解からんでもないの。」

からかうような声の調子を ふと変え 続ける。

「しかし、鎮守の森の主になった以上、神々に披露目を

しておいたほうが、後々安心なのではないかな。」

神々が通る標道が身近にあるからには、主の妻と知らず目をつける

愚か者が出ないとは限らない。特に歩いて通う土俗神などの、

下級の者達のなかには、妖しと紙一重のものもいる。

この少女の持つ輝きは龍玉と とけあって何重もの相乗効果を

発揮し、老神の眼から見てもまぶしいくらいだ。

いくら、結界を張り、眷属で守りを固めていても、

この素直さと輝きは 知らず霊霊たちを引き付けてしまうだろう。

もっとも、この森から肌を通して感じられる主の力と

内に秘める玉の力を 侮るようなものはおるまいが、

知らず 逆鱗にふれる 哀れな霊霊が居ないとも限らない。

木霊や土着の自然霊、この森に集うあらゆる霊霊たちと

眷属の契約を結びなおし、力を喰われた石人の その道標としての

力を蘇らせ さらに龍穴の泉に神気を注いで、主としての礎を

見事に築き上げた龍神は、

「お茶を入れてきます」と言ってこの場を下がった妻の

気配を追いながら、翁の言葉に素直に頷いた。

「はい、そろそろかと、思っておりました。それについて、

折り入って、翁様にお願いがございます。」

改まった口調に 何事かと首をかしげた翁に 端的に希望を述べる。

決して易くは叶えられない望みだろうが それは翁殿の采配次第。

人間の娘を神人となした若い龍神は、ある意味 大胆不敵で

厚顔無恥、そして なりふり構わぬ願い事を翁にしたのである。

それを聞いた翁は、一瞬 唖然としたあと、面白そうに若者を見た。

そして、その意図の裏にある この若者の臆病さと恐怖心を、正確に読み取った。

『これは、また・・・』

どうやら、彼の行動原理は 神に還った後も

先ず初めに あの娘ありき であるようだ。

面白い。いや、誠におもしろい。

これが、竜宮の いや崑崙の血筋というべきか。

真に護るべき者を 決して手放さず 

目的を達するためには手段を選ばない。

遠慮斟酌もせず、あらゆる手段で

意思を貫き通す、その傲慢さ。 

不意に、翁は この若い龍神が 芯から気に入った。

そうして、かすかな笑みとともに 若者の頼みを 引き受けたのである。

それから、老神は 呆れた苦笑をうかべながら、

話を変えようと それでも、ちくりと苦言をもらした。

「やれ、竜宮とは申さずとも、宮を築き仕える眷属どもを

仕込むのに忙しいのかと思うておったがの。

異国趣味の変わった住まいで いささか驚いたぞ。」

若者は 翁に合わせ、軽い口調で答える。

「もともと、変わり者ですから。ですが、もはや人界だけでなく 

あちらの世界でも、それほど珍しい建物というわけでは。」

それに、千尋が『2人だけの小さな家』が良いと申したものですから。

とさりげなく付け加えられ、老神はげんなりしながら

あきらめたように呟いた。

「これも、時代の流れと言うものかの。」

千尋が好んで読んでいた19世紀のロマンス物や明治時代物に出てくるような

日本風西洋建築の小さな館にふさわしい、どこか和風テイストの

応接間のソファーに座りなおし、先ほどこの若者に機先を制された老神は

あらためて、本日の訪問の目的を述べた。

「よいか。いかにそちが妻に甘かろうが 神々への披露目は

ある程度の威儀をもって行うつもりじゃ。葉月の十五夜から

ひと月かけて、行うのでそのつもりで、妻を仕込むのじゃな。」

「ひと月ですか。」

それはちょっと、とありがた迷惑と言う気持ちを隠そうともしない

若神に、龍の長老は、有無を言わさぬ勢いで 決め付けた。

「四の五の言う権利はそちにはないわ。神々への披露目といえば

それくらいあたりまえじゃ。湯屋殿は大喜びであったぞ。

ほかならぬ、そちの祝い事ゆえ、かなり勉強させていただくと

いっておったわ。鎮守の森の主となったからには、

これも一つのお役目と思ってあきらめるがよい。

ましてや、上位神の来光を求める以上

そちもひと月くらいの期間は必要であろう。」

なにしろ、スポンサーはこのわしじゃ。

といささか せこく付け加えた。

そうして、ちょうど、茶と菓子を運んできた若神の妻に一緒に座るよう促すと

渋面の琥珀を無視して、狭間の向こう 

千尋とも浅からぬ縁がある 油屋で 披露目を行うことを伝えた。

・・・油屋で?でも お披露目ってナニ?

目線で問うてくる妻に困ったような笑みを浮かべたまま、若龍は

そっと手を握る。小さく頷いている夫を見ながら、安心したのか

「油屋に行って みんなに会えるなんて嬉しいです。」

はにかみながらも素直に喜んだ千尋を見て、これで決まりじゃなと、

してやったりの顔を若神に向けてやった。

思ったとおり、苦笑した若い龍神は、

「それでは、例の件もあわせて、よろしくお願いいたします。」

と、翁に頭を下げたのだ。

せっかくですから、どうぞと、勧められるまま

紅茶と手作りケーキという現代的な饗応をうけながら、

暮らし振りなどの世間話を思いのほか楽しんだ老神は、

「また、おいでくださいね。」

と龍神の妻の見送りを受けて、機嫌よく

狭間に通じる鎮守の森から自身の河へもどっていった。

 

 

 

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