龍神情話・第1章 蜜月

 

「お披露目って 結婚式の披露宴みたいなものなの?」

翁が帰った後、琥珀主は もう一度 千尋を 森のそぞろ歩きに誘った。

新緑の木漏れ日を浴びて 先ほどから何か考えながら歩いていた千尋が、

う〜ん と唸ったあと 夫の顔を仰ぎながら聞いてきた。人間だった自分と 

まだよく分からない神の世界を なんとか統合しようと

 翁の言葉を考えていたようだ。

何しろ 知っていることといっても、神様も 湯屋に行って 宴会したり お風呂

に入ったり、湯屋のお姉さま方となにやら怪しげな事をしたりと 意外と人間と

あんまり変わらないことをしているらしい  ということなのだから。

それに はくの妻になってこの数ヶ月 千尋が思っていたよりも 

全然『普通』の生活をしているのだ。

すなわち、住んでいる家にしても 神社みたいな所なのかと想像していたのに

はくが『どんな家に住みたい?』と聞いてきたとき

 冗談半分で、

『ととろにでてきたさつきとメイの家と、赤毛のアンにでてきた

グリーンゲイブルスを合わせたような家がいい』

と言ったら、千尋のおでこに手を当てて 

しばらく考えていたはくが用意してくれたのは、

少し千尋が考えていたより大きめだったけれど 

まさに千尋が憧れていたような家で。

目を丸くしている千尋を見て 不安そうに

『これでいいかな?』と尋ねてくるはくに

こくこくと頷き返し 『ど、どうやったの?』と聞き返すと 

『言っただろう。そなたの望みどおりに、って。私にできることなら何でもするから。』

と優しく微笑むばかりで。

そんなはくに 千尋は『そ、そっか。はくって神様なんだっけ。』

と 今さらながら気付いて どうやったのかは、深く考えず 

ただ現実を受け入れる事にしたのだ。

細かい事にこだわらない どこか大らかな(違う意味で言うと大雑把な)

千尋らしい納得の仕方で 湯屋の世界をこういうものなんだ、と受け入れた

子どもだったときのまま、その家の存在を受け入れたのである。

お風呂にキッチン、客間に寝室、小部屋もいくつかあって、その部屋部屋は千尋が

本や雑誌をみながら、素敵だなあとあこがれていたインテリアが施され、

おまけに日当たりのいい居心地のよさそうな居間には ピアノまであって。

『好きな事を捨てることになるって言ったのに。』と

 ピアノを見て、びっくりした千尋に、

ハクは『これくらいはね。』と、苦笑していた。 

どんな暮らしをするのか少し不安だった千尋は そのはくの顔を見て 

その不安もすべて氷解していったのだった。

それから始まった二人の生活は、森の中で2人で会っていた時とほとんど同じで。

一緒のいる事がとても自然で なにをしていても楽しくて。

違う事と言ったら、千尋の帰る場所が はくのところということくらい。

そんな、まさに蜜月といっていい暮らしを送っていたところにあった、

翁の訪問に、千尋が 動揺するのも当たり前なのであった。

 

千尋の質問に どう答えようかしばらく考えた琥珀主は 

「少し違うかな。」と、答えるに留めた。

それから、ここに座るようにと、ふかふかの、苔の絨毯の上に

たおれている倒木に千尋を導いた。

千尋が素直に腰をおろすと、すかさずその膝に 

先ほどから千尋のまわりを

うろちょろしていた、木霊たちがよじのぼってくる。

「まったく、油断も隙もない。玉、由良そこをおりろ。」

「ふふ、玉ちゃん、さっきはお客様をご案内してくれてありがとうね。」

この双子の木霊は、先の地護神の残り香から生まれた桜の精で、

新しい守護神である琥珀に真っ先に挨拶にきて 眷属になったもの達である。

まだ生まれて間もなく 白い影のような霊たちなのだが、

千尋が知らず世話をして祀った森の守り神の末という縁と 

その潜在能力を見越し、琥珀主は千尋の護りを

命じたのだ。が、いささか千尋に懐きすぎているようで、

すぐ纏わり付きたがるのが、独占欲の塊の龍には 気に入らない。

気に入らないが、千尋はこの木霊たちの仕草や態度を子犬や子猫のようだと

いってかわいがっているので、強く出られないのである。

そこらへんの事情をすっかり承知している玉と由良は、千尋の膝にしがみついて

ごろごろしたまま、無邪気そうな顔を主に向けてきた。

「はく?」

主をナメテいる木霊を つまんで放り投げてやろうかと考えていた琥珀主は、

小首を傾げて見つめてくる千尋を見て ふぅっとためいきをつき 

隣に腰をおろして肩をだきよせた。

「そなたには、御霊鎮めの力があるのか。

それとも、私には特別なのだろうか。」

思わず呟くと、

「みたましずめって何?」と聞き返してくる妻に 何でもないと、首を振った。

そうして、目蓋を閉じ 思いを 振り切ったかのように もう一度目を見開いた。

「そなたを妻にするとき、私が言った言葉をおぼえている?」

唐突な言葉に驚いている千尋の気配を感じながら 強く肩を抱きしめる。

『私を選べば、今までのそなたの世界は全て失われる。』

この意味を きちんと説明しなければならないときが きたようだ。

千尋は、言葉どおりに素直に 

『今までの世界で 今までの暮らしはできなくなるのだ』 

と受け取り、私が導き与えた世界に、前向きな千尋らしい積極さで

順応して 自ら楽しみを見出し始めている。

表面的には まさに そのとおりであるのだが・・・

そこに隠されている 深遠な真実を教えたくない、

正確に言えば、真実を知った千尋がどう思うか怖い私は、

神に還ったとはいえ琥珀川を失ったときのまま

事実を見つめる勇気のない、臆病で卑怯な神くずれなのだろう。

私が現の姿を取り戻し、神に戻れたのは、

すべて千尋の存在があったからだ。

千尋の私への想いが 失われたとき私は・・・

マイナス思考の想像に 軽く身震いしたあと 頭を振る。

短いながらも 千尋との生活で得ていた充足感や 

千尋を日に日に愛しく想う気持ちが、千尋を信じろと訴えてくる 

そんな思いのほうが圧倒的に強くて、

我ながら自信過剰かとの不安もあるのだが。

鎮守の森の主は、深く息をすって、妻の肩を離すと、徐に立ちあがり、

座っている妻の前に両膝をついた。

そして、突然の動きにきょとんとしている顔を覗き込み、

妻の両手をそっと 握り締めながら、瞳を合わせた。

「千尋、そなたは わたしの妻になったときに人ではなくなった。契りを交わし、

玉を身の内に溶かした事で、神人と よばれるものになったんだよ。」

分かっているわというように、にこっと、

微笑んだ千尋の唇をひとさし指で押さえ、

「人に誕生と死があるように、神にも誕生と死がある。もちろん神人にも。

人は死んで 生まれ変わる 輪廻の流れの中に その魂を流している。」

何の事かわかる?と問い掛けると、千尋は、

「輪廻転生、聞いた事あるわ。人が生まれ変わるって、本当の事だったの?」

大切な話だということを悟ったのか

真面目な顔で答えてきた。

それにうなずき、琥珀主は続ける。

「神の誕生と死は、そんな人の魂のあり方とは 異なる。

その存在は、宿るものの力と密接に関わっているのだよ。

それと、もちろん神自身の意志の力と。」

握った手を見つめ 千尋に解かるように 言葉を探しながら 言う。

「琥珀川が埋め立てられる時、力をすべて放出し 共に消え去ることを、私自身が

望めば、私は神として死んでいた。でも、私は神として死ぬより、一匹の龍として

つまり、神ではなく 単なる精霊として生きる事を選んだのだ。

依り代だった川が その力を失う前に私自身から切り離したことで わたしは

生き延びた。見捨てたとも 言う事ができるけどね。」

自嘲しながら言うと、その苦さに気付いたのであろうか、

千尋は琥珀主の手から自分の手を引き抜き 

逆に包み込むように握り返してきた。

そんな、千尋の手を見つめながら 琥珀主は

「つまりね神というのは その宿る依り代の力が 必要な存在といえるのだ。

 もちろん宿り主自身の力も 神となるには必要なのだけれど。」

琥珀主の言葉にしばらく考えていた千尋は 躊躇いがちに言ってみた。

「ん、と例えば、玉ちゃんたちは木に宿っているけど 力が足りないから

神様ではないのね。そして、湯屋に居た時のはくも依り代を

失ってしまったから 神様ではなかった ということなの?」

千尋自身 分かりやすい例えを出してきたことに微笑んで 瞳を合わせる。

「そう、いずれ力をつけたとき玉も由良も 神となることが あるかもしれないね。

そうやって、神が生まれる事もあれば また 神の交わりから生まれる事もある。

交わりから生まれた神は その 私のように 依り代を選択できる自由もあってね。

なんというか、神の誕生とは、人間より少し複雑なのだ。」

まあ、実際の例を見る機会はこれからあるだろうから、と言うと 

しばらく間をおいた。そして、

「だからね、神が、死ぬ時とは、依り代とともにその力をすべて使い切る時なのだ。

そうして、力を失った神は、人のように輪廻の輪の中に戻るのではなく、そのまま

消失して、宙無の眠りといわれているものに つくことになる。」

「・・・あのとき、はくは死ぬところだったのね。」

千尋は存在が拡散し 消滅しかかっていたことを思い出したのか、

震える声で小さく呟いた。琥珀主は 慌てたように

「泣かないで。ほらわたしは、ここにこうして生きている。

そなたのおかげで、力を取り戻す事が出来たのだから。」

潤み始めた瞳に微笑みかけ、震える手をそおっと持ち上げ唇を寄せると

本題にはいった。

「神人はね 神とも人とも異なっている。神人の生と死は、

それが添っている神に従う事になるのだ。

つまりね、千尋、そなたは輪廻の輪に戻って 

人として生まれ変わることができなくなったのだ。

そして、そなたの意思に関係なく 私が死ぬときは、

そなたも共に 宙無の眠りにつかなくてはならない。」

・・・そなたとわたしは 依り代と神の関係に似ている。この場合 依り代は私で

神はそなただ。けれど違うのはそなたには選択の自由がないということ。・・・

震えている手はどちらのものなのか。

『今までの全て』とは、魂の存在そのものを私にささげることを

意味していたのだと 今になって、伝えている私を

千尋はどう思っているのだろう。

千尋、千尋、そなたの魂は、私などより

 ずっと長い時の流れを旅してきたと

いうのに、その流れをたちきり、

私という存在に結び付けてしまった事を許しておくれ。

そのかわり、私の全てをそなたに奉げよう。

私の持つありとあらゆるもの、

神としての力も 私自身の想いも 

永劫にそなたのものだ。

どうか、私を受け入れて・・・

「本当?はく。うれしい、うれしい!

生きている時も死ぬときもはくとずうっと

一緒にいられるのね。はくっ、はくっ、大好きよ!」

苦悩の瞬間が、歓喜に変わる。

千尋は、見開いた目から、今度こそ大粒の涙をこぼし、

樹からすべりおりると 押し倒す勢いで

 琥珀主の首にしがみついてきた。

琥珀の胸に狂喜が満ち、千尋を強く抱きしめ返す。

そのまま、その愛しい体をそっと大地に横たえて、

体重をかけてつぶしてしまわない様に、

腕で支えながら体を重ねた。

そうして、千尋の顔を覗き込むと、

万感の思いをこめて、誓った。

「千尋が失った全てに賭けて、私の全てを千尋に奉げよう。

私と共に、生き、その定めを全うしたときに 

私と共に眠りについて欲しい。そなたのすべてを

欲する私を、許し受け入れてくれたそなたへ、

永劫の愛を誓おう。」

「私こそ、私こそよ、はく。存在のすべてをかけて

 私を愛しもとめてくれたあなたに、

私の全てを捧げ、永遠にあなたのそばにいる事を 

誓います。」

もう一度、妻問いをし、それを受け入れたような瞬間。

宙無の眠りにつく その瞬間まで 

心の奥底に刻まれる幸せな時間。

2人は深く、深く口付けをかわす。

五感のすべてが互いでいっぱいになり、

琥珀主は

「ここで、そなたを愛したい。」

と、かすれた声で許しを請うた。

「で、でも玉ちゃんたちが・・やっ、はく、恥ずかしい。」

口付けだけで体中の力が抜けてしまっている千尋は、ろくな抵抗も出来ず、

真っ赤な顔で否を言うが、若い神は強引で。

「黙って。私だけを見て、私だけを感じて、

そなたの心も体も私だけでいっぱいにして・・・」

優しく、有無を言わせない情熱で求めてくる琥珀主の熱に巻き込まれ、

全てを忘れ感覚だけの世界に連れ込まれていった。

 

 

 

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ぎゃー ごめんなさい ごめんなさい 新婚だから許してやって。

あ、そこ 砂吐かないで