龍神情話・第1章 蜜月

 

唇に冷たいものを感じ、ふっと意識を上昇させると、琥珀主の唇が離れて

いくところだった。口中に流し込まれた、冷たい清水をこくりと嚥下し、

「はく」とかすれた声で呼びかける。

「千尋、大丈夫?」

もっと飲む?との問いかけにかすかに首を振ると、

夫の胸に顔を押し付けた。

「千尋、顔を見せて」

「やっ。」

琥珀主は胸に額をくっつけていやいやする妻に苦笑し、

その背中に手を回し抱き寄せる。

何時の間に用意されたのか、全裸の二人の体に薄物がかけられていた。

「千尋」

真っ赤な顔で照れて、恥ずかしがっている

妻のあごを強引にもちあげ、

ふれるだけの口付けを贈る。

「もうっ、はくったら玉ちゃんたちがいるって言ったのに。」

泣きそうな声で抗議してくる妻の体を支え 

こぼれてくる笑みをかくしながら、

ゆっくり上半身を起こし、倒木に寄りかかった。

薄物を胸までたくし上げ 髪をなでて、

妻の気持ちを落ち着かせてやる。

「大丈夫、ほらご覧。私達の周りのすべてが、私達を祝福しているだろう。」

気が付くと、褥にしていた苔の厚みは3倍くらいになり、

新緑だった木々や草の葉は 夏の盛りのように勢いを増し、

花々は咲き乱れ、周囲の森は命の輝きがあふれ、

すっかり様変わりしていた。

「主様、お召し物を持ってきました。」

「清水のお代わりをおもちしましょうか。」

驚いて目を見開いている千尋は、倒木の陰から聞こえてきた声に、

ビクッと驚き、夫の胸にしがみついた。

「ふふっ、心配しないで。玉と由良だよ。」

千尋の耳にささやき、わざと威儀をただして、

倒木の向こうに控えている者たちに

「2人とも千尋に目通りを許すゆえ、挨拶をしなさい。」

と、声をかけた。

「えっ、えっ?だって、玉ちゃん、由良ちゃんどうしちゃったの?」

倒木の陰からでてきたおかっぱの5歳くらいの童をみて、

パニックになっている千尋に向かい、2人の子どもは、

「玉です。ちー様、声と現し身をくださってありがとうございます。」

「由良です。ちー様のためなら、火の中、水の中、

何でもいたしますので御用をおいいつけください。」

と、挨拶をし、もう、嬉しくて嬉しくてしょうがないという様子ではしゃぎまわった。

「はく、いったいどうなっているの?」

恥ずかしさも忘れたように、呆然として問うてくる千尋に、

「まず、身支度を整えなさい。そのままでいると、

またわたしの抑えが効かなくなりそうだ。」

と、囁いてやると、

「ばかっ」と真っ赤になった顔をつんとそむけ、

両手で胸を押しのけてきた。

あまりの初々しさに、そのまま また押し倒したいくらいだったが、

さすがに これ以上拗ねられると困るかと思い、

額に唇を寄せると薄物に包んで そのまま抱きかかえ、

由良が肩に羽織らせた上着を

引っ掛けたまま 住いに向かった。

 

「えっと、つまり私達がア、アイを交わす事自体が、

森の命を生むっていうことになるの?」

住いに戻り 身支度を整えてから、千尋が聞いてきた。

初めて知った現象に驚き、神と交わる という意味を 

千尋なりに考えた事なのだろう。

そんな千尋の生真面目さを 好ましく思いながら

「少し違うかな。森の命の力は 森それ自体が持っているものだから。

私とそなたが交わるときの御光を浴びる事で、あれらがもとから

持っている力を増幅させる事ができた、といったほうが正しい。

玉と由良があの姿に成長するには、

本来十年くらいかかったはずなのだ。

わたしもそなたに夢中で、どんな事が起きているか

全く気付いていなかったから、私達の放った光が

どんなものかよく分からないけれど。

そんなに深刻に考えなくてもいいよ。

あの行為自体は、私達の愛を確かめ合うため、そして

私達2人を繋ぐ命を生み出すためのものだから、

そのおこぼれを分けてあげただけ。」

私たちには自然のことで特別なことではないよ、

といって緊張をほぐしてやる。

実際は、かなり特別で貴重な現象なのだが、

それをわざわざ教えることで いらぬ緊張を与えたくない。

真面目な顔を装っていても 目が笑うのを抑えられず、他人がみれば

こういうのを にやけた顔というのだろうなと、頭のすみで思う。

翁に異国趣味といわれた 居間のカウチに並んで腰掛け、千尋がいれてくれた

お茶を飲みながら、照れて、目を泳がせている初々しい姿にそっと笑みをもらした。

「それでね、千尋、お披露目の事なんだけど。」

「えっ、ああそうよね。もともとは翁様がおっしゃったお披露目の話だったのよね。」

話題がかわって助かったと思ったのか、やっとこちらを向いた千尋に、

どう話を切り出せばよいか、考えを素早くまとめる。

 「私たちのお披露目には2つやることがあってね。

そのうちの一つは、そなたが私の妻になった事を神々に紹介すること」

だから一月もかかるのだけれど、と付け加えると、千尋も真剣な顔で頷く。

「そう、これはそなたが言う披露宴のようなものだから、

そなたは、そこにいればいいくらいに、気軽に考えていればいいよ。

本当に、神々はお祭り好きだから わたし達をだしに

大騒ぎをしたいだけだと思うけれどね。」

苦笑しながらいった言葉に千尋もかすかに微笑んだ。

「もう一つは、これは私から翁様にお願いした事なのだけれど

神人であるそなたに上位の神々の力を授けていただく事。」

「えっ、力って何?」

訝しげな千尋に さりげなさを装って、なんでもないことのように教える。

「護りの力のことだよ。人間だったそなたの体は、

私の目から見てまだまだ、脆弱なのだ。

もちろん、龍玉の守りがあるから、たいていの事には大丈夫だし、

そなたのことは わたしが全力で守るつもりでいるけれど、結界の外では

何が起こるかわからないからね。ずうっと2人で結界にこもっていてもいいけれど

神無月には、出雲に出かけなければならないし、

そなたを置いて一月も留守にするのは、わたしが寂しい。」

さりげなく付け加えた言葉に、顔を赤くした千尋は、照れたような早口で

「で、でも、力を分けていただくといっても、いったい何をすればいいの?」

と聞いてきた。

「簡単な事だよ。人間は 神々にお願いごとをする時には、

きちんとお供えを差し上げるだろ?

そうしてそれを神が気に入ってくださったら 願い事をかなえてくださる。

私たちの場合も、神気をいただくかわりに上位神の方々の

願い事を一つ適えて差し上げればいいのだ。」

どんな願い事かは、お披露目に来てくださったときに教えてくださる。

そのときまでのお楽しみだね。

わざと軽い口調で言った内容を、混乱しながらもじっくり考えてたのだろう。

「・・・はく、簡単な事っていっているけれど 神様がする願い事

なんて、わたしの力で適えて差し上げられるのかなぁ?」

「大丈夫。神々への対応はわたしがするから。

そなたは何も心配する事はないよ。」

「で、でも、わたしに守りをくださるのだから、

わたしがやらなくては意味がないのではないの?」

千尋の言葉に思わず微笑む。

そう、そなたらしい。

そなたは、未知の事でも、一度決意した事は

迷わずやり遂げてしまうのだから。

釜爺に聞いたよ。

どんなに銭婆が恐ろしい魔女だと言っても、

そなたを止める事は出来なかったと。

そんなそなただからこそ、そう、だからこそ、

そなたを守護する力を得るためには、

わたしはなんだってするつもりだよ。

「そなたとわたしは、もう一心同体のようなものなのだから。

わたしがする事はそなたがする事と同じなのだよ。

だから、心配しないで。神々がどんな課題をくださるか

今から楽しみなくらいなのだから。」

「で、でも はく。」

大丈夫なの?無理をしているのじゃないの?危ない事はないの?

心に浮かぶ不安を瞳に乗せながら、千尋は夫を見つめた。

はくは、いつも一人で耐えてしまう。

なんでもないよと微笑んで、わたしの為に

危険なことをさりげなくしてしまう。

湯婆婆をだましてまでわたしを

助けてくれて。

それに、そう、あの時だって・・・

もうわたしにもわかっている。

はくは あのときわたしの命と引き換えに

自分の命を投げ出したのだ。

・・・はく、あなたにわかっているのかしら。

神人であるわたしの生と死は、あなたと

強く結びついていると教えてくれた時

どんなに嬉しかったか。

それなのに、あなたは まだわたしのために

わたしの守護をえるために

なにかをしようとしている。

訴えかける瞳に微笑んで、琥珀主は続けた。

「神気をわけてくださるのは地、火、水、風、空を現在代表なさっている

神様だから全部で五柱いらっしゃる。その方々が、お披露目の3日目から

7日ごとに一柱づついらっしゃって、そなたに神気をさずけ、

守護を与えてくださることになっている。」

大丈夫だよ。そんなに心配そうな顔をしないで。今の水の神である

翁様もおっしゃっていたけれど お披露目の余興のようなものだよ。

先の出雲の集いでわたしは、皆様にお会いしているし 

わたしに出来ない事をさせるはずはないと思うよ。」

大丈夫だよ、ともう一度言う。

本当は、そなたを他の神々にあわせるのは気がすすまなくて、

延ばし延ばしにしていたのだけど、翁様直々のお声掛りではさすがに、

これ以上 先延ばしするわけにもいかないから。ごめんね。千尋。

抱き寄せて、耳に囁くと、小さな体がピクリと反応する。

「どうしても、なの?」

「どうしても。」

心配げに曇っている瞳をみつめながら、もう一度ごめんねを言った。

そなたが心配しているのはわかるけれど

なにをすることになるか、

易いことではないとはわかっているけれど。

だけど、そなたに万一の事が起きるより よほどましだ。

あのような思いは、2度と御免なのだ。

龍玉の守りだけでは心もとない。

私より力のあるものの悪意に出会ったらと思うと

 たまらなく心配になる。

上位神全ての神気をいただけば、少なくとも

この秋津島ではそなたを傷つけられるものはいなくなる。

あとは、海神の守護をいただければ・・・

竜泉殿に知られたら 

また 馬鹿か、お前 といわれるだろうか。

 

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竜泉でなくても友林が、言ってあげます。ばかか、あんた。