竜神情話・番外1

 

その竜神、見覚えあり

 

「むかつく。」

人間で言うとまだ十代後半と思しき風体の、

まだ若い風神が呟く。

祝いの席にふさわしくない表情と声で、

先ほどから雛壇に座っている若い竜神を見やっていたが

すでに、宴もたけなわになっていて そんな風神の様子を

気に留める神は 一人としていなかった。

が、さすが、湯屋の女だけのことはある。

この宴席を盛り上げるために侍っている大湯女の一人は、

見逃さず 機嫌を取るように声を掛けた。

「主さん、まあ杯が空いてしまいましたわね。

気が利かぬことでした。

これ、チネ、お代りをお持ちなさい。」

そう言うと、小女から受け取った酒瓶を傾け、

嫣然(えんぜん)と微笑みながら酌をした。

若い風神はそんな女に目をやることなく、杯だけ受け取ると

そのまま、グイッと杯を干す。剣呑な表情を浮かべた目は

先ほどから雛壇に釘付けになったままだ。

表情を崩すことなく杯を重ねている竜神のとなりには、

人間から娶ったと言う少女が、頬を染めて座っている。

時折、夫に目をやる様は、

心からこの竜神を慕っている事を表していて。

「むかつく。」

もう一度同じことを呟いた。

そうして、若い風神は ゆらりと立ち上がると

雛壇に向かって歩き出す。

先ほどから様子がおかしいことに気付いていた大湯女は

慌てて留めようとしたが、すでに歩き出している風神を

 周りに気付かれないように止めるのは不可能だった。

肩を竦めると、仕方なしに小女に合図する。

小女は心得たように頷くと 素早く走って雛壇の影から

この宴席の責任者たる、リンにこっそり注進した。

リンは、ため息を吐くと そのままあることを小女に指示し 

歩いてくる風神を こっそり見やった。

と、どうやら、『ハク様』も気付いたようだ。

雛壇から離れた席だったことも幸いして、

ここにたどり着く前に ちょうど お膳のお代りを持ってきた

小女たちが 大勢 間に入り込んで その進路をふさいだ。

その騒ぎの中、リンは、千尋に気付かれないように

こっそりハクに話し掛ける。

「あいつ、知り合いか?」

一瞬の沈黙の後、かすかに頷いたハクを見て、

「どうやら、あんまり良い知り合いじゃなさそうだな。」

と呟くと、「解かった。ここは、任せてもらうぞ。なしつけることが

あるんなら、客が部屋に下がってからにしろ。」

そういうと、小女に頷き 合図をする。

・・・・・・

「きゃぁ。」

「何をする!」

突然の騒ぎに、目をやると小女が泣きそうな顔で 

若い風神に ぺこぺこ頭を下げていた。

風神の体には、そこに転がっている酒瓶の中身が降りかかってしまったようで

怒りに染まった風神は、今にもわめきだしそうな、雰囲気だった。

一瞬鎮まった宴の騒ぎに、つと艶やかな花がふわっと立ち上がり、

風神に近付くと、淑(しと)やかに頭を下げる。そうして、おっとりとした口調で、

「まあ、お客様。大変失礼をいたしました。さあさあ、こちらへ

直ぐお着替えをお持ちいたします。さあ、みんな、はようご案内して。」

そうして、風神の衣装に酒をこぼしてしまった小女を しかりつけると

この湯屋でもトップ3にはいる白拍子のさくが、風神の手を

有無を言わさずとり、もう片方の手でなでながら、

にっこり笑って、別室に連れ出してしまった。

ささやかな幕間は、あっという間に終わった。

再び戻った、宴のざわめきを聞きながら、ハクがかすかな笑みを浮かべる。

そして、聞こえないくらいの声で「鮮やか。」と呟いた。

『ハク様』の珍しい誉め言葉に二ヤッと笑ったリンは、

「このまま、宴が終わるまで押さえておくけど、その後はお前に任せるからな。」

そう言うと、千に近寄って酒を無理強いしようとした、

狸神(といっても明神様であるが)を牽制しに戻っていった。

 

披露目21日め。

すでに地の神と水の神、そして火の神の守護を

勝ち取った竜神は 3日後にある、

風の神との駆け引きに思いを馳せる。

たしか、あの風神は・・・

かつて、琥珀が使役されていた雷神に仕えていた眷属の一人。

それほど長い期間では 無かったが それでもあの顔は覚えている。

たしか、今の風の神の一族に連なるもので、修行に出されていたとか。

琥珀は、ふと思い出す。

人付き合いが易くできる性質(たち)ではないうえに、琥珀にとって理不尽としか

思えない、命令に いやいや従っていた様子が 気に食わなかったのか、

あの風神には、よく突っかかれた覚えがある。

琥珀自身は全く相手にせず

そのことがますます怒りを掻き立てたようで。

要は、全く気が合わないのだろう。

大切な自慢の主人に心許さず、結局背くようなことをした琥珀に

今更ながら、文句を言いたいのであろうか。

琥珀は軽く肩を竦めると、愛しい妻を見やり 

退出させるために 手を差し出した。

「はく?まだ、大丈夫よ。」

千尋はそう言うが、神々の宴はまだまだ続くのだ。これ以上

酔った神の目に晒(さら)していたくないという思いもあって、首をふると

「披露目は、まだ10日も残っているのだから。そなたも連日の

ことで疲れているだろう。今日は、早めに下がって休みなさい。」

そういうと、リンに頷いて 千尋の手を取りいったん退出していった。

 

いつもどおりその日の宴も、夜明けまで続いた。

千尋を一人にさせたくない琥珀主は、いつもリンを一緒に下がらせている。

そのため、夜半過ぎの宴は一種の無礼講に近くなって みな、はちゃめちゃに

騒ぎ出すのだ。もっとも、さすが油屋の女達。指示するものが居なくなっても

さりげない気遣いは、相変わらずで 収集のつかない事態になる前に

うまく まとめることなど たやすい事のようだ。

最後の客が広間を下がったあと、さくが琥珀の元にやってきた。

「主さん・・」

言いかけた言葉に頷いて 別室を用意させる。

といっても、客間はすべて埋まっていて、用意されたのは、

昔懐かしい 琥珀主が帳簿係りだった時に使っていた部屋だった。

どうやら、ここは琥珀主が去った後 空き部屋のままだったらしい。

どことなく空虚な匂いが漂う中、足音も荒くあの風神が入ってきた。

「何の用だ。人をこんな所に呼び出して。」

「用があるのは、そちらだと思うのだが。」

のっけから けんか腰で来た風神に 付き添っていた さくに、

下がるように合図する。さくは、それでも心配だったのか、

「ぬしさん、わたくし お部屋でお待ちしていて良うござんすか?」

白拍子のほうからの誘いなど普通では考えられないのに、

よほど 異常事態に感じられたのだろうか。

風神は、勢いが殺がれたようで、少し赤くなったまま頷くと

さくは「はよういらしてね。」

と嫣然と微笑み静かに下がっていった。

「お前、あの時のガキだろう。」

さくが居なくなったとたん、元の剣呑な顔に戻った風神は

突然言い出した。

「そうだ。よくわかったことだ。」

琥珀主が表情を変えないまま、返事をする。

「よくもまあ、飄々と返事が出来たもんだ。ようは、お前、俺達を騙していたってことだろう?」

「変だと思ったんだ。雷火さまの眷属になりながら、平気であんな事しやがって。

雷火様のご好意を悉(ことごと)く無視して、俺達 風雷族の何を探っていやがったんだ。」

自分で言いながらどんどん怒りが掻き立てられたようで、

最後には怒鳴り声になっていた。

「誤解があるようだが。」

冷静に答えた琥珀主の言い分など はなから聞く気はないようだ。

「は、何が誤解だ。お前が落とされた後、雷火様はかなり落ち込んで

いらしたのだぞ。あれほど力のある龍は珍しいのに、使いこなせなかった

のは、力不足だったのかって。お陰で俺まで、親元に帰されちまって。」

ようは、八つ当たりか・・・

喧嘩の最中でも このように冷静に分析してしまう琥珀は、

この風神のように直情型の神とは 気が合わなくて当たり前だろう。

琥珀主は、ふと考える。

3人の上位神の方々に気付かされた自らの属性。

水は元からだが、地と火の属性が備わっているのならば、風もあるのだろうか。

そういえば、目覚める前 龍玉石の内にあるときから、散々聞かされた。

崑崙の四海竜王は、4大元素を司っていて

お主は その身内なのだから、と。

海の中では大切なのは水であるが、残りの元素を司ることができれば

この乾坤に 海神の神のご威光を、再び知らせる事も出来よう。

さすれば、海闇どもも、我らに従わざるを得まい。

・・・

何の事か解からずに、自分には関係ないことと聞き流していたのだが。

どうせ、崑崙にいる事も許されない 流されてきた私など・・・

・・・

琥珀主は、自らの内を伺い見る。

この風神の持っている気配。

その気配に気付かれぬように力をそわせてみる。

流れてくる怒りのベクトルを排除して、

純粋の風の力の気配を探って。

少しずつ、少しずつ・・・

と、

大切な愛しい気配が近付いてくるのに気付いた。

千尋?

ああ、リンのやつ 千尋に余計な事を聞かせたのだろうか。

すぐに、自分探しをする事を放棄して、意識を再び

風神に合わせた。

「・・・だいたいなあ、人間の女を嫁に取ったことがそんなに自慢なのかよ。

これ見よがしに、見せびらかしやがって。あの女は 俺だって

子供の時に 一回、目をつけたことがあるんだ。河に落ちて

泣いていて、早く乾くように風を送ってやったのに。もう少し

おれが力に目覚めていれば、そのまま娶ってやったのに。

仕方が無いから、雷火様の元で修行して 力をつけてから

連れに行こうとしたら、お前が横から攫っていきやがった。」

琥珀主の内に殺気が漲(みなぎ)った。

千尋に目をつけていただと?

突然、吹き付けた突風に部屋の窓ガラスが激しくうなる。

まるで、ガラスが今にも砕け散りそうなほどの激しさに、

ようやく、若い風神は酔いと怒りに任せて吐いた言葉が、

竜神の逆鱗に触れた事に気付いた。

が、時すでに遅し。

すでに部屋の周囲には結界が張られ その中では

かまいたちのように、鋭く尖った風が巻き起こっていた。

こんなに怒りに我を忘れたのは久しぶりで、

自らが、先ほど探っていた風の属性を

使役していることにも気付かないほど。

若い風神は蒼白な顔を引きつらせる。

目の前の竜神の瞳は真っ赤に染めあがっていて、

すでに理性を求められる状態ではない。

逆鱗にふれられた龍など見た事もない若い風神は

対抗しようにも、まるで己が台風に向かうそよ風のように感じられ

理屈ではない本能的な恐怖に襲われた。

風を操るのは俺達 風神族の力のはず。

なのに、自分が深く傷つかないように防衛するにのに

手一杯で、すでに身につけている衣装はボロ屑と化している。

こいつ、いったい何者だ?

気がそれた瞬間、かまいたちが右腕の袖を噛み切る。と、その刃が

肉にまでふれ、透明な紫の血が玉となって周囲に飛びちった。

思わず、庇ったその隙をついて、風の刃が顔を襲おうとした瞬間。

「はく!!」

気が付いた時には 解かれた結界の周りに油屋の女主人と

白拍子のさく、もうひとりいつも雛壇に付き添っている女中と

人間の娘がやつに肩を抱かれて立っていた。

「命拾いしたな。」

氷点下の声に、先ほどの恐怖が蘇る。

「お前、一体何者だ?」

掠れた問いかけを無視したやつは、妻を引っ張るようにして

部屋を出て行った。

・・・・・

「馬鹿な事をしたもんだね。」

白拍子のさくに手当てをしてもらいながら呆然としている

若い風神に湯屋の女主人が話し掛けた。

「あれを、あそこまで怒らせたってことは千がらみで余計な事を

言ったんだろう。今のが龍の逆鱗にふれるってことなんだ。

よく覚えておきな。」

「あいつ、一体何者だ?」

婆さんの顔に視線を向けながら もう一度問う。

「・・・鎮守の森の新しい主で、狭間のトンネルの管理神だよ。」

そんなことは、解かっている。

「ついでにいえば、東の竜宮の養い子で、竜王の義理の息子のようなもんさ。」

婆さんの返事に呆然としていると、さらに追い討ちをかけられた。

「まあ、本当の親は 崑崙の水晶宮の主人の誰か らしいけどね。」

・・・どうやら、とんでもないやつに喧嘩を売ったらしい。

「命があっただけめっけもんだと思うことだね。」

若い風神には 黙って頷くことしかできなかった。

 

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ご愁傷様、運がなかったということで。