第3章・発現  注意 2部番外1 その竜神見覚えあり を先に読むことをおすすめします。

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お披露目・第24日目

風の神  天馳嵯祁李男命 (あまはせさぎりおのみこと)  ご降臨

  

のっけから剣呑(けんのん)な雰囲気であった。

風雷族といわれる精霊たちは、気が荒い事で知られていたし

上位神たる、風の御方は、中でも短気で有名なのだ。

まして、引き連れている眷属は、数はともかく

何れも体が大きく 一癖ありそうな顔をしているものばかりだった。

いずれにせよ、琥珀主自身も ついこの前の出来事があった以上

穏やかに ことが進むとは思っていない。

先ほどから、千尋がはらはらした様子で 背中を見ている視線を

感じているが、自身もいまだ完全に怒りが収まっていないのは 

事実である以上 千尋本人を、正面に立たせたくないのである。

当事者が、ここにいないのは まあ当たり前ではあるが

そのほうが、本人だけでなく 琥珀主のためでもあったかもしれない。

 

湯屋の最上階のそのまた上の屋根裏。

ここは、成金趣味の湯婆婆が?と以外に思われるほど丹精こめて

育てられた、珍しい花々が咲き誇っている温室で、琥珀主や

湯婆婆が、一目を忍んで湯屋から出入りをした、出入り口としての

機能を果たしている。そんな、初めて入る場所に 好奇心を発揮する

余裕もなく、窓の外に向けてしつらえられた『観客席』の一つに

腰をおろし、千尋は思わず 琥珀主の袖をそっと掴(つか)んだ。

緊迫した空気に 亀裂が入る。

「さて、お若いの。わしの挑戦を受けてもらおうかの。」

口火を切ったのは、天馳嵯祁李男命 (あまはせさぎりおのみこと)であった。

その声がどこか楽しそうであったのを以外に思いながら

琥珀主は冷静な声で返事をした。

「はい。どうぞ 条件をお教えください。」

そんな琥珀主に にやっと笑いかけたあと、琥珀主が

まるで後に隠しているかのような 娘に声をかける。

「これ、嬢ちゃん。そんなに心配そうな顔をせんでいい。

なにも この若い竜神を取って喰うというわけではない。

ただのう、わしの馬鹿息子とした勝負を 今度は

わしの目の前でやってもらおうと思うての。ほれ、

あれなるは、我が一族一の腕自慢での。竜神と

風起こしの勝負に負けたと聞いて黙っていられんとな。

まあ、これも我が一族の性(さが)じゃて、嬢ちゃんも

ここでわしと一緒に、酒でも酌み交わしながら、

試合見物としゃれ込もうではないか。」

まるで、琥珀主の倍はあろうかという その試合相手とやらを

見た千尋は、思わず眉をよせ、唇をかんだ。

そうして、震えがちな声で返事をしようとしたところを

鋭い声で遮(さえぎ)られた。

「千尋は、酒が飲めません。酒のお相手なら

後ほど私がいたしましょう。」

「ふむ。じゃが、話し相手くらいは勤まろう。

そう隠すでない。わしの守護が欲しいと言う相手を

よう知らんでは わしとしても守護を与えるわけには

いかんでのう。」

「あまはせさぎりおのみこと様。わたし、そのようなことは

望みません。どうか、お怒りを御鎮め(おしずめ)ください。お酒の

お相手は喜んでいたしますが、試合などは 止めにして

いただくわけにはいけませんか?」

小さいが意思をはっきりと伝えてくる声に 命は ほう、と 意外そうに眉をあげた。

 

竜神の背中に隠れ、守られてばかりの娘ではないらしい。

あの、ばか息子が祝いの席だというのに、夫に向かって

自分が欲しかった娘だ、と口走り 竜神の怒りに触れて、

こてんぱんにやられたと聞いたときは、

『当たり前じゃ、この馬鹿息子!』

と、怒鳴りつけてやったが どうやら その価値はあるらしいの。

 

「と、そちの妻は言っているがどうする?わしとしては

この娘が一晩酒の相手を務めてくれるのなら、風馳(ふうち)とのことは

ちゃらにしてやってもよいがの。」

皮肉げな声に、無表情だった顔に怒りが走るのを面白そうに見やる。

「千尋、そなたは 下がっていなさい。」

「いや。」

「千尋!」

「絶対いや。はくは全然わたしの気持ちをわかっていない。

いつもいつも、一人で背負って、いつもいつもわたしを

心配させるんだから。前から 言っているのに。

わたし、上位神の神気なんていらない。お願いだから

危ない事しないで。」

「わたしの気持ちがわかっていないのは そなただろう。

いいから、下がりなさい。玉、千尋をつれていけ。」

「玉ちゃん、わたし行かない。ここにいる。」

「あっはっはっはっはっ・・・」

突然始まった夫婦喧嘩は、風の神の大きな笑い声に遮られた。

「あっはっはっはっはっ・・・」

腹をかかえて笑っている風の御方を見て 少し冷静さを

取り戻した琥珀主は 頭を一つ振ると穏やかな声で言った。

「千尋、頼むから。そなたは、ここから下がりなさい。

そなたにお酒の相手は 無理だろう?」

千尋は、風の御方の笑い声に羞恥で顔をあかくしながら

それでも、はくの顔を見ながら小声でいった。

「はくったら。火の神様と2人だけで飛んでいってしまった後

眷属の方々をおもてなししたの 誰だと思っているの?

一晩くらい お酒のお相手するのなんて もう慣れています。」

7日前のことを言い出され、確かに、千尋の止めるのを無視したまま

火の神の挑発にのって 千尋を置いてけぼりにしたことに

罪悪感を覚えていた琥珀主は ぐうの音もでない。

「ほれ、喧嘩は止めんか。心配せんでも酒の無理強いなぞ

せん。それより、わしの眷属が待ちくたびれておるぞ。

はよう、試合を始めんか。」

そう言われたとたん、琥珀主の体は温室の外

湯屋の上空に浮かんでいる 透明な結界内に放り込まれた。

夜だというのに、空はまるで帯電しているかのような明るさを湛(たた)え

大きな球体状の結界が 薄いシャボンだまの膜のように

周りを取り囲んでいるのが目に入った。

風の属性がいつの間にか目覚めていた琥珀主は、その結界の

強さを探る。おそらく、風の眷属以外の目には何も映らず

空中に2人向かい合っている姿しか見えないだろう。

入ったとたん襲ってきた風の刃を、同じく風を使って防ぎながら

相手を冷静に観察した。

飛揚(ひよう)殿か。確か、風の御方の右腕と称される風神のお一人。

神々の中でも 地上にいる神と異なり

固定の実体のないものに宿る風雷族は

その力が限定されず、いたるところに 存在している、

風そのものや、雲から力を得ることができる。

空の理(ことわり)のなか、地を清め 澱みを浄化するお役目を持つ神々。

雷神の眷属を務めていたときには、考えもしなかった真理。

たしかに、あの風馳とやらが、怒るのも 当たり前ではあったか。

次々繰り出される刃は、まだ風の力に目覚めたばかりの琥珀主の

衣を引き裂き、その体に傷をつけていく。

防御で手一杯の琥珀主は それでも隙を探ろうと意識を

目の前に相手に傾けた。この結界の中にいる限り

千尋の気配は探れない。酒の無理強いはしないと

言質(げんち)はいただいたが・・・

思考の一瞬の隙をつき、刃が咽元を掠める。小さく飛び散る

血の雫が目の端をかすめた。

琥珀主の瞳の瞳孔が細く細く狭められる。

次に瞬間、反撃に転じた。

 

天馳嵯祁李男命 (あまはせさぎりおのみこと)は結界の中の

試合の様相が変わってきたのを感じ 口角を上げる。

すでに、試合が始まって3時間は経とうという頃か。

これほど長く続くと思っていなかったが、なるほど

あやつには、風の属性があるらしい。

命は 傍らで体を固くしたまま固唾を飲んでいる竜神の妻に目をやった。

両隣には、童姿(わらわすがた)の木霊がまるで守っている

かのように、同じく宙の主を見つめながら 控えている。

まだちっぽけな霊たちだが、その気迫だけは一人前じゃな、

と、ほほえましく思う。

さて、そろそろかな。

つと、立ち上がった天馳嵯祁李男命を、驚いたように見やった

竜神の神人に軽く微笑みかけると、命は 

ぱん ぱん 

空一面に響き渡る拍手を打った。

結界が解かれてみると、試合に臨んだ双方共に

傷だらけで まるで襤褸屑(ぼろくず)のような様相であった。

肩で息をしている飛揚に視線で問い掛けると、僅かに頷いてくる。

それに、にっと笑んで、命は竜神に声をかけた。

「さて、よい試合を見せてくれた褒美に 宴に移るとしようか。

約束どおり、夜明けまで酒の相手をしてもらおうかの。」

頬から滴り落ちる血を無造作に拭(ぬぐ)うと、

竜神は優雅に一礼をして見せた。

 

どんちゃん騒ぎが終わった夜明けは いつものごとく

晴天が約束された 清浄な空気と眩しい光を伴って

訪れた。体中手当ての跡だらけの琥珀主は

風の神の守護の印である 風紋の飾りを

首から下げた千尋と共に、風の御方の出立を見送る。

「心配しなくても、このような傷は明日の

宴までには消えてなくなるよ。」

酒の席だというのに 大騒ぎで手当てをしてくれた千尋に言うと

「そういう事じゃな〜い!!」

と、また怒られてしまった。

そんな2人をみた風の御方は、また大笑いしていて・・・

なぜか、このお方の前では千尋を怒らせてばかりいる気がする。

自分の言動を棚に上げ、眷属の諸士と共に

去って行く風の神の後姿を 千尋の肩を抱き寄せたまま

見送りながら 考えていた琥珀主は自らの

内なる属性と同じだけの守護を得た妻をみて、

 満足そうに笑った。

 

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よ、よかったね。そっか、怒られてうれしいんか。