第3章・発現

お披露目・第31日目(最終日)

空の神  天津旭高日子旭日昇天空姫の命  

( あまつひこひこきょくじつののぼろあめのそらいひめのみこと)

ご降臨

 

空の御方、この方は高天原(たかまがはら)に去られた

御神祖神方(おんおやのかみがた)と、

秋津島を司る神々をつなぐ、唯一の御方だという。

大御神(おおみかみ)から生まれ出でた御神祖神方は、

力を合わせてこの秋津島を御創り(おつくり)になり、

それを司る理を定められた後、

秋津島の万物に、そのお力を注がれて 

神々をこの国に御遣わしになったという。

そうして、高天原にお帰りになり 

今はこの秋津島を空の高見から見守られている。

空の御方は 高天原に出入りを許された 

ただお一人の秋津島の神様なのだ。

 

「それって、古事記にのっていたお話と似ているのね。」

「そう、人間の世界に 神代から伝わっている神話に 真理があるということだね。」

はくに そう教えられ 今日おいでになる『天津旭高日子旭日昇天空姫の命』様は 

今までご来光をお願いした上位神方とは また異なる

尊い神様なのだ ということは なんとなく解かった。

はくも また いつもより緊張しているのが解かる。

千尋は 右手を自分からはくの手に伸ばして、ぎゅっと握り締めた。

千尋からのそんな行動はめずらしく、

琥珀主は驚いたように一瞬目を見張ったが

すぐに微笑んで 力付けるように握り返してきた。

そうして、広い湯屋の玄関先で2人だけでご来光を待つ。

湯屋全体が 固唾を飲んでこれから起こる事を待ちわびているようだ。

さやさやさやさや

秋の風が2人の間を通り抜けていく。

しーんとした中 互いの存在のみを感じるそんなひと時。

パァン 突然空気中に 音の無い音が響き渡り 周囲が揺れた。

と、2人の目の前に 突然現れた光の塊の中から ころころとした

楽しげな笑い声が聞こえてきた。

次の瞬間には、そこに光を纏(まと)った 女性が立っていたのだ。

眩しい光が収まってくるにつれ、そのお姿もはっきりしてくる。

黒々とした髪を宝きつ(ほうきつ)に結い、裳(も)を付け 

背子(からぎぬ)に領巾(ひれ)を纏った、これぞまさに女神様という

お姿をした その美しい神は、楽しげな声で言った。

「本当に仲がよろしいのね。天駆殿(あまはせどの)のおっしゃった通り、

中(あ)てられっぱなしになりそうだこと。」

そういうと、驚きのあまり 目を見張って呆然としている千尋の

手を取ると、琥珀主に目をやった。

「シルベ殿、今日は楽しませてちょうだいね。」

「はい。仰せどおりに。」

空の女神は そういうと琥珀主に笑いかけ、そのまま湯屋に入っていった。

 

大広間は 花園だった。

しかも 広い野原の中に咲き乱れる 自然のままのお花畑であった。

いつの間にか 天井は青く澄んだ高い空に変わり、

壁やふすまは、どこまでも続くお花畑の中に消え去っていた。

確かにふすまを開けて入ったはずだったのに、その入ってきたはずの

ふすまさえも 何処かへ消え去っている。

千尋は気が付いた時には そんな どことも知れない花園の中に 

女神様とただ2人 暖かい光を浴びながら 立っていたのだ。

 

「千尋。」

優しい声に はっと心付いて千尋は慌てて 女神様のお顔を見た。

「あの、ここは?」

「私のお気に入りの場所。ごめんなさいね。ここは男子禁制だから

あなたの大切な人は湯屋に置いてきてしまったの。」

悪戯を告白するような調子で女神様は、にこっと微笑んだ。

 

はっとした時、千尋はすでに消え去っていた。

広間の入り口で動揺している琥珀主のもとに 声だけが届く。

「そなたにではなく、千尋に楽しませてもらいたいの。

今日は そなたは、ゆっくりしていなさいね。明日の朝には

きちんと千尋をそなたの元に戻してあげます。だから、

焦って力を振るってはだめよ。わたくしの守護がほしいのなら

そなたは、今宵一晩 千尋のいない世界で過ごす事。

それがわたくしの条件です。」

声が消えると同時に 女神の気配も消え去った。

気付くと 千尋につけていたはずの眷属達も

すべて琥珀主の目の前に呆然として立っている。

『奪われた!』

一瞬沸いた怒りの感情が、女神の声でなんとか治まる。

琥珀主は 蒼白な顔のまま、広間の中心に正座し

自らの心のうちを抑えながら  千尋の帰還を 

たった一人で 待つことになったのだった。

 

「そなたのご両親のお話をきかせて。」

女神様の言葉に 千尋ははっとし 動揺した。

はくとの暮らしが幸せで 普段は意識しないのだが、

心の底の何処かでは はくを選び 二親(ふたおや)を捨て去った

罪悪感が張り付いている。

はくでさえ 千尋がそこまで感じているとは 

おそらくは 気付いていないだろう。

そう。選択したのは千尋自身なのだから。

今更 両親のことを思うなど 

はくに対しても 罪悪感を感じてしまって。

そんな、千尋の心のうちを知っているかのように、女神様は

「さあ。」さらに促す。

千尋は ぽつりぽつり 両親の思い出を語った。

思い出すのは 愛され慈しまれていた自分。

厳しく どこか千尋に対しても一線を画していたような母であったが

その根底には 千尋に対する愛情が滾々(こんこん)と流れている

ことは 理屈ではなく感じていて。

そして、大らかで気のいい父。千尋に対する愛情を

臆面もなく 注いでくれていた父。

両親の仲のよさに疎外感を覚えた事もあるけれども

そんな両親の愛情の上に 千尋は育(はぐく)まれてきたのだ。

だから、そう だからこそ、千尋は狭間の向こうの世界で

豚になってしまった 両親を 見捨てようとは

ちらっとも考える事が無かったのだ。

ただただ、両親を助け出し 元に戻す事に必死であったのに・・・

 

ああ、お父さん お母さん ごめんなさい。

あなた達を顧(かえり)みることなく 捨ててしまった

ひどい 娘を許してください。

 

いつの間にか、千尋は声をあげて泣いていた。

女神様の胸の中に 抱かれて涙が枯れ果てるまで

泣いていた。

 

ああ、お父さん お母さん

それでも あなたたちのもとに 帰らない

還ろうとしない

ひどい 娘を許してください。

 

千尋の泣き声が次第におさまり、落ち着くのを

慈しみに満ちた顔で 見守っていた女神様は

千尋の頬の涙の跡を、その優しい指先で拭うと

千尋の手を取り、

「こんどは私の番ね。」と

一つのお話を聞かせてくれた。

どこからともなく差し込んでくる暖かい光に

包まれながら

千尋は 女神様の話に聞き入った。

 

あるところに、とても力のある神様がいました。

神様には その力を受け継ぐ りっぱな跡取り息子が4人いました。

いずれも、力ある女神様たちとの間に愛情と喜びをもって

 もうけた息子達でした。

神様と神様の間柄は 人間と違い一対となることはなく

かなり気ままなものなのです。

力と想いが重なりさえすれば 縁を結び 新たな神様を

もうけるのは 神様たちにとって当たり前な事なのです。

ある日、その神様は 一人の人間の娘と恋に落ちました。

神様が 人間と恋に落ちるのは そんなに珍しい事では

ありません。けれども、その神様は その娘を

妻に迎えると言い出したのです。

当時 人間を妻に迎えるのは とても大変なことでした。

違う世界の理に分けられている魂を 一つに添わせるというのは

理が定まったばかりの当時としては 許される事ではなかったのです。

 なにしろ 輪廻の理の中に生きている魂を 

神様の中につなぎとめる事に なるのですから。

娘にとっても大きな犠牲を払う事になるのです。

人間の成長を見守ることも大切なお役目の神様たちにとって

許しがたい事でもありました。

すったもんだがありましたが、力のある神様はとうとう意思を貫いて、

立派な息子たちの反対を押し切って 娘を妻に迎えました。 

そうして、5人目の神様が生まれたのです。

神様と娘は 喜びを持って 新しい命の誕生を迎え、

その小さな神様の行く末を祝福してもらおうと

ト占の神様のところにつれていきました。

ところが、なんと その小さな神様に

恐ろしい卦(け)がでてしまったのです。

占いをする神様は その子は、そのままでは 何れ

その神様の一族を分裂させ 滅ぼしてしまう 

といったのです。

 

力のある神様は悩みました。そうして、

悲しんでいる妻とともに ある決心をしました。

この世界にある全ての喜びと悲しみを捨てて、その身と力を

普遍の存在として宇宙に融かすことにしたのです。

そうして恐ろしい卦を抑えるために 力のある神様は妻をともなって 

月宮(つきのみや)と呼ばれる天上界に去っていきました。

あとを、4人の立派な息子達にたくして。

4人の息子たちは たくされた小さな弟に困惑しました。

なにしろ、石の中に閉じ篭って出てこようとはしないのです。

それに、卦のこともありました。

父神が抑えてくださったとはいえ、一族に争いごとを

持ち込むといわれる弟を 安心して おいておく事は出来ません。

しかも、父神がさったことで よい機会とばかりに

他の一族から戦いを挑まれていたのです。

その混乱で この弟を奪われてしまっては 大変です。

石の中で眠っている今も どうやら兄弟達の中で

一番 力が、 そう父神と同じくらいの力が

あることがわかっていたのです。

兄弟達は 相談しました。

そうして、遠くにいる 別の力のある神様に

預けることにしたのです。

そこは、兄弟がいる世界とは

 また違う理が定められているところだったので

小さな弟も 安心して眠りから 覚める事ができるでしょう。

 

「それは、はくのことなのですか?」

女神様の話がおわったあと、千尋は静かに尋ねた。

答えはわかっている気がしたけれど。

女神様は、微笑んだ。

「千尋。シルベ殿が そなたの気持ちに気づかない事を

許してあげなさいね。なにしろ、親というものを知らないのですから。

永い眠りから覚めて やっと得た 愛情を注げる存在を失う事を 

恐れるあまり そなたに しがみついている頑是無い(がんぜない)

子ども のようなものなのですよ。」

そういうと、女神様は 悪戯っぽく笑った。

「まあ、見ていると 面白くて 退屈しないけれどね。」

「本当に これから どのように育っていくのかしらね。

そなたも 振り回されてばかりでなく、たまには振り回してやりなさいね。

まあ、天馳殿の言からすると あまり心配はしていないけれど。」

千尋は 風の神様の前で 喧嘩をしてしまった事を思い出して

顔を赤くした。そんな、千尋をみてくすくす笑った女神様は

「さて、しょうがないから あのお子様の所に戻ってあげましょうか。」

そう言って 手を差し出すと 千尋の手を優しく掴んで

立ち上がり、眩しい光に包まれて美しい花園を去っていった。

 

「千尋!」

琥珀主は光の中から現れた千尋を 飛びつくようにして

抱きしめた。もう離さないというかのように、ぎゅうっと 音が

するくらい きつく抱きしめる。

「ちょっ はく 痛いったら。」

千尋の抗議に耳を貸さず、少しだけ力を緩めると

顔をみて 焦ったように話し掛ける。

「千尋、泣いていたの?ああ、いったいどんな事をされたのだ。」

ばしっ

「人聞きの悪い事を言わないでちょうだいね。

泣かせたのはそなたでしょう。」

後から、琥珀主の頭を思いっきりどついた女神様は 

憮然とした顔で 言った。

「そのような言いがかりを つけられる覚えはありません。」

片手は千尋から離さないまま もう片方の手で

頭をおさえながら きっとした顔で睨みつけてくる

琥珀主を見て 呆れたように

「ねぇ、千尋 言ったでしょう。このお子ちゃまは本当に

そなたの気持ちが解かっていないんだから。」

「千尋はね、あなたに引き剥がされたご両親のことを

思い出して泣いていたのよ。まったく、そなた、

千尋のご両親にご挨拶もしないで 娶ってしまったなんて

本当に呆れるわ。一昔前なら、神に娘を捧げた親には

それなりの報償を与えたものなのに。

いったい今までなにをしていたの。」

空の女神様の言葉に 目を見張った琥珀主は 腕の中の

千尋を心配そうに見た。

千尋は下を向いて体を震わせている。

「千尋。」

なんとか顔を見ようと焦る琥珀主は 声を掛けるが

千尋の体の震えは大きくなるばかりで。

「千尋。ああ、すまない。そなたをそれほど 悲しませていたなんて。」

琥珀主の言葉に 我慢ならないというかのように

千尋は声をあげて泣き・・?

「く、く、ぷぷぷぷふっぷっくっ きゃははははは。」

大声をあげて笑っている千尋をきょとんとしてみている琥珀主を

同じく爆笑しながら 眺めていた空の女神様は 笑いが

おさまると、千尋を優しく見つめて

「これは あのお話に出てきた神様から そなたにと お預りしてきた

ものよ。私の守護よりも よほど大きくそなたを守ってくれるでしょう。」

そういうと、千尋に小さな小箱を渡した。

そっとふたを開けてみると 丸く透明な光を放つそれは まさに龍玉で。

訳が分からない琥珀主は その贈り物をみて動揺する。

そんな琥珀主を見て女神様は 歌うかのように美しく流れる声で言った。

「龍が龍玉を得る方法はいくつかあって。

その一つは 身内から分けてもらう事。

せっかくの贈り物。邪推してはだめよ。

あとは自分で考えなさいね。」

気高く微笑んでいる女神様を千尋は そっと呼ぶ。

「あまつひこひこきょくじつののぼろあめのそらいひめのみこと様。」

自身の名前を正しく呼んだ 千尋を見て 女神は嬉しそうに笑うと、

「わたくしからは そなたに 名を通称で呼ぶ許しをあげましょう。

わたくしのことは これから あさひ と呼びなさいね。」

その言葉に 反応し 訳がわからない中でも 嬉しげに笑んだのは 琥珀主。

自身を 正確な名か、空の御方としか呼ぶことを許さない女神が

極(ごく)少ない者たちにしか与えていない通称を 与えられた事で

千尋は 空の御方の守護を勝ち取ったのであった。

 

「空の御方、お迎えが参っております。」

恐る恐ると言った様子の声が 廊下から聞こえてきた。

さすがのリンも直接声をおかけするのは 

かなり勇気が入る事だったのかもしれない。

きた時と異なり、お供の陣営を整えて 威儀を正して還っていく

空の御方を見送りながら、

千尋は託された箱を大切に抱きしめる。

そして傍らに立つ最愛の存在をそっと見上げた。

 

はくの お父様とお母様からの贈り物。

はくは、理解しているのかしら。

あなたのことを空の高見から見守っている

お二人のその、深い愛情を。

あさひ様は はくは親を知らないとおっしゃっていたけれど。

そう、解からないながらも 感じてはいるのかもしれない。

はくは、無償でそそがれた愛情を

そっくりそのままわたしに注いでくれている。

そんなはくと私のことを お二人は祝福してくださったのだ。

 

空の女神様のお姿が消えた彼方を見つめながら

千尋は 感謝の思いを込めて

深く、深く 頭を下げた。

そうして、千尋は琥珀主の背に

こつんと、頭をぶつけ、

そのまま、ぎゅぅっと抱きしめた。

戸惑いながら、嬉しげな様子の夫に

くすぐったいような 笑いが込み上げる。

そうして、2人で向き直り、湯屋に戻りながら

千尋は晴れやかに 琥珀主に話し掛けた。

「はく、ねえ。もう一日湯屋に泊まってもいい?

今夜は リンさんの壮行会を兼ねて

湯屋の皆の慰労パーティーをしようよ。」

そんな千尋の頬を指で撫でながら 

琥珀主は微笑んでいつもの言葉を言う。

「そなたの 望むとおりに。」

 

葉月の半ばから続いてきた 長い長い神々の宴は

こうして、幕を閉じたのだった。

 

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愛情を知らない人は愛情を注げないと友林はおもうのです。

はくがこれだけ千尋を愛する事ができるのは はくが無意識のうちに

たくさんの愛情を注がれていたから・・・・じゃないかなぁ。

はくも早くそのことに気付けるといいけれど。