龍神シリーズ・第3部・幕間小話

第2章、 盟約

東の竜宮よりの正式な招待状が琥珀主と千尋の元へ

届けられたのは、夏の盛りが僅かにすぎた頃であった。

昨年も、王妃よりの招待状が届けられていて、諾との返事まで

出しておきながら、天鳥一族の騒ぎでのびのびになり

そのまま、未だに訪問は実現していなかったのだ。そのせいもあり、

今年になってからさらにひんぱんになったサーガ王妃からの

打診に対し、さすがにほうってもおけなくなった琥珀主が、

この日なら、との返事を出して間も無くのことであったから

今度こそはと、よほど急いでお膳立てをしたものらしい。

 

「いってらっしゃいませ。」

主だった眷属たちが、館の前に連なって夫婦を見送る。

標の森の龍神夫妻が長期に守護地を留守にするなど

お披露目以来のことで、まるで親に取り残される

幼子のごとき頼りない顔をした眷属たちの中で留守中の

責任を任される最古参の木霊たちが、緊張の面持ちで挨拶をする。

「玉ちゃん、あとお願いね。由良ちゃんも

留守中、館の管理を頼みます。」

「はい、お任せくださいませ。」

「どうか、つつがなくお戻りくださいますように。」

そうして、2人は竜宮に出発する。

ほぼ一世紀ぶりのことであった。

 

 

 

しかし・・・・

事態は思いがけないものであった。

竜宮はまるで戦場のような騒がしさの中にあり、

宮殿の廊下を行き来する兵士たちの姿に千尋は目を

丸くする。そんな千尋の目をふさごうというかのように、

その懐に抱きいれた琥珀主は、表情を消したまま、

取次ぎの案内に従って、玉座の間に向う。

門番、外の取次ぎ、奥つきの召使、内の取次ぎ、竜王の側使い。

「竜泉殿はお留守か?」

次々にいれかわる案内に尋ねても曖昧にはぐらかすばかりで。

まあ、王弟が直に案内に立つ方が異例だったのだから、

もしかしたら、秋津島で真に力ある神としての頭角を顕しつつある

琥珀主を、客人として正式に扱おうというわけかもしれない。が、

それにしては廊下を行き来する兵士の数が異様なのだ。

 

これは・・・・

 

琥珀主は、僅かに眉をよせる。

千尋とともに控えの間で待たされている琥珀主は 

床に視線を据えていたが、腕の中で千尋が不安そうに身じろぎ

したのを感じ取ると、安心させるかのように抱きしめた。

「はく?」

「大丈夫だよ。竜宮よりのご招待は正式なものだったし、

竜泉殿がお留守な以上、このように面倒くさい手続きは

仕方がないものとあきらめなくてはね。」 

なにしろここは竜宮なのだから・・・

琥珀主の言に分かったというように頷いた千尋は夫に微笑みかける。

「千尋。」

内心不安だろうに健気に微笑む千尋に、思わず唇を

落そうとしたとき、背後から声がかかった。

「どうぞこちらへ。陛下がお会いになられます。」

反射的に体を離そうとする千尋を一瞬強く抱きしめると

琥珀主は側仕えに向って鷹揚に頷く。

そうして、千尋に手をそえエスコートしながら

琥珀主は、玉座の間に足を踏み入れていった。

 

そこにいたのは竜王だけではなかった。

玉座の間の壁にそって どこか、異国風の甲冑を身に着けた

大小様々な姿態の兵士らしきものたちが3,4人ほど控えている。

しかし、それにちらとも視線をやらず、琥珀主は千尋に

手を添えたまま、まっすぐ玉座にあがる階(きざはし)に

赴くと、千尋とともに膝をついた。と、

「すまんな。せっかくきてもらったというに、そなたらに

相応しいもてなしも出来ず、許して欲しい。」

挨拶をすっとばした竜王の言葉にほんの僅か目を眇める。

「竜王陛下におかれましてはご健勝のご様子。

重畳至極に存じ上げます。このたびは、我が妻に王妃様よりの

ご招待をいただきありがとう存じ上げます。妻が王妃様に直に

ご挨拶をと望んでおりますがお許しいただけましょうか。」

招待を受けた客である、という姿勢を貫いたまま

他人行儀な挨拶をする琥珀主に、竜王はにっと笑む。

「おお、もちろんだ。王妃も待ちかねていたのだが、

あいにくこの騒がしさでな。あやつは後宮から出て

こられぬのだ。すまぬが千尋、そなたから後宮に赴いて

王妃の相手をしてやってはくれまいか。」

竜王は琥珀主ではなく、直に千尋に話し掛ける。

千尋は、下げていた顔をあげ、竜王の瞳を見つめ返した。

「はい、それはかまいませんが、お邪魔ではありませんか?」

ご迷惑にならないよう、このまま失礼したほうがよいのでは?

竜王は、とんでもない、というかのように首をふる。

「ここでそなたらに帰られては、我が許してもらえぬ。

ただでさえ、この事態に機嫌を損ねているのだ。

しばらくの間、後宮は何びとも出入りできぬように封鎖されるゆえ、

その間王妃の遊び相手になってもらえるとありがたいのだが。」

傍らのはくに緊張が走るのを感じ取った千尋は、困ったように

夫に視線を向ける。どうやら、なにかはわからないけれど、

緊急事態であるのは確かなようだ。と、琥珀主が我慢の限界

ぎりぎりで踏みとどまっているような声で問う。

「後宮を封鎖する事態とは?」

竜宮の最奥に位置する王妃の居城は、非常時には

所謂人間社会でいうところの核シェルター的な役割をにない、

竜王の意思力で異なる次元に送り込まれるようになっている。

もっとも、そんな事態はこの海原が干上がりでも

しないかぎりありそうもないことではあるが。しかし

封印をして外部を遮断することは、今までもままあったことで。

・・・まさか、それに千尋に付き合えとでもいうのか。

眼光鋭い若龍の追求に対し、竜王は端的に応じた。

「奇襲だ。」

「そのような顔をするな。我のせいではないわ。」

「私は何も言ってはおりませんが。」

「ふん、千尋を巻き込むなと怒り狂っておるくせに。」

分かっているのならば!!

琥珀主は思わず立ち上がる。

彼らが竜宮に赴くのを見計らったかのように

偶然、敵襲があったなどと信じるほど、竜宮の

情報力と防衛力を知らない琥珀主ではないのだ。

「奇襲などという話を信じるとでもお思いか?」

「信じるも信じないもない。たしかに我が弟たる第一将軍が

後手に回るなど、ここ数百年なかったことゆえな。

まあ、心配するな。そなたの大切な千尋には指一本

触れさせぬ。だが、この事態を素早く終息させるためには

我が出ねば、埒があかぬような事態でな。」

ゲリラ的な奇襲で始まったこのたびの争いは、相手は

かなり周到な用意をして臨んできていたらしい。

いつもの小競り合いかと小勢に分けたのが裏目にでていて、

現在、竜泉の部隊と連絡が取れないのだ。

すまんな。

よく考えればかなり緊迫した事態だというのに

なんでもないことのようにまったく悪びれずに

説明をするのはさすが竜王というべきかもしれない。

・・・なるほどな・・・

あくまでも飄々とした態度を崩さない竜王に対し

琥珀主は唇をかむ。そうして、壁際に控えている

ものたちに初めて目を走らせた。

そんな、琥珀に竜王はにっと笑む。

琥珀主は気づかれぬくらいの小さなため息を吐くと

傍らに膝をついたままの千尋を見下ろした。

不安げに揺れる瞳は先ほどから夫と竜王を

交互に見つめていて、言外に含まれる意を

懸命に読み取ろうとしているかのようだ。琥珀主は

愛しい妻を安心させるために口を開きかける。

と、そこにばたばたとした騒ぎが聞こえてきて。

お待ちくださいませ、との言葉は部屋を守る兵士のものだろうか。

待つ間も無く、玉座の間の扉が開け放たれ、

黄金に綺羅綺羅しく輝く美しい女性が飛び込んできた。

瞬間、緊張に満ちた部屋の雰囲気ががらりと変わる。

「千尋、琥珀、ああ、よくきてくれたわね。」

「サ、サーガ。そなた、後宮におれと命じたはずであろう。」

竜王の声にわずかに狼狽が混じるのを聞き取った琥珀主は

口角を上げる。王妃は、そんな竜王を思いっきり無視すると、

千尋と琥珀主の元に駆け寄ってきた。そうして、戸惑っている

千尋を立たせると手を引いて傍らの卓に導く。

「サーガ様、ご無沙汰しております。このたびは

竜宮へのご招待、ありがとうございました。」

琥珀主の言葉に王妃は顔を顰める。

「そうよ、沙汰がないのも程があってよ。でも、ごめんなさいね。

せっかく、来てくれたのに、落ち着かなくて。千尋、ああ、顔を

よく見せて。美しくなったこと。あの頃はまだ子ども子どもして

いたのに、すっかり女らしくなってしまって。」

ごほん!

いつの間にか卓の側にきていた竜王がわざとらしく咳払いをする。

それを胡乱げな目で見やった王妃はつん、と顔を背けた。

「サーガ、危険ゆえ後宮に控えておれと申すに。」

「お客様の前で、このような騒ぎになるなど陛下の甲斐性を

疑ってしまいますわ。琥珀と千尋が顔をみせてくれたのは

何十年ぶりだと思っているのです?」

「だから、わざとではないと申しておるだろう。

こたびの戦などすぐに終わらせるゆえ、機嫌をなおせ。」

「臨時の特使を派遣してくだされば、このような戦に

千尋を巻き込まなくてもすんだのですよ。たいした戦では

ないといいはられるのならば、私は千尋と琥珀とともに

こちらの宮殿におります。よろしいですわね。」

「いや、だから。」

そんなやり取りを呆然として見ていた千尋は、

夫に肩を抱かれて我に返る。

「はく・・・」

「大丈夫だよ。いいたいことはすべてサーガ様が

おっしゃってくださるおつもりのようだから。」

「そうじゃなくて、戦って・・・」

千尋の言葉に僅かに眉を寄せた琥珀主は

できるだけ何気に話そうとする。

「・・・うん。竜宮は時々海底に潜む闇のものたちと戦になることが

あるのだよ。戦の最中に巻き込まれるなど、そなたは

生まれて初めてであろう?すまないね。だが、陛下の

言われるとおりそなたには、ゆび一本たりとも

触れさせないから心配しないで。」

でなければ、できればこのように生臭い争いの場面など

千尋には決して見せたくはなかったというのに。

このたびの訪問を延期させなかった竜王の意図は・・・

琥珀主はため息をつくと、もう一度壁際のものを見やる。

その視線はわずかに憂いを含んでいて。

「はく?」

千尋は、そんな夫から目を離さない。

「ん?いや、ほら、どうやら陛下と

サーガ様のお話が終わったようだ。」

気が付くと、東の竜王夫妻は、並び立って千尋と琥珀主を見ていた。

「千尋、ごめんなさいね。こんな騒ぎに巻き込んでしまって。」

王妃が、あらためてすまなそうに千尋に言う。

「いいえ、王妃様のせいではありません。

お気になさらないでくださいませ。」

王妃は、千尋に微笑みかける。

「ありがとう。やはり、このような野蛮なことは殿方に

お任せして、千尋は私と一緒に後宮で遊んでいましょう。」

「え?ですが、はくは?」

「すまんな、千尋。後宮は我以外の男は禁制でな。」

割り込むような竜王の言葉に千尋は息を呑む。

「・・・では、はくはどうするのですか?」

まさか・・・・

「琥珀を、少し借りるぞ。」

「いやっ!!」

反射的に叫ぶと、千尋は夫にしがみ付いた。

そうして、竜王に睨むかのような強い視線を向ける。

「はくは、日本の森の神です。竜宮の争いごととは

無関係なはずではありませんか。どうしてもと、

おっしゃるなら私ははくとともにいます。」

思いがけないほどの千尋の激しい言葉に

周辺がざわつく。しかし、千尋は引く気などなく。

冗談ではないわ。

はくを戦になど。

驚いたように目を見張っている竜王と、暖かい眼差しで

包み込むように千尋を見つめる王妃と。

そんな対照的な2人に千尋に気付かれぬように

僅かに照れたような笑みを見せた琥珀主は、

千尋を抱き上げると、額を合わせる。

「はく。わたし側から離れないから。」

目を潤ませて言ってくる千尋に琥珀主は小さく笑んだ。

「千尋。大丈夫だよ。」

「いや、はく、戦になんて行ってはいや。」

小さく震える千尋の体を抱きしめて、琥珀主は一瞬瞳を閉じる。

次に開けた時、そこにあったのは優しく蕩けそうな光で。

「ん。そうだね。そなたが悲しむことはしない。」

「なら、森に帰りましょう。お願い。」

必死な千尋に琥珀主はすまなそうに答えた。

「そうしたいのだけれど、今は竜宮に結界が

はられていて、外との道が閉ざされているのだ。」

千尋は夫の言葉に呆然とする。

「え?」

「緊急時には、そうなってしまうのだよ。

すまない。そなたを危険に晒してしまって。」

「じゃあ。」

「早く森に帰るためにも、少しだけ陛下のお手伝いをしてくるよ。」

千尋はいやいやというように首を振る。

「いや。はく、いかないで。」

「ん、戦をしにはいかない。」

「でも。」

そんな危険なことに巻き込まれないで。

身勝手と思われても、はくだけは

戦場になんていって欲しくない。

千尋は震える手で夫の袖をつかむ。

「心配するな。」

再び割り込んできた竜王の言葉に

千尋は琥珀主に縋る指に力を入れた。

「いくらなんでも、客人を危険な場所へは、やらん。」

「では、はくに何を?」

竜王に向って、必死に対する千尋は、まるで

母が子を守るがごとき迫力で。

「我が不肖な弟の捜索をな。竜泉の持っている宝珠と

感応可能な玉を操れるのは琥珀ゆえ。余が敵を

ひきつける間、竜泉を探して宮に連れ戻して欲しいのだ。

千尋。竜王として、約束しよう。琥珀は無事にそなたの元に

帰してやる。だからしばし、琥珀を貸してくれ。」

 

 

「殿方というものは、本当に身勝手ね。」

後宮にある王妃の居間のソファーに腰をおろし、床を見つめている

千尋の目の前にそっとカップを差し出すと王妃は優しく言う。

「お飲みなさい。落ち着くから。」

そうして、千尋の横に腰を下ろすと、まるで母が子に対するように

千尋を胸に抱き寄せ、その柔らかい髪を梳きながら静かな声音で問うた。

「あの子は、そなたの前ではどのような姿をみせているのかしら。」

されるまま身を任せて、黙ってカップに口を

つけている千尋にくすっと笑うと、王妃は続ける。

「あの子がこの竜宮に来たのは、はるか昔でね。あの子が

竜玉石の中にいるまま、つれてこられた事は聞いていて?」

王妃の言葉に少しだけ身じろぎをした千尋の髪を宥めるように

指で梳き、王妃はどこか遠い目をしながら話を続ける。

 

崑崙の四海竜王の居城は水晶宮と呼ばれているの。

この世のあらゆる財宝が集められた、それは見事な

宮殿なのだそうよ。その場所は隠されていて私たち

ごときものには明らかではないけれど。噂では、

北海の海中深くにあるとも、崑崙の地下数千メートル

の場所にあるとも、あるいは、崑崙のお山の

何処かにあるとも言われているの。

琥珀は、その水晶宮を逃げるように脱出してきた

のだそうよ。もちろん、眠りのうちにあるあの子が

一人で脱出できるはずもないわね。

玉座の間におかしな支度をした男たちが

いたでしょう。あの男たちは琥珀の父神様より、琥珀を

託されたものたちなの。本来、四海竜王に仕えていた

4大武闘神と呼ばれていたもの達だと言っていたわ。

琥珀の兄君たちが、琥珀を水晶宮の奥底に封印しようと

したとき、それに抵抗して水晶宮から命がけで脱出して、

琥珀を竜宮につれてきたのよ。

それ以後は、琥珀が目覚めてあのものたちの

主として相応しい力を得るまで竜宮に封印されていたの。

陛下は、あの者たちの封印を解いたのね。

 

「・・・はくのお兄様方のほうから、

はくを追放したと伺っていました。」

どこか、膜がはったようなぼんやりとした声で

それでも、懸命に頭を働かせたように千尋は呟く。

「外聞はそうね。水晶宮の要たる4人衆が背いたなど

四海竜王としては認めるわけにはいかないものね。」

「はくと、兄君方の間柄はもう、修復不可能なのでしょうか。」

「さあ、殿方には殿方の理論があって、私やそなたには簡単に

見えるものも、殿方にとっては、そこに至る道への

目は閉ざされているのかもしれないわね。」

コトン

千尋の手からカップが落ちる。

王妃は、眠り込んだ千尋の髪を、もう数回なでると

側仕えの女官を呼び、千尋を寝台に寝かせた。

「・・・琥珀は幸せものね。」

王妃は薬で眠らせた千尋の頬に片手を添えると微笑む。

「お眠りなさい。次に目覚めた時には琥珀は

そなたの元にもどっているでしょう。」

そう言って、サーガ王妃は千尋の頬に添えた

手を離すと、居間に戻っていった。

そうして、いくたびになるのか、愛するものが無事に

戻ってくるのを待つしかない辛い時間を、いつもの椅子に

座って身じろぎもせずに過ごすのであった。

 

 

目次へ  次へ

 

書きたいことがうまくまとまらなくて・・・

くどくってすみません。