龍神シリーズ・第3部・幕間小話

第2章、 盟約

4−2

 

「来たか。」

王妃の差配によるものか、どこか竜宮風の衣装を身に纏った

千尋に手を添え、宴の間に入ると、そこにはすでに

宴の始まりを今か今かと待ち構える大勢のものたちで

埋まっていた。琥珀主は女官に案内され、竜泉の向かいの席につく。

その背後には、目立たぬようにしかし、付かず離れずの位置に

控えた4柱の武闘神が続いて。しかし、このたびの宴は

彼らの労いのためでもあるのだ。女官の呼びかけに戸惑って

いたが小さく頷く主を確認すると、かつての水晶宮四天王も

一段下がった席とはいえ、竜王の声の届く場所に腰を据えた。

「竜泉様、お怪我はございませんでしたか?」

竜王の出座を待つ間、千尋は興味深げにこちらを眺めている

竜泉に居心地の悪いような思いをしながら話し掛けた。

それににっと笑って頷くと、顎に手を当て考えるかのように首を傾ける。

「千尋。そなた陛下を怒鳴りつけたというが真か?」

「はいぃ?」

「竜泉殿!」

威嚇するかのように千尋の肩を抱いて睨みつける琥珀主を

ふっと鼻で笑うと、戸惑っている千尋をまじまじと眺める。

「いや、それが真なら、お主に守られるだけの子どもだと

思っていた認識を改めねば、と思ってな。」

心なしか、新婚の頃の数日間、顔を合わせただけの

兄の養い子の妻は、その心だけではなく身体も女として

成長したように感じられて、竜泉は首を傾げる。

「千尋、そなた大きくなったか?」

まるで幼子に対するかのような言は竜泉の千尋に対する見方を

端的に現わしている様で、しかし悪びれない言い方に千尋は

思わずにっこりと微笑む。

「おかげ様で、もうじき結婚100周年迎えますから。」

「そうではなく、・・・琥珀?」

追求をあきらめない竜泉に気のせいとごまかしはきかないようで

琥珀主は顔を顰めると諦めたように話し出す。

「・・・仮の禊をしましたから。」

竜泉は目を細める。

「ですが、本格的な潔斎は年明けからのつもりです。」

「・・・いよいよ、か?」

「別にそういうわけでは。」

「照れるな照れるな。だが、そういうつもりならば陛下の

思惑も外れることになりそうだな。」

どこか嬉しそうな竜泉に、返事をしようとしたとき

竜王の出座が告げられる。

正装した東の竜王とその王妃が並び立っての入場にざわついていた

周囲が息を呑むかのように静まり返る。存在だけで奇跡のような方々。

兄とはいえ、そして近しい親族とはいえ、意識して飄逸(ひょういつ)

な物言いをしなければ、自分とてその神威に飲まれてしまうかのようで。

なのに、この娘は・・・

最初は、幼さゆえの無知であろうと思っていた。

陛下に対するに無礼と紙一重のような自然体でいて。

本来ならば、顔さえもあげられなくなるというのに己を

失うことなくその御前に立ち、あまつさえ瞳を合わせるなど。

もちろん、竜王も王妃も人間であった千尋を慮り、

威徳を前面にださぬよう意識して親しげに振舞っていた

というのもあるのだろうが、しかし琥珀を守るためとはいえ

竜王に対し噛み付くなど前代未聞のことで・・・

思いにふけっているうちにいつの間にか宴は盛り上がっていて

竜泉は身を寄せ合っているかのような目前の2人に視線をやる。

そうして、兄に顔を向けると、にやっと笑いながらこちらを

観察していたらしい視線とぶつかった。物問いたげな竜泉に

肩を竦めて見せた竜王は、兄弟の無言のやりとりに呆れている

ふうの王妃を感じながら、その視線を琥珀たちにむける。

「琥珀。」

竜王の呼びかけに、琥珀主は千尋に向けていた意識を身体ごと

向けるかのようにすっと背筋を伸ばす。

「此度は、ご苦労であった。よい見ものであったらしいな。」

「・・・些少なりとも恩をお返しできたことになりましょうか。」

傍らの千尋に聞かせたくないとばかりに、戦についての

話を逸らす琥珀主を無視するがごとく竜王は続ける。

「あれら4人衆を使いこなしたのだから、そちも一人前であるな。」

目を眇め竜王を見ている琥珀主に口を挟む隙を与えず続ける。

「どうだ、我に仕えぬか?」

「・・・・」

直球の問いかけを、宴席で持ち出すなど竜王らしくはなく。

いや、むしろ、らしいというべきか・・・

琥珀主は苦笑を頬に浮かべる。傍らの千尋が息を呑んで

固まっているのを肌で感じつつ、笑みを浮かべたまま返事を返した。

「お断りいたします。」

瞬間、宴でざわついていた空気が、主席の周囲だけ

切り取られたかのように固まる。

固唾を呑むかのような武闘神たちに視線をやりながら

竜泉は思わず吹き出しそうになるのを耐えた。

らしい、ことだ。

直球には直球で返す、か。

さて、次の一手は?

「千尋に争いごとを見せたくないからか?だが、秋津島とて

泰平な時はそうそう続くまい。むしろ、人の世界と強く

リンクしておる分、いざ、戦乱の時代となったらその影響も

受けやすかろう。たかだか150年、戦がなかったからとて

それが恒久のものと思うておる訳ではあるまい?」

「陛下におかれましては、勘違いされておられます。」

相変わらず笑みを浮かべているかのような

顔を崩さず琥珀主は続ける。

「我は、秋津島の標の森の主神であることをお忘れですか。」

「辞去せよ。」

「は?」

「やつらには我からも口添えしておく。そちの力は

海神にこそ必要である。ゆえに辞去せよ。いかに

特別な森であろうと森の主など、そちに相応しくない。」

思いもかけない苛烈なセリフを発したとは思えぬような

慈愛に満ちた表情と穏やかな口調に、千尋は奥歯をかみ締め

そうして、気遣うようにそっと夫に寄り添い顔を見上げた。

しかし、思ったよりも琥珀主の表情は穏やかで、千尋は

驚きながらも安心したように、詰めていた息を吐く。

そんな千尋を励ますように夫は

顔は竜王に向けたままそっと手を握ってきた。

「お断りいたします。」

「ほう?」

「そのようなことより、陛下。今度ぜひ、森の我が宮に

遊びにおいでください。サーガ様もご一緒に。」

琥珀主は穏やかな笑みを王妃に向ける。

「もうすぐ森は、恵みの季節をむかえますゆえ、

一年でも最も美しいのですよ。まあ、我らにとっては

最も忙しく、そして楽しい季節ともいえますが。

秋の祭りは、自然への感謝を顕すものではありますが、

我が眷属達が羽目を外して、人とともにはしゃぎまわる様をみる

だけでもよい見ものでありますよ。千尋がこの冬に醸しておいた

酒もちょうど飲み頃ですゆえ、おこしいただく価値はあろうかと。」

ね、千尋。

千尋に向って微笑みかける夫は、まさに地を踏みしめ

遍くその恵みをふり注ぎ、君臨する秋津島の森の神そのもので。

千尋も、そんな琥珀主に微笑みを返し竜王と王妃を見た。

「はい。ご一緒にお祭りに参加していただけたらみんなも

大喜びすると思います。この竜宮ほどのことは無理ですが

私達にできる精一杯のおもてなしをさせていただきますから

ぜひ一度いらしてくださいませ。よろしければ、竜泉様も。」

一瞬の静寂。

次の瞬間、固まっていた空気を小さな振動が揺るがす。

それは、この宴の主席からくるもので。

肩を震わせ笑っている竜王は、竜泉を見やる。

「そちの言ったとおりであるな。」

竜泉は肩を竦めて見せる。

「こやつが一端、手にしたものへの執着は、

陛下と張りますよ。」

「なにしろ、無理やり押し付けられたはずの琥珀川にさえ

自身の命を捧げようとしたやつですからね。最も、

千尋に対する執着ほどではなかったですが。」

その千尋とともに手に入れた森をこやつが自ら

手放すはずがないでしょう。

くつくつと笑う竜王と穏やかな微笑みを浮かべている

琥珀主を交互に見ながら竜泉は憮然としたふりを

しながら答えた。訳がわからないまま、緊張して

固まっていた武闘神たちは、顔を見合わせ、そうして

脱力したように小さく笑い合う。しかし、

次の瞬間、4人の周囲の気は再び固まって。

「だがな、琥珀。こやつらはどうするつもりだ?」

竜泉が琥珀主の左斜め後を親指で指差す。

「どうする、とは?」

「森に連れて行くつもりか?」

今度こそ、宝の持ち腐れだとの意を明確に表した

竜泉に琥珀主は背後を振り返る。

「そちたちは、どうしたい?」

「殿下とともに。」

一斉にハモッた答えに頷くと竜泉を見る。

「だ、そうです。」

「チッ。だから申し上げたでしょう。時と場合を選べと。

いくらなんでも、陛下の申し出は時期尚早で直球すぎです。

竜宮の潜在的予備戦力ががた落ちではありませんか。」

竜泉は竜王にむかってぼやいてみせる。

竜王はそんな竜泉ににやっと笑うと、すっと姿勢を正す。

千尋は夫の纏う気の変化にはっとする。

主席の周囲は今までの気とは顕かに異なり

けた違いに緊迫した空気に満ちていて。

その気は次第に宴席全体に広がっていく。

「ニギハヤミシルベノコハクヌシ殿。」

「はい。東の竜王陛下。」

「我が竜宮は、ニギハヤミシルベノコハクヌシ殿の

盟友であることを誓おう。ゆえに、ともに栄え

並び立つための盟約を申し入れる。」

返答は如何。

耳に痛いほどの静寂。

広大な宴席はすべて静まり返り、そこに連なる

竜宮の中核を担うものたちすべてが琥珀主を注視する。

琥珀主はその翡翠の瞳を閉じる。

そうして、握ったままだった千尋の手に僅かに力を添える。

あなたの、よいように・・・

はく、わたしはあなたについていくから・・・

そんな夫を励ますかのように千尋はそっと握り返した。

琥珀主は目蓋を閉じたまま、ふっと笑みを浮かべる。

そうして、その瞳を開くと同時にすっと立ち上がった。

その場にいるすべてのものの視線を一身に集め

白と翡翠の龍神は東の竜王に向かい優雅に一礼する。

「お受けいたします。」

歓声に包まれる宴席で竜王と並びたち盟約を

交わす証に互いの血を1滴そそいだ杯を酌み交わす。

「よいのか?」

竜泉の今更ながらの問いに、琥珀主は頷く。

「覚悟はできています。」

竜宮と対等な立場に立った秋津島の

小さな森の神は静かに微笑む。

盟約を交わすことの意味。

盟友たる事の意味。

それは、よい意味でも悪い意味でも大きな枷となる。

そうしておそらく、現在の秋津島のなかでも最強の

武闘神を配下に加えた以上、もうじきある出雲の集いでも

なんらかのリアクションがあるであろうことへの覚悟も。

そう、覚悟はできている。

千尋、そなたが側にいるかぎり、わたしはわたしに

課せられた役目を果たそう。

わたしのただ一つの望みは、

そなたとともにあることなのだから。

 

失うべからざるものを失わないために、

課せられたことを果たせ。

 

神祖竜王。

あなたがわたしに託された事。

その真意は未だに顕かではないけれど。

 

「はく。」

「ん?どうしたの千尋?」

小さく袖を引っ張ってくる愛妻の顔は真っ赤で

琥珀主は慌てて千尋を抱き寄せる。

「えっと、よくわからないけどなんか目が回るの。」

「って、そなた、いつの間にそのような強い酒を?」

「?」

先ほどまでの優美な物腰が嘘のように、取り乱しながら

妻を抱き上げ、宴席から退出していく主の様を唖然として

見ると、いまだ少年の域を脱していないかのような

姿態を持つヤ・シャはその突っ立っているブルーの髪を

くしゃくしゃにかき混ぜながら呆れたように呟く。

「やれやれ、奥方に弱いところまでよく似ているじゃん。」

「ヤ・シャ、お前のせいか?」

どこか中性的な美貌でありながら細い抜き身の剣のような鋭さを

併せ持つ、ゲイ・リーは、同僚を睨みつける。

「幼い、な。」

先に標の森にその分身たる武神を眷属として

遣わしていたカァ・ウェンはその黒い瞳を細めながら呟く。

「しかし、幼いことは悪ではない。」

ツェン・ツィーの言葉に頷くとカァ・ウェンはふっと笑む。

「シンはすでにあの奥方の信奉者だ。ヤ・シャ、お主

言動に気をつけろよ。シンはすでに我らの

一人に取って代わる気であるのだから。」

「へ〜。若いっていいね。いつでも受けてたってやるよん。」

「いっぺん死ななければその軽い性格は直らない

ようですね。なんなら、わたしと手合わせします?」

「いやん、リーちゃんったら本気?」

あくまでもふざけているヤ・シャの首根っこを捕まえながら

壮年の武神たるツェンはゲイを振り返る。

「ゲイ、お主はあの奥方が気に入ったようだな。」

「気に入る気に入らないという問題ではない

気がしますけれどね。けど、あのオーラは心地いい。」

「確かにな。」

ゲイの言葉に頷くとツェン・ツィはその落ち着いた瞳で

じたばた暴れている少年のまま時を止めた同僚を見下ろす。

「ヤ・シャ。なんならお主、竜宮に残るか?」

「いやだね。」

ツェンの手から逃れたヤ・シャはふっとその顔から笑みを消す。

「殿下の元以外に行く気はない。」

「ならば、奥方に対しての言動を反省せよ。」

「へいへい。」

別に気に入らないというわけじゃないんだけどさ。

殿下があの奥方の前だとなんか情けなく見えるんだよね。

というか、小さいくせに勇ましいお姫様って感じ?

ぶつぶつ言っているヤ・シャに、自分の女の趣味を

殿下に押し付けるんじゃない、と剣呑な色を浮かべている

ゲイ・リー。そんな2人に我関せずとばかりに、この宴席で

交わされる周囲の言葉を注意深く探っているカァ・ウェン。

ツェン・ツィはその頬を緩める。

いずれにせよ4者4様の武闘神たちは、再び主を取り戻したのだ。

そう、望む事はあの方があの方の意思の元にあること。

壮年の武神は竜王と対峙していた年若い主を思い浮かべる。

かつて、仕えていた主と比べれば、まだ幼子といってもよい

ほどの若さで。しかし、その纏う気は彼こそまさに

水晶宮の主といっても過言ではないほど。

幼さゆえに組し易しとみたのか、それともあくまでも冗談の

つもりであったのか配下に入る事を命じ、あっさりと

流されていた海神の竜王は、しかし本来の目的はしっかりと

果たした。かつての主とも結んでいた盟約を再び

その末たる『竜王』と結んだのだから。

 

そうして、ひと月ほどの滞在を終えると

秋津島の標の森の主は、何よりも大切な

妻とともに、森へ戻っていった。

海神の神の代弁者たる東の竜王との盟約と

かつて、崑崙最強といわれた水晶宮の四海竜王軍の

なかでも四天王と呼ばれていた武闘神をともなって。

 

 

 

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フ、フェ−!

やっと終わらせました。

長らくお待たせしてしまってすみません。

一応書きたいことが書けてすっきりしました。

四天王については、おいおい性格やら容姿やらを記述していきますね。

そのうち・・・きっと、いつか・・・・〈滅)