龍神シリーズ・第3部・幕間小話

第2章、 盟約

4-1

プチプチと記憶のそこで聞いた事のある音がする。

千尋は、その音を頼りにほの暗く暖かい場所から

浮かび上がろうと、身体を起こした。

 

懐かしい音・・・

どこで聞いたのだっけ。

・・・カラン・・・

頭に浮かんだのは氷があたる涼やかな音と

グラスにいくつもついている水滴。

ああ、そうだわ。

キュンキュンに冷えたソーダ−水がはじける音ね。

起きなくちゃ。

お母さんがお部屋に持ってきてくれたソーダ−水の

氷が溶けて炭酸が抜けちゃう前に。

 

と、おきているはずの視界が突然白く覆われて

その眩しさに小さく瞬きを繰り返し、

そこでようやく千尋は完全に目が覚めた。

ここは、ドコ?

一瞬混乱した記憶が、見覚えのある翡翠の瞳を捕らえる。

「はくっっ!」

次の瞬間には、夢の記憶はすべて抜け落ちて

千尋は夢中で、目の前の愛しい男性に手を伸ばした。

「千尋。」

優しい声に涙が滲んで、しかしその姿まで朧に

なる事に我慢が出来ず、千尋は夢の中でそうであった

子どものごとく乱暴に目をこする。

「千尋、だめ。そのように目をこすったら赤くなってしまうよ。」

そっと千尋の手を押さえ、そのまま胸に抱きこんでくれるのは

千尋にとって何より大切な存在で、拠所ない事情とはいえ

思いもかけず引き離され危険な戦場に赴いていたはずの夫。

・・・ああ、はく。・・・

落ち着くにつれて記憶もはっきりとつながった千尋は

夫の温もりに包まれ、ほぅっとため息を吐く。何気にあたりを

見回してみると、そこは千尋たちが新婚のとき

ほんのわずかながら竜宮で過ごした部屋だった。

・・・たしか、後宮のサーガ様のお部屋にいたはずなのに。

でも、目の前の存在にそんなことは些細なことで。

「心配をかけてしまったね。」

「はく、はく、無事でよかった。もう、どこにも行ってはいや。」

吐息とともに囁き交わす声は互いの耳にあまやかに響いて。

2人は身じろぎもせずに抱きあう。互いの温もりを確かめるように。

そうして、どのくらいの時が流れたのか、琥珀主は自分を抱く

腕をそっとはずすと千尋の頤(おとがい)を持ち上げる。

「千尋、気分はどう?なかなか目覚めないから心配してしまった。」

害はなく千尋のためとはいえ、薬を含まされたのだからと、

千尋の体に異変がないか確かめるように全身に手を這わせる。

そんな優しい手にくすぐったげに微笑むと、

「ん、大丈夫よ。全然平気。それにはくがいてくれるんだもの。

でも、気のせいかしら。さっきからプチプチって炭酸が

はじけるみたいな音が聞こえてくるのだけれど。」

はくには、聞こえない?

首を傾げる千尋に、龍神は、ああと破顔すると頬を指でなぞる。

「結界を急いで抜けたから海の水が泡になって身体に

纏わりついているのかもしれない。それが弾ける音だよ。」

琥珀主はそういうと、いまだベットの上で寄せ合っていた

身体を離し、ひき起こすように手を引いてやる。

「湯の支度が出来ているようだよ。今宵は宴が開かれるから

あまりゆっくりは出来ないけれど、入っておいで。」

「宴?」

「遅ればせながらの我らの歓迎と戦勝祝いの、ね。」

「・・・戦は終わったの?竜泉様はご無事?」

ってわたし、どのくらい眠っていたの?

今更ながら不安そうな千尋の頬にそっと手をあてると、

「そうだね、今は竜宮に来てから3日目の夕刻だよ。そなたは

2日2晩眠っていたのだ。そうだ、おなかがすいただろう。」

湯から出たら宴の前に軽く何か食べようか。

微笑みながら話し続ける夫は、すでに戦のことなど

頭から抜け落ちているかのようで。

千尋は駄目押しをするように確かめた。

「はく、もうどこにも行かなくても良いのよね?」

戦は終わったのよね。

知らずに薬を飲まされ眠っていた3日の間、

はくがどのような体験をしたのか、それを思うと

胸が痛くなるほど切なくて。その間のことを

何も知らずにいることに焦燥感さえ覚えて。

・・・でも、無事に帰ってきてくれた。

それだけでも・・・

戦争を知らない時代に生まれ育ち、そのまま

龍神に攫われるように嫁ぎその庇護の元で

過ごしてきた自分には戦の恐ろしさなど

本当の意味で分かるはずもなく、それゆえ眠りの中に

避難させられたのだろう。そう、言われなくても

そのくらいは理解できる。できるのだけれど・・・

そんな複雑な想いを瞳にのせている千尋に

気づかないはずもないだろうに、

しかし、琥珀主はことさら明るい声で返事をする。

「もちろん。だから安心して湯にお入り。」

そういうと、軽く手を叩き部屋の外に

控えていた女官を呼ぶと、千尋を委ねようとする。

「ほんとはともに入りたいのだけれど、宴に出られなくなると

王妃様の心づくしを無下にすることになってしまうからね。」

あとのお楽しみにとっておくよ。

手が離れる瞬間耳元に囁かれた言葉に顔を

珊瑚のごとく染めた千尋とて、離れたくない気持ちは同じで。

瞳を潤ませて見つめ返してくる千尋に

いっそ宴などでなくても、と思いかけた琥珀主を

顔なじみの女官の咳払いが牽制してくる。そうして、

2人はくすっと笑うとしぶしぶながらその手を離したのだった。

「すまない、千尋。」

そなたを、哀しませた。

苦笑とため息とともに見送った千尋の背に呟かれた言葉は

風の囁きよりも小さくて聞こえるはずもないけれど。

琥珀主は、千尋に対する誓いを新たにする。

そうして、妻のための『軽い食事』を支度をすべく部屋を出て行った。

 

 

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ちょっと長くなってしまったのでイチャラブシーンだけ別にアップ。

はくが用意した『軽い食事』は、皆様よくご存知のもの、ということにしておきましょう。

ワンパターンだけどいいの。

だって愛がこもっているから。

って、やってられっか。

とリンさんなら言いそうですね。