龍神シリーズ・第3部・幕間小話

第2章、 盟約

 

 

秋津島の東にある深海の底。

東の竜宮があるその場所から、さらにはるか東へ

行くと、深い深い地の切れ目がある。

海神の神の支配に抵抗して、その伝達者である

海神の竜王たちに争いを仕掛けてくる者たちは

底のあるとも知れない深淵が覗く、

その割れ目よりやってくるという。

海神の神が、天空より海に降臨する以前より

存在した闇の血を引くものたち。

地上に降臨した神々に最後まで抵抗して

海に追われていったものたちの末裔。

今を形作る理を翻そうとしている神々の敵対者。

 

「ちっ、油断したな。」

竜泉は、海溝の西にある秘密の隠れ家に

直属の部下と共に潜んでいた。

一見すると砂地の上に無造作に突き出ている大岩に

見えるそこは、その根元に小さな穴があいている。

こぶしくらいのその穴は竜泉の結界が施され

許された者のみがある特定の動作をすることで

中に入ることができるのだ。

内部は、存外広く竜泉の直属部隊がすべて入っても

余裕があるくらいなのだが、いかんせん、本隊と

逸れている現在、竜泉の周囲には、ほんの僅かな

手勢しかおらず、しかもその半数は傷ついている。

なんとかして、本隊と連絡をとりたいと

斥候を出してみたものの、いまだに戻らぬとあれば、

もはや、無事とは考えにくい。

ちっ、油断したな。

同じ言葉を胸のうちで呟いては見るものの

事態は変わるわけではなく。

自分ひとりのことならば、敵陣の突破など

軽いのだが、傷ついた部下たちが枷になり身動きできない。

・・・待つしかない、か。

何れにしても、こうなった以上兄である竜王が

乗り出してくるだろうし、そうなれば敵とて全滅を

避けるためには引かざるをえないはず。

竜泉は僅かに目を眇め、視線を地に据える。

両の脇に下がる拳が白くなるほど強く握られている様は、

普段飄々としている分、竜泉の内心を顕しているようで。

借りを作るのは好まないのだが、今回の事態は

借りどころの騒ぎではない。せっかく、琥珀たちが竜宮に

来る予定になっていたというのに、それを台無しに

してしまったのだから、王妃に何を言われることか。

・・・いや、むしろ

訪問が中止になったのならばまだよいのだ。

居たたまれないのは、そうでなかった場合で。

・・・すまない、琥珀。

望みの娘を手に入れて、二人だけで時を刻む。

そなたが単なる龍神であったのならば許されたことなのだが・・・

そう、遅かれ早かれ竜王は琥珀を竜宮に取り戻そうと動き出すはずで。

今回の事態がそれに拍車をかけることになるかもしれない。

竜泉はため息を一つ吐くと周囲を見回す。

側には生真面目そうな青年が心配げに竜泉を見守っていて。

竜泉はその顔にふっと笑うと、拳を開いた。

「おい、参朴(さんぱく)一つ賭けをしないか?」

「・・・またですか?こんな時にまで、何をおっしゃるやら。」

一兵卒から身を起こして東の竜宮軍総司令たる竜泉の懐刀と呼ばれる

までになった、まだ若い参謀(さんぼう)は竜泉のガス抜き相手でもある。

時として、無謀で身を顧みないような行動をする竜泉の重石としての

役割を自覚をしている参朴はつい先ほどまで自ら斥候に出ようとした

竜泉を引き止めるのに躍起になっていたのだ。なので、竜泉の

言葉に身構えてしまうのも無理はないだろう。そんな参朴の苦労など

知らぬげに竜泉はことさら楽しそうに言い出した。

「ここに一番先にくるのは、竜王陛下か第2部隊の郎騨(ろうだん)

将軍か、敵か、その他か、誰だと思う?」

「・・・陛下が御出座しになる可能性が一番高いと思いますが。」

「ふん、参朴は陛下に賭けるか。じゃあ、お前達はどうだ?」

竜泉は参朴とのやり取りを興味深そうに聞いていた

直属の兵卒たちに話しをふる。

「郎騨将軍の軍は勘弁してもらいたいですよね。」

「そうそう、あの嫌味の毒舌家に助けられることになったら

後々まで何を言われるか。」

「ですが、陛下は恐れ多くないですか?」

「じゃあ、お前は敵さんに賭けるってことで。」

「ええ?勝手に決めないでくださいよ〜。俺も陛下がいいです!」

「で、何を賭けるんですか?」

「今夜の飲み代はどうだ?負けたやつは勝った俺様に奢ること。」

「だれが、勝った俺様だ。お前ちゃんとみんなの分まで

飲み代の責任持てよ。」

「俺は、奢ってもらうほうだからいいんだっつうの。」

わいわい騒いでいる部下達を見ながら参朴は頭を抱える。

「いいかげんになさい。あなた方は、仮にも竜王軍精鋭部隊と呼ばれる

竜泉閣下直属の兵士なのですよ。もう少し品位というものを

考えなさい。どこかの傭兵の溜まり場じゃないんですから。」

「俺に品位を求めるな。」

「閣下に言っていません!!」

青筋を立てて怒っている参朴に、にやにやしながら肩を竦めている竜泉。

いつもの光景に、兵隊達は追い詰められた状況ということさえ

気にならなくなって。竜泉の部隊特有のお気軽な陽気さが戻ってくる。

「じゃあ、閣下は誰に賭けるんですか?」

誰かの言葉に一瞬静まり返った空気の中、竜泉は

意味ありげに鼻で笑った。

「俺は、その他、だな。」

「・・・ええ??」

「閣下ずるい〜!なんかネタ掴んでるんでしょ。」

「誰が来るんですか?」

「まあ、お楽しみにしとけ。」

賭けにならない〜!!

と大騒ぎの中、竜泉はふっと顔を引き締める。

「来た。」

一瞬後、傍らの武器を身構え無言の指示で戦闘隊形をとる

ことが出来たのは、さすが精鋭部隊というところか。

待つ間も無く、尋常ではない気が結界の直ぐ外に満ちるのを

感じると、竜泉は不敵な笑みを浮かべ右手を挙げる。

「封印を解くと同時に数人ずつ組になって出ろ。先頭には俺が立つ。

出た順から援護に回り部隊の配置に付け。外の連中と連携して敵を叩く。」

「味方である事は確かなのですか?」

「竜王軍ではないが、な。でるぞ。」

追求しようとした参朴を視線で黙らせると、止める間もなく飛び出す。

「ちょっ、全くもう!全軍、トリオになって閣下に続け。閣下をお一人にするな。」

振り向き様に号令をかけると、参朴も結界から飛び出す。

と、目の前に拡がる光景に呆然と立ち尽くしてしまったのは、本来の

役目からすれば不覚としか言いようがなかったかもしれない。

辺り一面に海流にそってゆっくりと流されていくのは、異形の

ものたちで、その鋭い牙や鉤爪や独特の甲冑から、典型的な

敵の部隊だとわかる。どうやらこの周辺にいた敵は全滅をしたらしい

のだが、それにしては自軍の姿がどこにも見当たらないのだ。

ただ一人、竜泉の前にその長い黒髪を流れにそって緩やかに

なびかせている、純白の輝きを纏った若者以外は。

・・・いや、一人ではない、か。だが、三人だけで

敵を殲滅させた?いったい何者?

竜泉が、その若者に気軽に近付こうとする様子に

呆然としていた参朴は、はっと心付くとあわてて駆け寄る。

「やはり、お前が来たのか。すまんな、手数をかけて。」

そんな竜泉に肩を竦めると、若者は無表情な顔を背後の2人に向ける。

「残った敵は?」

「おりません。この地区一帯は制圧いたしました。」

若者はその報告に頷くと、ほんの少し表情を緩める。

「陛下がご心配されていました。すぐに宮にご帰還ください。

負傷したもので動けない者はおりますか?」

以前会った時よりもさらに流麗になったように思える若者の

その外見に似合わぬような場慣れた様子に僅かに苦笑した

竜泉は、首を横に振ると参朴を振り返る。

「戦闘隊形解除。宮に帰還する。結界内のものたちに伝えろ。」

「・・・はっ。」

命令を実行すべく今出てきたばかりの洞窟に戻ろうとした

参朴の耳に、竜泉の言葉が届いた。

「陛下は四天王の封印を解かれたのか?」

・・ああ、崑崙の竜王一族の武闘神だったのか。

では、あの若者が四海竜王の末との噂がある琥珀殿か?

秋津島の主神(ぬしがみ)になられたというが・・・

参朴はちらっと振り返り若者に視線をやると、洞窟まで駆けていく。

そうして、竜泉の指揮のもと竜宮に帰還すべく部隊を整えたのだった。

 

 

竜宮とは本来竜王やその妃が住む居城、すなわち竜宮城

を指し示す呼び名であった。しかし、今ではその竜宮城を中心に据えた

巨大な球体の結界に守られた海底の都そのものを示すようになっている。

都に入る唯一の入り口である螺門(らもん)と呼ばれる門を入ると

竜王の居城に続く広い街道が都の東西を分けている。

竜宮の都はほとんどの建物が様々な色をもつ石で建てられており、

結界の光をうけて街道はまるでステンドグラスのような

色彩の輝きに満ちていて、そこを行き交う竜王の庇護の元にある

海底の住民たちの肌を彩っている。一見すると人間とほとんど

変わらない姿態を持つ住民たちは、唯一両耳の下に3センチほどの

細い線が入っていて、呼吸を補っているらしい。もちろん、

人間が半漁人とよぶ海底の住民はそれだけではなく水妖と

いったたぐいも多くいて、その頂点に立つのは竜一族なのだ。

海というのは生命の源らしく様々な種族をその懐に抱き

その全てを平等に育む魔力に満ちた場所なのであろう。

街道をすすむと建物と一線を画すかのように竜王の居城を中心に

円形に大路が走っていて、そこから先は城の外苑となっている。

外苑の周囲は、結界を兼ねた人の頭くらいの高さの朱色の石壁で

囲まれていて東西南北に4つの門がある。南側にある南先門は

いわゆる表玄関のような役割をもち、そのすぐ内側は、

石畳が敷かれている広い広場になっていて、その先には数十段の

石階段があり、高い回廊門に続いている。回廊門の先は内苑に続き

竜宮自慢の美しい庭を抜けると竜宮の正庁が置かれている。

大小様々な建物がその役目ごとに数多く建てられていて

役職を得たものたちがその任務を果たす場所である。

竜王が執務を取るのはさらにその奥の主殿と呼ばれる居城で

後宮は主殿のさらに奥にあり、王妃のための居城かつ

竜王夫妻のプライベート空間となっているようだ。

兵士たちをはじめ竜宮に仕える者たちの居室は、

外苑の東側におかれ、迷路のように平棟の建物が入り組んで

立てられていて、一つの町を形成している。

通常、彼らの個人的な出入りは外苑の東側の東先門からなされる。

西側に置かれている西先門は、準公的な門で警備も厳しく、

王族が公ではない立場で出入りするさいに使われている。

実は琥珀主もこの門からの出入りを許されている一人であり、

千尋を連れてのこのたびの訪問もこの門から入城しているのだ。

もちろん竜泉も言うも及ばず、お忍びで都をほっつき歩く場合など

しょっちゅう使うことになる出入り口なのだ。もう一つの北先門は

普段は閉められていて、その位置でさえ都からは特定はできない。

あることだけは知られているそこは、竜宮を囲む都からは

一切の出入りが出来ず、竜王が海神の神の神託をきくさいにのみ

内側から開かれ、しかもその門の先がどこに続いているのか

知っているのは、唯一東の竜王とその王妃のみであるのだ。

 

竜泉ははぐれていた本隊と合流したのち、南先門より竜宮に入城

する。そうして、石畳の広間に部隊を整然と整列させると、

竜王の御出座を待った。ほどなく、回廊門に竜王が姿を現すと

竜王軍総司令官は参朴に一つ頷いて見せ、ゆっくりと階を上っていく。

一段一段、高く上るにつれ、表情は伺えなくなっていくが

威風堂々としたその姿態は兵士たちの誇りでもあり、そんな

竜泉が頭を下げて、膝をついた相手はまさに、神であって。

本隊とともにあって、竜泉の動きをはらはらしながら

見守っていた参朴は、竜王が何事か言葉をかけ、そうして、

立ち上がったその肩に手を置いた様子に、ほっと肩の力を抜いた。

やっと、周囲を見回す余裕が出来た参朴は、そこではじめて

琥珀主たちの姿が見えないことに気づいたのだった。

 

 

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ウウ、中途半端ですみません・・・・