龍神シリーズ・番外1

 

竜泉夜話

「おかえりなさい。竜泉殿」

「これは、これは、王妃様。わざわざ、お出迎えいただき光栄です。」

竜泉は、竜宮の入り口を守る衛兵に 手を上げ 挨拶と労いを贈った直ぐあとに 聞こえてきた

若々しくどこか、舌足らずな甘さを含む声に、一瞬目を瞑り おどけたように返事を返した。 

「いやみは、結構。それで、首尾は?」

焦れたように迫ってくる王妃を見て、竜泉は両手を上げため息を吐いた。

海蛍の放つ光が、乱反射して ホールの高い天井が まるで、底の見えない

海底のように感じる。

先ほどまでいた、鎮守の森の色鮮やかな紅葉と比べると、いかにも暗くどこか

作りものの箱のようだ。

その中で、一際光り輝く黄金の髪を波打たせている美しい王妃は、その存在感で

周囲から浮き上がっているようにも見えた。竜泉は、気付かれないように、もう一つ小さなため息を吐くと

わざと、呆れたように言ってやる。

「まずは、兄上にご報告するのが、筋って物でしょう。」

王妃は、地団太を踏むかのように体を揺らしながら、高い声で言い募った。

「もったいぶらないで、教えなさい。」

「全く、琥珀のことになると、どうしてこうなのでしょうね。」

竜泉がぶつぶつ言っても、引く気はないらしい。

「で?」

「・・・まあ、十全というところでしょうね。」

諦めたように言った竜泉の言葉に、サーガ王妃は、体の力を抜き、

安堵の表情を浮かべながら 白くたおやかな手のひらを 頬に当てた。

「そう、良かった事。あの子のことは、本当に気がかりだったから。」

竜泉は肩を竦める。

この竜王の愛妃には、琥珀が行方を眩ませて以来、

宮に連れ戻さなかった事を、ずっと、根に持たれていたのだ。

琥珀の行方がわかった後も、その処遇がはっきりしないせいでやきもきしていた所に来て、

昨夜、琥珀に通じているはずの龍穴から、その気が途絶えかけているのを感知した

兄王の命令で すぐに飛び出していった 竜泉の帰りを ずっと待っていたらしい。

普段は、あまり人前に出ず 兄のプライベートな宮に閉じ篭りがちの王妃も

我が子代わりに可愛がっていた、琥珀のこととなると、別らしい。

もっとも、たった一人生まれた実の皇女を、こちらの宮に嫁ぐ時の条件として

実家の西の竜宮に渡してしまい、手元で育てる事が出来なかった代わりかと思えば

仕方が無い事かもしれない。

兄の竜王は、実の我が子を手放す時も 飄々としていたものだったが、

やはり、人妖の情は海よりも深いというのは 真実らしい。

王妃は、安堵の表情を崩さないまま、今思いついたかのように手を横に上げた。

「こちらへ、竜王陛下がお待ちです。御前で、詳しく話して頂戴。」

「はいはい。かしこまりました。」

投げやりに言う竜泉に、ちらっと視線をやると、西の竜王のたった一人の愛娘だった

人魚の王妃は、そのまま薄紅の珊瑚をあしらった裳裾を翻し 

玉座の間に向かって歩き出した。

 

「ご苦労。どうやら、龍玉を渡してきたらしいな。」

玉座の間の片隅にある、小卓の上に 行儀悪く足を載せて、ふんぞり返っていた

竜王は、およその結果を察していたらしく、上機嫌で言った。

竜泉は、兄を胡乱げに見やると、宮に帰ってきてから何回目になるか

分からない ため息を吐いた。

「昔から、大人しそうに見えて、自分の意志を曲げないやつでしたからね。

結果的には、万歳でしたが、今度こそ、ダメかと思いましたよ。」

兄を見習い、御前に据えられた椅子にだらしなく腰掛けると、

疲れたように肩を落としてみせる。

「ふふ、まあ、血筋というやつだな。あれの親も、崑崙中を騒ぎに巻き込んで、

人間の娘を妻にしたのだから。」

兄の言葉に、目を眇め 竜泉はどこか掠れた声で言う。

「・・・人間のどこがそんなにいいのでしょうね。」

「あら、竜泉殿から、そのような言葉を聞くとは。」

女官を煩わせず、手ずから飲み物を運んできたサーガ王妃が、コトン、とトレイを

置きながら口を挟んだ。そして、そのまま竜泉の手に杯を渡すと、

「先ずは一献どうぞ。」と、酒瓶を傾ける。

「寿ぎに。」

竜泉は、遠慮なく受け取り、王妃に目で礼を言うと、杯を掲げ、一息に飲み干した。

どうやら、宮でも祝い事にしか飲まれない 龍絶香といわれる酒を用意してくれたらしい。

酒に強い竜泉でも 腹の底を焼くような強さに 思わず ふ〜っ、と息を吐き、

あらためて、真面目な顔を装って言う。

「俺 だからこそ 言うのです。」

竜泉の のみっぷりを小気味よさそうに見ていた竜王は、

ふと思いついたかのように聞いてきた。

「そちが、以前迎えた妃は、いまだ、封印中か?」

「・・・あれは、妃というほどのものではありません。」

いやな事を聞くとばかりに、鼻にしわを寄せると 竜泉は徐に言い返す。

どうやら、自覚はないが酔いが回っているらしく、思わず 本音を漏らしてしまう。

「全く、人間など、どう変わっていくか 分かったものではない というのに。

さっそく、玉を与え、神人となすとは。何れ後悔するのではないかと心配ですよ。」

「まあ、そう言うな。」

竜王が言いかけた言葉を遮るように、王妃が重ねる。

「あなたの経験で図るのはおよしなさいな。琥珀ほどの子が 身を捨ててまで 

得ようとした娘なのですから。あなたの心配は、よけいなおせっかいというものですよ。」

まったく、この王妃は時に驚くほど 鈍感になる。たった一人の皇女として、大事に育てられた

せいか、聞く方の気持ちを斟酌することなく、遠慮の無い 物言いをするのだ。

もっとも、その分 竜泉も遠慮なく話ができるが、時にこの王妃の物言いは

確信犯なのではないかという気もしないではない。

「ふむ、どのような娘なのであろうか。そちは、会ってきたのか?」

竜王は、そんな2人の様子にお構いなく、あごに手を当てながら聞いてきた。

今、一番 気になっている事なのだろう。

竜泉は、竜王の言葉に憮然として、

「会わせて貰えませんでした。何れ紹介はする との言質は取りましたがね。

まあ、結局、河に渡すより自分が欲しかったほどの娘なのですから、よほど

惚れてはいるのでしょうが。」

会わせてもらえる事ができるのは、何時になるやら・・・

嘆かわしい、というポーズをとって高い天井を見やる。

海の水がゆらゆらゆれて、光の波を送ってよこしているそこは、

じっと見つめていると、意識が吸い込まれていくようだ。

琥珀とその妻について、何か話している竜王と王妃の会話を、耳に流しながら、

しばらく魅入られたように、水天井を見つめていた竜泉は、

ふっと、意識を戻すと、たんっ、杯を置いた。

図ったように竜泉を見やった2人に感じた、僅かな苛立ちを押し隠しながら、

「さて、俺はこれで失礼させていただきます。あやつは、あれでいて、

礼儀は弁えていますから、いずれ、むこうから挨拶に来ると思いますよ。

千尋とやらの判断は、そのときまでのお楽しみということで。」

では、といって、立ち去った竜泉を 目で追っていた王妃は、夫に向き直ると、

先ほど、竜泉に見せた表情とは全く異なり どこか心配げな顔を 曇らせていった。

「わたくしは、あなたの弟君も心配ですよ。」

「放っておけ。あれは、自分で、選んだ道以外、歩こうとせぬやつだからな。

琥珀をとやかく言っているが、薫陶したのは自分だという自覚が無くて困ったやつだ。」

竜王は、口角をあげてくっ、と笑うと 愛妃に杯を差し出し、注がれた酒を飲み干す。

「本当に、似たもの兄弟ですこと。」

酒瓶を 小卓に置き、夫が酒を飲み干す様子を小首をかしげて見守りながら

口の中で呟いた王妃の言葉を 聞こえぬ振りをした竜王は、

愛しい妻の顎に手を当て、クイッと持ち上げると 唇を合わせて それ以上の言葉を封じた。

そうして、妻の豊かな髪に顔を埋め、呟くように低い声で言い出す。

「龍神の悋気というものは・・・」

「なんです?」

王妃は 表情を見ようと 夫の胸に手を当て 顔をあげながら体を離そうとした。

「いや。わかってはいても、そなたの口から たとえ身内のことであっても、

他の男のことを気にかけている様子をきくのは、快くは無いものだ。」

竜王は、呆れたような顔の 王妃を、腕に力を入れて抱きよせながら、

考え込むような声音で、

「はてさて、人間の娘に、この龍の執着心というものが耐えられるのであろうかの。」

と、呟いた。

 

 

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