竜神シリーズ・小話集

 

8・夜想曲・・・あるいは、ある愛の物語

 

「はく、森の外、すごい嵐みたいね。」

龍神の結界に守られた小さな森は

いつも通りの静かな夜を迎えていたが、

その外側 人間達の住むこの地方一帯は

暴風波浪警報やら、洪水警報やらが発令され

近年にない猛烈な嵐に翻弄されていた。

その喧騒は、結界内の森の主の館にまで届くほど

なのだから よほどの荒天なのであろう。

「気になる?ならば、もう少し結界を強く張って

騒ぎを締め出してしまおうか?」

琥珀主は 窓の側に佇み、心配げに空を見上げている

千尋の肩を抱きしめると、そっと囁いた。

視線を空から逸らせないまま、少しだけ体の力を抜いて

頭を龍神の胸に預けた娘は 小さく首を振った。

「ううん。いいの。ただ、様子がわからないから。

この嵐で、あんまり被害がでないといいのだけれど。」

「そなたは、やさしいね。だが、これは

ある意味 人間達の自業自得なのだから。」

「・・・それは、そうなのだけれど。」

千尋は琥珀主の言葉に顔を曇らせると呟いた。

 

昨今の異常気象が、神々の気紛れというよりも

人間が乱した気の流れを正すための理である

ことは、夫たる龍神に説明されるまでもなく

神々の世界の理の中に組み込まれてより

肌で感じているのだ。しかし、いまだ人間の世界との

絆が完全に途切れたわけではない千尋にとって

大きな被害が予想される事は 仕方がないと

割り切れる事ではなく。ましてや、この

嵐が尋常なものではないことは、風の神である

天馳様よりわざわざの渡りがあったことでもわかる。

 

「千尋、そなたは なにも心配しなくてもよいよ。」

「・・・うん。わかっているんだけれど。でも、

様子がわからないと かえって不安になるの。

前も、こんな時は、眠れなくて ひと晩中

テレビの前で ニュースを見ていたのよ。」

 

いつまでも、窓からはなれようとしない千尋に

ため息を吐いた琥珀主は そっと囁いた。

「千尋、よかったらピアノを聴かせておくれ。」

珍しい夫からの申し出は、千尋の気持ちを

嵐からそらして、引き立てるためのものだろう。

そんな夫の優しさは背に感じる温もりから

も、充分に伝わってきて。

千尋はゆっくり瞬きをすると、そっと笑む。

「ん。どんな曲がききたい?」

「そうだな。ロマンティックな曲?」

「え?」

普段の琥珀主ならありえないようなセリフを

聞いて、思わず固まる。そんな千尋を見て 

笑っている夫に ぼっ、と頬を染めると

「もう、からかって」と怒った振りをしながら、

ピアノの前に座った。

テンペストでも弾いちゃおうかな。

ん〜、でも、『ロマンティックな』 曲ね。

 

いつの間にか外の喧騒は消え去って

千尋の弾くピアノの音だけが

森の主の館に静かに流れる。

琥珀主は、ソファーに腰をおろし、

妻の弾く曲に耳を傾けた。

子どものように無邪気な優しさに満ちた気と、

ふっとした拍子に香る大人の色香。

そんなアンバランスさは、ピアノの

音にも、現れていて。

千尋の気に満ち溢れた音の波。

思わず引き込まれながら 5分たらずで

終わってしまった事に物足りなさを覚える。

・・・・・・

「なんていう曲?」

「ショパンのノクターン作品9の2。」

そういうと、千尋は くすり と悪戯っぽく笑う。

「夜想曲 『愛情物語』 とも呼ばれているの。」

そんな千尋を思わず抱き寄せようとした森の主の

行動をとめるかのように、次の曲が始まる。

うっとりとピアノに浸りきっている千尋の顔は

すでに、音楽の世界に入り込んでいて。

「そなたは、音楽の神にも愛されているのだな。」

小さく囁いた声は千尋の耳にはすでに聞こえないようだ。

琥珀主は、伸ばした手をそっと引っ込めると、

再びソファーに腰をおろした。

千尋は、指を滑らせながら 

独り言のように話を再開した。

「夜想曲ってね、神様を想う曲なの。

神様への祈りを込めた、そんな曲。

ショパンはキリスト教徒だけれど、神様への

祈りはきっと私と同じだから。これは、

夜想曲第1番。私の大好きな曲なの。」

「そなたは、神へ何を祈る?」

琥珀主の静かな問いに、神人は答える。

「ん、そうね。」

小さな笑みとともに、するりと答えが唇からすべり出た。

「この嵐で深く傷つく人がいませんように。

怯えているすべての生き物が無事、

この嵐をのりきれますように、かな。」

なんてね。私には祈る事しかできないけれど・・・

ピアノを続けながら、祈るように目を瞑る。

森の主は そんな千尋にふっと笑うと、

座ったまま、手のひらを上にむけ、口元に持っていくと

静かに強く3度息を吐く。と、手のひらに現れた小さな

式をそのまま、窓の方に向かって飛ばした。

そんな密やかな行動はすべて千尋に

気付かれないまま、行われて。

屋敷の中に流れる神への鎮魂の祈りに似た

千尋のピアノの音は、いつの間にか森中へ、

結界の外へと広がっていったのだ。

 

天の気を整え、地の澱みを浄化する

そのための嵐。しかして、ここまで気を乱し

地も空気も汚してしまった人間に対する怒りと罰。

そんな意がこめられていたはずの嵐は

本来3日ほど続くはずであった。

琥珀主は、ふと顔をあげると、結界の外に探りをいれる。

いつのまにか、荒々しかった騒ぎは止み、今は

静かな雨が降り続くだけになっているようだ。

琥珀主は、ふっと笑む。そうして、ソファーから静かに

立ち上がると ひと晩中ピアノを夢中で引き続けていた

千尋に歩み寄り、その項にそっと唇を落とした。

「はく?」

やさしいキスに指を止めた千尋を、

そっと立ち上がらせ抱きしめる。

「嵐がやんだようだよ。」

「え?ほんと?」

「この雨はしばらく続くだろうけれどね。」

そういうと、千尋を抱き上げ 閨に連れて行った。

「よかった。」

こてん、と夫の胸に体を預けると、そのまま うとうと

しだした千尋を、そっと寝台に下ろす。

「はくぅ?」

「そのまま、休みなさい。」

「ぅん。ごめんね。目があかないみたい。」

半分眠りながらの千尋に微笑むと、額に唇を落す。

そうして、千尋の寝息が深まるのを待って

静かに部屋を出て行った。

 

「主様。風の御方のお使いがお見えです。」

廊下に控えていた玉の言葉に頷くと客間に赴く。

控えていたのは、風の御方の右腕と称され、琥珀主と

風起こしの勝負をしたことのある、飛揚(ひよう)であった。

「風の御方より、今度は何を?」

「シルベ殿におかれては、とぼける所存ですか。

主より、これをお預りしてまいりました。」

そう言って、差し出してきたのは白い小さな人型。

森の主は 徐に 上向けた人差し指の先からふっと息を

送る。と、人型はそのまま溶けるように消え去ってしまった。

そんな行動を呆れたように見ていた琥珀主の

倍はあろうかというがっちりとした風神は、

ため息を一つ落すと、椅子に腰をおろした。

憮然とした面持ちで、涼しげな翡翠の瞳を見やる。

「主より、困る との伝言です。あのようなものを

聞かされては、風雷族とて鉾を収めざるを得ぬ、と。

変わりに、此度のお役目を果たし終わるために

尽力を、との仰せです。」

翠瞳に皮肉げな笑みの影が浮かぶ。

「そちらが、勝手にしたことの後始末を我につけよ、と?」

「勝手に とは、理不尽な仰せと、思いますが。あのような

御霊鎮めの気が、中天に満ちていては 風神雷神ともに

気が殺がれて、お役目どころではなくなるのは

無理ないことだと思いませんか。」

森の主は涼しげな顔を、少し傾け 片頬で笑む。

「かつて、人と我らが今より少し、近かった時代には、あの程度の

鎮めの祈りは、いたるところで行われていたのでは?」

大柄な風神は皮肉げな森の主に、困ったように眉根を寄せる。

「我らに、なにか含むことでもおありか?」

「さあ。」

森の主は肩を竦める。

この顔が、その心情を写すことがあるのだろうか。

直情型の風神は、この かつての試合相手のような

タイプは苦手で。この使いによこした主を、ほんの少し恨んでしまう。

飛揚は、ため息をつくと、思い出したように

風の神たる天馳嵯祁李男命の託(ことづけ)の残りを伝える。

「もう一つ、手を貸せば 以後、この森の上空を

我らが侵すことはない、との仰せです。」

森の主は その言に僅かに表情を緩めるとゆっくり頷く。

「なれば、このたびのみ 手をお貸ししましょう。」

突然の言に、驚いたように目を見張っている風神を

そのままに、席をたとうとしている龍神に 慌てて

ついていきながら、飛揚は考える。そうして、

「・・・にいらぬ、というわけだったのですか?」

背後からの声に首を傾げて振り向いた龍神に再度問う。

「我らが、あなたの守護地の上空を侵したことが

気にいらぬ、というわけだったのですか?」

先ほどより、怒気を顕わにして問うてくる風神を

煩わしげに見やると、龍神は転変して森の上空に飛翔する。

その後姿を睨みつけ 飛揚も空に飛ぶと、風の神の気の

導くまま 龍神の先に立って飛んでいった。

 

「来たか。」

「あの気だ。わかるか。」

背後に幾多の風神雷神を従えた、秋津島上位神

風の神 天馳嵯祁李男命は、飛揚とともに

飛んできた若い白龍に 向かい 指を指す。

その指の先には、禍禍しい気に満ちた黒く凝った(こごった)

固まりがとぐろを巻いていて。

「あの気を浄化するに、そちならどうする?」

再び青年の姿に転変した琥珀主は、その塊を見つめる。

「私のやり方で、よろしいですか?」

風の神は 禍つ気から目を離さぬまま問うてくる龍神に頷く。

「では、私が失敗した時の為に周囲を固めてください。」

「ほ、何をやらかすつもりか?」

「すぐに、わかります。」

そういうと、止める間も無く禍つ気の中心に飛び込んでいった。

飛揚は、龍神の大胆な行動に驚く。と同時に、主の命で

その周辺を固めるように、風雷神たちを

差配すると、主の側に控え、様子を見守った。

龍神を飲み込んだ禍つ気は、その黒さを増し、激しく蠢いている。

風の神は 悠然とそのありさまを眺めていると、傍らから

どこか、怒っているような声がした。

「自分の力に奢(おご)っているのでは?」

苦々しげに問うてくる飛揚に、視線で訳を聞く。

「我らが上空を侵すことが気に入らぬばかりに、

妻にあのような祈りをさせるとは。」

そんな飛揚に 風の神は笑い出した。

「そちは、そう思うか?それだけで、

あのような真似をしていると?」

そう、おそらくあの龍神は自身の体内であの気を

浄化させるつもりであろう。ひとつ間違えれば

その身に穢れを負うてしまう、そんな真似を

平気でできるのは、確かに奢っている、ともいえようが。

風の神は くつくつ笑う。そんな主を

訝しげに見ている自身の右腕に、

「あれの行動原理など単純だ。まあ、黙って見ていよ。」

そういうと、愉快とばかりの笑みのまま 視線を戻した。

時間にして一時間にも満たなかっただろうか。

ふと、黒い気が小さく、そうまるで、一点に吸い込まれていく

かのように目に見えて小さくなっていった。

渦を巻いて一つの方向に流れていく禍禍しい気は、

上空に手を突き上げている龍神の姿が次第にはっきり

してくるにつれ、その手のひらの中に

吸い込まれていく様子がありありと浮かび上がってきて。

次の瞬間、そこには涼しい顔をしたままの

龍神が佇んでいたのだ。

「ほ、見事だ。あれだけの力を持ちながら

森の主でいるのみ、というのはもったいないのう。」

呟くような主の言葉に、龍神の神力に

呆然としていた飛揚はすぐに 反応できなかった。

 

「これの始末はお願いしてもよろしいですか?」

飛揚がふと、気付くといつの間に 近くに来たのか 

秀麗な顔をした青年が 主に向かい

小さな黒い玉を差し出していた。

その玉を見ながら、風の神は不思議そうに問う。

「浄化、ではなく 封印したのか?」

「はい。これ以上は、私の手にもあまります。」

そんな、龍神に うそをつけ、とばかりに

「もう少し時間をかけたら、浄化したであろうに。」

呆れたように言う主に対し、青年は淡々と答える。

「いえ、千尋が目覚めぬ前に 帰らねば心配しますから。」

そういうと、禍つ玉を風の神に手渡した。

3センチほどの黒い玉を掲げて しばらく見入っていた風の神は、

「なるほどな。何事も使いようというわけか。」

と頷く。そうして、

「よいのか。悪をもって制するのに、よい道具となろうに。」

そんな風の神の言に、龍神は肩を竦める。

「はい。このようなもの、千尋の目に

ふれさせたくは ありませぬゆえ。」

その答えに、風の神はとうとう大声で笑い出した。

そんな、風の神に 頓着なく いち礼すると、立ち去りかけた 龍神に

それまで黙ってやり取りを見ていた飛揚が 声をかけてきた。

「お待ちください。なぜ、この度の嵐を止められたのですか。

確かに、あなたの力を持ってすれば簡単に穢れを浄化

できるでしょうが、我らは理を果たすためにあの

手段しか持ち合わせていないのです。」

風の神は面白そうな顔で 龍神の答えを待つ。

「2度はないことゆえ、お許しを。」

そんな答えでは納得できない飛揚は、なおも言い募る。

「我らの手段がお嫌いか。たしか、雷火様の

もとも、自ずから立ち去られたとか。」

「いえ、そういうわけでは。」

「では、なぜ。」

龍神は、食い下がる飛揚に、ため息をつく。そうして、

風の神をちらっと見ると、諦めたように答えた。

「嵐の夜は 千尋が眠らないのです。」

「え?」

「千尋に気付かれぬようになら、

いくらでも暴れてもらってよいのですが。」

風の神は 呆然としている飛揚の肩を 

ぽんぽんと、叩くと 龍神にむかって

「それは、すまなかった。約束どおり、

そちの森の上空では 嵐を起さぬようにしよう。」

笑い含みの風の神の言に頷くと 龍神は今度こそ

妻の元に戻っていった。

 

残された飛揚は 呆然と立ち尽くす。

「ええと、あの・・・」

なんと言ったらよいものか。

「だから言ったであろう。あれの行動原理など単純だと。」

いかにも楽しそうな主を、見ながら

混乱している気持ちをどうにか整理する。

ええと、つまり、要するに、嵐を怖がって眠れない妻の

ために、式をとばして 御霊鎮めを行って 嵐をとめた、と。

それで、以後、嵐を森の上空に寄せ付けないために、

我らが力を合わせて3日がかりで浄化するはずだった

穢れを、一人で引き受けた、と。

そういうことですか?

「本当に、飽きないやつであろう?」

主の言に 頷いてよいものやら、悩む飛揚であった。

 

千尋が目覚めたのは、昼近くのことだった。

ぼんやりとした視界に、翠の瞳が飛び込んでくる。

「おはよう、目が覚めた?」

「わっ、はく?え、っと おはようございます。」

慌てて起き上がると、部屋の中は白い光が溢れていて。

「あれ、はく、今 何時?」

そんな千尋をねそべったまま見ながら、

「もう直ぐ、昼になる かな。」

「やだっ、すごく寝坊しちゃった。」

夫の答えに 千尋は慌ててベッドから出る。

そうして、カーテンを勢いよく開けると

「うわ〜、すっごくいいお天気だよ。」

嬉しそうに振り向くと、そこには ほのかに笑みを

浮かべたまま寝入っている夫がいて。

「あれ、はく?また 寝ちゃったの?」

千尋は、静かにベッドに近寄ると、

目を丸くしながら夫を見つめる。

「珍しいなあ。でも、夕べ 私の下手なピアノにずっと

付き合ってくれたものね。もう少し、寝かしてあげようかな。」

そうして、森の主である龍神の 神人にして、最愛の妻は

静かに身支度を整えると 寝室の戸を優しく閉めたのだ。

・・・大切な宝物をしまうかのように。

 

目次へ   おまけへ

 

うっきゃ〜。もはや、小話と括ってよいものやら。

なんか、最初書こうと思っていたお話と全く違ってしまったよ。

書いても 書いても 終わらない〜。

結局、最後は琥珀のお馬鹿加減がわかるお話になってしまった。

なお、、天馳様の背後に控えていた風神様方の中に

風馳くんもいました。彼は どんな感想を持ったことやら。