龍神シリーズ・小話集

 

10、 もうひとつのターニングポイント

 

その二

 

その日、標の森の鳥居の前は いつもの

平和な光景とかなり様相を異にしていた。

妻を伴い 逍遥に出ていたこの森の主は、

その気配を感知すると目を眇める。

そうして、ため息をひとつ吐き その騒ぎを

止めるため、妻をその腕に包み込むと同時に

その場から転移して 森の入り口に姿を現した。

 

霊霊がその力を保つため、穢れを落し、心身を

癒す場所。そんな狭間の向こう側に 通じている

神の通る標道を守る、小さな しかし 深い森。

その森の境、龍神の守護地の結界を示す

鳥居の前で、その騒ぎは起きていた。

「どうか、標の龍神様にお取次ぎを。」

「嵐を鎮めた標様に 忠誠をお誓いいたします。」

「どうか、眷属に。」

口々に訴えながら、結界の中に入ろうとするもの達と

以前、この主に仕え 現在は仮の眷属として、森の

関守(せきもり)を自認している押しかけ眷属たちが、それを

止めようと、押し合いへし合いをしている。

そんな光景に眼を丸くしていた少女が、夫たる

龍神を仰ぎ見ると、龍神はその様子を見つめながら

何事か考えこんでいるようだった。

「はく?」

と、とたんに周囲ははっとしたかのように静まりかえり、

その騒ぎの中心にいた 押しかけ眷属の

一人 遊馬(ゆま)と呼ばれる水妖の化身が 

慌てて膝をつき 森の主に向かって、平伏した。

同時に森の入り口に群がっていた様様な

精霊たちが 同様の仕草でつぎつぎと平伏していく。

さんさんとした陽光が降り注ぐ中、

服装も大きさもその姿形さえも様々な

霊や精霊や化生の物たちが 白木の鳥居の

向こう側で こちらに向かって平伏しているさまは、

まるで幻のように現実感に乏しく、夢の中ならば

まだありえるような奇想天外さで。

かつて人間だった少女は そんな光景に 以前、

初めて狭間の向こうで 船から下りる霊霊を見た時の

ことを思い出してしまった。

『うそ、夢だ!夢だ!覚めろ、覚めろ!』

呆然としたあのときの まるで悪夢の中に

いるようだった現実と繋がっている

今というときの不思議さ。

あの時と違うのは、自身の心持で 当然それは、傍らに

いる夫の存在によるものが大きく、

少女は思わず下を向いてクスリと笑みをこぼした。

「主様、お騒がせいたしまして申し訳ありません。

このものたちは、すぐに追い帰しますのでお許しを。」

小太りながらがっちりした体格、その顔の

鼻の下についている長いひげは、左右に

伸びて 先でくるりと丸まっている。そんな

ファニーフェイスを申し訳なさそうに

ゆがめ、肩を縮めるように平伏している様は、

どことなくユーモラスで。

そんな、遊馬の戦々恐々とした様子が、

場違いに感じられるほど穏やかな声で

森の主は言葉を発する。

「よい。」

「しかし・・・」

遊馬は言いかけたことをはっ、と止める。

そうして、どこかすがるように つっかえつっかえ主に尋ねた。

「お許しを いただけるので ございますか?」

しーんとした気配が深まり、

主の応えを待って、ひれ伏しているもの達は

みな固まったかのように動かない。

 

「千尋。」

「なあに?」

若者の呼びかけに小首を傾げ、

顔を見上げている少女と、

そんな少女を愛しげに見つめ、

肩を抱き胸に引き寄せる若者。

その有り様(ありよう)は、差し込む日の光に

輝いて その場にいるものたちはみな、

その眩さを ともにする。

そうして、言葉でなく肌で 

心で 感じ取ったのだ。

眷属として この力ある龍神に仕え、

その庇護を受けるために必要なこと を。

森の主が、少女に しかし同時にその場にいるもの

たち全員に向かって 静かに問う。

「このもの達は、みなそなたに仕えたいと

望んでいるのだ。契約を交わすつもりはある?」

「仕えるって、どういうこと?」

「そなたについている眷属で 相応しい

力があるのは、玉と由良だけだから。

あのような御霊鎮めの気を現した以上 

そなたにも ある程度の威儀が必要だ。

先のように 気軽にピアノをねだるような

 軽軽しい扱いなど、もうさせたくはない。」

少女は困ったように眉を寄せると、

「ん、でもわたし、玉ちゃんと由良ちゃんがいれば

十分だし、第一 みんな私じゃなくて

はくに仕えたいのだと思うのだけれど。」

森の主は微笑み、人差し指の甲でそっと、

少女の頬をなでて 唇で耳を啄(ついば)みながら囁いた。

「おなじことだろう?」

真っ赤になった千尋に悪戯っぽく笑いかけると

表情を一変させる。

「玉。」

「はい。」

「結界を通る力のあるものの

中から、千尋に対する

忠誠心を計れ。そちの目に

かなったもののみ、森に住まうことを許す。

契約はその後のことだ。」

「かしこまりました。」

そう示達すると、同時に 姿を消した龍神に

今まで、息をする事さえ忘れていたかのような

ものたちは 一斉に息をついだのだった。

 

 

眷属の数

貢物の数

霊からであれ、人からであれ それは、

神としての力を端的に表す印しとなる。

眷属を迎えること。

貢物を受けとること。

すなわち 神としての勢力の中に

霊、人、問わず 庇護すべきものたちを受け入れる事に

ほかならないのだ。

 

標の森を統べる白と翡翠を併せ持つ龍神。

周囲に自己を顕示することを

潔(いさぎよ)しとしていなかったはずの、その龍神が

眷属を受け入れ、近隣の弱小な神々からの

貢物を受けることで現した威容は 

さほど時を経ずして秋津島の

力ある神々の目にも顕(あきら)かになっていった。

 

したり顔で頷く神(もの)

その顔を顰める神

快哉を叫ぶ神

今更と肩を竦める神

やはりなと、皮肉げに笑む神

そうして、

やれやれ、やっとじゃな、とため息を吐く神に

苦労させられることよのう、と苦笑する神。

 

反応は様々ではあったが、力を弱体化させる神が

増えている昨今、このように神力が高い神の出現は

秋津島に、どのような運命をもたらすことになるのだろうか。

今はまだ、誰にも明らかになってはいないことではあるが

いずれにせよ、何かと注目を集める龍であることは確かである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

「はくぅ。私、困るよ〜。」

ばたばたと足音がしたと思ったら、森の主の

最愛の存在が部屋に飛び込んできた。

かつて、琥珀主が童神であったおりも、そうであったように

眷属達は、その仕える主をかまいたくて、かまって欲しくて

たまらないらしい。

「姫様ぁ〜、お待ちくださいませ〜。」

後から、鴉の化生たる女官が、ひらひらしたドレスやら

煌びやかな装飾品やらを持って追いかけてくる。

慌てて琥珀主の後に隠れた千尋は、

「はく、わたし、あんなの絶対似合わないよ。」

もう、鴉華(かげ)ちゃんったら、センス悪すぎ。

ぶつくさ言っている千尋に、くすくす笑いをこぼした

琥珀主は、女官に下がるように合図する。が、

「主様!本日は リン様がお客様として

おいでになるのでございます。せめて、

御髪(おぐし)を整えて、それなりの

お支度をなさっていただかなくては、

ちー姫様付きの眷属として、私の沽券にかかわります。」

鼻息も荒く訴えてくる鴉華に、森の主は、

考えるように首を傾げ、そうして千尋に向き直る。

「千尋、諦めた方がいいよ。」

そう言うと、千尋を抱き上げて、鴉華の目の前に下ろしてしまった。

「あん、やーん。はくのばかぁ。」

「鴉華、リンがくるなら、正装で迎えるように支度をさせよ。」

遊びに連れ出せないようにね。

とは、心の中の言葉であったが、鴉華はしっかりと頷く。

「お任せくださいませ。」

「はくの裏切り者〜〜〜。」

抵抗空しく引きずられていく千尋に、にっこり笑って手を

振っている琥珀主を、呆れたように見ていた玉と由良は

千尋の苦労を思いながらも、しかしお披露目以来、めったにお目に

かかったことのない千尋のドレスアップした姿を楽しみに

している心は、主と全く変わらないのであった。

 

ずっと、自分のことは自分でする事が当たり前であった

千尋は、『仕え』られることに慣れるまで

相当の苦労をする事になる。

 

 

 

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