龍神シリーズ・小話集

 

10、 もう一つのターニングポイント

その一

 

「主様。また今日も谷黒峪(やぐろだに)

の主様より、お届けものが届きました。」

「丁重に、お返しせよ。以後、貢物はご遠慮する、と必ず伝えよ。」

「ですが、今日で5日目でございます。ご命令どおりにしましても

受け取られるまで、日参するとおっしゃっておられますが。」

「2度は言わぬ。命令どおりに。」

「・・・・はい。」

 

「主様、大者岐池(おしゃきいけ)の女主様の

お使いの方が、お見えです。」

「・・・・・・・・お帰り願え。」

「あの、お会いいただけなければ主様ご自身が

後日 御出座しになるとのことです。」

「・・・・・」

 

あの嵐を鎮めた日以来、この森の主と誼(よしみ)を

結ぶために 大勢の神々が使いやら貢物やらを

よこすようになり静かな森の様子が一変した。

玉あたりは、貢物など一回受け取ってしまえば後は

静かになるだろうに、と思うのだが、この森の主は

どういうわけか、そのあたりは潔癖で、貢物も使いの

お礼口上も受け取ろうとはせず、意地になったものどうし

毎日のようにこんな騒ぎがくりかえされていて、

この森の主以上に いい加減うんざりしているのだ。

「千尋は?」

「森の花畑にお出でです。由良が御付きしていますが。」

玉の答えに、主の不機嫌さに拍車がかかる。

「このようなときに、千尋に近付くものには注意せよ

と申しておいたはずだが、なぜそちが行かぬ?」

「ちー様が、由良をご指名になりましたので。」

押しの強い使いたちに対抗できない由良は、先日

この主から叱責を受け、見かねた千尋が連れ出したらしい。

龍神はため息を吐くと、立ち上がる。

そうして、館を出て行きがてら、玉に申し渡した。

「我は留守だ。今後、取次ぎは無用。」

「・・・はい。」

無駄だとは思うけれど、

とは口に出さない玉であった。

 

「はく。」

嬉しげに、そうしてどこか安心したかのように琥珀主の

名を呼ぶ千尋は、由良と二人だけではなかった。

先日、千尋が結界に連れ込み油屋まで案内した小鬼と

その主、そして、この女神が引き連れている大勢の

眷属達に囲まれていたのだ。(注、小話9参照)

千尋とともに、花畑の中心にある平たい石に腰を

下ろしていた蜘紗姫は、千尋が立ち上がったと

同時に立ち上がり、優雅に龍神に礼を取る。

そうして、深みのある艶っぽい声で挨拶をしてきた。

「ニギハヤミシルベノコハクヌシさま。お目にかかれましたこと

光栄に存じますわ。私は、深鳴淵(ふかなりぶち)を賜って

おります 蛟神(みずちしん)一族の一人 蜘紗姫と申します。」

そういうと、嫣然と微笑む。

「先日、わが使いが奥方様にお世話になりましたとのこと、

お礼を申し上げねばと思っておりました。」

「わざわざの挨拶痛み入る。だが、お気遣いは無用に。」

そっけないはくの態度に千尋が慌てたように口をはさむ。

「はく、蜘紗様は、もう直ぐお輿入れなんですって。

神様と神様のご結婚のお話しをたくさんお伺いしたの。

神様同士が結ばれるのってとても大変なんですってね。」

琥珀主はそんな千尋の言葉に、目を眇めると

澄ましている蜘紗神をちらっと見やる。

そんな龍神の冷たい視線に動じることなく蛇女神は

妖艶な微笑みを崩さぬまま続けた。

「ええ、奥方様。神々どうしというものは

恋人になるのは自由で簡単なのですが、正式な

妻となると様々な儀式やら手続きやらが必要になりますの。

ことに、私は深鳴淵の主から、奉洞峰(ぶとうがみね)の

殿の比売神として正式に奉られることになりましたゆえ

あまり、自由な時間が取れなくて。油屋の帰りに、ついで

とは失礼かと思いましたが、このように気さくにお会いして

ご挨拶をさせていただけたこと感謝いたしますわ。」

千尋は、女神に微笑みかける。

「いいえ、ご結婚の準備でお忙しいところをわざわざ

お立ちよりくださってありがとうございました。

それに、楽しいお話しも。お幸せをお祈りしています。」

琥珀主は、そんな二人をさえぎるように声をかける。

「千尋。由良と一緒に先に戻りなさい。

私は蜘紗殿を 結界の外までお送りしてくる。」

千尋が立ち去った後、琥珀主は蛇女神に冷たい視線を向ける。

「何をおっしゃりたいのか。」

蛇女神はそれに対してふふっと笑みを返すと、腰をおろすように促した。

それに応えず、反対にお一人でどうぞ、と仕草で示した琥珀主に 

肩を竦めた蛇女神は、それでもその微笑を崩さず

琥珀主が思ってもみない次元から忠告を与えたのだ。

即ち、

琥珀主が先に表した神力は、秋津島の神々に

見逃す事の出来ぬほどのものであること。

貢物を納めようという神は、要するにその支配下に

入りたいとの意思表明であること。

そうして、人間を妻にしているとはいえ、正式な

比売神として立てているわけではないことから

琥珀主に夫問い(つまどい)しようという

女神が現れてくるであろうこと。

そして、最後に心よりの忠告を与えた。

「奥方様のお扱いを 他神から見ても 形式的に

もう少し重々しくされたほうが、よろしいわ。

このたびのように気軽な対面などできると、

所詮それだけのお立場かと侮られかねませぬ。

あなた様が竜王と変わらぬ神力の持ち主で

あることを明示された以上、お妃に立候補したい女神に

自薦他薦をとわず、煩わされる事になりましょう。

なればこそ、奥方様を正式なお妃さまとして

遇されたほうがよろしいかと思いますの。」

かく言う私とて、かつてはあなた様を夫にと

望んだ事がありましてよ。ただ、私は

心に唯一と定めた相手がいる龍との恋は

こりごりしていましたゆえ、あの娘の存在を知った

時点で、早々に諦めたのですけれど・・・

そうして、蜘紗姫はくすりと笑う。

「佐奈多姫が、あなた様に懸想しておいでとか。

あのお方はしつこいですわよ。」

「・・・佐奈多姫?」

「大者岐池(おしゃきいけ)の白蛇神。すでに

こちらにお出ででは?」

「いや・・・」

僅かに眉をよせている琥珀主をそのままに、

蜘紗姫は立ち上がろうと、手を差し出す。

一瞬戸惑った琥珀主はそれでも礼儀上その手を

取る。と、立ち上がる勢いで龍神の腕にすっぽりと

抱きしめられる形を取った蛇女神は、くすっと笑うと

「よけいなお節介とは思いましたが、

身辺にお気を付けあそばせ。」

そう龍神の耳に囁くと、眷属達を引き連れて女神としての

矜持を見せながら、標の森から去っていった。

 

独り、森に佇む龍神はその視線を白石に据えて

微動だにしない。どれくらい、そうしていたのだろうか。

気が付くと、あたりは暮れなずんでいて。

琥珀主は、一つため息をつくと きっと顔をあげる。

自業自得の事態を引き起こしたのはこれが初めてではない。

しかし、このたびばかりは千尋に

その波を被らせることになってしまいそうで。

なかったことにして後に引くわけにはいかない以上

千尋が侮られるなど、許せることではないのだ。

・・・我に夫問い?

くっとその端麗な唇を嘲弄するかのように歪める。

問題にもならないことではあるが、千尋が

気を回さぬとも限らない。なにしろ、東の竜王に

サーガ王妃以外、数人の側女が侍っていることを

知ったときさえ、隠してはいてもショックを受けていたのだ。

神様ってそういうものなの?あんなに、王妃様を

大切になさっているように見えるのに。

純粋な千尋の、そんな落ち込んだ気持ちを

浮上させるのにどれくらいかかったことか・・・

珍しく、表情を露わにしながら龍神は胸の中で明言する。

 

どのような形であれ、千尋を傷つける者は許さぬ。

 

薄闇に包まれる森の中で、龍神の瞳が赤く

光ったのは 決して気のせいではなかった。

 

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