龍神シリーズ・小話集

 

16・噂と真実と・・・ある夫婦の日常

 

「はく?」

心地良く穏やかな闇の中、

互いのぬくもりに包まれて

その身と心を憩わせていた真夜中に

突然身を起こした夫に、

千尋ははっとして声をかけた。

ぼんやりとしか見えないそのシルエットが

そっと千尋の方に屈み込み

頬に口付けを落としていく。

「ああ、すまない。起こしてしまって。

なんでもないから、そなたは

そのまま休んでいなさい。」

龍神は囁き声でそう言うと、

千尋が小さく頷いて再び

うとうとしだすのを待って、

そっと閨から離れた。

静かに寝室の扉を閉めたあと、

千尋が眠りの中で憩えるように

呪いを張り巡らせると、

表情を一変させ表の宮に赴く。

 

「何事か。」

森の主はすでに控えていたシンと呼ばれる

武神の一人に厳しい声で問う。

「風に乱れがございました。西の方から

何者かが結界内に侵入しようとしているらしく

ただいま、斥候を出して様子をさぐらせております。」

その言葉に軽く頷くと龍神は

椅子に座って待ちの体勢をとった。

以前はこうしたときは自ら動いていたものなのだが、

さすがに今の立場を自覚しているらしい。

と、待つ間もなく眷属の一人が報告に来る。

「天鳥(あめのとり)一族で

ございます。結界の周辺を旋回して、

森へ入る許しを請うていますが。」

「数は?」

シンが問う。

「およそ、30ほどかと。先頭に

長らしきものがいて、

集団を統率しております。」

「いかがなさいますか?」

右腕となりつつある武神の問いに

瞑っていた瞳を開いた琥珀主は

「敵対する意思がなければ、

訪問の意図を問え。

その後はそなたに任せる。」

そういうと、徐に席を立つ。

「ああ、それと、他所を

訪問するときの礼儀をただせ。」

部屋をでていきがてら

振り向くと、念を押す。

「千尋の眠りを妨げる

ことは許さぬと。」

頭を下げて御意の意思を示した眷属達を

残して、龍神は奥宮に戻っていった。

 

琥珀主は奥の宮に向いながら眉をよせる。

思わず目覚め、様子を探ってしまったほどの

ここしばらく感知したことのない強い気。

天鳥(あめのとり)の一族、か。

たしか太古の昔、神の使いとして

秋津島と高天原をつなぐ

役割を戴いていたという

噂にしか聞いたことのない鳥たちの王。

めったにその姿を見せず、出雲の集いにも

神代以来、やってきたことがないというが。

 

寝室の扉を開き、千尋が

穏やかな眠りの中にいることを

感じると、森の主はその唇に

小さく笑みをのせ、そっと

そのすべらかな頬に指を這わせた。

 

夜が明けたら、吉凶いずれの知らせにせよ

鳥の王との駆け引きが始まるのだろう。

あのような強い気を持つものが

そう簡単には引き下がるまい。

どのような用向きでこの森を訪れたのか。

 

龍神は妻の傍らに身を横たえると、

肘枕でその寝顔を見つめ、不敵に笑む。

 

まあ、よい。

そなたがこうして、

我の腕の中で憩うているかぎり

我に恐れるものなどないのだから。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

「まあ、お客様がいらしていたの?」

朝餉の席で玉の報告を聞いている

夫をちらっと非難がましく

見ると、千尋は箸を置き

慌てたように席を立とうとした。

「千尋?どこに行くの?」

「えっ?だってお客様なのでしょう。

いつにおいでになったの?

起こしてくれればよかったのに。」

手をひかれ困ったように眉をよせる

千尋にふっと笑った琥珀主は

その手を片手でにぎったまま

器用に箸を動かす。そうして、

「夜中にくるような礼儀知らずの

招かれざる客の世話まで

そなたがする必要などないよ。

シンに任せてあるのだから

そなたは朝食をきちんと取りなさい。」

ほら、美味しいよ。

そう言って差し出されたふわふわの

卵焼きに、千尋は諦めたようにすとんと座ると

苦笑を頬にのせて、口を小さく開いた。

うん、今日も美味しく出来てる。

千尋手作りの自慢の一品に

自身で合格点をつけると、

お給仕についている由良に

目配せをして、客人のことを頼んだ。

そうして、わがままな夫の望み

どおりに、朝食を続けたのだ。

「はくも、食べて。」

お返しに、あーんと他のおかずを

差し出してくる千尋に目を細めると、

いつもの事ながら、琥珀主は

そのまま朝食が終わるまで千尋を

腕の中から離さなかった。

 

「もう、はくったら。」

朝食後、やっとはくの手から逃れた

千尋は玉から客人のことを聞き出すと、

呆れたようにため息を吐く。

そうして、30人ほどの団体で訪れている

という客の世話をすべく、玉と由良を通して

女官たちにテキパキと指示をだした。

はくはシンに任せてあると言うけれど

男手だけでは行き届かない所もあるのだ。

シンが手配したという宿泊場所や

朝食の様子を確認すると

女官を配して、必要なことや

たたりないものなどの世話をさせる。

そうして、女主としてできることをしてしまうと、

千尋は帽子をかぶりそっと庭に滑りでた。

どのような用件であれ、森を訪れる者に

千尋が直接会うことは、はくが良い顔を

しないので、千尋ができるのはもてなしの

用意と身の回りの手配くらいなのだ。

千尋は気持ちを切り替えると、

今が盛りの庭に眩しそうに目を細める。

そうして、枯れた花を摘みとって労うと、

一つ一つの花々を慈しむように

愛でていく。午前の穏やかな

日差しの中、庭で過ごすひと時が

千尋の大好きな日課なのだ。

花の手入れやら水まきやら掃除やら。

もちろん森全体の面倒を

みるのは不可能だし

自然な森も大好きなのだけれど、

はくに何気なく好きと言ったり、

気に入った様子をみせたりした

木々や草、花々がいつの間にか

生えそろっていたこの庭は、

はくからの大切な贈り物で、

千尋はまるで我が子の面倒を

見るかのように慈しんでいる。

そうして、夢中になって時を過ごす中、

庭を竹箒ではいていると、何かの

気配を感じ千尋はふと顔をあげた。

この庭は、森の女主の愛でる庭。

千尋自身は気にしていないのだが、

眷属達がことに気を配って

千尋が庭にいる時には

誰も近寄らせないように

しているらしいのに。

 

「だあれ?」

顔を上げた先にいたのは、初めて会った頃の

はくと同じくらいの年頃の男の子だった。

黒いマントを身にまとい疲れたような様子で

カツラの木の下に佇んでいた

その子は千尋の声のしたほうに

顔を向けると、慌てたように頭を下げる。

「あ、すみません。勝手に歩いて。」

そう言って顔をあげたその男の子は

整った中にもどこか鋭さを感じさせる

顔立ちで、しかし、どういうわけか

その瞳を閉じたままであった。

「かまわないけれど・・・」

千尋は、にこっと微笑んで近寄ると

カツラの木に竹箒を立てかける。

そうして、何気なくその子の手を取ると

傍らのベンチまで導いた。

並んで腰をかけながら警戒心の

欠片もなく千尋は親しげに訊ねる。

「夕べいらしたお客様のお一人?」

少年は小さく頷き、少年らしいなかにも

どこか気品を感じさせる声で答えた。

「はい。天鳥舟命(あめのとりふねのみこと)の

流れをくむ大鷲の一族の一人、

天鳥鷹男尊(あめとりのたかおのみこと)と申します。」

そうして、躊躇ったかのように小声で続けた。

「あの、もしかしてこの森の女神様でしょうか。

結界の中に勝手に入るなど

ご無礼をお許しください。」

礼儀正しく慇懃な挨拶をしてくる少年は

申し訳なさそうに顔を下に向けている。

「いいえ、気になされないで。

それに女神様ではなくて、

わたしの名前は千尋といいます。

この森の主の妻ですが出自は人間なの。

だから、そんなに畏まらないでくださいね。」

明るい少女の声が答えるその内容に

鷹男尊と名乗った少年は

少しだけ首を傾げると微かに笑った。

そんな様子を不思議そうに見ている

千尋を感じたのか少年は

真面目な顔を千尋に向ける。

「いえ、お噂どおりお優しい方だと思いまして。

我ら一族は、あなたにお会いすることに

望みをかけて、はるばる北の

大山(たいざん)よりやってきたのです。」

思いがけない言葉に千尋は目を見張った。

「わたしに?どんな御用かしら。」

困惑したような少女の声に少年は

困ったように首をふる。そうして、

「いえ、いずれ正式な謁見が許されましたら

長老からお話があると思います。

勝手にあなたとお会いするなど、森の御方の

ご機嫌を損ねなければよいのですが。」

さらに、恐縮したような少年の様子を

しばらく見ていた千尋は、

くすりと笑うとおどけて言った。

「はくのことは、どんなふうに噂をされて

いるのか、なんとなく分かっちゃうかも。

でも、本当にお気になさらないで。

わたしがあなたとお話ししたいのだもの。」

そういうと、千尋は真面目な声で問う。

「お目がお悪いの?」

少年は右手のひらで目を覆うような仕草を

すると、申し訳なさそうに肩を縮めた。

「はい。お見苦しいものをお見せしております。」

「ご病気なのに、夕べ遅くについたばかりで

お疲れではない?女官たちの世話は

行き届いているかしら。」

「はい、ご心配には及びません。

とてもよくしていただいております。」

育ちがよさそうな少年は千尋の気遣いに

嬉しそうに微笑んでいるが、

なんとなく顔色も悪い様子に

千尋は心配そうに手を差し出した。

「こちらにお入りにならない?

一緒にお茶をいただきましょう。」

そうして、そっと立つように促すと

テラスから館の居間に案内したのだった。

 

ちょうどそのころ琥珀主は謁見の間で

天鳥神一族の長老と相対していた。

長年、他の種族との交流を持たなかった

鳥神と、排他的な傾向が強い龍神との

会見は、やはり話が弾むはずもなく、

しかし、長はゆっくり時間をかけながらも

その意を無表情の龍神に伝えたのだ。

そうして、鳥の長は沈黙する。

我らの手の内はすべてさらした。

我らが求めるものもすべて告げた。

ゆえに、こちらから話すことはもうないのだ、

とばかりに。

互いに返答を促さないまま、

沈黙が降り積もっていく。

琥珀主がようやく口を開いたのは

天鳥の長老が口を閉じてから

小一時間もすぎた頃であった。

龍神の低い声が沈黙を引き裂く。

表情には出さないが、組んでいる腕を

指が小刻みにはたいている様子から

その内心は、かなり穏やか

ならざるものがあるようだ。

「その噂は誤解だと申し上げる。

我らは、天空より降臨した神ではない。

我は、この森の主たることを

出雲の集いで申し付かった

龍神に過ぎぬ。それに、

わが妻は、比売神として立ててある

とはいえ出自は人間。その千尋に

癒しの術が使えるなど

だれが言い出したことなのか。」

琥珀主は眉を寄せると

低い声でもう一度呟く。

「しかし、千尋を結果的に貶める

ような噂は看過できぬ。」

その声に含まれる冷たい怒りに気付いた

ふうもなく、老いた神は静かに瞳を閉じる。

「なれば、ここにきたのは無駄であったか。」

自嘲するかのように呟くと

体を前に傾け、ゆっくりと立ち上がった。

そうして、大儀そうに龍神に顔を向けると

「しばらくは、この森で休むことを

許してもらいたい。若子の病では

ここまで来るのが精一杯だったゆえ。

癒しが得られぬならば、せめて

しばしの休息をいただきたい。」

龍神はその翡翠の瞳を鳥の長に据える。

そうして、その意を探るかのように見つめると

しばらくののち、肩を竦めて答えた。

「この森でよいのならばご随意にされよ。

もっとも、狭間の向こうには

疲れを癒す湯屋があるが。」

そんな龍神に微かに首を振ると

天鳥一族の長老はゆっくりと歩き出す。

と、そこに鳥神の一人と千尋付きの女官が

慌てたように入ってきた。

お辞儀もそこそこに、

それぞれの主に耳打ちした内容は

どうやら同じものだったようで。

長老の目が驚いたように見開くと同時に

琥珀主が渋い顔で立ち上がる。

「主殿。」

狼狽したかのような声に足を止める。

「ご無礼を許されよ。まだ雛ゆえの

暴挙。どうか、御寛恕を願いたい。」

そう言って、頭を下げた老いた神の耳に

どこか苦笑しているような声が届いた。

そこに満ちる気は、先ほどのもの

とは、まったく異なっていて。

どうやら、裏を勘ぐっていたらしい龍神は

その鉾を収めたようで、しかし、その

理由がわからず戸惑っている天鳥神に

ふっと笑って見せたのだ。

「こちらこそお許し願いたい。捻くれた上つ

神々のお相手ばかりをしてきたゆえ、卿の

御真意が奈辺にあるか疑っていた。」

そうして、もう一度肩を竦める。

「病を得られたというその若子は運が良い。

奥の結界を抜けることができる

ものはそう多くはないのだ。」

驚いている長老に瞳を合わせると、軽く頷く。

そうして、森の主は天鳥神の長老に

付いてくるように促したのだ。

 

森の主の住まう館。

伝統的な宮作りとはいえない

異国情緒漂う館はまさに竜宮といって

相応しいような規模と壮麗さを

誇り、これだけでもこの主の力の

一端を示している。

長い時を生きてきた長老は、

謁見の間のある表の宮から奥の宮殿へ

行くにつれ、どこか家庭の温かさというような

雰囲気を感じ取る。回廊や部屋々々に漂う

幸福の余韻のようなものといっても良いだろうか。

それは傍らを歩く龍神の纏う気の変化からも

感じられて。鋭く隙のない厳しさが

わずかに柔らかく変化しているのだ。

そうして、聞こえてきたピアノの音。

優しさと労わりと、無邪気な楽しさが

入り混じっている思わず踊りだしたく

なるような陽気な音楽を奏でて

いるのは、噂で聞いた、この龍神が

溺愛しているという妻なのだろうか。

優しい日差しに満ちる部屋。

木霊たちが腰をおって出迎えるのに

頷き、挨拶を口にしようとするのを手で

制しながら静かに入ってきた龍神と

見知らぬ客の神に、若い娘は手を止めずに

予想していたかのように小さく微笑む。

ピアノの傍らに腰をかけている

少年はもちろん、部屋に入ってきた

2柱の神に気付いているようであったが、

その光を失った瞳は龍神の妻に

向けられたままで、その真から寛いで

腰をおろしているかのような様子に

天鳥神の長老は驚いた。

この一族の最後に

生まれたこの若い鳥神は

久しぶりに一族に出現した

力を秘めた世継ぎ子として、

病を得るまでは一族の期待を

一身に背負っていたのだ。

どちらかというと内省的な

性格は、病という呪いをその身に

受けてからは、よりいっそう

内に篭るようになっていて。

ゆえに長老は、小さく瞬きをする。

あの子が笑っている?

娘に微笑み返し、そのままピアノを

続けるように促した龍神は、戸惑っている

老神を向かいのソファーに案内した。

静かに部屋の椅子に腰をおろした

長老は、娘の手により生み出される

音楽に耳を傾ける。

どのくらいの時が過ぎたのか、

老神は自身の中にこの永の年月、

降り積もり澱んでいた倦怠と疲れが

次第に消えていくのを感じていた。

女官が運んできたお茶にも、気付かないほど

音楽だけが、その空間を満たしていくようで。

そうして・・・

つと、傍らに腰を下ろしていた龍神が

思わずといった様子で、娘の

側に歩み寄ると、日の光に輝いている

娘の髪に唇を落す。手を止めぬまま

僅かに龍神に体を預けた

娘の傍らに、そのまま互いに

寄り添うようにして立っている

この森の主の放つ気と、娘の纏う気が

重なり合うその様は、呆然としている

老いた神の目に眩しく映り、そうして・・・

そうして、天鳥神一族、鳥の王と称される

神の最長老の老神と最年少の少年神は、

娘と龍神の互いに放ち会う

螺旋をえがく光によって

求めていた以上の

ものを得たのであった。

 

・・・・・・・・・・

 

天鳥神一族がこの森を離れる日。

病癒え、光を取り戻した鷹男尊と

すっかり親しくなった森の主の妻が

別れを惜しむ様子を、どこか

憮然とした顔で見ている龍神に

長老は、歩み寄る。

そうして、あらためての感謝の

言葉を告げたあと、

一族みなとともに

その身を真の姿に転変させた。

伝説の大鷲に率いられた

種種様々な鳥たち。

昔日の力を取り戻したごとく

それこそ、千尋を乗せて

飛ぶことが出来そうなほど大きく

力強い翼が巻き起こす旋風の中。

別れの際に鳥の王は琥珀主に囁く。

「やはり、噂はまことでありましたよ。」

その一言にさらに憮然とした龍神を残し、

大鷲は大空に飛び立つ。

その後に続いて一斉に飛び立って

いった集団から、つと離れ

名残惜しげに森の上空を旋回した

若い鷹に龍神の傍らに寄り添う

娘は、その姿が小さく消えるまで

いつまでも手を振りつづけたのだった。

 

そうして、また一つ

後に、伝説となっていく噂が

秋津島を駆け巡っていくのだ。

 

 

 

目次へ  

 

 噂の中味についてはこちらを読んでみてね

 

テーマはメルヘン。

元ねたは、宮沢賢治のセロ弾きゴーシュ。

だったはずなのに、

あ〜あ、ってなもんだ。

1万ヒット記念作品としては

恥ずかしさで悶絶。

まあ、これが実力ってところです。

拙いですが、

サイトを訪れてくださる皆様に捧げます。

ついでに、指輪物語にでてくる

鷲の王、風早彦グワイヒア様にも捧げまっす。(←をい)

 

ちょっと余計な付け加え。

天鳥舟命(あめのとりふねのみこと)は日本の神話に

でて来る神様ですが、鳥の王様との設定は友林の捏造ですので

あしからず。(てか、わざわざ言わなくても分かるか)