第01話 『令嬢は、お高いのよ』
緑と薄赤、そして、黄色の混ざった光に包まれた世界。
その形から銀杏星雲と総称されていた。
この時代
エルドリッジ航法とか。フィラデルフィア航法とか、呼ばれる転移航法により、
恒星間宇宙旅行は、一般化している。
全長2kmに及ぶ葉巻型宇宙客船ラスクィーンは、徐々に青白い霞に覆われ、
マユのよう濃くなっていく。
そして、青白いマユ状の光が少しずつ、かすれていくと、
何も存在しない宇宙空間が残された。
同時空系列上の離れた宇宙空間に青白い霞のようなものが広がる。
次第に濃くなり、少しずつ薄まっていく。
そこに宇宙客船ライスクィーンが存在する。
軍が使っているような動的な転移航法でなく。
民間の時空間転移航法は、静的でエネルギー損失が少なかった。
この宇宙転移航法
地球の西暦1943年10月28日
フィラデルフィア。駆逐艦エルドリッジの実験に端を発している。
磁場発生装置テスラコイルは、レーダーだけでなく、
視覚領域も不可視化させることができた。
この時期は、理論も、実証も、不確かで、いい加減なものだった。
実験結果は惨憺たるものでも、
結果は予想外であり、
過渡期的な段階と認識され、研究は継続される。
科学技術の世界では、珍しいことではない。
ライト兄弟が空を飛んで後、航空力学が構築されたのであって、
航空力学が構築された後、ライト兄弟は飛んでのではない。
エルドリッジ航法とか。フィラデルフィア航法と呼ばれる航法も、それに当たる。
研究は、実験の犠牲と結果の蓄積によって、次第に体系化され、理論化されていく。
次第に研究が深まっていくにつれ、
深宇宙空間は、重力による干渉と障害を受けず、
安全に空間転移できると考えられてしまう。
そして、22世紀。
太陽系外縁まで這い進んだ地球連邦は、空間転移航法を成功させてしまう。
宇宙飛躍の時代。
その後の地球文明は、こぞって、宇宙へと進出していく。
結果として、人類は、個々の恒星系の特性に合わせ、
多様な文明を構築していく。
このエルドリッジ航法。
当初、ランダムで無作為な転移だった。
しかし、研究が進む中で、個々の人間の意志に反応している事がわかってくる。
つまり、人間の明確な意思が転移に繋がると実証されてしまう。
もっとも、科学が宗教染みて頑迷だった時代であり、
人間の意志が転移の起動スイッチの切っ掛けになると科学者が認めるまで、数十年を要した。
実証された結果を科学者が認めない時期があったという。
人類歴史の中で唯一の事例といえた。
その数十年後、人間の意思が転移のキーとなっている事が理論的に確立され、
人間のムラのある意思ではなく。
電子的なスターターで機械任せに転移できる時代へと向かう。
機械任せになったのは、艦隊で転移するタイミングを合わせるためであり、
転移するタイミングを合わせられないと、大問題になったからといえる。
同調装置と擬似意識装置の開発により、
人間の意思で宇宙船を転移させるという行為は、単船航行を除き、廃れていく。
宇宙客船ラスクィーンの一際大きい船窓から光が漏れていた。
その船室は広く、豪勢な調度品に囲まれ、
漆黒の髪で、淡い緑色の服を着た15歳ほどの女の子が手紙を読んでいた。
ジルへ。
ここパープル恒星系でブリタニック恒星間王国の戴冠式が行われる。
ブリタニックは、伝統と名誉を重んじる国民に支えられている。
王の戴冠式に参席できる機会は、そう多くない。
おまえにとっても、きっとプラスになるだろう。
サロム新国王は、若い王で一般的な感性から外れているものの、
品格も備わっている。
おまえも、この戴冠式に参席して欲しい。
バルナ財閥で建設している宇宙工廠も完成間近だ。
この恒星系の4色矮星とペンギン渓谷を直接目にするのも一興と思う。
家庭教師のサラ・マリアと一緒に来て欲しい。
愛するジルへ。父より
ジルは、手紙を放ると、背伸び。
そして、背後に意識が向かう・・・・・・・
家庭教師は、刺繍をしている。
見なくても気配でわかる。
いまの時代、刺繍をしている人間は珍しい。
そして、音を立てず。
自然であることを心掛け、
テーブルを後に・・・・
「・・・・・・どちらへ。ジル」
サラ・マリアは、褐色系の清楚な服装で俯いたまま。
ジルは、少し、思い巡って答える。
「・・・ストレッチ」
ジルは、それとなく運動を始める。
サラ・マリアは、9人目の家庭教師。
前の8人は令嬢が我侭の限りを尽くして追い出した。
ジルは、このサラ・マリア女史も追い出そうと何度も画策。
最初から家庭教師を追い出したいわけではなく。
しかし、悪ふざけが過ぎ、
次々に家庭教師が辞めていくと趣味の一つになってしまう。
次第に次も期待に応えなくては、という脅迫観念も育て、持つにいたる。
はた迷惑な少女だ。
もちろん、サラ・マリアに対しても実行した。
そして、父を経由してサラ・マリアが地球政府の諜報員だとジルの耳にも入ってくる。
大義名分があると遠慮はいらない。
しかし、追い出しネタが尽きてしまった時、
バルナ・ジルは、サラ・マリアに根負けする。
そういったわけで、
この政府の女スパイで家庭教師のサラ・マリアと一緒に宇宙旅行をしていた。
父は、母が亡くなって、寂しくて、呼び出したのだろうか。
いや、それはない・・・・か
ジルは、実年齢15歳。
しかし、マトリックスで数度の人生を予習経験している。
財閥令嬢を良い事に辛酸気味の人生が多かった。
おかげで相当な古狸だ。
もっとも容姿に違和感を与えないように我侭な令嬢を通している。
ストレッチは、数分、続いていた。
「・・・・暇で、あれば、マトリックスに入ったらどうです」
サラ・マリアは、俯いたまま刺繍を続けている。
「飽きた」ジル
「では、お勉強を」 サラ・マリア
「・・・・飽きた」 ジル
ようやく顔を上げたサラ・マリアが鼻で笑う。
勉強自体、死語だ。
言う方もどうか、とも思え、
応える方も、どうか、という感じ、
マトリックスに入って勉強すると基礎知識は、習得してしまう。
「ジル。自制は、大切よ」
「そろそろ、淑女のたしなみを覚えた方がいいわ」
「自制より刺激が欲しいわ」
「では、昼食はエスニックにしましょう」
「もう、うんざり、2週間も船の中にいるのよ」
「あと2週間で、目的地に着くわ」
「それに、この部屋が一番大きな客室よ」
「他の船客は、この部屋の3分の1以下なのに」
「外を歩くわ」
「マトリックスなら、歩かなくても隅々まで見て回れるわ」
「それも、100分の1の時間で済む」
「それに船客に会いたいのならマトリックスで会えばいいわ」
「早くて便利」
「・・・サラも、マトリックスで休んだら。気がほぐれると思うわ」
「・・・ジル。あなたが寝てからにするわ」
サラは、用心深かい。
「ジル。外に刺激が転がっていると思い込んでいるのかしら」
「それとも暇潰しに破壊工作でも・・・」
「ま、まさか、船客を巻き込んだりしないわよ。良識あるし」
「・・・・」 苦笑する。
いまの時代、手足を使って歩き回るのは不合理なことだ。
もちろん、それは違う、という勢力も存在する。
体を動かすと脳に影響を与える。
どんなにマトリックスで知識を頭に詰め込もうと、
百聞は一見にしかず、
百見は、一験(体験)にしかず。
むろん、マトリックスでの経験が身体に与える影響も大きい。
それほどまで、マトリックスは進化している。
それでも現実に動くのと比べると微妙に違和感がある。
というわけで、ジルとサラは、現実の世界で船内を歩いていた。
擦れ違う乗客が実体なのか、ホログラフなのか。
歩く歩調が同じでも、異様に早く進んでいる時は、ホログラフだ。
ラウンジの客も実態なのか、ホログラフなのか。
わかりにくい。
マトリックスの世界だけでも十分であり、
マトリックスの外、現実の世界に己の影を投影する。
匿名であること公的な存在であること、
両方を人の性が求めた結果と言える。
かといって非生産的とはいえない。
マトリックスでの仕事を現実の世界に反映させる技術も一般化し、
主要星間国家のGNP3分の1を叩き出している。
しばらく歩くと。
ラスクィーンの船長と合流する。
どうやら、実態で歩き回っているのが知られているらしい。
サラと船長の簡単な会話(社交辞令)が続く。
「・・・・これは、ジル様」
「ラスクィーンの案内を務めさせていただきます」
「船長のニーダです」
「へぇ〜 船長がコントロール室を離れても大丈夫なの?」
「ええ、戦争にならない限り、バルナ家の客船に手を出せる勢力は、ありませんから」
「戦争は、起こりそう?」
「いまのところ、その心配は無いですね」
「それにラスクィーンは、高速大型客船ですから」
「駆逐艦、程度なら撃退できますし、巡洋艦でも何とかなりますよ」
「ニーダ船長の腕がいいから?」
「ええ、これでも、オンボロ貨物船で巡洋艦と駆逐艦2隻を出し抜いた事がありますよ」
「まぁ、素敵ですこと」 サラ
「本当に怖いのは、味方の軍隊でしてね。強制徴兵されることもありますから」
「まぁ 大変」
「バルナ船籍は、強制徴兵できないはずですが戦局によっては、有耶無耶ですからね」
「・・・怖いのですのね」
「強制徴兵されると、自由が利かずに自分から危険に飛び込まないといけませんから」
「生き残れるかは、運次第になってしまいますからね」
「ニーダ船長は、強制徴兵された事が、御ありで?」
「ええ、生き残っているのは、わたしの運も良いということです」
「まぁ〜 心強いこと♪」
なんとなくピンポン会話だろうか、
不安にさせ、怖がらせ、自分がいるから大丈夫だと。
サラの方も、面白いように応えて見せるのだから、
互いに会話を楽しんでいるだけなのだろうか。
キツネとタヌキの化かし合いにも見える。
巨大な客船ラスクィーンは、武装を持つ大型高速客船であり、
バルナ家の船籍という強みがある。
地球連邦の有力財閥を敵に回したくない勢力は多い。
客船ラスクィーンそのものより、
バルナ財閥というバックが怖くて、手が出せない海賊もいる。
エルドリッジ転移航法は、安価な船体でも恒星間宇宙船にしてしまう。
つまり、程度の低い海賊家業が成り立ちやすく海賊船もピンからキリまであった。
この客船ラスクィーンは、その恒星間貨客船の最たるもので、
並みの海賊は、指をくわえて見送る以外にない。
目の前から来る男(30代)がジルを見て微笑む。
いかにも自分を知っているという感じだ。
バルナ家のジルといえば恒星間財閥のご令嬢リストで上位に名を連ねている。
知っている人間がいても不思議ではなく、
不思議といえば、彼がマトリックスの立体投影でなく。
生身に見えることだろうか。
巨大な宇宙客船を自分の足で歩き回るのは酔狂者は少なく、
前時代的な行為で少数派同士。
「・・・これは、バルナ家のご令嬢」
「・・・どなたでしょう?」
「地球の新聞屋でして、須郷ナオキといいます。お見知りおきを・・・」
「何か、御用かしら」
「面白いネタを仕入れましてね」
「気が向いたら、声を掛けてください。お売りしますよ」
いくつか単語が浮かぶ・・・・・・・詐欺師、ペテン師、本物、罠。
「・・・・・気が向いたらね」
須郷ナオキが名刺を家庭教師のサラ・マリアに手渡すと去っていく。
少なくとも名刺を手渡せるのだから投影でなく。
肉体を持った人間ということになる。
偶然にしては、できすぎだろうか、
いや、偶然以外に起こりえない。
ラスクィーンのコクピット。
管制室全体が一つのマトリックス技術を流用している。
もちろん、電脳世界でなく、現実を投影した世界。
マトリックスを利用すると、
反応速度、情報量、客室業務、船体を体感しやすく、
ミクロン単位で船体を機動できた。
全ての計器がグリーンを示していた。
近くに船舶は、いるが、危険というレベルのエネルギーは存在しない。
「・・・ジル様。もう時期、転移場を構築できますので、転移になります」
「そう」
空間転移。
距離に関係なく。現実の時空から0.0563秒だけ。
完全に喪失してしまう時間。
この0.0563秒という時間。不可認知の時空なのか。
転移時間中に何が起きているのか、観測・測定できていない。
これを観測・測定できれば、宇宙規模の大発見だろうか。
「ねぇ〜 ニーダ船長。わたしに転移やらせてもらえる?」
「ジル!」 サラがむっとする。
「えっ! ああ、構いませんよ」
「あの赤い、ボタンを押してください」
「既にいつでも転移できる状態ですから」
「違うわよ。わたしの意志でやりたいの」
「ジル!」 サラが、さらに険悪。
「え!」
「あ・・あ・・・ええ、良いですとも、別に支障があるわけでもありませんから」
「アドリアン副長。用意を頼むよ」
「はい」
マトリックスの中に入るジル。
「・・・ジル様。これまで、ご自分で、転移させたことは?」
「自分の宇宙艇を持っているから・・・・」
「そ、そうでしたね。失礼しました」
ジルは、自分の宇宙艇をラスクィーンにも載せている。
向こうに行けば、自分の宇宙艇で暇潰しが出来る。
お金持ちというのは、なんでもありで、別に難しいことではなかった。
転移するという強い気持ちを伝えるだけで、転移する。
自分の宇宙艇では、たまにやっていることだ。
そして、ラスクィーンは、青白いモヤと共に時空間転移する。
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月夜裏 野々香です
フィラデルフィアの実験は、消磁実験だったようです。
当時、ドイツ海軍が使用していた磁気魚雷に対抗したものです、
しかし、世の中、奇想天外な想像力を持った人物が現実を捻じ曲げて、SFに・・・・・・・・
面白そうなので使うことにします。
なんとなく、天空のラピュタの影響を受けた頃のモノです。
主人公の世代は、もっと上ですが・・・・
原稿用紙時代の作品を手直し、手直し。
第01話 『令嬢は、お高いのよ』 |