月夜裏 野々香 小説の部屋

    

架空歴史 『釈迦帝凰』

 

 

 第01話 『釈迦、出家せず・・・』

 インド大陸で文明の起源を求めるとしたら、

 紀元前2600年から紀元前1800年までのインダス川流域に至る。

 計画都市モヘンジョダロを建設した事で知られるものの、

 文明の継承はなされず、後塵の民族に滅ぼされたらしい。

 進んだインダス文明が遅れた文明諸族に滅ぼされた経緯は不明であり、

 現在のインド諸国は、インダス文明の直系ではない。

 その後、インド大陸に国家群が形成された経緯も紀元前1000年頃で、

 仮定の域を出ないものの16の大国が鬩ぎ合っていた。

 もっとも、法も官僚機構も整備されておらず、国家と言えないような国々だった。

 カプールに近い北から順番に、

 カンボージャ国、

 ガンダーラ国、

 クル国、パンチャーラ国、コーサラ国、マッラ国、ヴァッジ国(リッチャヴィ国)、

 シューラセーナ国、カーシー国、アンガ国、

 マツヤ国(マッチャ国)、ヴァンサ国、マガダ国、

 アヴァンティ国、チェティ国、

 アッサカ国、

 といった国々が形成されていた。

 その中で最大最強は、北側のコーサラ国と中央東部よりのマガダ国だった。

 その大国に挟まれた小国カピラヴァスツに一人の王子が生まれる。

 釈迦王の誕生は、一説に紀元前463年〜前383年と言われ、

 あるいは、紀元前560年〜480年頃とされていた。

 釈迦王の誕生が特異であった事は否めない。

 ひとつは “天上天下唯我独尊” であり、

 もう一つ上げるとするなら、

 “出家すれば、天下に広がる宗教を成し。王となれば、世界を治める王となる”

 という伝承にあった。

 彼は一度出家したものの、王に返り咲き、

 その後、外交政策によって、コーサラ国とマガダ国の統合を成し、

 シャカ朝は、インド連合国の礎になった。

 釈迦帝凰は、カースト制の縛りを弱めて細分化をさせず、言語統一政策を推し進めた。

 幸か不幸か、その政策は、歴代釈迦族王朝に引き継がれ、

 その後、インドの王朝は離合集散と興亡を繰り返し、マガタ王国でマウリヤ朝が興った。

 アショーカ王(紀元前268年頃〜紀元前232年頃)は、釈迦帝凰のインド統合政策を引き継ぎ、

 より徹底させた。

 結果、インド大陸に寡頭国家群を成立させ、

 中規模国家群による覇権戦争を増大させたと言われる。

 その後、インド大陸の王朝はクシャーナ朝、サータヴァーハナ朝、グプタ朝、ヴァルダナ朝・・・

 と移り変わっても主導的な王国は、釈迦帝凰の地位を継承してしまう。

 200種以上あった言語は、1千年以上かけて9言語にまで減らされ、

 インド大陸諸国は、ヒンディー語、ベンガル語、

 グジャラート語、ウルドゥー語

 マラーティー語、テルグ語(ドラヴィダ語族)、

 カンナダ語(ドラヴィダ語族)

 マラヤラム語(ドラヴィダ語族)、タミル語(ドラヴィダ語族)の言語と、

 言語を冠する9ヶ国の連合体へと変貌していく。

 カーストは、ブラフミン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ、アチュートの4つ、

 大枠で別れていたものの細分化は免れ、

 人種的な混血が進んでしまう。

 歴史的な観点からすると、北方諸国は、統合されやすく、

 南方諸国は、統合から取り残されやすい特徴がみられた。

 1200年頃になると中東からムスリム(イスラム)教が侵入し、

 ヒンズー教とムスリム教の攻防が行われる。

 その後、インド連合は、モンゴル帝国の侵食を受け、つつも跳ね返し、

 モンゴル帝国を継承するティムール帝国と、

 カシミールを挟んでと壮絶な攻防戦を繰り広げ、

 和解と抗争を繰り広げつつも婚姻が進み、

 北方のインド7王国は、統合されてムガル帝国へと変貌していく。

 西暦1500年

 インド南部の西岸のマラヤラム国と東岸のタミル国は、ムガル帝国7王国の圧力を受け、

 生き残りを模索し、

 ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマとの接触に誘発されたのか、海外に雄飛していく。

 インドのダウ船は横風に強く、

 追い風に強いポルトガルのキャラック船と競合しつつも影響し合い、

 マラヤラム国、タミル国のダウ帆船は、遠洋航海が増え大型化し、

 独自の技術力でダウ・キャラック船を建造してしまう。

 その後、マラヤラム国とタミル国は、大航海時代へと向かい、

 ポルトガル、スペインと海洋交易を競い始めた。

 その後、オランダ、イギリス、フランスが大航海に参入するようになると、

 ムガル帝国も船団を建造し、海外へと足を伸ばし始めた。

 

 

 1529年 第一次ウィーン包囲

 オスマン帝国は、神聖ローマ帝国の首都ウィーンを2カ月にわたって包囲。

 

 1938年 プレヴェザの海戦

 オスマン帝国艦隊 VS スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊

 この海戦でオスマン帝国は勝利し、地中海の覇者となった。

 

 1571年 レパントの海戦

 オスマン帝国艦隊 VS 教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合艦隊

 この海戦で地中海欧州諸国は勝利し、地中海の制海権を奪回。

 

 

 1588年 アルマダの海戦 スペイン無敵艦隊敗北

 

 

 日の本

 日本民族は、魂のよりどころを求めていた。

 目に見えないモノは存在しない、と人はいう。

 しかし、そんな世迷い言は、幼い子と死を迎える前の老人に通用しない。

 飛鳥時代の聖徳太子は、神社の延長として、

 鳥居、灯籠、狛犬を街道にまで伸ばした。

 方便的な政策は、公家から武家に権力が移行しても継承され、

 戦国時代においても大名の相続の義として継承された。

 神社に向かう街路に向かって紅い鳥居の列が作られ、

 あるいは灯籠、狛犬が置かれた。

 そう、紅い鳥居を抜けて行くなら目に見えるモノとして、平安が得られるという。

 そういった慣習が世俗に定着してしまう。

 無論、中国の儒教と伝統宗教の道教も日本に伝わり、

 いろんな形で、庶民に根付いていた。

 そう、鳥居に儒教の教え、

 五常(仁、義、礼、智、信)

 五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)の文字が記され、

 神儒習合が進んだのも目に見えないモノに対する補完だった。

 

 

 ポルトガルから始まった大航海時代は、その後、インドのタミル王国を刺激し、

 日本へも到達した。

 鉄砲伝来は、日本の戦国時代を大きく変貌させ、

 キリスト教伝来は、神道、道教、儒教にない影響を日本人に与えた。

 戦国覇者の織田信長が亡くなり、

 信長を引き継いだ豊臣秀吉が亡くなると、

 日の本は、徳川家康の時代へと移行しつつあった。

 関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍が石だ光成率いる西軍に勝利すると、

 西軍の豊臣の日の本支配は終焉を迎える。

 戦国の世がもう少し続いたとしたら、

 西軍のキリスト教軍と東軍の神道・道教軍の戦いになっていた可能性もあった。

 

 

 済州島

 秀吉は、朝鮮出兵(1592年、文禄の役)で、

 済州島に小早川隆景の一部隊を派遣させて占領してしまう。

 喜んだ秀吉は、済州島を蓬莱と名付けたのだった。

 その後、朝鮮出兵は明軍の救援によって泥沼化。

 停戦へと朝鮮ゲリラに悩まされる情勢に移行していた。

 秀吉は、占領した蓬莱(済州)島に城を築城するため、

 3万の技術者を送りこんだのだった。

 その後、豊臣と明の和議は折り合いが付かず、

 第二次朝鮮出兵(1597年、慶長の役)が開始される。

 しかし、同年、豊臣秀吉の死去で、日の本は、戦意を喪失、

 半島から撤退していく。

 しかし、済州島は、豊臣の直轄領として残され、

 既に莫大な軍資金が注ぎ込まれており、

 蓬莱城が築かれていく、

 「酷い島だな。川が涸れてるじゃないか」

 「雨水が土地に染み込みやすく、溜まらないようですね」

 「農耕には向かんな」

 「当面、地下水を使うしかないようですが」

 「河水が地下に染み込まないよう工夫すべきでしょうね」

 「そうだな」

 

 

 1600年

 徳川率いる東軍は、石田三成率いる西軍を関ヶ原の戦いで破って戦国乱世を終わらせ、

 日の本を天下統一へと向かわせる。

 

 

 1613年

 500トン級ガレオン船サン・ファン・バウティスタ号(全長55m×全幅11m)

 伊達藩の支倉常長は、スペインに向かう途上、

 タミル王国のバリカット港に立ち寄った。

 ダウ船が群れをなして浮かび、

 大型のダウ・キャラック船、ダウ・ガレオン船も少なくなかった。

 インド船は、横風に強い船が好まれるらしく、

 帆の在り方がスペイン船、ポルトガル船と違って見えた。

 そして、タミル王国、マラヤラム王国の最大の強みは、最良の船材チークの原産地であり、

 欧州のポルトガル、スペイン、オランダと並ぶ海洋国家になれる要素が多分にあったことだ。

 「タミル王国か・・・かなり進んだ国のようだ・・・」

 建築物はの壁に人? 神? の象が並んでいた。

 「ゴテゴテして馴染めそうにないが技術力は高いように思える」

 「タミル王国は、音楽、寺院建築、定型彫刻など芸術面で優れ」

 「インド大陸全域に影響を与えているようです」

 「まだムガル帝国には占領されてないようだな」

 「スペイン、ポルトガルの武器弾薬を改良して、ムガル帝国軍を撃退したそうです」

 石畳の街路が真っ直ぐと伸び、鉄砲を持った象兵が行き来していた。

 日本の城下町と違う作りをしていた。

 「ですが、ムガル帝国も帆船を建造するようで、藪蛇だったかもしれませんね」

 「あははは・・・」

 「しかし、象の上から人間を撃つというのは、どういうものかな。難しそうだが」

 「そうですね。臆病な生き物だそうですし、戦場でどう戦うか、見当が付きませんね」

 「タミル王国とマラヤラム王国との関係は?」

 「マラヤラム語は、タミル語と似ており、スペインとポルトガルの関係に近く」

 「対ムガル攻守同盟を結んでいるようです」

 「んん・・・明も大国、ムガル帝国も大国か」

 「徳川幕府が成ったとはいえ、南蛮人も押し寄せている」

 「これからの舵取りが問題だな」

 「キリスト教は、強いですからね」

 「八百万の神の神道。陰陽の道教。主従の儒教だけでは、人心は定まらぬか」

 「神道は、教理らしい教理もないですし」

 「道教も、心の在り方に対して弱いですし」

 「儒教は、人間社会だけですからね。目に見えないモノに不明ですから」

 「俺は困らんがな」

 「刹那的な民衆は、困ると思いますよ」

 「聖徳太子の時代も嘆いておられたそうですから」

 「だからって、街道に鳥居を並べられちゃな」

 「まぁ 目に見えないモノでも安らぎは欲しいがね」

 「ヒンズー教は、どうですかね」

 「輪廻と解脱か、確かに目に見えないモノを扱ってはいるがね」

 「キリスト教と争点になりそうですね」

 「ふん、どっちでもいいよ。宗教ごとで煩わされたくない」

 「民衆の良心や良識を啓発させるような教えは重要かと思いますが」

 「そりゃ今より犯罪が減るなら構わんと思うがね」

 「しかし、どうしたものかな」

 「日本の金と銀は減ってるし、これ以上の交易は難しいらしいが」

 「そうですね」

 「金を得る貿易が出来れば良いのですが・・・」

 「カーストというのは?」

 「身分の世襲です」

 「神主に当たるバラモン階級」

 「大名に当たるクシャトリヤ」

 「商業と製造業に当たるシュードラ」

 「カースト外で、エタ・ヒニンに当たるアチュートがいるようです」

 「農民は?」

 「農奴のアチュートが行ってるようです」

 「身分の変更は?」

 「日の本より上下の身分制度が強いようです」

 「ほぼない。と言われていますが、同じ階層の職業は変更できるようです」

 「まぁ 身分なんてものは、多少曖昧にしておいた方が膠着せずに済むからね」

 

 

 

 社子屋

 神社の一角で神主が字を教えていた。

 多くは、儒教の五経四書の類であり、

 それ以外の文書で適当な教科書がなかったのだった。

 「いやいよ、戦国の世も終わりだな」

 「ああ、これからは商売の時代になるかな」

 「商売か・・・」 

 「戦が始まったぞ」

 突然の声に驚く者は、あまりいなかった。

 既に徳川軍は茶臼山に布陣しており、時の声を待つばかりだったからだ。

 1614年(慶長19年)11月 大阪冬の陣

 戦いは膠着状態に陥り、

 豊臣側は、外堀の埋め立てを認めることで、和議を勝ち取るものの、

 内堀まで埋められてしまう。

 

 

 1615年(慶長20年)5月 大阪夏の陣

 大阪城は、外堀と内堀を埋められ、

 徳川軍の猛攻を支えるだけの陣容を築く事は出来なかった。

 そして、有り余る軍資金も豊臣家再建に足りない状況にまで追い詰められていた。

 亡き太閤秀吉の金策は、当時の戦国大名にない感性によって、なされたモノといえた。

 商人に投資させ、軍資金を得ると、合戦で得た領地の米を商人に返したのだった。

 商人は、米を得るとそれを売ることで、

 侍や農民から金を回収するという経済の流れが作られてしまう。

 秀吉は、その経済の流れを雪達磨式に広げていくことで、

 大規模な兵力を動員し、莫大な軍資金を貯め込んでしまったのだった。

 大阪城

 和議派の大野治長(46)と主戦派の真田(信繁)幸村(48)の口論は続く、

 「内堀も外堀もないというのに勝てるわけがなかろう」

 「ではどうしろというのか!」

 真田幸村は、詰め寄った。

 「軍資金を使い国外へと向かいましょうぞ」

 「「・・・・」」

 一所懸命とは、生きる糧を得る土地を指す言葉だった。

 それ以外に懸命になることなどないのが、日の本の常識だった。

 とはいえ、ガレオン船10隻を10万両で建造することは可能であり。

 1隻を建造するのに50日ほど掛かるのだった。

 密かに大阪城すら抵当に入れられ、

 少しずつ建造されたガレオン船が大阪湾に並び始めた。

 そして、徳川幕府はどうしていたかというと、

 豊臣が建造するガレオン建造を見逃していた。

 浪人を雇われるよりガレオン船を建造させていた方がマシであり、

 建造にかかる建造費の幾分かは、徳川方へと流れてくるのだった。

 

 

 豊臣直轄領の蓬莱(済州)島にガレオン船10隻ほか、百数十隻の船が到着し、

 豊臣秀頼以下30000が上陸した。

 1592年(日本:文禄元年)から20年かけて同化が進み、

 豊臣家は、蓬莱島で再興がなされつつあった。

 明と李氏朝鮮は、経済的な理由から済州島の回復ができず、

 島全体は蓬莱として整備されつつあった。

 

 

 ヌルハチが後金(清)を興した。

 

 

 日光東照宮

 徳川家康の死後、建設される神社であり、

 日本最大の鳥居が連なるはずだった。

 老中とその家臣。

 「キリスト教では “愛” が重要だそうだ」

 「“愛” ねぇ 儒教だと “仁” だそうだが、まぁ “愛” を書き込んでも良いかもしれんな」

 「しかし “愛” は、不義密通が増え、社会が乱れるのではないか」

 「んん・・・そうだな・・・印欧派遣船が戻ってから決めても良いか」

 「ヒンズー教の輪廻と解脱が良いか、キリスト教の神と愛が良いか、微妙だな」

 「将軍はなんと?」

 「んん・・・庶民が収まるなら何でも良いそうだ」

 「鳥居も並べると、高く付くからな」

 「イタリアという国には、コンスタンティヌス凱旋門というのがあるそうですよ」

 「勝利を記念して兵が通過するそうです」

 「そんなの日の本では、むかしからやってるわ」

 「ところで豊臣は、どうします?」

 「大阪城を捨てて逃げたのだ戦う気概も残っておらんだろう。捨て置けだそうだ」

 「放置しておくので?」

 「元々、済州島は、朝鮮の一部で日の本ではないよ」

 

 

 30年戦争(1618年〜1648年)

 ローマ法王を中心とした宗教帝国は、封建的な精神世界を構築していた。

 法王は、破門を武器に皇帝すらも怯えさせ、従わせる

 しかし、キリストの愛を唱えるローマカトリックは膠着し、

 法王、枢機卿、司祭、神父の傲慢、暴食、色欲、怠惰は、民衆の嫉妬、憤怒の対象となり、

 不正と腐敗に塗れていた。

 免罪符を発端としたルターの宗教改革は、バチカン・カトリック宗教支配を否定し、

 叛旗は、聖書を中心とした個人の自由な信教を勝ち取る独立戦争となった。

 法王を対象にしていた教条的な慣習は崩され、

 拡大していくプロテスタント信者と、

 既得権を失っていくカトリック信者の確執は、抗争の火種となり、

 両勢力の衝突は、ドイツから始まった。

 伝統的な教条信教と自由な聖書信教の戦いに、

 国家の思惑が複雑に絡み、戦いに国家を巻き込んでいく、

 神聖ローマ帝国(ハプスブルグ家)とスペインは、カトリック側に付き、

 デンマークとスウェーデンは、プロテスタント側に付いた。

 戦争は激しさを増し、

 フランス(ブルボン家)も国益の関係でプロテスタント側に付き、

 プロテスタント独立は、欧州全域を戦争に巻き込んだ。

 

 

 1620年 メイフラワー号がアメリカ大陸に到達。

 

 1622年〜

 白人とインディアンの攻防戦が始まる。

 

 

 1635年

 江戸幕府は “金” “銀” “銅” の国外持ち出しを禁止する。

 朱印船

 「やれやれ、貨幣の持ち出し禁止とは、とんでもない事になったな」

 「日本刀と火縄銃を輸出して、南蛮貿易を続けるしかなかろう」

 「ところで、キリスト教とヒンズー教はどうするって?」

 「二つの教理を大きい神社の神主に渡したそうだ」

 「何とか、日本風に、まとめられるかもしれないらしい」

 「やれやれ、見えないモノや死んだ後がそんなに気になるかね」

 「無いのが気になるんじゃないか。あれば気にしなくなるさ」

 「ふっ♪ 困った時の神頼みか」

 「そんなところだ」

 「ところで、日本刀は、明と清のどっちに売るんだ?」

 「どっちもだろう」

 「しかし、日の本の外に足場を作らないとな。金、銀、銅を稼いでも」

 「日の本に入れたら、国外に出せなくなる」

 「そういえばそうだな」

 「豊臣方で生き残ったサムライで、どこか、占領してしまうか」

 「あははは・・・琉球でいいんじゃないか」

 「あそこは薩摩藩の預かりだ」

 「じゃ明に恩を売って土地を分けてもらうか、清に肩入れして、どこか分けてもらうか・・・」

 「そうだな・・・蓬莱島は?」

 「あそこは、禁忌。寄港禁止だ」

 「んん・・・・」

 

 

 1638年

 徳川幕府は、幕政に干渉しないこと、他宗教を貶さないことを条件にキリスト教を公認する。

 江戸城 天守閣

 「家光様。ようやく、目に見えない世界に対する価値の導入ですか」

 「神主は、どう思うね?」

 「キリスト教とヒンズー教の一部を神道に取り入れることはできると思います」

 「そういえば、神道は、儒教と道教も取り入れてきたのだったな」

 「民衆の要望ですよ」

 「目に見えないモノに対する庶民の恐れは本物ですからね」

 「父もそう言ってたが。そういうものかな」

 「戦国の世を生きてきた者は、無に帰すのか、死後の世界があるのか」

 「特に気にしますからね」

 「まぁよい。これで紅い鳥居ともオサラバだ」

 「それは困りますな」

 「幕府財政を思えば言いたくもなるよ」

 

 日本橋は、紅い鳥居とともに作られていた。

 鳥居の分だけ総工費が余計にかかるものの、

 縁起担ぎなのか、江戸っ子は、鳥居の門を通りたがった。

 目に見えないモノへの恐れは、キリスト教とヒンズー教の導入によって、

 徐々に落ち着いてくる。

 そう、キリスト教であれば天国か地獄。

 ヒンズー教であれば、輪廻。

 神道も、折衷案的な解釈をだしてしまう。

 教えとして確立されるなら、

 結局、信じる信じないは、本人のありようであり、

 一旦、広がった後、日本人は、日本人らしく、冠婚葬祭用に収まって行く。

 

 

 

 1645年

 日の本は、噂されていた鎖国に至らず。

 しかし、金・銀・銅の流出ならず、では、半鎖国ともいえた。

 朱印船に積まれたのは、日本の工芸品ばかりであり、

 火縄銃と日本刀は、高値で明に売れた。

 とはいえ、明は北京を失い、

 南明は、監国に魯王・朱以海が擁立し、福州に唐王が隆武帝として即位。

 南明は、2人の皇帝に分裂してしまう。

 そして、日の本は、金欲しさに鉄砲と刀を双方に売り、

 莫大な “金” “銀” を得てしまう。

 なにしろ、関ヶ原の合戦時において両軍合わせて5万丁の鉄砲が使われており、

 日本の鉄砲、刀の生産は、世界でも有数だった。

 朱印船

 「金はまだか?」

 「金の代わりに舟山諸島を日の本に売るある」

 「はぁ?」

 「とにかく、すぐ鉄砲が欲しいある」

 「“金” が欲しいんだよ。 “金!”」

 「まだ届かないある」

 「・・・・」

 「お願いある。鉄砲がないと負けるある」

 「・・・・」

 南明が負ければ舟山諸島の安全は脅かされる。

 舟山諸島は、日の本からさらなる軍事援助を引き出すための餌だった。

 日本は南明に負けてもらっては投資が無駄になるかも・・・

 という困るという状況が作り出された。

 監国 魯王・朱以海が日本製の鉄砲によって暗殺され、

 隆武帝によって南明が一つになっても事態は、変わらず。

 南明に不利なまま推移していた。

 

 

 一方、蓬莱(済州)島(1845ku)

 豊臣家は、土地を整備し、石高が定まると、

 必要な生活物資を求め清国と交易を行う。

 鉄砲と日本刀を清へ売り渡し、

 清から鉄と石炭と生活物資を輸入することに成功していた。

 帆に五七の桐が描かれたガレオン船が黄海を進んでいく。

 豊臣家は、清国との取引で利益を上げ、

 海上から南明を攻撃していた。

 交易に終始する徳川幕府と違い。

 豊臣家は、小さな島の住人でしかなく、

 清国に加担し、鉄、石炭、生活物資を得なければ生活苦に陥る。

 ハルラ山(1950)の麓に大阪城を模した蓬莱城が築城されつつあり。

 もう一つ、蓬莱島の東岸。

 城山日出峰は、海に向かってせり出した平均標高100mの断崖に囲まれた火口だった。

 水のない場所に城を築くのは愚の骨頂なのだが直径600mほどの広さがあって見晴らしが良く、

 小さな城塞が築かれていた。

 豊臣秀頼(52)と家臣

 「日の本を離れ、天皇との関係も切れては、関白を名乗るわけにもいかないし」

 「島民に支持されようと思うなら、島民の権利を認めるしかない」

 蓬莱島は、名主の世襲をやめ、

 島民の投票で10年任期で50人の名主を決めるようになり、

 武士階級は残されたものの、

 武士と平民の二層構造となって、封建社会から脱却していく、

 

 

 1650年

 徳川幕府は “金” “銀” “銅” の流出をしないのならと交易を認め、

 朱印船は、火縄銃と日本刀。日本の工芸品を満載して船出していく。

 この交易によって、金、銀、銅の流出は食い止められ、

 逆に国内に金、銀、銅が入り込み、

 社会資本の増大は、国内産業と消費を増大させてしまう。

 江戸幕府は経済力を背景にいくつかの公共投資を行うことができた。

 その一つは、松前藩の蝦夷開拓であり、

 大型朱印船の投入によって蝦夷の開拓は進み。

 さらに北の樺太にまで達していく。

 樺太 大泊町

 日本人と清国商人が行き交っていた。

 大通りには、紅い鳥居が作られ、狛犬と灯篭が作られていた。

 目に見えない死後と霊と精神世界の不安が、これらを建立する原動力となっていた。

 そして、大名、商人、名主ともなれば、鳥居、狛犬、灯篭を建立せねば一人前と認められない、

 徳川幕府と松前藩は、城砦建設で夏季に数千の工夫を送ってたものの、

 環境は厳しく、冬季前に大半が内地に引き揚げる。

 日本の欧州派遣によって得られた技術の一つに稜堡式城郭(星型要塞)があった。

 この発想は、既に大阪冬の陣の真田丸で試みられており、

 徳川幕府でも優れた着想として認知されていた。

 西洋の星型要塞はより幾何学的で積極的な攻勢防御陣地として大成されていたと言える。

 北海道、樺太は外国に近く、

 徳川幕府と松前藩は、新しい城塞を稜堡式城郭(星型要塞)で建設していた。

 「なんか、土塁を盛っただけの変な城だな。美観が感じられん」

 「欧州の30年戦争じゃ鉄砲じゃなくて、攻城砲を何百発と撃ち込んでくるらしい」

 「居住区画も地下に造ってるようだ」

 「欧州は、そんなに大砲の弾を撃ち込めるほど、鉄があるのか?」

 「んん・・・最近は、鉄砲と日本刀を売り過ぎて鉄が減って、南明や清から鉄も買ってるからな」

 「なんか、酷い世の中になったもんだ」

 「天守閣は造らないのか?」

 「攻城砲で狙い撃ちされるんだと」

 「天守閣を作るとしても死角を作れないし、射線の邪魔にならないような場所だな」

 「はぁ 稜堡を増やすのか?」

 「本城と地下道で結んだ真田丸みたいな出城は、多い方が良いんだと」

 「こんな寒い場所が戦場になるとは思えないがな」

 10月。気候は2度から9度にまで冷え込み、

 宗谷海峡は荒れ始める。

 さらに冷え込むと流氷に覆われて帰還できなくなるため

 天候の良い日を見計らって工夫の引き揚げが始まる。

 とはいえ、城下町は少しずつ大きくなり、越冬者は、少しずつ増えていた。

 家屋に越冬する工夫たちは、ロシア人から買った毛皮を着込んでいた。

 ホタテとカニが七輪の上に乗せられ、白樺で作った木炭が燃やされる。

 「寒くなったな」

 「まだまだ、序の口。これから極寒だ」

 「前の年は鼻がもげるかと思ったよ」

 「そういえば清国の通訳者は、蓬莱のやつだったな」

 「豊臣の残党か」

 「ロシア側にも蓬莱の通訳者がいたぞ」

 「いやだね。あることないこと徳川の悪口を言ってる気がするな」

 「やっちまえばよかったのに」

 「蓬莱って、水利が悪いんだと」

 「ざまぁみろ」

 「しかし、豊臣も一時は、日の本を支配してたんだから、時代も変わるよな」

 「負け組が辺境に押しやられるのは同じか」

 

 

 第一次英蘭戦争(1652年〜1654年)

 

 

 明暦の大火(1657/03/02〜03/04)

 江戸城と大名屋敷を含む城下町の大半が焼失した。

 出火は三ヵ所とされていた。

 もっとも80日ほど雨が降らず、多くの家屋が乾燥しており、

 強い北西の風が吹いていたのだ。

 通常なら大火に至る前に消されていた火元であるとする意見もあった。

 しかし、50万を超える世界有数の人口を抱える大都市であり、

 貧富の格差も大きく、犯罪も少なくなく、放火の可能性もあった。

 6割の家々が炎上し、死者は、3万〜10万人といわれ、

 燃え落ちた天守閣は、哀れとしか言いようがなかった。

 「やれやれ、せっかく、南明と清国の戦争で儲けたというのに・・・」

 「戦争で儲けたバチでしょうか」

 「しかし、船を作っているのに木材が高騰したらまずかろう」

 「そうですな。禿山はまずいかと思われます」

 「もっと道を広げるべきであろうな」

 「レンガと瓦屋根を増やして」

 「堀に沿って道を3倍ほど広げ、緑園を設けた方が良いかと」

 「んん・・・」

 

 

 

 1660年

 織田信長は兵農分離、鉄砲の大量採用、楽市楽座など既得権と伝統を破壊する革命家であり、

 戦国の世を優れた想像力と家臣同士の競争原理によって成り上がった。

 織田家臣団は知らず知らずのうち、

 その気概とノウハウを身に付けていた。

 豊臣秀吉もその一人だった。

 特に秀吉は、武士であるより経営者で秀でており、

 また、関白と同時に庶民視点で経済の流れを捉え、治政を推し進めた。

 織田から豊臣へと連なる武士団は、戦国の世を終わらせた気風を持っていた。

 そして、蓬莱島に入植した豊臣残党も、

 信長と秀吉に連なる気風を受け継いでいた。

 彼らは、小島での環境に即した領地経営と、東アジアを巡る時勢に対処しなければならず、

 豊臣家残党は武士というより、経営者となっていた。

 蓬莱

 青い空を背景に5層の天守閣が建っていた。

 周囲に桜の木と梅の木が植えられ、

 神社が建設され、

 紅い鳥居、燈籠、狛犬が建立され、日の本を思わせる。

 豊臣家は、蓬莱大君という肩書を付けることで、日の本と差別化し、

 大陸の勝ち組である清との結び付きを強めた。

 しかし、小さな島に過ぎず、城郭を建設する建材にも事欠くありさまで、

 より重要なのは政治制度より経済だった。

 蓬莱は、徳川幕府から禁忌扱いされ、取引相手は大陸と半島に限られる。

 無論、日の本との密輸は横行しており、

 琉球を経由するなどの不正を行使した結果、

 これだけ大きな街が、なぜ、小さな蓬莱島に作られたのかと思うほど整備されていた。

 清と南明の戦争は、蓬莱にとっての特需であり、

 造船と刀鍛冶、鉄砲鍛冶の産業を軌道に乗せてしまう。

 鉄砲鍛冶

 「重いな」

 「これ以上、軽くすると割れてしまいます」

 「そうか、もう少し軽くできるといいのだが・・・」

 「時々 南明から買った鉄分に銀白色、銀色のモノが含まれることがあって」

 「それが混ざると強い鋼になることがあるようです」

 「ほぅ それは面白いな」

 「ですが、まだ、安定させられません」

 「そうか、特別な技術が必要なのかもしれないな。原料は清国の商人に問い合わせてみよう」

 「大君。南明の滅亡は近いそうです」

 「それは困ったな。刀と鉄砲が売れなくなる」

 「いまのうちに鉄をたくさん買っておきましょうか?」

 「んん・・・日の本は南明を応援していたはずだが?」

 「はい、日の本の鉄砲と刀は、南明軍の兵装を支えていました」

 「しかし、明は、もう勢いがないようです」

 「困ったな。生活物資を購入できなくなると生活できない者が出てくるぞ」

 「鍋釜で生計を立てるしかないのでは?」

 「鍋釜だと高値で売れんだろう」

 「いっそ、海賊・・・」

 「ばれなければな。ばれたらこっちが危ないだろう」

 「確かに・・・」

 「しかし、困ったな船を作ろうにも森林がない」

 「利益になる鉄砲、刀の類は、もう売れなくなる」

 「いまさら漁師に転向というのはないか?」

 「そりゃ 釣りぐらいはしますが、漁は・・・」

 「どこか戦争でもないかな」

 「なにか、清国で売れ筋になりそうな商品を検討してみましょう」

 「そうしてくれ、このままだとガレオン船団も維持できなくなるぞ」

 「はっ!」

 豊臣残党は、既存の価値観を破壊する破天荒な想像力で、

 生き残りを賭けて自己改革を進めていた。

 

 

 インド大陸ムガル帝国

 7つの王国が連合した国家であり、

 第6代釈迦帝凰アウラングゼーブ(42)の治世だった。

 古代インドからの習わしなのか、

 インド大陸では、いくつかの王国を束ね支配すると釈迦帝凰を名乗った。

 その中でもムガル帝国は最大最強と言える。

 そして、釈迦帝凰のやる事は、最弱言語の殲滅。政教分離。カーストの弱体化だった。

 「西にオスマントルコ帝国。東に清国」

 「南は、小癪なマラヤラム王国とタミル王国か」

 「どうして、併合したものかな」

 「マラヤラム王国とタミル王国の武器と城塞は、強靭です」

 「わかっている。欧州の戦争技術なのだろう」

 「それと海軍力は、強力です」

 「どうしたものか・・・」

 「欧州では、フランスが主導権を握ったとか、取引してはいかがでしょうか」

 「んん・・・そうだな・・じゃ 大きな帆船を建造しないとな」

 「ですがダウ船はともかく、大型ガリオン船クラスとなると・・・」

 「んん・・・」

 

 
 1665年から1667年第二次英蘭戦争

 

 マラヤラム王国とタミル王国は、大国ムガル帝国の脅威に晒され、

 生き残りを掛け、大航海時代へと移行していた。

 マラヤラム王国はインド西南岸にへばり付いた王国であり、

 インド東海岸側タミル王国とは背中合わせだった。

 港からダウ・キャラック船、ダウ・ガレオン船が出航していく、

 ポルトガル、スペインのガレオン船に対抗するためなのか、

 舷側に大砲が並べられて積まれており、

 その気になれば、海戦も辞さない気概があり、

 事実、海戦がおこなわれれば損傷は免れず。

 ポルトガルとスペイン艦隊は、最低限、礼儀正しい対応が求められた。

 マラヤラム王国に蓬莱・ガレオン船が入港する。

 蓬莱がマラヤラム王国に入港したのは、

 日の本がタミル王国側と交易があると知っているからであり、

 日の本と対抗するためとも言える。

 蓬莱船

 「どうやら、30年戦争で欧州情勢が変わってしまったらしい」

 「神聖ローマ帝国とスペインが没落して、フランスが主導権を握りそうだ」

 「だけど、インド洋まで来てるのはフランスじゃなくて、オランダ船だろう」

 「まぁ フランスは、ムガル帝国のようなものだろう」

 「ムガル帝国ねぇ」

 「ムガルは清国とやり合うだろうか」

 「マラヤラム王国は、そうあって欲しいと望んでいるようだけどね」

 「たぶん、西のオスマントルコ帝国を警戒してるから、やらないだろう」

 「まぁ そういう謀略に簡単に乗る王国は、バカだろうがね」

 「しかし、大帝国の三つ巴なら売れそうだな」

 「あははは・・・」

 「だけど、インドのタミル王国、マラヤラム王国と」

 「欧州のオランダ、ポルトガル、スペイン、イギリスは」

 「南アメリカ大陸、アフリカ大陸、東南アジア・豪州を巡って、争奪戦を始めてるらしい」

 「印欧で海外領土の奪い合い?」

 「まだ本格的じゃないがね・・・」

 「帆降ろせ〜!!!」

 「・・・さてと、蓬莱製の武器弾薬は、マラヤラム王国で喜ばれるかな」

 「そうだな」

 蓬莱は小さな島でしかなく、人口も少なく、覇権戦争は考えられない国だった。

 それが故に交易による生き残りを模索し、海外交易を広げようとしていた。

 

 

 1670年

 樺太

 松前藩は、大泊から内陸の豊原へと拠点を移していた。

 西洋式の稜堡式城郭(星型要塞)を拠点に城下町が建設されいた。

 しかし、30年戦争。ロシア・ポーランド戦争の戦訓などから

 要塞の価値が疑問視され始める。

 稜堡と呼ばれる城塞都市から突出した小要塞も大砲で潰される可能性も出てきていた。

 「大砲と砲弾がそんなにあるとは思えないが?」

 「日本と蓬莱だけでも50万丁くらいの鉄砲を清と明の戦争で売却してるし」

 「ムガル帝国にも売却してるらしい」

 「日の本は、いつから武器商人になったんだ」

 「“金” があれば治水、造成がしやすいし、城だって作れるだろう」

 「城ねぇ」

 「大砲の威力は大きくなっていくし」

 「これからの城は、地下道を組み合わせていくと思うね」

 「水を流し込まれて、溺死させられないか?」

 「その辺は、上手く作るよ。それに寒さ対策になるし」

 「確かに寒いのは嫌だな」

 

 

 

 1672年から1674年第三次英蘭戦争

 

 1675年

 北アメリカ大陸

 先住民族と白人の紛争は増大していた。

 ウィリアム・バークリー総督は、宥和政策を提唱した。

 しかし、植民地評議会議員ナサニエル・ベイコンは義勇兵を募り、先住民族を殺戮した。

 バークリーとベイコンの対立は深まり、内戦へと移行した。

 結果的にイギリス艦隊の攻撃を受け、ベイコン軍は殲滅されてしまう。

 事態を重くみたイギリスは、北アメリカへの開発を急がせていく。

 ウィリアム・バークリー総督総督と艦隊司令は、上陸してくる入植者たちを見ていた。

 「本国は、随分と思いきった北アメリカ入植を進めるな」

 「アフリカ大陸でタミル人とマラヤラム人と競争してるからだろう」

 「喜望峰を巡って、睨み合ってるらしいな」

 「じゃ アジア貿易は北米を経由してになるのか」

 「インド洋にいけないこともないが足場が少ない。そういうことだろうな」

 「インド艦隊は強いのか?」

 「イギリスは大砲や船の大きさと戦意の高さで勝ってる」

 「しかし、インド艦隊は、チーク材を使っていて有利」

 「あと、横風を使った戦術に巻き込まれると負けることもある」

 「おかげでスパイスが値崩れしなくていいけどな」

 「ふっ」

 「とにかく、イギリスは、北アメリカ大陸を押さえて、太平洋までの航路を確保したいそうだ」

 「フランスとオランダも、北アフリカを狙っているんじゃないか」

 「ああ、戦争になるな」

 「インディアンは?」

 「まぁ 上手くやって欲しいそうだ」

 「上手くね・・・」

 

 

 

 清国

 康熙帝(こうきてい)は、日本から献上された日本酒を飲みつつ、

 旧明軍で清国に協力した三藩王の剥奪を目論んでいた。

 「三藩の特権を奪えば、反乱を起こすのではありませんか」

 「このまま特権を認めても増長するだけだ」

 「しかし・・・」

 「日本と蓬莱から武器を調達しておけ」

 「御意」

 1673年

 呉三桂(雲南)、尚可喜(広東)、耿精忠(福建)の三藩の乱(〜1681年)が起こり、

 台湾の旧明軍の鄭経も反乱を起こした。

 この三藩の乱は、冷え込もうとしていた日本、蓬莱の交易と経済を助けることになった。

 武器弾薬を積んだ朱印船、蓬莱船は、清国、三藩へ武器を調達し、

 その度に莫大な利益を上げて行く。

 

 

 1680年

 舟山諸島。

 大小1339の島々の陸地面積は、1371ku。総水域は22200kuに達した。

 最大の舟山島(476ku)は、日本の城下町が建設され日清両国の窓口となっていた。

 舟山諸島の交易権益と海洋権益は膨大で、三藩の乱の情報収集でも有利であり、

 島であることから不測事態にも対処しやすかった。

 清国は、日の本の舟山諸島領有を認めていなかったものの、

 江戸幕府と南明の間で正式な調印がなされ、

 島々に並べられた大型大砲を知ると窮する。

 清国は、三藩の乱で呉三桂と攻防を繰り広げており、

 一時は、満州へ避難を考えるほど苦戦していた。

 さらに日本が供給する武器弾薬は良質のものが多く、

 日本との対立が深まれば、日本製の武器弾薬が三藩に流れてしまう危険も大きかった。

 最大は、清国が化外の民によって建国されていたことであり、

 国境の存在を認めない中華思想にまだ染まっていなかったことが挙げられた。

 そのため、小さな島を巡って日の本と戦う気はなかったのか、見逃されてしまう。

 

 とはいえ、いつ、清国が豹変して攻撃してくるかわからず。

 幕府は、舟山島といくつかの島々の造成を繰り返し、城塞を増築していた。

 中国大陸との交易を集中する舟山は、次第に大きくなり、

 地位と収入に誘われるかのように日本人の入植が進み、

 商人も常駐する。

 舟山は、清国の物資と日本の物資が集積し、取引の精算がなされ、

 日清交易の中心となり数十万の日本人が住む世界となり、蓬莱を超える産業に育っていた。

 揚子江を行き来するジャンクと朱印船が鉄鉱石と石炭を運びこんでくる。

 海で獲れた幸が市場を賑わし、

 日本料理と中華料理の両方が食された。

 この時期、比較的大きな島

 舟山島(476ku)。岱山島(105ku)。六横島(93ku)。金塘山(77ku)

 朱家尖島(62ku)。衢山島(59ku)。桃花島(40ku)。大長涂山(33ku)

 の開発が進み “八島” と呼ばれることが増えていた。

 八島城 舟山所司代

 「どうだね。新型ガレオン船は?」

 「タミルから輸入したチーク材で建造しましたから。長く持ちますよ」

 「綺麗な軍艦と聞いたが?」

 「ええ、戦闘で傷付けられたくないですね」

 「そうも言ってられんな。三藩の乱も終わりが見えた」

 「清国水軍が攻めてきたら、一巻の終わりかもしれないぞ」

 「大筒がありますれば、大丈夫かと」

 「不安だな。江戸に、この不安が伝わればいいがね」

 「鉄と石炭の集積所でもありますし、幕府にとっても価値のある島では?」

 「戦って土地が得られるのならそうだが、守るばかりでは恩賞も与えられんからな」

 

 

 江戸城は、明暦の大火(1657/03/02〜03/04)から再建されていた。

 23年も経った今では、川の周囲10間(18.18m)が共有地となって樹木が植えられ、

 5間(9.091m)道で区画が区切られていた。

 緑地は幕府の管理の下、江戸の民に解放され、江戸の街は郊外へと広がっていた。

 江戸湾にタミル王国のダウ・ガレオン船が入港する。

 象と虎が降ろされると大名行列のように紅い鳥居の下をくぐって行く。

 江戸っ子は、物珍しげに群衆を作って見守り・・・

 旗本たちは、吉原の2階から見下ろしていた。

 「「「「おー 象か、凄い、凄い」」」」

 「少しは、海外に対する刺激になるかな」

 「好奇心は、海外雄飛の動機で弱いかと」

 「何かの足しにはなるだろう」

 「大航海を成功させた国は、国情で、いくつか動機があります」

 「欧州はスパイス欲しさと信教の自由を求めての逃亡」

 「インドは、大陸国家ムガル帝国の脅威です」

 「日本は、いまのところ改易と貧しさ、くらいだろうか」

 「脱藩者は、蓬莱に行くことが多いようですし」

 「東南アジアの日本人街も増加傾向をみせています」

 「んん・・・東南アジアはタミル王国とマラヤラム王国の方が近いし、インド人は商売上手」

 「イギリスとオランダは戦争上手だ」

 「日本は、立ち行きにくいな」

 「アフリカ大陸で印欧が衝突している噂もありますし、日本も・・・」

 「んん・・・イギリスの戦列艦は、タミル船の2倍。朱印船の4倍も大きいそうだ」

 「大きくて強ければいいってもんじゃないさ」

 「まぁ 物を安く速く運ぶ方が利益にはなるけどね」

 「だいたい、金、銀を持ち出せないで、取引って、そこまでしてたら進んだ技術が入んないだろう」

 「舟山では持ち出した金が手元に残っていたらいい事にしてるけど」

 「それだって、不自由だよ」

 「ところで、清国の康熙帝はどうなの?」

 「んん・・・覇気の強い皇帝だし、三藩の乱を終わらせたら次は、日本かも」

 「大丈夫なのか」

 「武器を供給することで舟山領有の安堵は、貰ってるけどね」

 「なんか、情報を聞くと、康熙帝(こうきてい)は、危なそうだな」

 「先に台湾じゃないかな。明を継承してるから滅ぼしにかかると思うよ」

 「手伝わされたりして」

 「利権さえもらえるなら手伝っても良いけどね」

 「でも、台湾を清国に押さえられると怖いよ」

 「化外の民は清国皇帝の民ではないはずだけど」

 「清国が中華思想に染まっていれば、そう思ってくれるかもね」

 「もう、ムガル帝国と戦争してくれないかな」

 「「「うんうん」」」

 

 

 

 1683年

 清国は、台湾を占領する。

 

 

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 月夜裏 野々香です。

 180万HIT記念作品です。

 仏教のない世界と日本です。

 日本史でも仏教の役割は、大きいわけで、

 仏教の三法印

   「諸行無常」  物事は、定まることなく変化する。

   「諸法無我」  法則によって心身(我)が造られ形成される。

   「涅槃寂静」  “我” を解放することで、欲望をコントロールできる。

      +

   「一切皆苦」  苦しみから抜け出す動機が行動に繋がる。

 こういった内容が日本民族から、そっくり消えてしまうわけです。

 仏教ないと精神的な面で、いまの日本民族と隔絶し、 

 儒教、神道(八百万の神)、道教(陰陽)が強くなり、

 精神的な在り様をキリスト教、ヒンズー教、イスラム教が埋めると思います。

 

 世界史でも仏教は、キリスト教・イスラム教と並んで三大宗教と言われてますし、

 こういう世界は、かなり怖い気がします。

 ていうか、かなり嫌な気質の日本民族でしょうか。

 儒教、神道、道教で仏教のない側面を補完できれば良いのですが (笑

 神道と儒教が強いので天皇の威光は、史実より強いかもです。

 一話短編ですが気が向いたら、この世界も書いていくかもです。

 

 

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架空歴史 『釈迦帝凰』

第01話 『釈迦、出家せず』

第02話 『群雄割拠前哨戦』