月夜裏 野々香 小説の部屋

    

架空歴史 『釈迦帝凰』

 

 第02話 『群雄割拠前哨戦』

 1683年

 ムガル帝国ムンバイ港

 チーク木50000本が切られ、

 世界最大の4000t級ガレオン帆船(全長63m×全幅15m×吃水8.50m)8隻が建造されつつあった。

 ルンビニー、ボードガヤー、サールナート、ラージギール、

 サヘート・マヘート、サンカーシャ、ヴァイシャリ、クシーナガラ、

 24ポンドカノン砲90門を三層の両舷に上段20門、中段30門、下段40門と配置していた。

 欧州が軽砲を上層段、中砲を中層段、重い重砲を下層段に配置し、重心を下げたのに比べ、

 インド船は、砲の重さでなく数を減らすことで重心を下げ、中砲で砲弾を統一、

 統一射撃を可能にしていた。

 惜しむらくは、ムガル帝国が大陸国家であり、

 海洋支配に対し、真剣でいられないこと、

 船乗りのベテランはいても、海戦のベテランがいなかった。

 とはいえ、軍用船を何百隻も建造するより、

 最強の大型ガレオン船を十数隻揃えて定期更新していく方が国家財政で楽であり、

 計算高いインド人は、それを実践する。

 ムガル帝国と南インドの国力比は10対1と言われ、

 7王国の連合体のムガル帝国は、優位性を保っていたものの結束が弱かった。

 中央集権のやり方は、税と任命権などの利権があり、

 各々の王国の自治権は、おおむね5割程度、

 王国財政の半分がムガル帝国に搾り取られていた。

 ムガル帝国は、王国の離反を恐れ、兵力を派兵させるより、

 軍用船を建造させる方がよいとなった。

 ムガル帝国言語7王国

 ヒンディー王国、ベンガル王国、

 グジャラート王国、ウルドゥー王国

 マラーティー王国、テルグ王国(ドラヴィダ語族)

 カンナダ王国(ドラヴィダ語族)

 王国間の対立は続いていたものの

 これ以上の言語統合は、無理と妥協され、

 ヒンズー教とイスラム教の対立を押さえ込んでいた。

 第6代釈迦帝凰アウラングゼーブは、巨大なダウ・ガレオン艦隊を見て感心する。

 単艦で世界最強のガレオン船を8隻。

 この艦隊なら南のマラヤラム王国とタミル王国の制海権を奪い。

 外交で優位性を確立できると思えた。

 「少し、マストが高いように思えるが風で船が引っくり返らないであろうな」

 「竜骨を大きく下に張り出してますし、船底に重石を下においてますれば・・・」

 「んん・・・この軍船なら勝てそうだな」

 「蓬莱は重石が鉄鉱石と石炭なら購入すると」

 「んん・・・まぁ それもよかろう」

 「あと、大型艦は機動性が悪く」

 「舷側に大砲が固定されて、死角があるので、質より数の優勢は確実です」

 「そういう、考えもあるのか」

 「ですが財政を考えるなら。数を制限すべきでしょう」

 「清国とオスマントルコが我がムガル帝国を脅かす事はないだろうな」

 「ムガル帝国が対南インドで消耗しない限りは、大丈夫かと思いますが」

 「そのための大型ガレオン船だ」

 

 

 アフリカ大陸 ケープタウン港

 タミル船、イギリス船、オランダ船、マラヤラム船が停泊していた。

 右側通行が印欧で航海法で決まったのもこの時期で、

 上陸している人間も、印欧混在で、現地の狩猟民族の黒人をカモにしていた。

 

 タミル船

 日本人が乗っていた。

 ドラヴィダ語族は、日本語と比較的似ており、

 特にタミル語は、語順が主語、目的語、動詞、助動詞、助詞と似て、

 比較的、覚えやすく、友好関係も保ちやすかった。

 似た様な理由で蓬莱の日本人もマラヤラム王国と関係を強めていた。

 もっとも、言葉が理解し合えても仲が良くなるか、喧嘩になるかは、別で・・・

 「こりゃまた。世界中の帆船が集まっているな」

 「白人は入植に躊躇しているが、タミル人は白人の半分も躊躇していない」

 「タミルが勝つよ」

 「日本じゃ そういうの50歩100歩というんだが」

 「大きな違いだよ」

 「どっちがたくさん取れるか、陣取りの累積計算を教えてやろうか」

 「ふっ インド人と算術しても勝ち目がないことは知ってるよ」

 50歩100歩がタミルで違う意味になったことは、別の話し、

 「日本の船は喜望峰に来ないのか?」

 「遠過ぎて採算割れだろう」

 「日本は、まだ “金” と “銀” の持ち出し制限してるのか?」

 「最近は、制限枠が少し増えたけど。不便でしょうがない」

 「軍人も商人も丸腰じゃ戦争できないぜ」

 「だな・・・」

 「南アフリカは、金とダイヤが取れるらしいぞ」

 「ほんとうか♪」

 「そのうち、四巴で戦争になるぞ」

 「金・ダイヤ戦争?」

 「たぶんね」

 「日本は、鉄鉱石や石炭の方が欲しいね」

 「あははは・・・だから俺らに武器弾薬を売って稼ぐわけか」

 「ははは・・・」

 

 

 

 

 蓬莱

 人口20万が住んでいた。

 大阪城に基盤を置いていた最盛期の豊臣は消え失せ、

 いまでは、水が得られにくい小さな火山島の領主に過ぎない。

 もっとも、日本から切り離され、

 蓬莱大君と肩書きを付けた独立国だった。

 朱印船貿易から外れていたものの、

 金・銀の持ち出し制限のある日本の商人に一時金を貸し出し、

 東南アジアの日本人街と取引し、

 日本の闇経済の3分の1は蓬莱島が関わっていた。

 蓬莱は、水田に向かず、代わりにミカン畑が広がる、

 小藩ほどの大きさながら工業と商業で伸び、ガレオン船30隻が運用されていた。

 大阪城から持ち出した元手の資本が莫大だったとはいえ、

 蓬莱産業は、軌道に乗り、収益を上げていた。

 「台湾が清国に占領されてから売り上げが落ちたな」

 「日用品では、数を増やしても大きな利益になりませんね」

 日本が踏ん反り返った役人の受身仕事で、舟山を中継にした取引に集中し、

 蓬莱は、小国の領主であるため商才が求められ、

 常にどうやったら利益を上げられるか追求され、

 蓬莱船は、頻繁に清国の港に入港して、取引を繰り返していた。 

 他国が自国の利益になるモノばかり運んでいた時代。

 蓬莱は、運賃さえもらえるなら、国籍に関係なく、商品を積んで運び、

 採算率を増やし、収益を伸ばしていた。

 とうぜん、国家にとって面白くないモノまで運ぶため、

 目を付けられたりもするが清国は、奸臣どころか、

 皇帝すら私腹を肥やす国だった。

 まして、中国民衆は、食うや食わずで、愛国心より衣食住だった。

 蓬莱は、武器弾薬を輸出した時のコネを利用し、

 短筒を中国闇社会に供給していく。

 

 

 

 

 

 舟山 (八島) 諸島

 八島城(星型城塞都市)

 稜堡と呼ばれる城塞都市から突出した小要塞と地下で連結されるようになり、

 城塞は、大砲の直撃を恐れるかのように外に向かって伸びて行こうとしていた。

 しかし、 大砲の大型化と量産化に伴い、城塞都市の相対価値は低下する。

 30年戦争。ロシア・ポーランド戦争の戦訓などから要塞の価値が疑問視され、

 外に伸びた小要塞(稜堡)も大砲によって一つ一つ潰される恐怖からか、

 地下施設は拡充していた。

 とはいえ、清国に対し、示威としての城塞は、必要であり、

 日本風の天守閣が造られていた。

 そして、天守閣は、平時の舟山所司代館と迎賓館を兼ねていた。

 なので清国の役人が接待される。

 「朝貢外交は日清関係の友好を損なうものと思いますが?」

 「中国歴代王朝の伝統ある、朝貢外交を損なえば威信を失うある」

 「それを言うなら、日本は、以前より朝貢外交をしていなかったはず」

 「・・・清国の恩寵は大きいある」

 「ですが、これまで通常交易をしていたのではありませんか」

 「そ、それは、明との戦争と内戦で仕方なくだったある」

 「武器弾薬を供給するとき朝貢しなくてもいいと・・・」

 「日本は、華夷秩序を破壊しているある」

 「このままだと冊封できず、日本は化外の民ある」

 「「・・・・」」

 

 清国の需要は膨大だった。

 集積所だった島々は、好むと好まざるとに関わらず、

 量産しやすい手工業産業へと転換し、

 優良な漁場と合わせ莫大な利益が転がり込んだ。

 舟山島の城下町は収入に比例するかのように大きくなり、

 八島神社が建設されていた。

 「規模は、伊勢神宮か、出雲大社か、って感じかな」

 「神社なんて、平定した地を祭ったのが始まりじゃないの」

 「熊襲とか、隼人とか、後ろめたさの象徴だよ」

 「いや、日本人の善良さの証だよ」

 「少なくとも墓を暴いたりせず、神に祭りあげてる」

 「ふっ 豊臣神社を作らなくて良かったな」

 「あいつら最近は、インドまで行ってるらしい」

 「そんなに利益が上がるものがあるのか」

 「南インドは欧州と戦争になる前に日本を味方につけたがってるのさ」

 「ふっ」

 「それより当面は、清国じゃないか、下手すれば潰される」

 「それはどうかな、八旗軍は、確かに世界最強だよ」

 「だけど、少数民族の満州族が漢民族を押さえるのは大変なはず」

 「三藩の乱を見てもわかるが、見掛けは巨大でも中身は薄まっている」

 「だと良いがね」

 中国産の道教の道観、儒教の倫堂も少ないながら建設され、

 日清の間で定期的な交流も始まっていた。

 

 

 1683年 第二次ウィーン包囲 (〜1699)

 オスマン帝国の欧州攻勢が始まり、

 神聖ローマ帝国の首都オーストリアを包囲。

 オスマン帝国 VS オーストリア、ポーランド、ヴェネツィア、モスクワ大公国(ロシア)の戦いは、

 欧州中部諸国の命運を賭けた総力戦となって行く。

 

 

 

 1685年

 アフリカ大陸 ケープタウン港

 近攻遠交は、一つの戦略であり、

 印欧列強は、それぞれ、欧州、インドと独自のパイプ築いて、競り合っていた。

 もっとも、高潔崇高な国家戦略は、ともかく、

 感情的な確執と対立も存在する。

 欧州勢は、増大するタミル人とマラヤラム人の入植に焦り始めていた。

 また人の象が埋め込まれたタミル美術は、欧州勢の美観に適わないのか、

 顔も曇り始める。

 入植したマラヤラム人とイギリス商人が取引が拗れて衝突した。

 衝突は、約束のモノと違うとか、騙したな、とか、

 ありふれた情景から始まり、

 いつものことかと思えば、もう、我慢ならんといった者たちの人だかりが増え、

 数で圧倒的なタミル人とマラヤラム人と

 質的に優勢なイギリス、オランダの緊張状態が高まっていく、

 荷馬車三台分の取引のイザコザから始まった紛争は、拡大し、

 ほどなく戦闘となって、その数千倍の損害を双方にもたらそうとしていた。

 もっとも衝突の火種は数多く転がっており、

 たまたま、荷馬車三台分の時、発火下に過ぎない。

 1200トン級タミル船3隻、1000トン級マラヤラム船2隻の縦列と

 1500トン級イギリス船2隻、1200トン級オランダ船1隻の縦列は、敵を左舷にして向かい合い。

 擦れ違いざまに帆船同士の砲撃戦が始まる。

 砲声と砲煙。

 そして、爆発と木切れが吹き飛びガレオン船が破壊されていく。

 大砲の多い欧州船と大砲の少ないインド船の違いは、砲撃戦で現れ、

 タミル船が大破してしまう。イギリス船は小破してしまう。

 互いに相手の死角に回り込み、必殺の一撃を加えようと、大きく旋回していく、

 インド船は横風を利用して、欧州船の死角へと回り込み砲撃を加え、

 欧州船は、追い風を利用してダッシュを掛け、

 インド船の風上を塞いでインド船の船足を落としていく、

 近付けば火縄銃でも届く距離であり、

 双方とも射程外に出るまで撃ち合いが続く、

 互いに巧みな操船で戦術機動を強行し、

 被害を顧みず、粘り強く砲撃と銃撃を加える。

 砲声がするたびに船体は被砕し、兵士が倒れ、

 遂にはマストが崩れ落ち火災が起こる。

 地上でもインド勢と欧州勢の間で銃撃戦が始まっていた。

 旧式のマッチロック(火縄)式) VS 新型のフリントロック(火打ち石)式の銃撃戦

 こちらは、数の多いインド人が、戦闘能力高い欧州勢を圧倒していく。

 戦闘の翌日、港に浮いていたのは、大破したイギリスのガリオン船一隻だけであり、

 残りは全て沈んでいた。

 地上戦は数日続き、イギリス、フランスが降伏してしまう。

 イギリスとオランダは、この “喜望峰の戦い” で南アフリカの足場を失っていく。

 オランダは、インド洋で衰退しつつもムガル帝国を支援し、

 イギリスは、北アメリカ支配に傾倒し、

 太平洋航路を押さえているスペインの収益を伸ばしていく、

 

 

 

 フランス。

 この時代、フランス国王ルイ14世は、太陽王と呼ばれ、

 ブルボン朝は、領土と植民地を拡大させて、最盛期に当たっていた。

 しかし、30年戦争と引き続く戦争は、重税を必要とし、

 庶民だけでなく貴族にまで税がかかると反乱が起こるなど、

 国の隆盛は、貧富の格差を広げただけだった。

 日本人たちが “王の庭園鑑賞法” を片手にヴェルサイユ宮殿を呆然と見つめる。

 なんと、庭園が一般公開され、入園することも可能だった。

 「なんとまぁ・・・」

 「フランスは、本当に30年も戦争していたのか」

 「北アメリカのヌーベルフランスは、イギリスの領より大きいらしいよ」

 「世界征服でもするのかな」

 「フランス貴族は、皆ここに住むんだと」

 「領地経営は?」

 「代理にやらせてんじゃないか」

 「しかし、凄い」

 「厠はどうするんだ?」

 「シャンゼリゼ通りと同じ。その辺でするんだと」

 「川のある場所に作れよ」

 「やめてくれよ。ぶっかけられそうになったんだぞ」

 「あははは・・・ウンが良かったな」

 「あほ。あれを全部集めて農地に持って行ったら大儲けなんだぞ」

 !?

 「「「「おぉおおおお〜!!!!」」」」

 数ヶ月後、日本からその種の職業人数千人がフランスに上陸し、

 日本人が始めたウン送業は、汚物に塗れのパリを救い。

 パリの街に作られた公衆トイレを管理し、

 衛生状態を改善してしまう。

 その後、糞尿処分場として農地を経営するようになると、

 フランス農地の収穫を引き上げ、

 日本人たちに莫大な利益をもたらした。

 日本人のフランス入植は、需要に従って増大し、

 荷馬車に乗せられた肥料は郊外へと列を成し、

 郊外から戻る荷馬車は、穀物が載せられていたのだった。

 どんなモノに載せられていようと、フランスの食材価格は急速に低下し、

 その事でフランスの経済は再建に向かう、

 日本人は、フランス人のやりたがらない仕事を積極的に引き受け、

 ルイ14世の裁可の下、農地経営を可能にさせ、

 事業拡大に伴って、日本人のフランス居住者は増えていた。

 日仏関係は徐々に強まり、

 フランスで利権を得た日本人の居住地は、地方へも広がって行く、

 日本人が増えるにしたがい糞塗れだったシャンゼリゼ通りは、綺麗な通りへと変貌し、

 フランス人の表情も明るくなっていた。

 フランス人が珍しげに日本の建物を見つめる。

 “銭湯” と書かれた公衆浴場は、その後、洗濯場も兼ね、

 さらにコミュニティの場ともなっていた。

 

 “柳生新陰流” と書かれた道場は、フランス人の興味を惹いたのか、

 面白がって糞集めの日本人と竹刀を向けあった。

 その日、コテンパンに打ち負かされたフランス人は100人を超え、

 その中にフランス竜騎兵もいたのだった。

 時代は、マスケット銃に銃剣が付けられたころであり、

 剣術の価値は相対的に低下していた。

 とはいえ、銃口先込めの火縄銃の時代で1分に4発撃てればいい方であり、

 集団同士の合戦ともなれば、狙いを定める暇もなく、

 命中率は低下する。

 当然、剣術も必須の時代だった。

 日本の剣術は、面白がられ、

 庶民は、貴族のブロードソード、サーベル、レイピアに対抗したいのか

 日本刀を好み始めた。

 最初、実戦的でない剣術とたかをくくっていたフランス将兵も、

 日本刀の威力を見ると顔色を変える。

 切っ先の鋭さでサーベルに劣るものの既存の剣より速く、

 まともに打ち合えば叩き折られる。

 日本刀に合わせた剣術は大成していたといえる。

 フランス人たちは、日本刀をためつすがめつ扱っていた。

 「清国内戦時のフランス武官の噂は、本当だったのか」

 「銃剣の方がいい」

 「もちろんそうだが、銃剣は日本製にしたいね」

 「銃と剣の比重は悩まされるところだな」

 「しかし、糞集めの日本人に負けたのは癪だな」

 「剣道のルールじゃ勝てんよ」

 フランスは、日本製の刀剣をジャエペと総称し、フランスの武器体系に取り込んでいく、

 

 

 17世紀初頭

 東シベリア全域は、先住民が部族ごとに独自の文化を築いていた。

 そこにモスクワ大公国(ロシア帝国)、清国、日本など、

 多様な社会を強固な組織力で統一した封建社会が侵食していた。

 高度な文化を持つ国家が低俗な文化圏を吸収していく光景は世界中で見られ、

 東シベリア地域も例外ではなかった。

 無論、低俗な文化とはいえ、

 食べ、眠り、家族や友と語り合う社会生活は変わらず、

 支配層と被支配層の交流も等身大同士で行われ、

 先住民が被支配階層へと押しやられていく過程は性急でなく、

 かといって、緩慢でもなかった。

 もちろん、無地主だからと言って簡単に領土を広げられるわけでもない。

 領土拡張も金が必要だった。

 そして、幕府財政は火の車となっていた。

 頼りとしていた佐渡金山は、1601年に発見され、

 金と銀の採掘は最盛期を過ぎ、生産が縮小していた。

 幕府が使える小判と丁銀は国外流出の金、銀、銅を制限しても減っており、

 商人に北海道と樺太の特権を認めつつ、開発させていくしかなかった。

 とはいえ、小判、丁銀を生産できなくなると、

 国内は出回る小判と丁銀の争奪戦は激しさを増し、

 市場に出回る小判、丁銀が減り、相克経済となっていく、

 無論、清明戦争と続く清の内戦で武器輸出を行い、

 莫大な金と銀を得ても商人が豊かになるばかりで幕府が直接使える財政といえず。

 舟山の賃料を徐々に増やすとしても、

 舟山は、防備が手薄で、まだ投資しなければならない情勢だった。

 

 

 樺太 松前藩

 豊原城塞の建設が進んでいく、

 人口比はオホーツク人と日本人が圧倒的に多く、

 清国人とロシア人は少数派だった。

 樺太は、まだ先住民の世界であり、国境線もはっきりせず、

 列強各国の商人が混在し取引が行われていた。

 紅い鳥居は日本の世界である事を主張しているものの、

 世界を決めるのは、人と人との力関係と言えた。

 樺太のロシアの狩猟業者と清国商人から様々な情報が漏れてくる。

 商取引はともかく、国境線が決めるとなれば国家と国家のエゴとエゴがぶつかり、

 軍隊が動き、僅かな躊躇を含んだ理不尽な戦闘が始まる。

 モスクワ大公国の南下と清国の反撃は、毎年のように規模が増大していた。

 大陸では、ロシア軍が建設したアルバジン砦を巡って清露紛争が始まっていた。

 この年、清国軍はロシアのアルバジン砦攻撃し破壊していた。

 (ピン = アルバジン砦)

 幕府は、夏季に人足を送り込み、

 豊原城の増築と居住地の建設を始める。

 城下町が一定の規模を超えると、

 さらに北方に日本人街が建設されていくはずだった。

 豊原城

 「モスクワ大公国は、極東に向かっているのか」

 「いずれは、樺太まで来るかと」

 「日本人、オホーツク人、清国人、ロシア人か」

 「キナ臭いことにならなければ良いが」

 「樺太は、オホーツク人もいますし、まだ国境線がはっきりしてませんからね」

 「ロマノフ朝第5代ツァーリは、ピョートル1世だったな」

 「狩猟業者の風潮では、ピョートル1世は6尺6寸(2m)を超える巨漢だとか」

 「ふっ ロシア狩猟民の体格からすると疑う事もなかろう。むしろ自然だな」

 「体の大きさは、臣下の威圧で有利ですからね」

 「しかし、覇気の強さは、清国の康熙帝(こうきてい)といい勝負かもしれんな」

 「どうせなら清露で相打ってくれれば楽なのですが・・・」

 「武器も売れるしな」

 「いっそ、樺太の専有を宣言してはどうです?」

 「まだ先住民が多く、未開拓地が広がっているのにか」

 「北端に街を建設すれば良いではありませんか」

 「まぁ そうだがね。金がない」

 「ふっ♪ 確かに20万両は都合付きそうにないですかね」

 「新造の小判は品質を落とさず。小さくするらしい」

 「誤魔化しだな」

 「問題はオホーツク民ですかね」

 「いずれは、同化していく、衰滅させていくことになるかもしれないが・・・」

 「やっぱり、すぐというわけにはいきませんね」

 「シャクシャインの件もあるし。我々も好んで血を見たいわけじゃない」

 「あまりのんびりしていると、清か、モスクワ大公国の軍が押し寄せてくるのでは?」

 「そうなんだがな・・・」

 樺太の空に小雪が降り始めた。

 見下ろせば、内地へ帰還する人足と越冬する人足に分かれつつあった。

 越冬に必要な兵糧は、足りており、

 越冬する人足は、地下道を掘り進む仕事があった。

 東海岸側で、石炭を発見したという報告を寄せられており、

 次の夏季には、大規模な探鉱開発が始まるはずだった。

 

 

 イギリス、名誉革命

 

 

 インド大陸でムガル帝国と南部連合の戦いが行われていたように、

 欧州大陸でも欧州最強となったフランスとフランスを包囲する同盟国の戦いが始まる。

 反フランス大同盟戦争(1688年〜)

 

 

 

 ネルチンスク条約 (露清条約)

 モスクワ大公国(ピョートル1世)と清国(康熙帝)の間で国境線が定められていく。

 ロシア人の南下は、外興安嶺(スタノヴォイ山脈)とアルグン川で防がれ、

 北東側へと伸びて行くことになった。

 日本の樺太は、清国領の外満州の対岸に位置し、

 樺太は清国との焦点の地となって行く、

 樺太 北端の地 御端(オハ)

 御端の由来は、現地語で、悪い水であり、原油が出ることにあった。

 10万両もかけた御端城塞と城下町が建設されていた。

 通常の大名藩は城に住む者が街を支配している。

 しかし、商藩は、城に住む者がタダの守り手に過ぎず、

 街を支配しているのは商人たちだった。

 商人たちが投資を回収しようと土地を巡る、

 誰でも千両注ぎ込めば、1千両以上の資金を回収しようと駆け巡るのであり、

 それは、商人に限らない。

 厳密に言うなら特権はあるものの、

 街の人口が増え、社会資本が増えない限り、投資の回収は不可能だった。

 だからと言って、日本が不利とばかりは言えない。

 モスクワ大公国は、外征の限界で、

 清国は、少数民族による多数民族支配の限界だった。

 そして、日本の城塞建設は、平穏に進んでいく、

 これは陸続きでない島だったからできたことで、大陸側に渡ればただでは済まないのである。

 もっとも日本もオホーツク人を支配下に置いたわけでもなく、

 清国商人とロシア狩猟業者も同居している。

 いずれ、日清の間で国境が敷かれるにしても、

 いまのところ後回しで済まされる状況と言えた。

 「ぅぅ・・寒いな」

 「サウナを作って良かったよ」

 「日本の一番寒い北ですからね。もっと予算を注ぎ込んでもらわないと」

 「商人どもは、幕府が金を注ぎ込まない限り、これ以上、投資したくないと」

 「くっそぉ〜 連中の道理に従ってられるか」

 「しかし、無理をされると、商人の協力が得られなくなりますが」

 「その時は庶民を味方につけてだな・・・」

 「庶民も金を得たら簡単に手放さなくなりますよ」

 「そ、それはそうだが・・・」

 「それに千島側にも商藩を作るそうだ」

 「予算減るじゃないか」

 「“金”が増えないと市場を広げられんからな」

 「幕府が予算を引けば生きていけなくなる樺太は、お荷物扱いだからな」

 「商人が特産品を開発しない限りね」

 「そういえば、燃える水は?」

 「んん・・・灯籠に使うと匂いが強過ぎるし、黒煙があがるし・・・」

 「このままでは、使えませんな」

 「そうだな」

 

 

 

 1690年

 戦列艦の建造は森林を伐採し、植樹をしなければ禿山を作る。

 海外覇権のため100年物の大木が切られ、国土から森林が消えて行く、

 イギリス、オランダ、スペインは自然を支配することに躊躇せず、造船に積極的だったのに比べ、

 日本、タミル、マラヤラムは、自然との融和を尊重してるのか、森林伐採を躊躇していた。

 また日本刀の量産も大量の木炭を消費する為、

 日本刀の需要が増えるに従って、木材資源の割り振りで衝突が起きた。

 もっとも、海外領の産業が軌道に乗れば海外地の森林を伐採し戦列艦を建造できた。

 イギリス、オランダ、スペインは遠慮せず、森林を伐採していく。

 そして、日本と蓬莱は、購入できる木材があるのなら遠慮せず購入していた。

 

 

 日本

 金と銀の流出を制限したことで、日本国内の金と銀の減少が抑えられ、

 社会資本は、庶民生活を安定させ、同時に貧富の格差を広げた。

 もっとも、貿易商人は、嵩張る現物を船で運び、

 売って資本を手に入れた後、商品を購入するため、

 船に工芸品が載せられて出航していく、

 国内物価は高騰を招き、庶民は苦しいまま取り残される。

 結局、幕府の小賢しい制度は、国民生活へと跳ね返る。

 幕府は、100万両近い金を樺太と舟山諸島に投資しなければならず。

 治水工事、街道補修は、幕府の財政をひっ迫した。

 その金は、どこに行くかと思えば、銀行制度がないため、

 投資がなされにくく、新富裕層は資本を抱え込んで金にしがみ付く、

 幕府の力は相対的に低下し、回収も困難となった。

 もっとも、舟山は、膨大な利益を上げていることに変わりなく、

 相応の投資が行われていた。

 江戸城

 「フランス国が日本人を大量に雇いたいらしい」

 「農奴じゃなかろうな」

 「糞集めに逃げられては、フランスも困るそうだ」

 「糞集めでか」

 「それで成功しているのなら悪くなかろう」

 「日本人で農地経営をしている者もいるらしいし」

 「欧州に足場があるのも悪くない」

 「それはそうと、欧州航路に日本船を使いたいらしい」

 「そんなことをすれば、採算割れだろう」

 「それが、ケープタウンの印欧海戦でな」

 「商売がしにくく、スパイスは高騰しているそうだ」

 「まだ拗れてんのか、しつこいねぇ」

 「蓬莱は既に参入してるらしいぞ」

 「あいつら変に目敏いからな」

 「だけど、インドでも南部連合とムガルの戦争が始まってるらしい」

 「意外と商売で利益が上がるやもしれん」

 「印欧のガレオン船と戦えるガレオン船なんて、日本にないだろう」

 「まぁ 船があれば商売はできるよ」

 「海賊船に奪われなければな」

 「最低限の武装はするがね」

 

 

 ビーチ・ヘッド海戦

 ツールヴィル率いるフランス艦隊(70隻)
       対 ハーバート率いるイングランド、オランダ連合艦隊(56〜60隻)

 フランス艦隊は、風下のありながらも勇敢に攻め続け、

 イギリス艦隊は逃げ出し、取り残されたオランダ艦隊は壊滅してしまう。

 

 

 フランス

 糞集めで足場を築いた日本人の居住者は増え続け、

 フランスの日本人居住者は欧州最大となっていた。

 日本人は、流通と農地を押さえ、地方にも広がって行く、

 フランス人は、窓から糞尿が降って来ず、

 糞塗れだった道路が綺麗になるなら面白く思わなくても黄色人種と妥協せざるを得なかった。

 そう、糞尿は土地を肥えさせ、作物の豊作を約束する。

 郊外の農地から日本人が運び込む作物は、パリの食材を豊かにしていた。

 パリ郊外の日本人区画

 フランス人は、糞尿街と陰口を叩くものの、ヤッカミであり、

 多くの日本人は、生活基盤を安定させ、一般的なフランス人より裕福だった。

 ルイ14世は、十字路の中に立ち、四方に連なる紅い鳥居を見上げる。

 「これが、鳥居か・・・」

 狛犬、灯籠も配置されていた。

 本来なら魔女狩りの対象なのであるが、

 そんな事をすればパリの街は、糞尿まみれに逆戻り、

 パリ市民の失望は、王への憎しみに変わり、

 絶対王制を誇るフランスで革命が起こるだろう。

 神道は、儀式めいても教義は深いモノでないように思えた。

 形状的な鳥居の存在で、精神的な安心を与えるモノでしかなく、

 鳥居に刻み込まれた象形文字は儒教の教えだったり、

 キリスト教の教えが刻まれていたり、

 クリスマスには、フランス人と同じようにキリストの生誕を祝っていた。

 日本人がフランス人を油断させているのかと思えばタダの祭り好き・・・

 「なんて、無節操な人種だ・・・」

 神道は、キリスト教を脅かすものではなく。

 儒教でさえ、むしろ歓迎すべき側面があった。

 「・・・あれは何だ?」

 ルイ14世は出店を見つける。

 「“そば” でございます」

 「ソバ・・・」

 フランス王ルイ14世は、糞尿集めの日本人が作った料理を食べることで、

 無双な勇敢さをパリっ子に証明し、

 怖じ気づきながら王に続いた近衛兵が “美味しかった” と証言するとパリっ子も食べ、

 パリに日本料理店が増えていく、

 

 パリ

 世の中、金さえあれば、何とかなるモノで、

 フランス女性の賃金は、男性のほぼ半分だった。

 食うに困らなくても、

 良い服を着たい、良い生活をしたいと思うなら売春だった。

 無論、貞操観念の強い女性はいるものの、

 欲に目が眩んで贅沢をしたい女性もいる。

 なので、仕立て屋に行くと、若いフランス女性を紹介してくれたりもする。

 フランス語を覚えた日本人が増えるに従い、

 礼儀正しく真面目な民族と知られるようになり、

 黒髪、黒眼の子供たちも生まれる。

 糞尿塗れと言われながらも、貧乏なフランス人より裕福であり、

 フランスの娘と結婚したりで日系人も増えていた。

 

 

 清国

 世界最大最強の帝国は少数民族の満州族によって支配されていた。

 八旗軍は強力な軍事力で要職を押さえていたものの、

 漢民族の人口比は圧倒的で、剃髪と満州服も漢民族を満州族にするものではなく、

 その支配基盤は、か細かった。

 

 

 

 帆船は高いマストと帆によって、重心が押し上げられている。

 船体が細長くなり、舵の効きが悪く、大回りになった。

 船体にかかる負荷も過剰に大きくなり、

 船内空間と積載物は制限され、重量配分の計算も難しくなっていく。

 また帆が高く面積が大きくなるほど、

 横風の影響力が強くなるため前後左右に傾きやすくなった。

 海賊が横行する時代、これらの不利を割り引いても船足が求められた。

 フィリピン

 細身のガレオン帆船がマニラ湾に入港する。

 2000トン級朱印船 (全長50m×全幅15m)

 日本の朱印船は、印欧船より細く造られ、

 船尾楼も操舵のためのものでしかなく、小さかった。

 扶桑

 「マニラ・ガレオンか・・・」

 スペイン船が並んでいた。

 「フィリピンで帆船を建造できるとは羨ましいね」

 「祖国じゃないと木を切るのも遠慮ないな」

 「フィリピン・チークだろう。いい木だ」

 「30〜45mになるまで60〜80年かかるのが弱点だな」

 「マニラ・ガレオンを購入できるか不安だな」

 「需要があったら買えるのでは?」

 「高く付きそうだな」

 「やはり、シベリアでカラマツを伐採する方が良くないか」

 「そうだな。質的落ちても木は木だからね」

 「質は問題だろう。船板一枚は海の底で命かかってるし」

 「そうなんだけどね・・・」

 「インドネシアのオランダとイギリスは、喜望峰の戦い以降、利権が縮小している」

 「東南アジアに拠点を作れる良い機会なんだがね」

 「タミルとマラヤラムもだ」

 「無理に占領しようとするとタミル、マラヤラムと戦争になるぞ」

 「それはまずい」

 

 

 1699年 第二次ウィーン包囲 (〜1699) 終結。

 欧州連合はオスマン帝国に勝利し、カルロヴィッツ条約が結ばれ、

 オスマン帝国を欧州から後退させていく、

 

 

 1700年

 樺太北端に日本人街が建設されていく、

 100万両という大枚を賭けた事業なのだが、

 幕府財政は危機に瀕していた。

 当然、主役は商人となるため、利権を認めざるを得なかった。

 “商藩” と呼ばれる新大名に北方の領地が割り振らされ開発が進む。

 松前藩

 「イギリスは海賊任せ。ロシアはコザック任せ、日本は商人任せか」

 「気が進まなくても商人も領地経営で安定した利益が入るだろう」

 「どうかな。領地経営で食えても、商人たちも生活は困るだろうな」

 「ガメツク儲けてるんだから使わせてやればいいんだ」

 

 

 フランス

 絶対王制に対するフランス人の不満は高まり、

 自由主義派と絶対王制派の対立は、糞尿塗れのパリが綺麗になるにつれ沈静化し、

 フランスが豊かな王国である意識が庶民に残った。

 日仏関係は糞尿処理で絆が強まり、

 日系社会は、下水処理から農地へ拡大し、

 資金を得た後、銭湯と洗濯業、日本料理店へと広がる。

 また日本のタタラ衆の鍛冶屋も進出し、

 日本刀だけでなく、

 外見がブロードソード、サーベル、スモールソード、レイピアで中身が日本刀も作られていた。

 そして、紅い鳥居、狛犬、灯籠の並ぶ、日本人街は格好の暇潰しとなり、

 日本庭園が作られるとルイ14世も異国情緒に惹かれたのか、見学に訪れた。

 「変わった庭園だな」

 「左右対称の幾何学より、総合的な調和を構築していると思われます」

 「んん・・・美しいものだ」

 「東アジアは、日本と清国。どっちと組むと有利だろうか」

 「清国は強大で貿易で期待できそうですが朝貢外交を求めています」

 「そんな。卑屈な外交ができるか」

 「では、日本という事に・・・」

 「そうなるな」

 「舟山に貿易商館を置いて」

 「日本を間に入れて中国と交易するのが良いかもしれません」

 「南インドのムガル帝国、タミル、マラヤラムは、どう思うね?」

 「ムガルは、大国で傲慢ですのでタミル、マラヤラムと組む方が良いかと」

 「北アメリカのヌーベルフランス防衛で、イギリス、オランダへの牽制にもなるか・・・」

 「遠交近攻策でしたら、タミル、マラヤラムは重要かもしれません」

 「イギリスは、インド洋への覇権が後退して、北アメリカに集中し始めている」

 「北アメリカで負けるわけにはいかないぞ」

 「御意」

 

 

 フランス

 湿気と降水量は日本より少ないものの、

 地下水と河川を含めた一人当たりの水量は、日本とそう変わらない、

 日本人たちは、フランスの見栄え一点張りの服を着ていた。

 洗い易さ、着易さ、収納は、二の次だった。

 フランスの美術は、ゴシック、ビザンチン、ルネッサンス、バロックと変遷し、

 見比べるとフランスの服がセンスで上だったりする。

 日本から送られてきた浮世絵と水彩画は、関心をもたれたものの、

 根底の美的感性が違うらしく、影響力は、少ないように見えた。

 

 フランス料理店

 一度、糞尿処理業者が入店禁止になった時、

 日本人が仕事をボイコット、帰還者が続出するとパリの街に糞尿が溢れだした。

 慌てたパリっ子とルイ14世の命令で日本人のフランス料理店入店を断る店はなくなる。

 「スペインのテルシオ方陣とオランダの歩兵・騎兵・砲兵の三兵戦術。どっちが上かな」

 「フランスは重騎兵、軽騎兵、竜騎兵だっけ」

 「マスケット銃の比率は増えているようだが」

 「兵科に砲兵が組み込まれていないから弱くないか」

 「伝統と改革の確執ってやつだろう」

 「方陣は、密集しているから銃撃戦でまとめてやられそうだけど?」

 「方陣じゃないと脱走されるからまずいだろう・・・」

 ウェイターが新しい皿を皿が並べていく、

 「「「「おっ おぉおおお〜 美味い」」」」

 「これは、神技だ」

 「それより、セイヴァリの熱機関は?」

 「そんなもの、どうでもいい」

 「この白くてふわっとしたものを日本に輸入しないと」

 「「「うんうん」」」

 日本人たちはホイップクリームに感動する。

 

 

 

 インド洋

 ダウ船がインド洋を行き来していた。

 ダウ・ガレオンは戦闘用で有利でも費用が大きな軍船で、

 商用船として採算が悪く不利益が大きかった。

 ケープタウンの戦い以降、欧州船が減少すると、大型ダウ船が増えていた。

 ムガル帝国ダウ船

 「海賊程度なら小さな大砲で足りるから。重武装船が減って気が楽になったよ」

 「それは悪かったね」 白人

 「まぁ イギリスとの交易は悪くないよ」 ムガル人

 「アジア貿易をスペインに独占させたくない」

 「イギリスと協力体制が築けるならムガルは悪くないな」

 「新型銃はどうだね」

 「マッチロック(火縄)式よりフリントロック(火打ち石)式が優勢なのは確認してるよ」

 「それなら、タミルとマラヤラムに一泡吹かせられるだろう」

 「その間にイギリスは、北アメリカへ? それとも南アフリカに返り咲き?」

 「ふっ♪」

 どこの国も似た様な事を考え、手の内を読み、

 自国の利益を追求していく、

 相手の戦略を読み損なえば、大損失となるため互いに商人に扮した諜報員を送り込み、

 非公式な外交交渉人を送り込んだ。

 

 

 

 北アメリカ フランス領ヌーベルフランス

 フランス船から日本人が降りてくる。

 「綺麗な土地だな」

 「ミシシッピー水系全部がフランス領だと」

 「すげぇ〜」

 「それで、幕府はフランスを支援するって?」

 「んん・・・協力関係は維持するらしいよ」

 「なんか、微妙な言い回しだな」

 「そりゃ 印欧諸国の複雑怪々な外交に巻き込まれて損するのは御免だね」

 「清国とロシア帝国も影響力あるからな戦争一発で、どう転ぶかわからん」

 「フランスは強いはずだろう」

 「地上ではね」

 「海だってビーチ・ヘッド海戦で勝っただろう」

 「イギリスに上陸できなかったのだから、フランスが勝ったとは言えないだろう」

 「まぁ そうだけどね・・・」

 「大陸国家は中途半端にならざるを得ないからな」

 大西洋、インド洋、太平洋を舞台とした大陸、半島、島礁国家群の戦略は、複雑に絡んでいた。

 同盟関係が曖昧であるほど交易がしにくく、戦いを躊躇させ、

 同盟が強固であるほど敵味方で分かれ、戦雲が高まっていく、

 とはいえ、フランス側でヌーベルフランスに上陸し、

 土木建設を推し進めると、インディアンと衝突しやすくなり、

 北アメリカのイギリス領東海岸と敵対関係になりやすくなった。

 

 

 大航海時代先行していたスペインは、まだ広大な植民地を保有していた。

 南アメリカ大陸の大半のほか、

 ヌエバ・エスパーニャ副王領と呼ばれる北アメリカにまで及んでいた。

 北アメリカ大陸スペイン領 ヌエバ・エストレマドゥーラ

 南は、パナマ海峡近く、

 北は、西海岸の南半分、

 東は、フランス領ヌーベルフランスに至る広大な領地が広がっていた。

 飛び地でフロリダ半島もあった。

 これらの植民地では、スペイン人とインディアンとの衝突が繰り返されていたものの、

 スペインの富を吸い上げていた。

 

 

 

 アフリカ大陸 南アフリカ

 この地もまだ植民地未満といえた。

 タミル、マラヤラムは、イギリス、オランダ勢力を追い出したとはいえ、

 日本船、フランス船、スペイン船は入港し、取引が行われていた。

 タミル、マラヤラムは、反英蘭戦略で他の国家を利用しているだけであって、

 それ以上ではなかった。

 ケープタウン港

 「これが日本製のフリントロック(火打ち石)式銃か」

 「銃剣は、日本刀と同じなのか」

 「銃に取り外しできる短刀だよ」

 「取り付ければ槍になるわけか」

 銃の先に取り付けられた銃剣の刃紋に男たちは見惚れる。

 銃剣をサバイバルナイフ兼用で使用するか、

 軽量で細長くできるレイピア状にするか、意見の分かれるところだった。

 「これなら、同盟のマスケット銃は、優位性を保てそうだな」

 「イギリスとオランダは、本当にムガル帝国と手を組んでいるので?」

 「取引が増えてるし、利害関係からあり得るだろう」

 「まぁ おかげで、ここまで無事に来れるんですがね」

 日本・蓬莱のタタラ集団が生産する日本刀は、硬さと粘り強さを兼ねて有名になっていた。

 価格に名前の加味されるようになると、名前を傷つけまいとし、

 幕府は、タタラ鍛冶の品質低下が日本刀の暴落を招くと神経質になって、

 特定の御用商人に取引させるようになっていた。

 仏印日関係の焦点は、スペインがイギリス側につくか、フランス側につくかでもあった。

 しかし、そのスペインは・・・

 

 

 

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 月夜裏 野々香です。

 封建制度をより早く確立した文明圏が国家として先行し、

 強国となって行きます。

 強国は同盟戦略を結びつつ、国益を優先し、あるときは敵対し、

 という感じです。

 史実より船の建造と、日本刀と銃の生産が多く、

 木材消費が大きく高騰しそう、

 石炭で賄えなければ、日本の家屋は石とレンガが増えるかも、

 ただし、多くの石炭は硫黄分が多く、

 そのまま製鉄に使うと鉄が脆くなります。

 

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第01話 『釈迦、出家せず』

第02話 『群雄割拠前哨戦』

第03話 『18世紀の世界大戦』