仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第01話
安政二年(1855年一月十日) 水戸藩江戸屋敷 文京区小石川
「では、慶喜、頼むぞ」
「は、西洋とやらを見てまいります」
「渋沢、お主に此度の旅賃を預けるぞ」
「斉昭様もどうかご無事で」
「な〜に、長崎海軍伝習所ができるのなら、阿蘭陀より蒸気船とやら二隻を受け取りにいかねばなるまい。じっくり、阿蘭陀の軍艦で阿蘭陀まで行ってこいや。ついでにパリで万国博覧会なるものが開催されているようだからついでに見物してくるがよい」
「はっ、身に余る光栄」
「なにをいう、阿蘭陀人とこちらの水兵の間にたってうまく調整せねばならん任務、舵とりは難問よのう」
「いえいえ、阿蘭陀とパリを見学できるのですからそれに比べれば、容易といわざるをえません」
「どちらにせよ、慶喜、無事戻ってくればそれに勝るものはない。たっしゃでな」
「いってまいります」
「うむ」
「ぼーーーーー」
「出航」
「いってしまいましたね、斉昭様」
「なんと、難しい時代に生まれたものだ」
「昨年の日米和親条約以降、我が国は揺れてますからな」
「あの清が英吉利に負けたのだ。鎖国にしておけば、いいように戦争を始めさせてられ、占領の憂き目を味わうかもしれんな」
「徳川二百年の平和は、世界を知らない上で成り立っておる。黒船を見せつけられるだけで、開国してしまったからな。何とか西洋を見て回った上で、最善を取るしかなかろう」
「西洋との取引が始まる前に敵を知らねばなるまい」
「それとともに、国内にあった将軍慶喜擁立をけむに巻くためですね」
「今の将軍家定様は、第十三代。十二代家慶様から病弱な家定様にかわり慶喜を継嗣にたてようかといわれましたからね」
「老中どもの反対にあってそれは遅延し、そうこうしてるうちに家慶様がなくなり、とりあえず家定様が十三代となることで落ち着いた」
「ところが就任したものの家定様は病弱なうえさらに後継が生まれておらぬ。もし、数年のうちに家定様が死ぬようなことがあれば、今度も神輿を担ぎに来る連中がいようぞ」
「担ぐ神輿を隠しておくのも水戸藩安泰のためよ」
ネーデル号
「渋沢、水夫がのってるようだがどこの者達か?」
「此度、阿蘭陀から受け取る船を動かす水夫たちですが、どうやら塩飽(しわく)衆とのことです」
「では、いずれ、その船に乗ることがあれば世話になるわけだな」
「それと船の上での権限ですが、船長が全ての責任を負うものであり乗船している者はこの命令に従わねばなりません」
「それは、戦で言う大将というものかの」
「船戦になればそうなりますが、船にはもう一つ輸送業務というものがあります。船長は積み荷と乗客の安全に神経を配らねばなりません」
「それは、兵站を担っておる兵站奉行ともいえんか」
「我々はその船長に命を預けている乗客と思っていただければ問題ないかと」
「それは、近い将来、船に乗船する機会があればそこにいる塩飽衆の世話になるとみていいのか?」
「実務を担うのは塩飽衆でしょうが、幕府の御用船であれば幕府が名目であろうと船長は幕府の役人にするでしょうが」
「面白い。将来の顔合わせをしておこうではないか。ついてこい、渋沢」
「はっ」
「よう、皆の集、将来の船長に世話になるやもしれんからあいさつに来た。我は慶喜という」
「これは、若様自らのあいさつ。ご丁寧にありがとうございます。私が今回の代表を務めます、塩飽万丈(ばんじょう)と申します」
「では、こ奴も案内しておこうか、今回の旅での金庫番である渋沢栄一じゃ。金に関してはこいつに話を通すがよいぞ」
「それはご丁寧にありがとうございます。ただし、我らは海の一族。路銀をもたされているほか。米俵二俵分の中にいろいろと道中、商いをしていこうと思っていますので。そうですな、ばくちですったものがいれば、是非御助けしてやってください」
「なるほど、侍とは違うの。侍は金を生み出すのが下手だ。ぜひ、われらもお手本としたいので商いの種となるものは何か、三つ四つ、教えてくれはせんか」
「そうですなあ。我々も国内で相手をしておりますが、国外に出るのは初めての面々ばかり。外れもありましょうが、中国とでしたら多少の経験はあります。清と商いをするなら、海にあるものでしたら、ナマコが筆頭ですかな」
「ふむ、それは幕府も長崎の出島を介しておこなっておるなあ」
「はい、このナマコのよいところ。我らも瀬戸内海の島々にすむものですから手に入れるのが極めて容易なことですな。そして乾燥させてしまえば干戈となり、漢方の高級品に早変わりする日持ちの良い商品となることですなあ」
「なるほど、船旅には日持ちすることが大事とは、これはしらなんだ。一つ、賢くなったな、渋沢、そちは知っておったか?」
「いえ、そのようなことは、農民である私が知りようがございません。ただ、農民にしてみれば、干瓢と渋柿にたとえれるかと」
「そういわれるとわかりやすいのう、では二つ目はなんなろう?」
「高級品であることでしたら、生糸を積んでみました。ただし、これは清では生産もされておりますから、阿蘭陀まで持っていくことになりそうですが」
「渋沢、高級品を積む理由はわかったか?」
「そうですな、船に持ち込む制限量がある上、高級なものを載せて単価を高くするためでしょうか」
「なるほど、限られた持ち込みで最大の利益を得るためか、これも一つ為になった。それでは三つ目は?」
「生糸よりさらに高級品となりますと、丹後の縮緬ですかな。この素材でしたら、もしかしたらお金持ちの国に行けば高く売れるかもしれません。こんな素材を見たことはないでしょうから」
「なるほど、探せばあるものよ。渋沢、我々も無事日本に帰ってこれたら特産品をもって商売をするか?」
「若様、商売をするのはいいですが、目的を何にしますか」
「それはもちろん、水戸藩を支える武士のためだ。この先、どうなるかわからんが先頭にたつ以上、配下を食わせるのが役目であろう。そのための商売ぞ」
「では、すまぬが四つ目を教えていただけぬか。若様になりかわって、この渋沢からも頼む」
「そうですな、最後にあげるのは人材でしょう。若様、私の後ろにいる者たちが何をしに阿蘭陀までいくと思いですか」
「それは、船を受け取りに行くのではないか?」
「それも間違ってはございませんが、船を動かすのは水夫である我々です。ですが、それぞれの役目が異なります」
「右から辰の役目は、船大工。阿蘭陀まで出かけるのは自前で黒船を修理できるようになることが第一。ついでそれを造れるようになればさらによし。これを辰一人に押し付けるのは誠に厳しいのですがこれも塩飽一族繁栄のためしかたがないこと。若様、なぜ我々がこの船に乗っているかごごぞんじですか」
「それは、幕府に頼まれたためであろう」
「確かにそれも間違えではございませんが全てではございません。確かに我々は幕府御用たつをうけもつ船乗りであり、船に関しては誰にも負けぬ自信がございます。ただし、それは、江戸の初期の話ですかな。江戸中期になりますと米の運搬を藩でなく樽廻船を扱う商人どもがとりあつかうようになりました。自前の船に乗って船そのものを運用していた塩飽衆は、樽廻船問屋が用意する樽廻船に乗り込む船長の収入のみになれば収入そのものが激減しました。今回の阿蘭陀行きは誰よりも早く黒船の操船方法を学び、かつての繁栄を再び取り戻すためですな」
「そんなに壮大な目的があるとは思わなんだ。この慶喜、ちと考えが足りなんだ」
「それはそれで構いません。我々はまだものになるのも決まっておりません黒船にかける方に押しやられた捨て駒かもしれません。一族が今のままの和船乗り用に重鎮を残したのは双方に一族を配置して一族が総崩れになるのを防ぐためでございます。そうですなあ、若様ならご存知でしょうか。九鬼一族が関ヶ原の戦いの際、一族を父方と跡取り方に二分した話を」
「おう、もちろんぞ。あの真田一族も同様であったと」
「我々は若手がこの船に乗っております。頭が柔軟であることも大事でしょうが、ものになるかどうかもわからないものに和船の船頭を務められる人物をおくりだすわけにはいかないのも事実。これも水戸藩を支える武士を食わせるといった若様であればこそ、残りの者たちの紹介をいたしましょう」
「右から二人目の満(みち) は、黒船の正体を確かめるためでしょうか。陸蒸気を見てますと黒い石を積んでそれを燃やして推進力を得ているようですが、その推進力をものにするためですな」
「三人目の寛(かん) は、船で言う目ですか。羅針盤なるものがあれば船の位置を正確に求める手助けになるときいております。ぜひ、この秘密を手にしたいものですな」
「四人目の楠(くす) は、島にある診療所の跡取り。大坂にある適塾に入れてもよかったのですが、あそこでも船員に特有の病気を治してくれるわけではありませんな。ならば、遠く阿蘭陀まで学んできてもいいかと考えております」
「五人目の広(ひろ) には、商いの知識を得てほしいですなあ。どこに産物をもっていけば大いに儲かる、航海が黒字になることはこれ百年の計の第一歩ですから」
「なるほど、そなたたちは一人ひとりがもののふとも言えそうだな」
「今までの話、若様、商いの種は人材ですなあ。和船でも船頭になれば給金があがり食っていけます。ここにいる若者が成長すれば投資に対する最大の払い戻しとなりましょうぞ」
「ふむ、いい話を聞いた。明日もききに参るぞ。では、渋沢、早速、西洋の船頭というやつにあいさつに参ろうぞ」
「はっ」
一月十一日
「万丈、今日もきたぞ。なんぞ、面白い話があればきかせてくれ」
「そうですな。国内の話になりますが、相場というものをご存じで?」
「米相場に使われる相場のことかの?」
「その相場ですが、我ら塩飽衆で情報を共有しております」
「ほう、それは一族ゆえに当然であろう」
「例えば、国内にあっても銅相場一つで日本海側と太平洋側とで大きく違う場合が多々ございます。そうなれば、安い方で仕入れ高い方で売るというのが商売の基本。ですが、船乗り一人当たりに許されているいわば船に乗ってるなら金の困らないように各自で金をつくることが許されるお目こぼしといわれるもの。それでは米二俵しかはこび込むことができませんので、もう一つの法則を適用します。船に乗ってでしか手に入れることができないものを運ぶのです。わかりやすいものでしたら、蝦夷地に運び込む米ですな。蝦夷地であれば米は収穫できません。ですからどうしても米が食べたいのであれば、内地で調達した米を蝦夷地に運び込むだけで高値で売れるわけです。単に蝦夷地では生産しようにもできないものだからです。だから、米二俵分にいれる交易品には、その地でしかできないものをいれるか、その土地では生産されていないものになっていくわけです」
「なるほど、いい話を聞いた」
「では、今度は、今度大坂で乗り込み蝦夷を目指す船があるとします。若様は米を仕入れるとしたらどこで仕入れますか」
「それは、大坂ではないのか?」
「それでは、益の半分にもなりません」
「大坂で仕入れるものは下りものです。その仕入れたものを秋田の酒井で金に換え、酒井で米を仕入れます。少なくとも米の産地で仕入れるわけですから安く仕入れますな。そして大坂から持ってきたもので高く酒井の商人が引き取ってくれます。まあ、各地の港をまだまだ経由しますから逗留した港の数だけ商いがうまくいけばなおよおろしいですが」
「万丈、船乗りは金持ちか?話を聞いた分だけでもすごい儲かりそうぞ」
「では、船乗りにとってもうひとつの格言を言いましょう。『板子一枚下は地獄』といいましてな。船で一人悪さする者がいるとか。一人和を乱す者が言う場合も航路を間違えれば待っているのは大概死。嵐に遭えば船はこっぱ微塵になり、海の藻屑。船乗りは船頭に命を預けているうえ、いつも死は隣にあるものです」
「そうか、高給を取るのは命がけゆえか」
「侍はいつも言いやがりますがね。我々は戦場で命をかけてると。最も二百年以上前の話でしょうが。我々は、海の上にいる限りいつも命がけですが」
「そうよの、侍の頂上にいるのが『大名』なら、船乗りの頂上にいるものが『人名(にんみょう )』を名乗るのも命をかけているといわれれば納得せねばなるまいな」
「渋沢は知っておったか?人名なるものを」
「はじめてききます」
「そうよの、陸にあるものであれば知らぬのもあたりまえか。大名が一万石以上の国もちならば、人名は海を統治することを許された一族に与えられたものといえるかのう。石高は二千石に満たないが、その島は集団自治制度が敷かれ、幕府の管轄を離れておる。そして株仲間みたいな形で集団により株をもっておる者による多数決で物事が決まる。そんな感じだったかのう」
「株の名前を人名といいましてな、世襲されるところまで大名とよく似ておりますかな」
「なんと、陸にあればわからぬことも海におればはじめて知ることが多々ございますなあ」
一月十四日
「万丈、船上が騒がしいようだが訳があるのか?」
「大坂に入る準備をしております」
「なに、もう上方につくのか?東海道五十三次を歩けば、一月はかかろうが」
「それは、羅針盤のおかけですな」
「それほど、羅針盤なるものは優れておるのか」
「羅針盤があれば、船の上にいる限り、迷子にならないときいております」
「ほう、それは優れたものよ。和船にはないのか?」
「ないですなあ。和船は羅針盤がないので夜には港に入って一日の半分は航行しません」
「和船にはつけないのか?」
「羅針盤なるものを使うのは技術がいるそうです。阿蘭陀云々といいますがこの技術を習得すれば日本の海は、所要日数が半分になるでしょうねえ」
「なぜ、そんな便利なものを使えないんだ」
「若様、我々塩飽衆からすれば、鎖国しておりましたので技術を習得できませんでしたとしかいえませぬ」
「あいや、それはすまぬことをした。わが幕府の責任か」
「いえいえ、これから盛り返せばいいのです」
「若様、大坂には上陸されますかな?」
「できるものならしたいが」
「でしたら、とりあえずは飯ですが、なんにいたしますかな」
「江戸で食べれないものがいいぞ」
「食い倒れの街、大坂で食べ物に対する苦情はまず出ませんなあ。でしたら、うどんにいたしましょうか」
「これ、江戸で食べれぬものといったが、万丈を信用しておこう。きっと満足させてくれるに違いない」
讃州屋
「万丈、大坂のうどん屋は四半刻も待たせるほど繁盛しておるのかえ」
「申し訳ございません。前回、半年前に来た時はこうまで繁盛していませんでした」
「殿、繁盛している店に外れなしといいます。ここで食べれれば、江戸への土産話になるかと」
「渋沢、そちは寒くないか?ただつったておるだけでちと寒いのう」
「武蔵のからっかぜを受けて育ったものとしては、すごしやすいかと」
「若様、順番が来たようです。入りましょう」
「いらっしゃいませ。八人でございますか。こちらの席へどうぞ」
「ご注文が決まりましたら、どうぞ」
「たぬきうどん三玉を五人、二玉を一人」
「若様と渋沢殿はどうされますか?」
「たぬきの三玉」
「同じく、たぬき三玉」
「「ズルズル、ズルズル、ズルズルズル」」
周囲でうどんをすする音が聞こえる
「万丈、あの桶で食っているのはなんだ」
「あれは、家族用ですかな。桶に八食分、八玉のうどんが入っており、つけ麺で食べます」
「ほう、あったかそうでよいものよ」
「はい、冬の船上であればどうしても寒いもの。懐中を温めてくれる食事こそ、必要だと思われましたのでうどんを食事に選びました」
「や、それは一本取られた」
「落語にもあります。目黒のさんまを食べた殿さまがお城でさんまを食したところ、さっぱりうまくなかったと。理由は簡単で、毒味をしている最中に冷めてしまったさんまを食べてもさっぱり美味しくなかったというのが落語の落ちというものです」
「そうよの、城の中の暮らしは食べた気はせんなあ。学問所で同級生とワイワイやっておる最中に食べた食事はうまかったぞ」
「へい、たぬきうどん、八人分をお持ちいたしました」
「万丈、お主だましたであろう。これがうどんか?確かにうどんの麺らしきものが入っておるが、なんぞこの澄みきった汁は、うどんは黒い汁だろう」
「若様、百閧ヘ一見に及ばずと申します。食べてから苦情を受け付けますから、どうぞ」
「そうよの、食べる前から批判してもしょうがない。ではいただこうか」
「う、ううううう。ズルズル、ズルズル、ズルズル」
「う、うまい。が、もうない。万丈、お主のせいぞ、江戸に帰ってからうどんが食べれぬではないか。向こうのうどん屋に行こうとは思わんではないか」
「それは、うどん屋の主人をほめてくださったものと受け取ります。ここの主人は、讃岐の出で、かの地では村一番の麺打ちだと言われたそうです。我々も讃岐のはじっこ(すみ)に住んでおりますが、なんでもかの地では、めでたい席があれば村一番の麺打ちがうどんをふるまう習慣があるそうです。村一番のうどん職人の味はどうでしたか?」
「これもお主が言っておった人を育てると一流の人材になるというやつかの」
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