仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第02話
安政二年(1855年一月十五日 ネーデル号
「万丈、昨日は世話になった」
「いえいえ、若様。こちらこそ、ごちそうになりました」
「いやいや、あんなうどんは初めてだ。八人分を払うだけの価値はあったわ」
「それは、讃岐うどんというものは、関西のうどんの起源だと讃岐に住む人は言います。関東で出るうどんは、鰹節のだしにこいくち醤油を元にいたしますから、どうしても汁が黒くなります。それに対して、関西の味は昆布だしで淡口しょうゆを使いますから透明な汁になります。昨日食べたうどんは讃岐うどんですから、いりこだしを元にして作ったもの。我々が初めて江戸のうどんを見たとき、昨日の若様のような言い方をしましたねえ。『おい、うどんが黒くて麺が見えんぞ』とね」
「なるほど、昨日の経験はかつての万丈であったか」
「ただし、二度と江戸で食おうとしませんでしたが。どうしてもうどんが食べたくなりますと、讃岐の乾麺に淡口醤油、それにいりこを用意して、自炊するしかありませんが」
「その気持ち、今日ならわかる。おとといまで食べさせられていたうどんは、うどんといえるのかと自問するようになってしもうた」
「それで万丈、瀬戸内海に入ってしまえば、お主のお庭だろうが、なぜそんなに熱心に見ておる?」
「ひとつは、郷愁というやつですかね、阿蘭陀まで出かけるとなるとしばらくこの景色ともお別れでございます。若様も瀬戸に沈む夕日は風情があるともいませんか」
「そうよの、ここに故郷があるというのは良いことよ。万丈のことだ、ここが夕日の一番美しいところというのを知っておろう」
「では、その地を航海しており、さらに暮れ六つになりましたら、お知らせいたしましょう」
「うむ、期待しておろう。で、まだ何かありそうだが、それは何かのう」
「我々が船大工を習いにしているのはお話しいたしましたよね」
「ふむ、塩飽衆とは、船を自前で造り各藩から米の運搬を請け負っていたと」
「そしてそれは、江戸時代初期のころの話というのをしたと思います」
「ふむ、商人にとってかわられたということだな」
「はい、我らの祖先は自前で船を運用しておりましたから、船員は自前から雇われになりました」
「金に困るようになったというわけか」
「金に困るようになりましたが、雇われ船員であろうと職があるものはまだ救われます。しかし、船大工は待てども船を造る仕事が来なくなりました。で、船大工は島から出ていき、瀬戸内海各地の陸に上がり、あるものは家大工へまたあるものは宮大工へと転職していきました」
「侍には無理だのう。武士はくわねど高楊枝といって、侍という職にしがみつくか、浪人となってしまっても刀を捨てれぬ」
「そうして、この風景を見ておりますと我らの祖先が苦労して建てたものが通り過ぎていくように思えるわけです」
「実際には見えないだろうが、で、どんなものを一族で建造したのか」
「備前の国でしたら、吉備津神社本拝殿、国分寺でしたら備中と善通寺の国分寺ときいております」
「お主らは、桃太郎のご加護が期待できそうだのう」
「いえいえ、船乗りの信仰するものは金刀比羅天満宮でございます」
伊予の国海上
「万丈、この伊予の海から見る安芸に沈む夕日が日本の見納めにしたかったものか」
「われわれにとっては、波静かな瀬戸の中でも最も印象に残る風景でございます」
「これは、批判する言葉が見つからぬ」
「春になりますと、西の方角に山々から沈む夕日が、岡の方を見れば桜色に染まった満開の桜吹雪が、ここ瀬戸を運航しております我々の船の上の盃に舞い降りてきます。肴は、ここ伊予で取れた桜鯛飯とくれば言うことないかと」
「今すぐに春のものを食べさせろといっても無駄なことよの。日本に帰ってきたら真っ先に鯛飯よ。鯛飯よ、待っておれ」
一月十六日 ネーデル号 東シナ海海上
「寛よ、そんなに深刻な顔をしてなにかあったか」
「これは若様。実は、船が混雑した瀬戸内海を通り過ぎた後、待ちに待った航海術の講義が始まったのですが、緯度の計測は六分儀なるものをいじらせていただくようになり、大まかなところをつかめるようになりました」
「では、船の目となる役割に近づいたことで喜ばしいではないか」
「そしたら、次は経度を求めるための講義が始まるわけですが、クロノメーターなる精密な時計が必要だと言われてしまいました」
「船に乗っておる最中であれば、船についている時計を見ればよかろう」
「そうですが、自分も手にしてみたいと思うようになりましたんで」
「買えるかどうかはわからんが次の上陸地点で見せてもらってはどうだ」
「そうですが、今まで明け四つ暮れ六つの世界で生きてきたもんですから、一日が二十四時間で成り立っておると言われてもちんぷんかんぷんでして」
「クロノメーターなる時計を見て、きちんと一日が二十四時間であることを確認したいということか」
「そういうわけで」
「百閧謔闊鼬ゥであろう。後、買いものとなると値付けを見ないといかんが、読めるか?」
「西洋方式なら大丈夫かと。日本の一分一両とは違いますが十進法でした。後は数字なるものを読めれば値段がわかります」
「それを買うのに一分銀では無理であろう。ざーっと千両かかるかもしれんぞ」
「やっぱりそうですか」
「商人の家に行けば、置時計なるものがあるが家一軒が建つぐらいが相場だ。それが話を聞いてる限り、携帯できるもののようだ。少なくとも置時計より安いということはあり得んな」
☆とほほな知識
クロノメータの相場 二十一世紀現在、大卒初任給一か月分ぐらい
十九世紀後半であれば、二十一世紀に換算すると五百万でしょうか
天保小判一両 金 lang=EN-US> 6.4
グラムを含有しているとして、グラム四千円で二万六千円
クロノメーター一個を二百両と推定
洋銀 代表的なメキシコの八レアル銀貨 lang=EN-US>27.2
グラム
天保一両 lang=EN-US>(
金 lang=EN-US> 6.4 g)
と洋銀一枚とを交換するなら、金銀交換比率 lang=EN-US> 1:4(
日本国内の相場 lang=EN-US>)
天保一両と洋銀四枚を交換するなら、金銀交換比率 lang=EN-US> 1:16 (
十九世紀半ばの世界相場 lang=EN-US>)
ちなみに地殻存在比では lang=EN-US>1:17.5
であり、地球上にある金と銀の比率といえる
ナマコ 一キログラム当たり、二千円 lang=EN-US>(
二十一世紀 lang=EN-US>)
干しナマコ 一キログラム当たり、五万円 lang=EN-US>(
二十一世紀 lang=EN-US>)
生ナマコ百キロから干しナマコ三キロができるもよう。上は市場価格。下は香港への輸出価格です。ナマコは、浜値なら半額でしょうか
一月十九日 上海租界
「まずは、できたてそのものの租界だが、乾物屋にいこう。ここで清人と価格交渉だ。同じ漢字圏の国ゆえ、渋沢お主の出番だ」
「はっ」
「清では、国が管理する通貨なるものがなく、上海租界では洋銀で値付けがされているそうです」
「ということは、阿蘭陀までこの洋銀なるものが事実上の共通通貨か」
「便利でよいものよのう」
「我売干海鼠」
「良品 我買百洋銀」
「干しナマコ六キログラムを百洋銀なら買うそうです」
「万丈、いかがする」
「困りましたな。金銀比率もわかりませんし、清国内の相場もわかりません。これは自分たちが海でとってきたものです。元値はただですから、清で売らないと後売り場がないのでこの値段で売りましょう」
「これも勉強ようの」
「では、次は時計屋に行ってみよう。クロノメーターの相場を見ておこう」
「時計屋では、値付けが西洋方式か。寛よ、我々にいくらと表示されているのか教えてくれ」
「右から順にクロノメーターが五個あり、五千、四千、三千五百、三千五百、三千各洋銀だそうです」
「干しナマコでいうと三百キログラムか」
「生のナマコだと一万キロ。これが手のひらに収まるクロノメーターと同じか」
「とても個人の水揚げでは買えんな」
「いつか、日本もこのクロノメーターなるものを作りたいものよ」
一月二十日 東シナ海海上部
「若様、塩飽衆は幕府御用たつでございます。我々があのクロノメーターなるものを購入して、寛に手渡せばよかったのではないでしょうか」
「理由はいくつかある。万丈の言う産地で買えば安いというものだ。我が国とたいして技術の発展いていない清でクロノメーターを生産しておるわけではあるまい。幸いなことに我々がいくのは、阿蘭陀であり、あの黒船を建造しておる国やクロノメーターを作っておる国が近辺にあるそうだ。当然、ここにはクロノメーターが五個しかなかったが、阿蘭陀にはたくさんあるだろう。そして競争原理が働き、安いであろうし、中古品もありえる」
「なるほど、これからの旅、上陸する地点でそれぞれ時計屋による楽しみがありますなあ」
「それと時計屋の店先を見せてもらったわけだが、透明なビードロを使い、店内が明るくなっておった。ビードロ一つをみてもそれを見るだけでも我々の旅が価値あるものとなろうぞ」
「なるほど、店を見て回るのも仕事のうちというわけですなあ」
「それと渋沢、クロノメーターを我から手渡したとして塩飽衆が喜ぶと思うか?」
「それは、欲しがっていたものを若様から受け取るわけです。喜ばぬはずはございません」
「寛はそれでよい。しかし、万丈にしてみれば一族を率いてきているわけだ。幕府からほい受け取れ、と言われれば受け取らざるをえないが内心、それを喜ぶかといえばそうでない気がする」
「そんなわけないでしょう」
「渋沢、お主は我が配下だ。上からものをもらうのは自分が認められたことであり、受け取らねば逆に非礼になろう」
「その通りでございます」
「しかし、塩飽衆は自治を認められた一族だ。我々が認めておるから自治ができるが。渋沢、お主のことだから天保小判であのクロノメーターが何両であるかを計算しておろう。どうであった」
「一番高いもので三百二十五両でございました」
「三百二十五両もするものを正規の手続きもしないで受け取ってみろ。いつ何時、難癖をつけられて、自治を返納せよと命令されるかわからないとも考えられる」
「あ、それは考えすぎではないですか」
「それは置いとくとして、人材教育のためにならんと思ってな」
「そうですね。ほしいものが我慢もせずに他人にねだることで手に入る。そう考えるようになりますと、その人の成長が止まってしまうように思えます。自分も武蔵周辺を商人として歩き回りましたが、上に立つものをみるとその村のふいんきが決まるような気がしました。万丈というもの、彼とならいい取引ができそうな気がしております」
「そう、人を育てるために今回は心を鬼にして買わなかった、ただそれだけのことよ」
一月二十二日
「寛よ、江戸を出てきたときは冬であったのに、えらく暑くなっておらぬか」
「六分儀を使いましたところ、北回帰線を通過した模様です」
「なんじゃ、それは」
「江戸であれば、冬になりますとお日様が低いままで真上に上がってきませんよね」
「そうよの。それで季節感を感じる」
「逆に夏であればお日様が真上近くまでのぼってきます。南の地域ではお日様が真上にくるところがございます。それほど南に来たという証拠が北回帰線を北から南に向けてくぐったというわけで、今船が航海していますところでは、一年中夏と思ってもよいかと」
「そうか、お日様が真上を通っておるなとおもっていたが当然の話であったか」
「夜も変わったようです。お日様が高く昇るようになりますと、今度は船乗りにとって大事な北辰をかなり低い位置にみるようになりました」
「ほう、船旅は夜も楽しめるのか」
一月二十五日 ジャカルタ
「いや、久しぶりの上陸ぞ。日本の梅雨とも違うスコールというもの、お風呂代わりでいいのだが」
「今夜はゆっくりとお風呂に入れそうです」
「それだけでも上陸した価値があるというもの」
「周りの人間を見ると皮膚の黒い人間ばかり。清人は隣人という感じでありましたが、海を越えてきたという実感が人を見るだけでします」
「それをいうとお主らもかなりくろんぼに近づいておるわ。しっかり日焼けしておるからな」
「教えをこうています阿蘭陀人がいいますに、ここジャカルタと次の印度では米を食べれるということです」
「おお、それだけでもよいな。早速食べにいこう」
「若様、阿蘭陀人が薦める中国人華僑の営業する食堂はここだそうです」
「まずははいろうぞ」
「御品書は漢字もついておる。なんとなくわかるなあ」
「若様、隣を見ますと豆腐のようです」
「よし、豆腐も食べるぞ」
「炒飯に麻婆豆腐、棒棒鶏にしておくか」
「おまたせしました」
「辛、辛い」
「豆腐料理がこんなに辛いものだと」
「米粒が長い。しかし、この中では唯一辛くない。箸やすめに炒飯か」
一同、汗だくだくで箸を進める。
「ずずーーー」
「あー、茶だけは心休まるのう」
「この暑さのために、汗をかかせる料理であったんだろう」
「確かに汗をかきますと心地よい気持ちになりました」
「御品書に豆腐とあるから、冷ややっこか湯豆腐のつもりで注文したのだが豆腐というより唐辛子に山椒の味であったな」
「いえいえ、ここジャカルタにまで来て山椒料理を食べれるとは思いませんでした」
「船の上だとパンなるものを主食にしておりますが、米料理というだけでいいものでした」
「うーん、後で船に戻ったら口直しを渡しておこう。こっちもしょっぱいがな」
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